【人生をひらく東洋思想からの伝言】
第72回
「無用の用(むようのよう)」
これは、荘子(そうじ)という書物の中からの言葉になりますが、
私の好きな言葉のひとつでもあります。
もともとは、下記の言葉からの抜粋になります。
「人みな有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり」(荘子)
これは、目に見える有用なものだけを追い求めて価値を図るだけではなく、
一見無用に思えるものなどにもしっかり目を向けて
全体の調和をとっていく重要性を説いている言葉になります。
世の中の価値基準として、どこかで価値あるものは、目に見えるもので判断されやすく、
お金、効率性、能率性、生産性などでより多くのものを
短期間で得ることが凄いという傾向はあるように思うので、
できるだけ無駄なものを省いて排除する傾向もあるように思います。
例えば、「雑談」もそのひとつかと思います。
職場や家庭でも、雑談があることで、いろいろな人間関係や
家族間の潤滑油になっていることがあると思いますが、
常にやることに追われ、忙しくしていると、
お互いに雑談する時間は無駄だと判断されがちになります。
そうすると、だんだんと会話も減り、人間関係が希薄になってくる可能性が高まります。
それによって、結果的に情報共有が少なくなり、
仕事そのものにも支障が出てしまうこともあると思います。
それでは、本末転倒になりますよね。
昔から、私は「モモ」(ミヒェエル・エンデ作)という作品が好きです。
まさに、現代の日本においてモモになりたいとひそかに思っていますが、
それはこの無用の用という言葉と出会ってから確信が高まりました。
私の役割は、いろいろとありますが、そのひとつが、
「息抜きの提供」ということを意識しています。
できるだけ、自分が作る場や関係性などには、そんな意識もしながら関わっています。
みなさんにとって、このブログも無用の用ということにつながるかもしれませんので、
心の潤滑油のひとつになればと思って、書き続けています。
最後まで、読んでくださって感謝申し上げます。
いつもありがとうございます。
参考文献
『中国古典一日一言』守屋洋著 PHP研究所