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日本の旅の記録です・・!!

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20、世界遺産;厳島神社  「厳島神社と観音信仰」

2016年03月17日 16時36分57秒 | 世界遺産・厳島神社







  20、世界遺産;厳島神社  「厳島神社と観音信仰」  




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 厳島神社は中国にモデルがあった・・!

中国南部にある普陀山。これをモデルにして厳島神社を造ったというのです。 その根拠はどこにあるのでしょうか・・?

中国の揚子江(現在の長江)の河口にある小さな島・普陀山、この地は仏教の聖地であり中国の人は、普陀山によくお参りにいくそうです。
普陀山には大きな観音様がたっていますし、中国仏教で最も知られている観音の聖地であり、分け隔てなく人々の祈りに応えてくれる観音信仰は、10世紀ごろから中国に広く浸透していたとされます。


実は厳島神社は、この普陀山がのモデルとされているのです・・?!。 
その証拠は厳島神社の中にあるのです。

清盛は神社を建てたのに、仏教の聖地をモデルにしたのは・・?、と不思議に思われますが、この疑問こそ厳島神社の謎を解く最大のポイントのなるのです。

本堂の真後ろの”不明門”(あかずのもん)を見ると、何と、清盛が壮大な夢を仮託した観音様が安置・奉納されていたというのです。
だが、今は別の場所に奉納されていて、この観音像こそ厳島の中腹にある大聖院というお寺に安置されているのです。

大聖院は、平安時代の初期(806年)に創建された厳島で最も古いお寺であり、本尊としてそこに十一面観音がありました。 そうなのですこの観音様こそ、奈良時代のものと伝えられています。清盛の時代は、神と仏が混合する神仏習合の時代だったのです。

どうして、清盛は観音様を信仰していたのであろうか、其れは観音様は昔から「抜苦与楽」(バックヨラクとは、仏や菩薩が衆生の苦しみを抜いて福楽を与えることをいう)、つまり清盛の時代は混乱の時代、この思いを込めて祈っていたとも言われているのです。

ところで、この観音信仰は仏教伝来から間もなくして飛鳥時代には大陸や朝鮮半島を経て日本へ入ってきます。 
奈良時代になっての観音信仰は国家仏教と一体となり、現世利益的観音信仰が主流を占めるようになります。 
そして9世紀前半、奈良時代から平安時代初期にかけて天皇家を中心とした国家の全盛期となり、主に貴族たちの現世利益的観音信仰への傾倒し、事あるごとに観音祈願して現世利益を得ようとした。
10世紀末以降には、京都や畿内を中心に観音像を安置する寺院が増え始め、貴族や民衆の参詣が流行し、このあたりから観音霊場を巡礼して験力をみがく、所謂、経験者による観音霊場めぐりも現れるようになります。



因みに、明治時代の初めに廃仏毀釈・神仏分離令によって、現在のように神社や寺院は別物として仏教的なものと神事的なものはが分けられたが、ここ宮島も明治以前までは神仏習合の地、神の島でもあり、実は仏の島でもあったのです。

清盛の観音信仰は「平家納経」にも表れていて、一門が自らの祈りを込めて写経したものであり、その冒頭には清盛自身が記した「願文」があるのです。

そして、其処には、「当社は観世音菩薩の化身なり。」とあるのです。 
つまり、清盛が厳島神社を建てた理由は、観音への信仰だと思われるし、観音信仰が厳島神社と普陀山を結びつけていると言われる所以なのです。


次回、  「厳島神社と海上神殿」

  
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19 世界遺産;厳島神社の仮説  「厳島神社の地形的背景」

2016年03月16日 17時11分19秒 | 世界遺産・厳島神社





  19 世界遺産;厳島神社の仮説  「厳島神社の地形的背景」  





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 厳島神社はもともと陸地だった・・!

現在は海上に立つ厳島神社であるが、元々は陸地だった場所を清盛が掘って神殿を造ったという説もあり、その根拠としては厳島を襲う土石流の実態だとも言われています。

厳島では200年に一度の割合で、弥山(みせん)の山から神社を埋め尽くすほどの土石流が発生していて、近年ではあの枕崎台風でした。
1945年の枕崎台風から遡ること江戸時代中期の1739年、さらに室町時代の1541年にも土石流が発生しているとされています。

つまり、200年に一度くらいずつ土石流が起こり、その都度厳島神社の海のところが埋まって陸地になってしまったとされます。
地質の脆い厳島では、清盛の時代の前から土石流が起こり陸地が形成されていたようで、そうなると、現在は海であったところが本来は陸地であったと考えるのが自然だというのです。


ところが、今度は元々陸地だったところを人工的に掘って海を開き、その上に新しく社殿を造ったという風に考えられるのです。
では、どのようにして海上神殿を築いたのでしょうか・・?、清盛は広大な土地を掘り、海の水を引き入れて、社殿を築いたとされています。

平安時代にこのような土木工事は可能だったのでしょうか、といわれると、日本はもとより農業の国であり、土地を耕したり、新しい土地を開く事は特に苦出は在りません。 農業には鋤・鍬・斧、などがあり、固い樫の木の先には金具がついています。 
従って、当時の技術からお寺や神社が造られているので、人海戦術を使えば可能なのです。


平安期、厳島神社の100年前に建立されたとされる京都宇治の平等院、其処には寺院の前庭には大きな池がありますが、此方も極楽浄土を再現しようと人工的に作られた池なのです。 考古学や建築学から考えて、この時代に清盛が人工的に海を作り海上神殿を造ることは、極めて可能だったのです。

大胆な発想と緻密な研鑽で清盛が造った海上神殿は、全ては海の上に建つことを前提に造られています。
平舞台や回廊は優雅さだけではなく、本殿を高波から守ってくれてます。 
そして、元々あった神社(元々は寺院)の創建から凡そ550年後、現の海上神殿に改築したのが平清盛であり、彼は平家の氏神として厳島神社を篤く敬い、幾度となく参詣に訪れたと言われております。


次回、厳島神社は中国にモデル

  
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18、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛と平家納経」

2016年03月15日 17時43分51秒 | 世界遺産・厳島神社






18、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛と平家納経」



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平家の栄華を今に伝える「平家納経」とは、

厳島神社には平家の生み出した美の傑作である、国宝の「平家納経」が伝えられています。
これは長寛二年、清盛が平家の繁栄を願って厳島に奉納したといわれる三十二巻におよぶ経文のことで、制作には一門の一人ひとりが当たったとされています。

その豪華な装飾は他に比類を見ないもので、まさに平家の栄華の絶頂を示すものといえます。


現在は厳島神社宝物館に模写が展示されているので、ご覧になった方も多いと思いますが、各経文に華麗できらびやかな装飾が施され、神社に奉納する経文にこれだけの費用と手間をかけるものかと、驚嘆させられてしまうほどです。


平家納経というのは、平家一門が平清盛を中心として厳島神社に奉納した「法華一品経」。国宝。長寛2 (1164) 年の供養願文をもつ。「法華経」 28品,開経「無量義経」,結経「観普賢経」,さらに「阿弥陀経」、「般若心経」各1巻の 32巻に願文を合せた計 33巻から成るとされております。

此処で、神社にどうして仏教の経典を奉納するのかという疑問もあります。
清盛の時代は既に「神仏習合」といって、神仏が一体化されており、しかもほぼ神社の多くは寺の管理下にありました。

状態として仏教に取り込まれる形になってしまい、神道の神々も本地垂迹として仏の化身という解釈になりました。 ですから多くの神社では読経を行うことも本尊として仏を祭ることも普通にしていたわけです。 平民でも神社に祈願に行き、読経をするということがあります。

此の後に記載しますが、厳島神社は清盛が中国貿易のため、中国の観音信仰の聖地-普陀山(普陀落山)を模したとということが常識になっています。つまり貿易船が出航の時に無事を願い、帰航したときに無事を感謝する目印でもあったとしています。
これに倣って造られたのが厳島神社だとしています。
そのため本尊は宗像三神であり、弁財天、そして観世音菩薩でした。 この観音像は普陀山から伝わったとも言われています。



この平家納経にも、やはり一門の総帥である清盛の“美意識”が反映されています。
貴族にはないスケールの大きさと、武士のもっていない華麗さ、其れにその独特のセンスの中に併せ持っていたのが、それが清盛なのです。

因みに、平家の全盛時には六波羅や西八条などに邸宅を構えていた清盛ですが、六波羅の清盛邸の「泉殿」や、福原にあった別荘の「雪ノ御所」も、おそらく豪奢なものだったことに違いないでしょう。

これらは、平家都落ちの際に一門の手で焼き払われてしまい、現在では目で見ることはおろか、どこの場所にあったかも定かではないのです。



次回、 「厳島神社の地形的背景」

  
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17、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛の政治とバランス感覚」

2016年03月14日 15時17分47秒 | 世界遺産・厳島神社





  17、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛の政治とバランス感覚」  




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政治と美的感覚の不思議なバランス

海面に社殿を浮かべるというアイデアは、まったく奇想天外ではあり、忠盛の時代から日宋貿易を積極的に推進し栄えてきた「海の平家」にふさわしいものといえる。

このアイデアを思いついたとき、完成後の社殿の姿を、清盛がどのくらい正確にイメージしていたのかは不明だが、おそらく彼自身が驚嘆するくらいの出来栄えだったに違いない。  

もし、清盛がただ乱暴なだけの政治家であったなら、このような格調高く華麗な建築を作り出せたであろうか、此処には威圧するような押しつけがましさはなく、均整のとれた美があり、自然との調和があるのです。

これがあの入道相国と言われる清盛の発案かと思えるほどであり、あれほど精力的な政治活動をしながら、一方でこのような歴史的文化事業を成し遂げる、そのバランス感覚には感服するほかはないであろう。
 
また後年、※ 清盛が奈良を焼き討ち にしたことから、清盛は信仰心のない人間であると思われているようだが、そのような悪世評も否定すべきものといえるでしょうし、清盛の厳島に対する思い入れは、まさに“熱狂的”といってもよい程のものがあり、平家の精神的支柱として一門をあげて尊崇していたのである。


※ 清盛が奈良を焼き討ち 

因みに、平安期の頃は平安仏教(比叡山・延暦寺)と奈良平城の南都六宗(なんとろくしゅう/・りくしゅう)とは常に対立関係にあった。

ある時、奈良の僧兵を懲らしめようと、平重衡が周辺の民家近くで「かがり火を焚け」という意味で「火を出せ」と言ったのを、部下が「放火せよ」と誤解して、あたりの民家に火を付けてしまい、この火が折からの風にあおられ燃え広がったことから、東大寺・興福寺をはじめ多数の寺院が焼失するという、日本仏教史上未曾有の大事件となったものです。 
これは清盛にとっても予想外のことで、ここで「仏敵」の名をとったことが、平家政権には致命的な打撃となりました。

(このへんの「平家物語」の描写は非常に具体的で、関係者の供述調書等なんらかの公的記録文書を参照している模様とされています)


次回、 「清盛と平家納経」





  
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16、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛の美の傑作・厳島神社」

2016年03月14日 14時59分58秒 | 世界遺産・厳島神社







16、世界遺産;厳島神社の概説 「清盛の美の傑作・厳島神社」





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清盛による美の傑作「厳島神社」

清盛の美の傑作・安芸の厳島神社は、そのアイデアといい、美しさといい、まさに日本の宝といえます。

現在、中国地方でも有数の観光地として知られる宮島は日本三景の一つにも数えられ、平成八年には厳島神社が世界遺産に登録されています。

古くは「伊都岐島」とも呼ばれ、推古天皇(飛鳥時代の元年)の時代に造られて以来、鎮護国家の祠、安芸国第一の霊社として多くの人々の尊崇を受けてきた。

その後の平安時代の末期、平家一門と厳島神社との関係は、清盛が安芸守だった頃からだと言われています。
平家物語には、清盛が勅命で高野山の大塔を修理した際、老僧が現れて「荒れ果てた厳島を修理して下されば、官位は肩を並べる人がないまでになります」と告げたので、清盛はこの老僧を弘法大師と信じて厳島の再興に尽力した、と語られています。
 

仁安二年(1167年)、太政大臣を辞任した清盛は、翌年に出家、風光明媚な福原に別荘を造営しました。
そして、厳島神社の造営も福原の整備とほぼ並行して行われたのです。

清盛は厳島神社の神主で家人でもある佐伯景弘を通して「華麗にして荘厳な社殿の造営」を朝廷に求めたのです。

承安四年(1174年)には後白河法皇が、寵姫・滋子(清盛の妻・時子の姉)とともに参詣しており、高倉天皇も譲位後初めての参詣を厳島で遂げています。

その際、随行した公卿達は慣れない船旅に不平を言いながらも、実際に厳島を眺めると、その美しさに目を見張ったといいます。


次回、「清盛の政治とバランス感覚」

  
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