女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

結婚って。

2011-06-24 | 日記
私は、結婚って勇気とそれから、親からの卒業だと思う。
だから、自分の幸せのために、親をあきらめることだと思う。

人間の幸せを、作るために、やはり心の戒めは、解いて、
恋愛をたくさんして、敗れてそれでもあきらめないで、恋をしてほしい。

今の人々は、形式、家計、親の事をかんがえすぎていて、
本当のしあわせは、誰かの犠牲によってなりたつけど、割り切ればいいと思う。

いい子じゃ恋愛は、成立しない。
たまには、冒険したり、親の戒めなんか忘れていきてほしい。

好きな人と、幸せになる根性がない。
少しぐらい、反対されても、貫いてゆく根性がない。

つまり、駆け落ちでもいいから、好きな人と暮らしたいという感じが薄れている。

結婚は、親のことばかり考えていたらできない。
好きという感情は、素直に出していいし、やぶれてもいい。

何度も恋愛をしたら、あきらめるのでしょうか?!

とんでもないことです。80代の人、70代の人が、真剣に結婚したいと思うのです。

おそいなんてことはないのです。死ぬまで、好きな人を求めて、愛したいと思うのです。

でも今の子は、あきらめるのが、はやいのはどうしてか?

しあわせは、一人一人違うので、人の意見をたまに聞かないのは、大事です。

ひとにふりまわされるより、本当に好きな人を得るのはじぶんだから、
自分で、どんなことがあっても、あきらめない心の強さを持つことが大切。

結婚は、誰かを犠牲にすること。

しかし、自分はしあわせになれるのです。

もういちど、あきらめないで、ひとをすきになってください。

屠場

2011-06-23 | 日記
屠場


☆わたしが見てほしかったのは、生きた牛がピストルでころされ、
 首を切られて、絶命していくところです。驚きしかないです。

屠場(写真をみて)

2011-06-23 | 日記
肉の悲鳴が聞こえる。
牛の悲鳴がきこえる。

真っ赤な血がながれる。
誰が、ころすの、毎日殺すの。

牛の首が飛んで行った。
牛の皮をはいでいく。

うしのにくをかいたいしていく。
血がどすぐろく、かがやいていた。

まるで、地獄絵のような光景に、
たじろぐが、人々の笑顔が不気味にみえる。

屠場は、牛を殺すところ、
屠場は、豚を殺すところ、
屠場は、にんげんのやさしいこころを、殺すところ。

残酷というよりも、の人々の喜びさえ感じるのは、
すごい、笑顔がこわかった。

牛の内臓がとびちるところで、
牛の首がころがるところで、
笑顔の人々がいた。

もし、この地球でお肉のいらないときが来たら、
この場所は、なくなる。

私は、あえて肉はたべないようにしている。
牛の悲鳴と、豚の悲鳴が聞こえたら、
やはり、だめ。

焼肉屋には、いっても肉は食べない変人。
でも、真っ赤な血に染まる、工場の床をみたら、
もうたべられなくなった。

人間よりも、はるかにでかい大きな動物が、
ころされてゆく。

生きるのは、つらい。
ころすのは、つらい。

わたしは、彼らの、笑顔が、怖かった。

晴れの日曇りの日。金明姫作

2011-06-22 | 日記
人はつらい時に、空を見る。
あの空のように、自由にながれたくなる。

人は悲しい時に、母を思い出す。
不器用で、愛することしか知らない母を想う。

心の、どうしても晴れないときに、
わたしは、今日もお母さんの日だと思う。

なぐさめてくれたり、優しくしてくれた、母が、
私の思い出に、かえってくれるから。

だれにもほめられないことでも、
母は、よろこんでくれたくもったこころも晴れになった。

心が、美しく晴れ晴れしたときは、
母に、感謝する。

死にたいなんて、言い続けた自分を、
「きっと、いいことがあるよ」といった母に、感謝する。

命を絶つことは、いけないと教えてくれた母に感謝する。
晴れ晴れとした心が、あの時我慢して生きたご褒美なのだ。

人は、ひとりではいきてはいけない。
さびしくても、いきてはいけない。

精神的に、つよいひとなんていないから。

私は、母のように、縫物をして、ためいきをつきながら、
老眼鏡をかけて、針の目に苦戦して、いきる。

母はわたしにいった。
「おまえは、すばらしく、きれいだ」

その言葉は、わかいときにいわれたけど、
そんな親ばかな、母ちゃんにお礼が言いたい。

他人は、なぐさめてはくれない。
けなしたり、この高い鼻を整形とまくしたてた。

でも、いい。
晴れの日と、曇りの日かあちゃんのように、
ひとつ、ひとつ、針でぬいものをしながら、
やがて、一つの灰になるのだろう。

晴れの日は、母に感謝。
雨の日は、母のまねをして。

曇りの日は、母の好きだった、花をうえて、
人生を、楽しんでいかなくては。

おかあちゃんは、いつもそばにいるようなきがして、
わたしは、最近、ははのように、
老眼鏡かけて、せっせと、人生を、縫い込んで生きてます。

差別(この町にて)金明姫作。

2011-06-22 | 日記
私は、流れてきた、しあわせのがして、
またもとめて、

言われる言葉は、「日本人」じゃない?!
嘘をついているのは、あなたじゃないの。

わたしの、心はこの言葉で、壊れた。
幸せなんて、いらないから、もう差別しないで。

一人で生きていくことに、とうになれた。
孤独よりもつらいもの。

それは、人の差別。
偏見、いじわる、そして人の心に住む悪魔。

人は、同じものを愛する。
顔が違う、しゃべり方が違う、
生まれが違う、そんなものは、偏見とさべつ。

びっこだって、めくらだって、いきるのはおなじ、
ひとりでいきて、ひとりでしんでゆく。

泣きながら生まれて、なきながらしんでゆく。

この町の誰かに聞いた。

私は、もう生きていけないほど、差別された。

でも、バカにされてもいいから、いいたい。
嘘の街で、私は、嘘をこれからもついてゆくのだろう。

真実は、ひとつなのに、
あの人は、ちょうせんじん、あの人は、ちゅうごくじん、
それは、この町に流れた偶然で、別に意味なんてないのに。

あの人は、四つの人、あの人は金持ち、そんなもの、
関係ない、生き方が、すばらしいなら、いいのに。

さべつするひとびと。
地名総監で、人を区別するひとびと。

私は、このまちがすきにはなれない。

だけど、苦しんで死んでいった人々の分まで、
生きるのは、自分の義務だ。

ゆるさない、ゆるせないことがあるけど。
私は、生きることが、義務だからの街でいきつづける。


☆あえて、差別用語にしたのは、この町のイメージを強く出したかったので、ご容赦いただきたい。

リバティ大阪(人権博物館)

2011-06-21 | 日記
共催展

「本橋成一写真展・屠場(とば)」


2011年6月21日(火)~8月28日(日)

【会場】ガイダンスルーム2

【主催】リバティおおさか/あとりえ西濱

屠場(とば)-そこは、私たちの日常生活と深く関わっている食肉生産の現場です。精肉や内臓など、私たちの食卓をいろどる肉の数々は、屠場での労働を通して加工されます。 かつて大阪の中部に位置していた松原市立屠畜場での作業に、カメラを向けた一人の写真家がいました。本橋成一です。本橋はレンズを通して、屠場で働く人びとの眼差しや細かな技を記録し続けました。 本展は、1970~80年代の屠場で、生き物の命に向きあう人びとの姿を通して、食文化の大切さと差別問題について考えようとするものです。


シンポジウム


「屠場の記憶と記録」


【日時】2011年7月23日(土)午後1時30分~4時


【会場】リバティホール


【シンポジスト】本橋成一(写真家)


【シンポジスト】鎌田慧(ルポライター)


【定員】275名(当日先着順)


【参加費】入館料のみ


リバティシネマ


「人間の街-大阪・被差別」


【日時】2011年8月20日(土)午後2時~3時30分


【会場】リバティホール


【定員】275名(当日先着順)


【参加費】入館料のみ

☆特別展は、大人500円です。
 いってみてください。自殺したの人の資料などもあります。

大阪人権博物館リバティおおさか 〒556-0026 大阪市浪速区浪速西3-6-36
電話番号 06-6561-5891   ファックス 06-6561-5995