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日本の旅の記録です・・!!

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四国の旅・愛媛県; 伊予今治 「今治の霊場・札所」

2015年12月20日 20時25分02秒 | 愛媛、香川県




 四国の旅・愛媛県; 伊予今治 「今治の霊場・札所」  ,





http://www.88shikokuhenro.jp/ehime/62hojuji/img/map.gif



http://www46.tok2.com/home2/jyunrei88/jyun/otera596.JPG
第59番・国分寺


http://www46.tok2.com/home2/jyunrei88/jyun/tera621.JPG
第62番・宝寿寺

http://www.45988-taxi.com/junrei/63/63A.jpg
第63番・吉祥寺、




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自家祭壇の前で「あんころ餅」を食べるという奇妙な祭事(今治)


今治の郊外、国道196号沿いを訪ねた。 

田圃の中に今までの霊場とはやや異なった様子で、高く石垣を組み白い壁塀をめぐらせて台地に「泰山寺」は建っていた。

石垣を上り境内に入るとすぐ 左に鐘楼、庫裏、奥に本堂と大師堂が概ね横一列に並んでいる。



背後にある山は山号になっている金輪山で、寺はもともとこの山頂に建っていたという。

弘仁6年(815 年)、天災・災害の多かったこの地に大師は、これを鎮めるために地蔵尊を刻んで本尊とし寺を建立した。 


寺名を延命地蔵経といい、お経の中の第一「女人泰産」からとって泰山寺と名付けたという。
境内の「不忘の松」はこの時、大師が記念にと植えられた松であると伝えられている。

更に、泰山寺から車で10分ぐらいの市郊外のち、海岸に近いとこの平坦地に第59番霊場・国分寺があった。 


奇麗に植栽された数十段の石段の上、立派な石塀と石門の正面に堂々たる本堂があり、右手に大師堂、左手に 金比羅堂、その一段下ったところ に庫裏がそれぞれ堂々たる構えを見せている。 

次回も今治

  
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新・日本紀行(81)今治 「海水掘の今治城」

2015年12月16日 14時49分43秒 | 愛媛、香川県



 新・日本紀行(81)今治 「海水掘の今治城」   、





https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcR-VXFkLmyFTp-XwuZEOihP6GZ7IOKlCAFFZkmF0ljMzE-rW8LULA


http://art56.photozou.jp/pub/88/708088/photo/125465847.jpg



珍しい海水掘の「今治城」




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先ず、暗渠で繋がっている海水掘が特徴の「今治城」について

今治市に入って変わらずに東の方向に進路をとっているが、市内に入ってから直ぐ左手にお城が見えてきた。
と通ってみると水に浮かんでいるように城郭や天守が堂々としている。

奈良時代の後期に伊予国が誕生し、この国の中心として国府(今の県庁)が今治におかれた。
市史には、「国府在越智郡」という記述があり、国分寺(国ごとに建立された政治的に影響のある官寺。奈良の東大寺を総国分寺とした。)も近くにある。 

平安期、菅原道真の父・是善公が伊予の国司として今治に派遣されていたことは余り知られていない。 その関係からか道真公が京・府内の騒動で九州太宰府に左遷されたことは、西国・伊予に国司として父の在任があったからともいわれるが、道真が途中、父に会いに伊予の国に立ち寄ったかどうかは定かでないという・・?。


今治(いまばり)は戦国末期、藤堂高虎がこの地を統治する際に「今からこの地を治める」の意を込めて「今治」と命名したという。 実に単純明快である・・!、 
高虎については前にも記したが、近江国(滋賀)の生まれ。 浅井長政、羽柴秀吉らに仕え、姉川の合戦、賎ヶ嶽合戦、文禄の役(朝鮮の役)などで戦功をあげ、宇和郡7万石を与えられ宇和島城を築いた。 
その後も、戦功をあげて伊予国20万3千石の大名として唐子山の今治・国分城に入城し、後に海に面した今治城を築城した。 城郭は20万石にふさわしく堂々とした建築で、本丸には五層の天守閣が聳え、城門が九カ所、約20の櫓があったという。

今治は、目前に瀬戸内海最大の難所・来島海峡を望む海上交通の最重要拠点であったことは先に記した。 
瀬戸内水軍の動き、海峡や島々を挟む対岸の安芸国(現在の広島県)の情勢を警戒し、それらに即応対処する事が求められていた。 
高虎の発想は水軍の将としても一流で、城は海岸線の砂浜に海と一体になるよう築かれ、強固な海上要塞として完成し戦略的効果をも演出したという。
濠には、舟溜まりが用意され、水軍基地としての運用も可能となっている。当時は、内濠・中濠・外濠から成る三重の濠が造られ、常に海と繋がっていてその幅もかなり広い。特に、内濠の幅は60mにも及んでいた。
因みに、三大海水城は、他に高松の玉藻城、大分の中津城などである。

現在の今治城の外郭堀は築港や陸上交通の観点から埋めたてられ、外海と断絶してしまったようだが、暗渠にて濠の水は海と繋がっているという。
そのため海水が流出入し、潮の満ち引きで水位も変化し、堀には鯛やヒラメも泳いでいるらしい。 
海の水を湛えた堀に映る今治城の姿は、築城の名手が手がけた美しさを今の世に残している。 


 次回も今治について、  、

  
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新・日本紀行(80)波方 「村上水軍」(Ⅱ)

2015年12月15日 17時15分04秒 | 愛媛、香川県




 新・日本紀行(80)波方 「村上水軍」(Ⅱ)   、




http://shinshu.fm/MHz/77.99/images/fjrTXRCp.jpg



村上水軍博物館




60年程続いた南北朝の時代に、南朝の後醍醐天皇の懐良親王(かねよししんのう・後醍醐天皇の第11皇子)を助けたとされる「村上義弘」が頭角を現し、村上水軍の基盤を確立した。

一時は、瀬戸内全域を制する海賊大名であったが、織田水軍(和歌山・九鬼)と2度戦い、2度目の戦いで織田水軍が仕立てた鉄甲船(紀伊の九鬼水軍)の前に大敗し、次第に勢力を弱めていった。 

更に豊臣秀吉の時代になり、海上の権力を警戒した秀吉によって海賊禁止令が出され、次第に衰退してゆくが、中世の歴史を語るのに村上水軍を外して語れないともいわれ、晩年、朝廷より義弘公は正五位を賜っている。



来島海峡大橋のすぐ西側に、周囲1kmほどの小島が「来島」である。(来島の南に実際に「小島」という島もある) 
往時、来島・村上水軍がここに根拠をもち、来島城の城塞が全島をめぐらしていたという。

しかし、水軍の将家・来島家も、徳川幕府の成立にともない豊後(大分県)に移封され、その後再び今治に戻ることはなかったという。 



こんな、村上水軍の古跡の地に、今でも、その精神、技術が継承されているのだろうか・・?、
大西町、波方町(現今治市)には、造船で有名な来島ドッグがある。 
戦前は、軍艦などを建造していたが、現在は日本でも有数の産業用の造船所として伊予地方の経済を支えている。


戦後、経営難に陥った「来島ドック」の再建を引き受けたのが、伊予地方出身(松前町)の坪内寿夫であることは有名な話である。

社長に就任いらい伊予商人独特の月販方式(月賦販売、今で言うクレジットは伊予今治が発祥地といわれる)などをテコに急成長し、その後も佐世保重工業など造船会社の再建を相次ぎ引き受け、巨大な造船グループを築いたことで、業界では造船の神様、四国の大将とも称される。


次回は、「今治





  
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新・日本紀行(80)波方 「村上水軍」

2015年12月15日 17時04分59秒 | 愛媛、香川県
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 新・日本紀行(80)波方 「村上水軍」   、






http://blog-imgs-24.fc2.com/t/a/k/takakei7/DSC_0150_convert_20091004211155.jpg



今治市村上水軍博物館




来島海峡大橋




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来島海峡は海賊大将・村上水軍の発祥地

大西町から波方町の半島付け根を横断して今治に入り、程なく今治・尾道ルートと言われる「瀬戸内しまなみ海道」へ通ずる西瀬戸道と交差する。
近くに今治I・Cがあり、中国・山陽地方の尾道へ抜けることが出来る。
小生は四国一周をするつもりなので、当然、このまま国道196を行くことになる。 

この時、偶然にも「大三島」において山火事が発生している。 とカーラジオが報じていた。
大三島は、この瀬戸内しまなみ海道の中間にあたり、大小の島が連なる内の最大の島である。
「瀬戸内しまなみ海道」(本四連絡道路・今治―尾道ルート、西瀬戸自動車道)は、愛媛・今治市と広島・尾道市間を来島海峡大橋や多々羅大橋など十本の橋で結ぶ、文字通りの「海の街道」(全長約六十キロ)である。

すべての橋が徒歩や自転車で渡れるといい、珍しいのは四国側玄関の今治市にある世界初の三連つり橋の来島海峡大橋(愛称・くるくる橋ともいうらしい)といわれる。 
急流で名高い来島海峡は「海の大名」といわれ、室町から戦国時代にかけて瀬戸内海で活躍した「村上水軍」ゆかりの地でもある。


瀬戸内海は太古から、九州はむろん大陸や朝鮮半島から畿内に向けてのルートとして、重要な交通の要所である。 
然るに、この内海を堰堤のように大島、伯方・大三島、生口・因島などが阻んでいる。
海流や船舶はこれら島々の間を縫うように流れるのであるが、特に、南端の来島海峡は瀬戸内海の主要航路のようで、大小の主な船舶はこの航路を通過するようになる。

この今治と大島(吉海町)の間にある来島海峡は鳥羽一郎の海の演歌でも唄われているが、「内海では一に来島、二に鳴門、三にくだって馬関瀬戸」と詠われたように、鳴門海峡、関門海峡とともに日本三大急潮として知られる。

潮流が10ノット(時速18.52キロ、1時間に1海里〔1852メートル〕)にもなる所もあり、特に動力の無い時代には、船を操作するのに特殊な技術が必要であった。 
この辺りの海難の地が、往時、海賊を発生させる要因になったのかみしれない、

海賊」とは、陸の山賊と同じで、武装した略奪者集団というものであり、「海賊」という言葉のイメージは恐らく昔も今もこれと変わることはない。 海賊はその出現場所・時代によりさまざまな呼称、形態がある。 「倭寇」と呼ばれていた時代があった。 倭とは勿論、日本のことで、期間的には14世紀、16世紀の二度の波に分かれて中国・朝鮮の沿岸を襲い、それぞれ前期倭寇、後期倭寇といった。 

この中世以降の日本で活動した、交易を行う傍ら船舶や村への略奪、あるいは逆に金銭を取って船舶航行の警護を組織的に行った沿岸の国人、土豪の事を海賊衆と呼んだのである。実際には略奪というよりは帆別銭、警固料(通行税)の取り立てで生計を立てていた。 この頃の海賊衆には瀬戸内海の村上氏(村上水軍)や志摩半島の九鬼氏(戦国期に活躍した九鬼水軍)などが知られるのです。


次回は其の「村上水軍」


  
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新・日本紀行(78)松山 「霊場・石手寺」(Ⅱ)

2015年12月12日 16時11分32秒 | 愛媛、香川県





 新・日本紀行(78)松山 「霊場・石手寺」(Ⅱ)   、




http://livedoor.blogimg.jp/canarywharf-redseals/imgs/7/0/70a7ed54.jpg

https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSjU64EgB_4SJ01YCighXYPAfhGxdaiYI2L1H75wKopdGFQTkie

http://userdisk.webry.biglobe.ne.jp/013/529/32/N000/000/017/123469795518116303357.JPG


http://www.beach.jp/_images/archive/d0109471ESQL3KRB2MS09MLFBQ874RFVKS4FG5KKHJ983SPHNQ4KBE4/large
マントラ洞内へ、

http://cluricaune.world.coocan.jp/nippon/2000-09-ehime/image/ishite-14.jpg
マントラ洞(怪しげな部分を代表するシロモノは「裏の顔、常ならざる陰の世界)



この寺は、聖武天皇(奈良初期)、伊予国司・「越智玉純」(おちたまずみ)が天皇の勅願を受け、鎮護国家の為に伽藍を創建して、はじめ「安養寺」として名を付けた古寺であったという。

寺院境域は66000平方メートルという広大な敷地を持つ。

奈良中期に、「衛門三郎」と弘法大師の縁起から「石手寺」と名を変えたという。 


この衛門三郎こそ、「元祖、四国巡礼者」であったとも云われる。 

ある日、伊予の住人「衛門三郎」が、托鉢(修行僧が、各戸で布施する米銭を鉄鉢で受けてまわること。
乞食・コツジキ)で訪れた大師に向って「帰れ、このくそ坊主」と悪行をなした。
すると忽ち一家は破滅的天罰が下り、その原因が托鉢の僧にあったことを知る。 
三郎は大師に一目会って懺悔すべく旅立ち、伊予から讃岐へ、更に阿波、土佐を経て大師の後を追い、四国の道を二十周して力尽き、息をひきとる間際、大師に会うことが出来たという。 

大師は懺悔を聞きながら手に石を握らせた。 
次の年、伊予国司、河野家に「左手に石を握った男子」が誕生し、安養寺の住職は「衛門三郎の再来」として、寺の名を「石手寺」と改めたという。 
衛門三郎の善行を聞いた人々が、四国を巡る遍路に出るようになったともいわれる。

遍路行者達は、古刹・名刹に巡拝し心を清め、更に、名湯道後で身体を洗い流して明日への活力としたのであろう。



『 西方を よそとは見まじ 安養の 
          寺に詣りて 受くる十楽
 』 御詠歌




石手寺の本堂前に展開する華麗な建築物は謂わば、大師の教えを貫く精神世界である。 

表の顔という人もいる。 

ところが、この石手寺は珍しく別な顔を持つもう一つの世界があるという。 
本堂裏手にある「マントラ洞」というのがそれで、怪しげな部分を代表するシロモノは「裏の顔、常ならざる陰の世界」とも云える世界を演出している。

先ず、入口は「曼荼羅」として木造の普通の門に相当する造りであるが、周辺の飾り物はイカにも奇妙な代物なのである。



曼荼羅とは、本質を有するものの意で、特に仏界では悟りの世界を象徴するものとされる。 この奥に洞窟があって異次元の空間が広がっている。
その洞窟も幾つかあって「都卒天洞」(とそつてんどう)、「地底マントラ」、「大仙窟」等の名称がついていて、これらは人間の苦しみ、人間のむごさ、人間の痛みなどの苦しい人生模様を現しているともいわれる。


本堂前の華麗な世界は、精神が昇華する願いを込めた世界であり、一種、願望と理想を描いているが、反面、裏の洞窟に広がる暗欝な世界は、現実的な不屈の精神界を表現しているようでもある。


この苦しみに負けず、生きるものは幸福へと進もう」とする不屈の呼びかけであろうか。

石手寺は、二つの世界が体験出来るのである・・!!。







  
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