大塚勝利ブログ

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軽佻浮薄な世の中への警鐘 -新田次郎氏のこと-

2008-03-28 16:26:05 | デイリーメッセージ
青春時代、新田次郎氏の山岳小説をよく読みました。なかでも「孤高の人」、「栄光の岩壁」、「芙蓉の人」などは今でも記憶に残っています。大学卒業後、11年間、明和産業にお世話になりましたが、大阪時代に、誘われるがままにワンダーフォーゲル部に所属。当時キャプテンが早稲田の山岳部出身の方で、入部後翌週には六甲山、滋賀・比良山の雪山、大台ケ原、北アルプス、南アルプスなど、たくさんの山へ登ることができたのは大きな財産となっています。(六甲山では年に一度「六甲縦走」があり、トライしましたが夕方に途中棄権、機会があれば再チャレンジしたいと思います。)

先日、新田次郎氏の息女の藤原咲子さんが父「新田次郎」の思い出を綴られていました。
要旨は以下の通りです。

-満州に終戦の年に生まれ、へその緒のついたまま、母親の背中のリュックの奥にかくされ、その母の強靭な気力と愛情に守られながら、一年余の彷徨の後、日本へ引揚げることができた。
極度の栄養失調と、追うソ連兵からの逃避行の中での恐怖から常に暗闇を好む後遺症を待ちながら少女へと成長。その頃、父親から文章指導が始められた。
父は半ば強引に宿題の作文、感想文まで必ず目を通し、赤ペンで添削したという。大好きな父と二人で書斎に居ることが心地よく、次第に書く作業も楽しくなり、大学生になっても指導は続いたという。
「感動だけで書いてはダメ。何でもかんでも書いてはダメ。感動から出発し、それを整理し、次に糸くずまで捨てるくらいの気持ちで思い切り削る。最後にその中から絹糸一本だけを引き抜くのだ。すると研ぎ澄まされた何かが見える。何を書くのかが見えるのだよ」

ある日、書斎に飛び込んできた光景は、畳に這う父の姿だった。五万分の一の地図を広げ、天眼鏡を目に押し付け、まるで苦行僧のように唸っていた。「お父さん、そんなに苦しかったら小説家をやめればいいのに!」と叫ぶと「多くの辛いこと、悲しいことなどを全部主人公の背中のリュックに積み込み、担わせ、雪山に登らせるのだよ、壮絶な恐怖の中で自然と向き合い戦いをする。あえて荒々しい条件の中で人間を試し、その心理をお父さんは描くのだ」
その頃月産200枚以上の原稿を書き、「新田次郎全集」全22巻へと完結したという。
新田文学とは、手抜きのいない、地味だが堅牢、筆圧の一定、研ぎ澄まされた感性と正確な文体にあるという。しかし同時に、卓越した努力と緻密な資料集め、更に詳細な下調べ読みなどの積み重ねがあったからこそ生まれたものである。父の思いは、もっともっと書きたかった、という早すぎる死を予期した作家の無念の思いと、軽佻浮薄の世の中に対する警鐘の思いでもあったのでないだろうか。--

新田次郎氏の生き方に共感を覚えるとともに、人生に真摯に取り組むことを教えていただきました。私も議員となり、時に質問原稿と格闘しますが、新田次郎氏のように今の世に警鐘を鳴らす思いで取り組んでいきたいと思います。
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