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日本の旅の記録です・・!!

国内旅行をはじめハワイや沖縄、世界遺産など国内各地の旅の記録です。

平成日本紀行(132)久住 「久住高原の岳麓寺」

2016年07月31日 16時36分23秒 | 宮崎、大分県




九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)






 平成日本紀行(132)久住 「久住高原の岳麓寺」 







久住高原の岳麓寺




http://onsen-trip.com/wordpress/wp-content/uploads/2015/06/ganiyu_gaikan0624.jpg
長湯温泉





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この久住高原の中にある農道の一端に鄙びた「岳麓寺」(中世の古寺、石塔が多い)があった。
こちらは大船山の登山口としても現在でも山岳愛好家にはよく知られているらしい。 

岳麓寺は九重連山の裏側、即ち東側の山麓にい位置していて登山口にもなっているが、其の名も「岳」の山「麓」の寺院ということになります。


昔(江戸初期)、竹田藩(岡藩)の殿様(3代藩主・中川久清公)は大船山をこよなく愛し、14年間に5回もの登山をしたといわれる。

第3代藩主・久清(織田信長、豊臣秀吉に仕えた中川清秀の孫)は九重連山の一つ大船山をこよなく愛し、藩主の座にあった頃から大船山にしばしば登っており、隠居すると自ら「入山」と号して自分の墓所探しも兼ねて山歩きを楽しんでいたという。 

殿様の登山は足が不自由だったため、山麓の岳麓寺(がくろくじ)までは駕篭で来て、「人鞍」と呼ばれる鞍を屈強の男性に担がせて登山したという。 
没後、大船山八合目付近、標高1,580mの人里離れた地に墓所を築き、「入山公廟大船山」と称した。(国史跡)

中川久清公は、政治的には熊沢蕃山(くまさわばんざん:江戸初期の陽明学者)などを招き潅漑事業・富国強兵などの指導を受け、藩政の確立と教育の普及に努めた名君であり、岡藩中興の英主とされている。入山時の人鞍や陣羽織、文書などが久住町中央公民館に保存されている。



岳麓寺を過ぎると道が不案内になり、地図、カーナビで確認しながら、県道30号を目指した。既に直入町に入ったようである。 

町は久住連山の東麓に人口1000人ほどのこじんまりとしたところであり、その町の中央を貫流する芹川沿いに有名な「長湯温泉」がある。 
温泉場は長閑な湯の里といった感じであるが高濃度の炭酸を含み、日本一の炭酸泉として名高く、全国でも十数ヵ所しかないかなり貴重な湯だとか。

古くから湯治場として栄え、訪れた文人墨客も多く俳人山頭火、与謝野鉄幹、晶子、野口雨情等がいるという。 カジカの鳴く芹川沿いには日帰り温泉施設もあり、その名の通りの「ラムネ温泉」や「カニ温泉」といった風流な完全かけ流しの共同湯もある。 
直入町は、ごく最近の2005年4月1日に直入郡荻町、久住町とともに竹田市と新設合併して新「竹田市」となり、自治体としての直入町は消滅している。


県道30号は庄内-久住線ともいい、この先、庄内町に至り国道210道、JR久大本線(大分~久留米)を跨いで別府に至る。 
長湯温泉から先は見通しの良かった大草原、大原野と打って変わって山稜が迫り、芹川のダム湖が光る。 
その下流域は深いV字峡の渓谷が落ち込む、蛇生渓谷(じょうせけいこく・・?)というらしい。

間もなく庄内町に出た、国道は由布院温泉と大分を結ぶ幹線道路で、さすがに車の往来は賑やかである。
町並みは普通の田舎の街といった感じであるが、ここに由布市の庁舎が在るのには一寸不思議な気もした。 

久大本線の小野屋駅前から別府庄内線・県道52号を一気に走り、城島高原の袂からお馴染みの県道11号に乗ると別府鉄輪は直ぐだった。


次回は、再び鉄輪温泉・「双葉荘

  
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平成日本紀行(132)久住 「久住高原」

2016年07月31日 16時35分59秒 | 宮崎、大分県


.
九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)




『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/






 平成日本紀行(132)久住 「久住高原」  ,





http://geopottering.com/japan/0214kuju/photo/kuju0.JPG



https://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/0/0d/%E5%A4%A7%E8%88%B9%E5%B1%B1.JPG/1024px-%E5%A4%A7%E8%88%B9%E5%B1%B1.JPG
九重連山の大船山




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竹田藩・中川侯の「入山公廟大船山」・・?

牧の戸峠(1330m)は別府と阿蘇を結ぶ「やまなみハイウェイ」(県道11号線)で最も高所(標高1,333メートル)に位置する峠で、久住山への登山口でもある。 

展望台からは九重連山が眼前に聳え、北側に長者原、飯田高原が広がり、南に久住高原の大草原が広がる。 
春から秋には四季折々の草花が山々を彩り、冬にはあたり一面に霧が発生して幻想的な“霧氷”の世界になるという。


それにしても飯田高原、久住高原の両大草原が広がる九重(久住)の山系、遠くに望める阿蘇連峰に広がる大平原と合わせて、九州の極めて特異な山容に感嘆するばかりである。

牧戸峠から急坂を大曲しながら下ったところが瀬の本高原である。 地図上では三愛高原とも記載されている。 
大きく波打つ丘陵状の高原地帯で、草原が広がっている側ら所々に密集して杉や桧などの常緑樹が茂っている。

丘陵の合間をぬって、曲がるくねった道が走り交差している。 
初めの交差は県道40号線で右方向は有名な「筋湯」や「湯坪」の温泉郷を通り、九酔峡といわれる景勝地から九重の町へ到る。 所謂、やまなみハイウエイの西側、高原の麓を走る温泉と景勝の観光ロードである。 

次に十字に交差するのは国道442号線、日田往還道路である。 
一昨日、訪れた黒川温泉はこの右方の先にあり小国から日田へ通じ、左は久住から竹田へ到る。 
直進はやはり先日通った阿蘇外輪山、城山展望所から一の宮の阿蘇神社から阿蘇山直下の遊興地「仙酔峡」に到る。

又、ここは二県四町がまたがる、行政区域の分岐点でもある。
大分県の九重町、久住町と熊本県の南小国町、産山村と何れもお馴染みで懐かしい地名である。 
交通、町域が交差する要となる場所であり当然、土産物売り場やレストランなどがある。 
中でも赤い屋根の三愛レストハウスは立地が良く、観光客のよい休憩所となっていて賑わっている。 
レストハウスの裏に大規模な三愛高原オートキャプ場もある。


又、このあたりは九重火山帯、阿蘇火山帯のハザマに当たり、地下の高温のエネルギーが存在し周辺各地に温泉も多く湧き出していることは承知である。
実はもう一つの分岐点もあった、有料道路・久住高原ロードパークといい、R442の竹田方面とほぼ並行して走っている。 
帰路に、胡散臭そうなおばさんに500円の料金を払って、この有料道路を走ってみた。

普通の何の変哲も無い道路で、しかも7~8kmの短い距離であった。
どうして有料なの・・?とある種の疑問をもったが、この地は観光要所への分岐点でもあり、一種のR442のバイパスかなと納得もしたが・?、

通行券を見ると発行元が○○産業株式会社とあった。
一足早い民営化・・?などと勘ぐったが高速道路でもなく、私有地に道路を造って有料化しているのである、これって法律的にはどうなの・・?、
走行中、自身の車以外は全く見当たらず、やはり疑問符がついた・・!。


ロードパークを終えて、舗装された立派な道があったので山麓沿いに北へ向かった。
久住高原の堂々たる平原が、相変わらず穏やかに波打っている。
此方は久住町である。 

九重山系、久住高原を挟んで北西の地に「九重町・ここのえちょう」と東南方向に「久住町・くじゅうちょう」が存在するのも、又々意味ありげで面白い。

看板によると「大野川上流広域農道」とあり、大野川はその源をすぐ左に聳える大船山、黒岳の山塊が大水源地帯となって麓の竹田市に集合している。
その竹田盆地は豊富な地下水に恵まれており、市内には六つの湧水が点在するという。 

湧水河川は更に大野町の中流域から大分市の豊後平野を潤し、市東部の港湾に流れ出る豊後・大分の最大の河川である。


次回も「久住高原」

  
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平成日本紀行(131)九重 「九重山の二院」

2016年07月30日 17時26分08秒 | 宮崎、大分県





九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)





 平成日本紀行(131)九重 「九重山の二院」  






https://tabelog.ssl.k-img.com/restaurant/images/Rvw/5140/5140058.jpg
九重山法華院山荘(白水寺跡)




http://visit-oita.jp/files/cimage/CCCxjax800x800x0xSpot_6069_image.jpg
久住山猪鹿狼寺(くじゅうさんいからじ)








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九重山法華院白水寺」は九重連山に囲まれた「坊がつる」の一角に在り、1470年に天台宗の修験場として建立され、修験僧の出入りでにぎわいを見せたという。
江戸期は武運長久、家内安全を祈願する寺であるとともに国境の警備の任にもあたっていたが、明治になって神仏分離政策で藩からの禄もなくなり、支院は山を下りて本坊観音堂(弘蔵坊)だけが残ったという。 
現在は「法華院温泉」として後を継いでいる。

この地は標高1300mの四面を深山に囲まれた御存知「坊がつる」であるが、”坊”はその名の法華院を指し、“つる”は山間の平坦地のことで“吊る”にも通じ、「山々を支える御坊である」という意味をもつとされる。


一方、「久住山猪鹿狼寺」(くじゅうさんいからじ)は国道442号線(日田往還)の久住登山口(南登山口)にあり、天台宗の山岳修行地として平安期に創建されている。
久住山に対する 山岳信仰 は古くから山頂の「上ノ宮」をはじめ、久住神社を「下宮・猪鹿狼寺」をもって「神宮寺」としている。 
以前は山号を大和山慈尊院と称し、そしてこの地は殺生禁断の霊場であった。 


時は鎌倉期の頃であった・・!  、
幕府を開いた源頼朝は武勇奨励のため好んで巻き狩りをし、特に富士山麓の「巻狩り」は有名な話である。 この頃、頼朝の家臣であった大友氏(豊後大友氏;相模の国、小田原大友郷が出実とされる)が九州の豊後国(現大分県:豊後・筑前・筑後など北九州を支配した守護職)に任地され本拠とした。 大友氏は当時の頼朝に倣ってこの久住山一帯で巻き狩り、狩猟をしたといい、この時、夥しい獲物が有ったとされ、併せて霊場を汚したということで畜類供養をすることになった。 大友氏は、将軍・頼朝にこの事を問うたところ、頼朝は供養と同時に従来の「大和山慈尊院」を「久住山猪鹿狼寺」と改名するように命じたとも言われる。


ここまでは寺院山号も山域の名称も、呼び名は「くじゅう」であることに相違はない。 
ただ昭和期になって、この山域一帯、山麓、高原帯、その他を阿蘇に含めて「国立公園」になることが決まり、一旦、「阿蘇国立公園」という名称が決まった。 
その後、1953年にはやまなみハイウェイの整備を前提に、沿線となる由布岳、鶴見岳、高崎山(高崎山自然動物園)を拡張指定。 
1986年には大分県知事および当時の関係7市町村の陳情を経て、「阿蘇くじゅう国立公園」と改称されたという。 

では何故平仮名の「くじゅう」なのか・・?、
その名称についてやはりと言うか「九重」にするか「久住」にするかで、其々の主張を繰り返し大論争が起こったと言う。 
結局、苦渋の選択で平文字の「くじゅう」と呼ぶことに収まり、1986年(昭和61年)に「阿蘇くじゅう国立公園」と設定したという。
まったく笑い話のような一席である。


この山地の四季の移ろいや、九重山の火山の遍歴を記した「古文書・九重山記」(くじゅうさんき)には「 春は緑色となり、夏は青色となり、秋は赤色となり、冬は白色となる 」と書かれ、地元の山愛好者等には親しく読まれている。 

九重の山で育った者にしてみれば「九重山」でなければならず、観光地であればカナ・「くじゅう」でも仕方ないが重みがないと言う。 
九州の岳人、山愛好家は「九重に始まって九重に終わる」と言われ、九重山をカナ・「くじゅう」と書くようになってから、山ヤを対象にした本当の意味での九重山は失くなってしまった・・、と嘆いているという。

1955年(昭和30年)町制が布かれてからは「九重町」(ここのえちょう)となり、地域に関連した固有の名称は「九重」に「ここのえ」の但し書きが記してあるという。
そして「久住町」は「くじゅうちょう」(竹田市久住町)である。


次回は、その「久住」へ・・?

  
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平成日本紀行(131)九重 「九重、久住・・?」

2016年07月30日 17時19分04秒 | 宮崎、大分県
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 平成日本紀行(131)九重 「九重、久住・・?」   、







写真:平治岳のミヤマキリシマとバックは三俣山(1745m)、左奥に硫黄岳、眼下は坊ガツル。(提供者に感謝)







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「九重」か「久住」かの、苦渋の選択で「くじゅう」に成ったと・・!?、

地名」と「呼び名」について、もう一言。
別府周辺には厄介な地名の読み方がけっこう多い。

湯布院と由布院の違いについては後に記すが、別府と湯布院の間に「城島高原」がある。
当然「じょうじまこうげん」と読むものと思っていたが、「きじまこうげん」が本当らしい。 
湯布院(由布院市)の北に「安心院」という地名がある。 「あんしんいん」ではなく「あじむ」と読む。 
九重町にある「飯田高原」は「いいだこうげん」ではなく「はんだこうげん」と読む。 

では、「九重町」はどうであろうか、隣町に「久住町」(くじゅうちょう)があるが、こちらは「くじゅう」でなく、「ここのえ」と読むらしい。 
一般的な呼称では大相撲界で「九重部屋」、千葉、内房に「九重」(ここのえ)という地名、駅名がある。
因みに「九重九湯」(ここのえきゅうゆ)であるが、「九重山」は“ここのえさん”ではなく、“くじゅうさん”であるという。


ところで両町の歴史で「九重町」は、1955年(昭和30年)に発足し比較的新しい町名であるが、「久住町」は元々、久住村が前身で、既に1874年(明治7年)には施行している。 
尚、久住町は2005年4月1日、直入郡直入町、荻町とともに竹田市と新設合併して新「竹田市」となり、自治体としての町名は消滅している。


日本百名山」の九重山は、独立した山名ではなく山群の総称を表し、その主峰は「久住山」である。
ここで面白いのは、同じ発音を持つ九重と久住には永い間「山名」についての争奪戦があったという。

それぞれに九重も久住も自己を主張する古い文献を持っているという。 
元々、この山域は日本の各地の山岳地にもみられる特有の宗教上の修行の山であって、「九重山法華院白水寺」と「久住山猪鹿狼寺(いからじ)」と二つの寺院が相対峙し、山の名前についても山麓の住民の間で争いがあり、当時の知事が間に入ってお寺の山号が山名に成ったと言われている。
その結果、総称を九重山、最高峰を久住山とすることで落ち着いたという。


次回も九重 「九重山の二院」

  
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平成日本紀行(131)九重 「寒の地獄温泉」(Ⅱ)

2016年07月24日 17時21分28秒 | 宮崎、大分県



九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
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 平成日本紀行(131)九重 「寒の地獄温泉」(Ⅱ)  






http://www.秘湯宿.com/wp-content/uploads/2014/06/0f134b8b4453266688e17b36f05b9e41.jpg




http://stat.ameba.jp/user_images/20140724/21/taka-tsuboi/db/52/j/o0365027413013166471.jpg
瀟洒な「寒の地獄温泉」正面入口



http://tabiiro.jp/lpimg/yado/101480/spa/img1.jpg
寒の地獄温泉の冷泉浴槽




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ところで、寒の地獄温泉の売りは冷泉で、摂氏14度の恒温は通常の湧き水よりも冷たい温度らしく、2分も浸かっていることシビレがきて、その名前の通り「地獄」のようだという。 

この冷泉と温泉を交互に入ると更に効果が上がるといわれるが、冷泉は水着着用(混浴)であり、行ったり来たりが大変だろうなと変な気をまわす・・?。 

思案しながら湯上りに冷泉場を覗いて見た、開けっぴろげの湯小屋に大きくて深そうな浴槽に満々と「入れず」の冷泉が溢れている。

それにしてもエメラルドグリーンの透明の冷泉は見とれるほどの美しい冷湯である。
単純硫化水素冷泉、水虫などの皮膚病・リュウマチなどに特効があるという。 
浴場奥には薬師如来の祠があり、1857年以来に当時の人がこの温泉に入って不治の病を治したとの銘文があるので、江戸の頃からすでに知られていたようである。



先ほどの帳場へいって温泉タマゴとビールを注文した。 
例の美人女将が・・、
「どちらから・・?」と声を掛けられて、今の状況など掻い摘んで話すと
「まあ・・素敵・・」といってオドケテ見せている。 
「こちらは日本秘湯の宿の会員らしく、昨日、黒川温泉の新明館に行きましたヨ・・」と言うと、またまたビックリして、
「あたしも知ってますはヨ」といって、「日本秘湯の宿」の本を持ち出してきて話し始めた。

彼女、余ほど話し好きで、更に旅行好きで各地の温泉地巡りをしているらしく、半ば見聞、見学をも兼ねていると言う、イヤー、実に結構な身分である。 
小生が既に巡った北海道や東北の名湯を話すと目を輝かせて聞いている。

「あたし、北海道は未だ行ったことないの、是非今度行ってみるわ」と羨ましげである。
長野に知人がいてその周辺も承知のようで小生の白馬別宅のことを話すと、その知人宅から白馬へスキーに出かけたこともあるという。 

話が盛り上がってしまったところへ、お客がきたので退出したが、帰り際、何故か(商売っ気もあって・・?)宿張にサインをさせられた。 
別棟、囲炉裏を施してある休息コーナーで、一味、美味しくビールを飲み干した。




追悼;小沢昭一

「旅まくら」 小沢昭一的こころ』 TBSラジオより

「 寒の地獄は、標高1000メートルの長者原にわく鉱泉でありまして、浴びてよし、飲んでよし、当初は傷ついた猿が入ったのだそうでありまして、不思議に思った土地の猟師が自分でも浴びてみると、実によく効く。 以来、この鉱泉が開かれたと言われております。 硫黄泉でありまして、皮膚病、神経痛、リューマチ、痔、婦人病、胃腸病、ぜんそく、中風、精神病、性病に効能があるとございます。ま、何にでも効くようでありますが、性病は淋から梅、わけても変性梅毒にいいとある。変性の梅ちゃんとはどんな病気か存じませんが、プロデューサーには、なにやらうってつけのお湯でありましょうヨ。それにしても、プロデューサー氏の悲鳴はいったい何なのか。 “小沢さん、こ、これ温泉じゃない、温泉じゃない。 み、み、み、水だ、 チ、チ、チメタイ、 ブルブルブル。” だからご注意申し上げたでしょう。寒の地獄という以上、身を切るような冷たい水に相違ないって。あんた、自業自得だよ。」
(TBSラジオ12時15分頃、全国30曲ネットでオンエア中のラジオ番組『小沢昭一の小沢昭一的こころ』。)より



「やまなみハイウエイ」を更に進めると、山峡のヘアーピンカーブを繰り返しながら上る、ドライブ中に目に入ってくるのが硫黄山である、長者原のシンボルとも言われる。

その途中に、「牧の戸登山口」の駐車場や休憩舎があり、ここからも大勢の登山客が山を目指している。
硫黄山は活火山である九重連山のシンボルで、立ちのぼる噴煙によりその様子を覗える。崩れ落ちる急峻な涸れ沢には何箇所かの堰堤が施してある。
その先は火山性の荒涼たる世界が広がっていて、山頂直下は噴煙が絶え間ない。 
その両側の谷間から山肌の斜面にかけては赤と緑の絨毯、花の大競演であった。 
赤は勿論「ミヤマキリシマ」の大群落である。

硫黄山は古くは信仰の対象として崇められ、修験道の盛んなところとして知られていた。 
近世に入り、産業用火薬の原料となる硫黄の採取地であったが、石油精製の過程で硫黄ができるようになったため、今はその役割を終えている。 

近年(1995年)に水蒸気爆発による噴火によって噴火性活火山であることを証明されたが、現在は小康状態を保っているという。 
近付くと、迫力ある活動中の鳴動音も聞くことができると。


次回は、「九重、久住・・?」

  
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