女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

面白いことを書くと、建前と本音。

2011-10-31 | 日記
人間特に、日本人は、本音は言わない。
だから、割と本音を言う人が、在日なりと感じてしまう。

ある在日の人に聞いた。私のことをいろいろ聞いてきて、外国人登録書をみせながら、自分の国籍を聞いてきたので、本当のことを言ったら、驚いていた。
たぶんその人は、私のことを在日または、それに近い存在ではないかとおもっていたのだろう。

見た目が、でかいから日本人には見えないところもあるし、割に大阪という場所は、在日の割合が日本で一番高いので、不思議にも思わなかったけど、自分も仲間と思われたのは、どうだろうか。

見た目は、でかいだけなのに。
化粧で少しは、はっきりとめをかいているだけなのに。

どうして、人を同じと思うのだろう。
在日であれ、なかれ私は、不幸なのだから、あなたと同じ星の下の境遇でさらに、差別されていることさえ、いえなかった。

在日の人は、どうしても国に残した別れた人に、会いたいといったけど、無理にあう必要はない。
なぜなら、その人にあっても、たいていいい結果はのぞめない、在日の人は、にほんでも、本国でもどちらでも、差別されるのだから、この日本でいい人を選ぶほうが、いいのだから。

生きていたらあいたいといったけど、たとえすごい顔になっていて、よぼよぼの老人になっていて、
その人を昔のように、すきになれるか、むりだ。
同級生に、あうとがっかりするのとおなじだ。
自分も、おばあちゃんの年齢になり、そんな同級生は、たぶんおじいちゃんになっているのだから。

いつまでもわかいですね=としをとっているのに、わかぶっている。
年齢よりも若く見えますね=としよりらしくしろ。

大女が言うのだから、本音は、年を取ったられんあいはしないほうがいい。
なぜって、外見はむりだし、金がないなら、なおのこと相手の重荷になるしかない。

わたしは、もう一人で生きると、いったら、その人は、さみしいから誰かと一緒に、なりたいといったが、もう無理なのだ、友達ぐらいで止めておいたほうが、年寄になればそのほうがいい。

おたがいに、自分の過去を話せるような、気さくな人は、できない。
まして、わけありの住む街のこの悲しい街の、タブーは過去を聞いてはいけない。

いまをみて、それで判断するだけなのだ。
そして、一人わびしく死んでゆくのが、運命と自分には言い聞かせている。

一人で生きれば、余計なことを頼まなくていいし、ボケてられない、自分ですることが多いので。
誰かに頼れば、それで自分がだんだんやらなくなり、当然だめになる。

きびしいけど、一人で生きて、考えて生きて、さびしいほうがボケ防止になる。

その人も、誰かと生きるよりも、一人のほうがいいと本当は思っているはずだ。

年寄同士なら、どちらかが、先に死ぬ、もう私はだんなにしなれてから、好きな人に、
さよならされるのは、まっぴらで、再婚はないし、でも生きるために誰かと付き合うのは、
これも、ボケ防止なのだ。

おばちゃんになったら、ひとりでいるよりも、私は老人会館のようなところにいったり、
本を読んだりして、なんだか、暇をつぶせるとおもう。
  
本音はかねさえあれば、ひとりがいいにきまっているのだ。

パチンカスニート Pachinkasu NEET

2011-10-31 | 日記
パチンカスニート Pachinkasu NEET


☆確かに仕事はないけど、パチンコをしていて気がまぎれるのでも、せめて年老いた両親の面倒ぐらいは、みてあげたらどうでしょう。たぶん結婚しないで、おわってしまうのでしょうね。
しかし、両親は、やさしいすぎるし、かわいそうです。光を別にあててほしいです。

男が好きとか、女が好きとかは?!(忍の100の話)

2011-10-31 | 日記
わたしは、どちらも好きでもあり、きらいでもある。
性別で判断は、しない、しかし性格はまず最初では見えない、みせないから、
みためですきになるのは、ある。

人間的に、穏やかで優しい人は、なんだかすきになるし、粗雑でうそばかりのひとは、
きれいな外見でも、いやになるし。

男たちの町に住んでよく思う。女があんまりいないから、もてるだろうっていう。
しかし、それは嘘だ。女性のかわりを、おとこたちがもとめているのと、圧倒的に、
女の比率がすくないので、もてるかもしれない。

たしかに、労働者の街は、女の人は、数えるほどしかいない。
かいものにしても、ちょんがーのおとこのひとばかりのまちだ。

たいへんだろうけど、自由と引き換えに、さみしいまちでもある。
そこで、男が好きとか、女が好きとかは言えない。

人間性のいい人が、すきとおう。
あえて、人を悪く言わない、ずるくない、陰ひなたのない、そういう人が好きだ。

おんなであれ、おとこであれ、仏様のような人間はいないが、それにちかい、
優しい思いやりのある人間なら、きっと惹かれると思うが、いまはいない。

たいてい、人はその人の悪いところを穿り返して、かんぐるのだが、わたしは、
あえて、どんなひとでもある、優しいところを見つけて、許せる人はすきになるようにしている。

現実逃避(私は逃げた?!)

2011-10-30 | 日記
あの時それは、13年前のことだろうか、はるかかなたのことに思える。
12階の12号室から、逃げた、殺されるほどのすごいガラスの割れる音で、
あの憎いやつから、逃げた。

彼方を捨てるように、逃げた、怖かったこじきになるより助かる方法などなかった。
わたしは、いきた、生き延びたどんな方法でもとり生き延びた今があるのは、あなたを捨てたから。
もし、あなたが代わりに死んでくれて、私が、あの12階のベランダからとびうつりを、すこしでも失敗したら、私のほうが先に、死んでこんなに今の今まで、くるしまなくてもすんだかもしれない。

恨めしい、悔しい、けど復讐だから、恥を忍んでいきている。
かわりに、すべてを命以外のすべてをうしなってしまった。くるしい、女としても終わった今、どうして、運命に、生かされてしまったのだろうか?

12階のベランダから、おちてこころはしんだけど、抜け殻だけで必死に生きた。
いまでも、そこにいけない、私の魂がちゃんといきて、あなたの魂とが私を恨んでいるようで。
それから、私は、永遠にあなたを思い出さないように、生きようと思ったけど、できない。

償うことが、一番いいことだから、心までぼろぼろになっても、バカにされても、体が壊れても、
いきて、あなたに詫びるためだけに、ここにいる、大阪の街は、あいつはこない?!
しかし、それはただのおもいで、殺すといわれたあの声は、本気で。

私の精神のすべての部分をこなごなにした。
すべての物音が、あの時の恐ろしい光景につながるから、わたしはこわい。
こじきのように、ものごいをしていきるいまを、情けないと思うが、もう廃人なのだ。

どんな人も助けられない、どんな仕事もできない、あの恐ろしい場面がうかぶと、
こころも、からだももうたちあがれないのだ。

現実逃避、それしかいきれないじぶん。
私は、12階のベランダでわたりそびれて、すべりおちてすでにしんでいるのだ。

いまのわたしは、なんだろう、ただのにくのかたまりになった。
わらえばいい、さべつしてもいい、しかし、私を人間としてみてほしくない。

人を呪うだけの。ただのばけものなのだから。

私のお金の感覚とは?!

2011-10-30 | 日記
貧乏でも、食費だけは削らないので、ぜいたくしてきました。
でも、最近はパソコンもするので、できるだけ食費をおさえてます。

肥満だと、どうしてもいけないので、遠い病院にしたり、
散歩だけでなく、買い物も安くて新鮮なところまでいきます。

一万円でそうですね。十日はくらさないといけません。
一日千円なのですが、これは部屋があるからできることで、ホームレスではできない。

家がなければ、ネットカフェにとまるか、それとも、マクドにいるか、
常識では考えられないほど、節約しても、電気代はかかるので、今年の夏は、半分までに、
おとしましたが、寒い冬は、ガス代がかかります。

食べるものしか、お金はせつやくできません。
一万円生活の、テレビはやらせのようなきがします。
生活が、できるわけがないのです。

いちばんは、いいしごとがあることです。
それよりも、専業主婦であることがだいじだったのです。

企業よっては、余分な金をかけなくてもいい、扶養されている主婦を求めるところがあります。
だから、やすくつかえるのです。保険もなにもいらないからです。

一人身の未亡人でこどもがないわたしにとって、再婚という道もありそうですが、
個々の地域に住んでいると、まともな人は、敬遠しますしね、それにほかのことでも無理です。

幸せになる一つの方法は、宝くじぐらいしかないのです。
お金は、増えない、そして、なんにもできない、このパソコンも壊れて、
ねずみに、やられたのか、画面がパンクして、安いモニターにつないでつかってます。
本体は、8万円ぐらいの液晶画面の交換がいるといわれて、泣く泣くモニターでやってます。

めんどくさいけど、本体のパソコンが壊れるまでの間は、たのしめますから、それだけは、いいです。
となりとのかべは、うすいので、でんわをすると、かべやらをたたかれますし、びくびくしてます。

しかし、いまさら買える場所などないわたしです。
自殺するより、ホームレスになるよりましなせいかつですが、なさけないです。

遺族年金を、なんとかもらいたいのですが、窓口が厳しくて困ってます。
まあすぐに、もらえたものを、あとにしたのがいけないらしいのです。

私は、たとえ一万でも、今の金銭感覚なら、なんにちでもくらせるのです。
ただし、我慢の生活です。
もちろん、お肉はたべません、酒も、たばこも、菓子もだめです。

楽しみは、たまに見るネットの映画です。
それ以外は、たまに、買うお菓子ぐらいです。

それから、ここは、暗い場所なので、すきなのですが、なんかみんなでていってしまい、
前の住宅は、古いし半分ぐらいしか済んでません。

私の住むところも、古いので、ねずみの運動会は、夜中に頻繁、咳払い、声はつつぬけ、
耳栓が、かならずひつようです。

なんにもいらないから、静かなところで、のんびりと受給自足のできるところで、
くらしたいけど、やっぱり駄目かなあと思う。

アルミ缶を集めるおじさんたちに、アルバイトをしているみたいに見えてうらやましかった。
でも、どこにそんなにたくさん、アルミ缶があるのかわからないし、わたしがやってもせいぜい、
500円まで、集めたことはあるけど、それ以上は、はこべなかったので、無理でした。

若かったら、どんな企業でも採用してくれそうですが、ここ大阪の場合は、それも無理みたい、
若い子の、派遣とか、アルバイトとか、保障ない会社で働いている人が多いし。

この半世紀いきられて、いかされて、きびしいじだいになりました。
最近、これ以上くるしくないように、あることをしました。

ねがいはかなうかもしれませんが、わかりません。

お金の価値観は、私には、一万円が、10万円ぐらいにかんじます。
それだけ、大切なお金に見えるのです。