女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

屑の生き方(金玉姫)

2012-11-29 | 日記
私は、人間のクズだ。
生きていたところで、何にも役に立たない。

どうして生きるのかって、それはみんなより下のわたしだ。
引き立て役のようなもんだ。

みにくいからだ、醜い顔、醜い心は、うまれつきだ。
どうして、この世に生を受けて生きるのだろうか?!

考えてみた、私を見て、安心するだろう。
私の醜い顔を見て、だれもが、自分よりひどい容姿の人間がいることを知って。

其のためだけに、さらし者になり、バカにされ、さげすまれるだけのことのために、
生きているのが私。

しかし、それも最近、いやになった。
こんな屑でも、生きていて少しは楽しみもあったのだ。

この屑が生きていくには、最近は変な世の中になってしまった。
醜いものを、さげすむだけではなく、殺していく世の中になった。

苛め抜いて、バカにして、精神まで侵されて、死んでいく屑の仲間たちがいた。
醜い体で、こんな世の中で、いきていてたのしいんだうか、しかし死ぬわけにはいかない。

私の体は、醜いうえに、これまでにない臭いにおいを発していた。
そして、より醜い顔は、肉が垂れ下がり、頭の形が変形して、見るのも吐き気がするのだ。

昔は、不治の病だった、らい病患者の面影の何とも言えない顔。
溶けだしてしまった、醜い顔。

それでも、心臓はうごくのだ。
ちゃんと、指のない手首は、うごくのだ。

生きていてもしょうがない、わたしはいきた。
そのうちに、死ぬだろうが、私は今も、生き続けている。

危険な物件。

2012-11-29 | 日記
私が大阪に来たときに住んだ物件が、とても住みにくい物件でした。
騒音と、日当たりの悪さと、いろんな意味でとてもいやな物件でした。

●●ブルという有名なところでの紹介でしたので、安心して契約したのですが。
住んでみて驚いたのは、騒音です。
夜11時からすごい、うるさいのです、パチンコ屋の店員らしき人がさわぐ、ねない、
それから、駐車場のドアの開け閉めが、うるさいのです。

2階でしたから、その下が駐車場です。
朝から、夜中までうるさいのです。
駅からは割に近いのですが、私は失敗してしまった物件です。

引っかかったのは、大阪の人間でないので、文化住宅のような物件を探しきれなかったこと。
下の駐車場をちゃんと、見ておかなかったこと、部屋の音をちゃんと確認しなかったこと。
あとからわかったのですが、そのマンションは、すぐに引っ越す人が多い物件なのでした。

つまり、権利金、敷金などを安くして、同じ部屋を回転させるすごい物件だったのです。
駐車場の真上の部屋は、私が住んだ3年間で、80回近く出入りする物件だったのです。
こんな危険な物件の見分け方は、時間を急がないで、ゆっくり探すことと周りの環境住む人を見極めるために、ごみ置き場などを確認するということです。

見た目は少しぐらいぼろでもいい物件もあります、少しぐらいきれいでも、夜中に騒ぐ人がいる物件はいけません。
それに、下に騒音を出すドアがある物件も、なかなかいけません。見た目はあとなのです。

私は、あわてていたので、適当に見つけた物件でしたが、住んでいた時は騒音といろんなことに悩まされました、日当たりと、騒音がある部屋かは、考えないとたいへん苦労します。

誰でも、静かで素晴らしい部屋は、みつけることがむずかしいけど、こんな最低の部屋があるのも、おどろきなのです。
家賃は、あてにならないものです。安くていいところもあります。

それから、有線などは必要がないものです。
ついている部屋は、要注意です。

若い子だけ住んでいる物件は、うるさいものです。
危険な物件は、よく考えて選ばないと、意外とあるものです。

橋下総理大臣(これはあくまでも夢?)

2012-11-29 | 日記
私は、法律の専門家のこの方が総理になったら、即法律改正をのぞんでいます。
こじきは、法律ではしてはいけないと書いてあるのに、日本ではたくさんいます。

それよりも厳しい法律を設けてほしいのです。
仕事をしない人は、この世の中の生産制にやくにたたない人々です。
子供は、別として、いい大人はだめだと感じています。

一定の能力のない人間を人権などは、考えないで、日本は自殺していい法律を制定してほしい。
無理矢理生きる無駄と、無理に生きることが日本のためにはならないと自覚している人は、新しい法律で、安楽死できるという権利を、加えるべきです。

苦痛は病気の末期だけではないのです、治らない病気を抱えていて、家族に迷惑をかけている人、世の中に生きて無駄ばかりで、何にも役に立たない人間、本人の意思で死んでゆく権利を法律でつくってもらえれば、かなりの不必要な人間は、消えますし。

変な医療費もなくなり、適切に頑張りたい人だけの世の中になるはずです。
頑張れない、できないのはそれだけで罪なのです。
それから、日本人だけのよのなかにしてほしいのです。

外国人登録の人は、できるだけ帰化してもらうのか、帰国してほしいのです。
日本人が、生きにくい世の中で、外国人まで住まわせる日本はどうかとかんじてます。
必要悪の在日をはやく、きりすててほしいのです。

この在日の人々は、祖国に送金するために日本にいます。
そんなことのために、日本に住まわせるのは、無駄だと感じています。
いろんな名前を使い、日本人に成りすまし、犯罪を犯します。
差別されるのは、祖国に帰れる人まで、にほんにいついて、日本をめちゃくちゃにしているのです。

いろんな意味で、外国人のいない社会が望まれます。
必要のない外国人を強制帰国させるような、法律がひつようです。
そして、日本人でも本人の意思で自殺する人は、法律制定により楽になり、本当に生きたい人だけ生きていけば、それだけやる気のある人が、日本に残ります。

必要のない人間は、日本いる必要はないと考えています。
厳しいようですが、いらない人を保護して、生かしている日本は、甘いと感じています。

日本は、いい国ですが、本当のいい国を目指すのなら、いらない人間を切るのも必要だし、その人々が、死んでゆく権利も必要です。

子供たちが、幸せな未来に進んでゆくためにも、いらない人間を処分する法律はひつようとかんじているのです。

自殺する権利(新しい法律にあったらな?!)

2012-11-29 | 日記
1.HIROKI より:
2010年10月17日 10:16 PM
橘先生、はじめまして。
いつも、興味深く先生の著作及び、貴HPを拝見させていただいております。

自殺志願者と安楽死の問題について、当事者から一言コメントさせていただきます。
なお、当事者であるがゆえに、客観的・総合的な視点からの意見ではないことも、
あらかじめお断りしておきます。

世間では、鬱病等の精神疾患は、適切な治療により改善が可能とされていますが、
実態は、なかなか改善することは難しく、長期間にわたって苦まれる方が多いようです。
私も、鬱病・強迫障害等により、8年ほど精神科に通院しておりますが、改善には至らず、
主治医からは、「貴方の症状は一生治ることはない。上手く諦めて生きて行きなさい」
と言われております。
(もちろん、全ての鬱病が治らないということではありません)

私としては、この苦しみを一生抱えながら生き続けなければならないのならば、
安楽死の薬を服用し、早く苦しみを除去したいというのが、正直な感想です。
何故、耐え難い苦痛を抱えたまま、あと何十年も生き続けなければならないのかと
自問自答しています。そして、ネット掲示板等を見ても、このような自問自答を
繰り返している人は、非常に数多いのです。

正直申し上げて、我々のような人間の苦しみは健康な精神の方々には理解されにくいので、

>「『人生は終わった』と感じる人が死を選択する権利」を求めている。

のような権利は、単なる我侭としか見なされないかもしれません。
とくに、日本のような同調圧力の強い社会では、蛇蝎のごとく嫌悪されることでしょう。
しかし、耐え難い苦痛を抱え、しかもそれが一生続くのであるならば、
「私の人生は終わった」と感じ、安らかな死を求めるのは、ごく自然な欲求だと思うのです。

昔の社会は、人生の型のようなものが決まっていたので、
このような考えは、持とうとしても持ち得なかったと思います。
しかし、価値観が多様化し、何を幸せと感じるかは人それぞれという社会になった今、
こういうことが、もう少し真剣に考えられても良いのではないかと思っています。

こういう、意見もたくさんあります。
正直、●成の人々を見ていて、死んでゆきたいけど、できない人間をたくさんしっています。
自殺は、いけないけど。

法律で、死にたい人は、死んでもいいという法律は必要です。
私は、死んでいい法律があれば、私のように不必要な人間はすぐに、安楽死を選びます。
一人で生きたところで、だれの役にも立たない自分に、情けなくなり生きている意味などはほとんどありません。

女性は、子供を産めなくなった時点で、人生は終わります。そののちの人生は、無駄飯ぐらいのようで、バカと言われる人生を歩む辛さは、私は痛いほど味わいました。
必要のない人生を送る自分は、なんのためにいきるのか?

その答えは、ないのです。死ねないから、いきてしまっただけのことです。
自殺するのは、にげるだけではないのです。自分を社会の無駄と考えて、無駄な人生を消去しようとする、自我なのです。
私は、生きても無駄な人生を、10年以上も送ってきましたが、死にきれません。
ありとあらゆるほうほうで、死のうとしたが、無事に生きてしまいました。

自然に死ねるなら、私は無意味な人生に幕を閉じたいのは、いまでもおなじです。
でも、こんなことを考えて生きている人は、たぶん辛いし、変な薬に頼り、人生を無駄にいきているはずです。

安楽死は、人間の生きる権利の代わりの、死ぬ権利なのです。
無駄に人生を過ごすほど、苦痛なものはないのです。
生きる意味のない無駄な人間は、死んでもいいと考えています。
自分もその一人で、無駄飯食いです。

いろいろな意味で同じ悩みを抱えている人は、死ぬ権利を法律で成立してほしいとかんじてます。治らない病気を抱えていて、それを一生悩みの種にして、生きるのは苦痛です。
私は、早くこの法律ができて、無駄な人生を送る人をへらしたいとかんじています。

残酷だけど、人生の無駄をいきるひとの、姨捨山のような施設を設けて、死刑(無痛)にしていったら、この日本は、もっといい世の中になるのだと感じています。
世の中に役に立たないで、無意味に生きる人は、私は罪人とおもっています。

私もその一人で、無駄飯食いの極悪人です。
早く、そんな法律ができたら、私は即死刑だと思っています。

ブスの女(金玉姫)

2012-11-29 | 日記
容姿が、悪いとかそういう問題も大切だが、性格の悪い女ほどいけない。
ある普通の容姿の女が、きれいな女の悪口を言っていた。

その女は、きれいな女がうらやましくて、あらさがしでおとしいれたいのだった。
「あの子、ああ見えて、いつもは意地悪で、おんなからきらわれているのよ」

「いつも、自分だけ遅れてきたり、とんでもないことばかり言う人よ」

「変な男がついてるし、それにいろんな男と遊んでいる人よ」

など、普通の女は言います。
けれど、そういう美人の女ほど、なんと性格がいいのです。

それは、のんびりと優しく親に育てられているので、ぎすぎすしていない穏やかで優しい子が多いのです。
男たちは、そういうことまで、知っているので、びじんをすきなわけです。

美しい人は、かわいがられて育ったので、ひねくれたりはしていないのです。
それに、素直な性格で、優しい子がおおいのです。

親からかわいがられて、とても大切にされた子は、うつくしいこがおおいのです。

結婚をするときも、美しい子はにんきがあるのです。
不細工な人は、性格の悪い人が多いのは、ひがみ、ねたみ、そねみ、など、
容姿がかなわない分、美人を、悪くいう人が、たくさんいます。

しかし、不細工で、性格がいい人もたまにいます。
それは、ほかのことに自信がある人です。

たいていの人は、不細工な人ほど、美人を憎んでいるみたいです。
そして、真似したいあまり、整形などするわけですが、そういう人は心を美しくすることを、忘れています。

こころが、優しく、美しい人は、顔が優しくなるのです。
ブスでも、人間性のいい人は、とてもいい顔をしています。

私の知っている人は、美人はとてものんびりしたいい性格でした。
不細工な人は、その美人の悪口ばかり言っていて、性格もブスでした。

でも、男の人の選ぶ美人とは、人を悪く言わない、のほほんとして心のあったかな、優しい人ではないでしょうか?

だから、美人は、もてるのでしょうね。

心まで、美しい人は、たくさんいるのを、わたしはしっていますね。
反対に、心まで、不細工な人も、残念なことに、たくさんいますね。