女として大阪で暮らす。(朝鮮婆ではないよ)

自然を愛する人です。
そして動物を愛する人です。
植物も大好きです。
ニコ生すき、日本の糞ばばですよ。

お金のある人も、ナマポをもらえるの?

2012-05-31 | 日記
ナマポ芸能人事件で、驚くことだがわからないなら、みんなもらっているように思える。
働ける子供が、収入があり、居住を別にして、国のお金をもらう。

私もそういう、インチキ臭いのは見た。
●成地区に来れば、もらえるので、遠い親戚を呼んで受けさせている、悪徳介護事業所の社長とか、悪知恵にはことかかない、そこでは身寄りのない人を集めては、貧困ビジネスまがいのことをやり、国からのお金を、社長夫婦の交遊費に、当てているのは、事実だ。

しかし、そんな介護でもないと困るのは、仕方のないことで、死なない程度に食べさして、貧困ビジネスでも、私腹を膨らましているのは、たくさんある。

その人々は、ホームレス、身寄りのない介護度のあるお年寄りは、何よりの金ずるなのだ。
そして、認知の入るお年寄りの、金銭管理は、個人的に面倒を見るふりをして、かなりのピンハネをして、楽しく暮らす、悪いやつは、ここに住んでから、たくさん見た。

弱い、物言えぬものは、利用され骨の髄までしゃぶられる、そんな社会はだれが作ったのでもなく、この不景気と、介護の質のわるさにある、気を付けられない、認知の身寄りのない人は、発見も、口で文句を言ったとしても、認知症として扱われ、相手にしないのだ。

国のお金の使い道は、かなりどこか、間違っているし、悲しい現実がある、パンだけの介護そして、死んだら、丸儲けの介護、なんだか、本当に嫌になる、人間の醜さのまるだしでね。

もっと、介護のお金の流れ、ナマポが本人を助けているのか、ちゃんと調査してほしい、特に認知症の入ったもの癒えぬ人を、利用する悪質業者がいるから。

芸能人も、昔は下の生活で、苦しかったが、今一部の人は確かに高額所得者だが、かくして生きているあることゆえ、いつ仕事がなくなるのかという、毎日の恐怖につつまれているのだろう。
貯金をして、蓄えて、明日から、0になることもあるあの世界は、確かに怖いと思う。

親を面倒見るよりも、今の贅沢な暮らしを楽しんで、浮世のつらさを忘れている芸能人が多いと思う、お金では決して、買えない幸せを感じて、いつも満たされない思いで、生きているのに違いない。

私は、すべて、みんな芸能人が悪いとは思わない、社会の仕組みとある差別が悪いと思う。
お金のある人が、すべて解決できる問題ではないし、また心のくすんだ鏡のような気持ちをどうスッキリとさせるのか、いつも悩んでいるのが、芸能人という人々なのだ。

あなたも、芸能という歴史を勉強したら、かなり理由がわかると思う。
大変苦労して生きた、芸能という職業の生業の歴史を見たら、そこにある差別に驚くのだ。

芸能人の親が、芸能人に自分の子供をしたくないのは、そんなこともあるし、不安定な仕事であるからだと思う。差別は、なくならないし、お金では満足できない心のむなしさを持って生きる人々である。

だからというわけではないが、心に親を本当に面倒を見るよりも、自分の家族を支えるほうが、精一杯で、できないというのが現実だ。

私だって、お金があっても、芸能人は難しくて、ややこしいので、避けてとうりたいし、かかわることを、好まない。それは、自分の身を守る方法として、適切であると感じている。

お金持ちでも、いろいろな歴史を見てきて、やはり民族意識、家族意識の強い世界の芸能人は、私は、理解できないでもないが、やはり、心底身内にいらないと感じている。

若い子供なら、あこがれる芸能人、でもそれ以上に悲惨な現実が、お金で隠されているすごい世界と気が付かないのなら、まあかわいそうといっていい。お金を稼いでも、未来がないのが、芸能人という、悲しい商売なのだ。

嘘をつくことも、芸能人として、見せる立場であるので、顔を変えてみたり、体を変えてみたり、まして、民族を隠したり、たいへんな苦労の代償として、稼げる人もわずかにいる世界だ。

お金も大切だが、本当に困った人に、行き渡っていないのは、どうしてなのか?
最近、もらい得、そんなことを平気でやって、不正にお金持ちが、余計にお金をもらっている現実が、今は特に多い、でも社会は、そんなものかもしれないと最近あきらめている。

生きる世界、それはもう限られている。

2012-05-30 | 日記
人間が生まれて死ぬまで、ほんの少しだ、今度キンカン日食をみられるほど生きられない。
それは、人間が、ほぼ100年以内に必ず死んでゆくから。

生きる世界、それは生まれ出時から、運命としてほぼ決まっている。
もがいて、脇道にそれても、また迷い道をしても、運命の道に戻る。

神様を信じているというわけでもないが、人が住んで生きていく運命の世界は、だれもが変えることはできない、たまに脇道には、いけるのだが。

だから、私は、あるがままに、素直にその運命にさからわない、
馬鹿でもいいし、デブでも、不細工でも、運命のゴールまで着実に、歩むつもりだ。

賢い生き方の運命もあれば、そうでない運命もあるだろう。
金のある人生もあれば、そうでない人生もあるだろう。

たかが、100年以内のことで、じたばたしても仕方がない、しっかりと自分の道をまっすぐ行く。
私も、半分以上来たのだが、この運命は変えられないし、買えないと思う。

流されるまま、うまく最終地点まで、黙々と亀のように、あゆんでゆくのがよさそうだ。

生きる世界を間違えないように、それだけに注意を払うように、生きているだけ。

日本人の常識。

2012-05-30 | 日記
日本人の親が教える常識とは?

まずは、名前を赤字で書かないこと、それはどうしてかというと、戸籍に犯罪者などは赤字で名前が載るらしいから。

お金を必要以上、ほしがらないし、騙してまで奪い取らない、それは質素な生活を好む人が多いから、ド派手な人はたいてい、在日外人が多いと私は思う。

大きな声で自慢する、大きな声で威嚇する、日本人は静かにはなすほうがいいにきまっている。
その割には人には、うるさく、意地悪を平気でするから、厄介だ。

ねたみ、ひがみが強いので、集団で集まり、日本人を嫌う。

こころは、あまりなく、お金、食べ物、女、それがすべての人がいるのが外人。

優しさよりも、ずるさ、人を蹴落とす技にたけている。

日本人は、身をもっても、身を削ってでも、人を助けようとするお人よしがいる。

日本人は、辛抱、節約、思いやりを、子供の時に自然と親から習う、人に迷惑をかけないように、生きることを、教育される。

まあ、日本人でよかったと思う、この頃です。

こころを紡ぐ

2012-05-30 | 日記
人よりも心が弱いとか、
人よりも、心がきずつきやすいとか、
ぼろぼろになっても、今まで、しっかりと心を紡いできた。

強くならなくては、と思いながら、この町で流されてきた。
おかげで、おっさんみたいなおばちゃんに、容姿まで変身した。

しかし、かわいいきれいなおばちゃんでは生きてはいけない。
人に、弱みを握られたら、生きているだけでも、邪魔にされるし、
しかし、それでも、暇人は、人のことを干渉するやつがいる。

こころの紬糸がはずれてしまうぐらい、人を干渉する、
「今、帰ってきた」
「今、いるとか」

たいてい、女老人の声なのだが、わずらわしい、安普請でも丈夫な家だが、
声だけは、聞こえてしまう環境だから、しかたがないのだが。

人を見張ることよりも、もっとたくさんやることもあるのに、うるさいときがある。
ひどい時は、わざと、夜の11時過ぎまで、どんちゃん騒ぎ、そんなのはあたりまえで。

お酒浸りで、きっとその人は、孤独がいやで、干渉老人をよんでいるのだ。
こころは、そのひとはないにひとしい、思いやりという神経はない。
それは、わざとではなく、昔は金持ちらしく、貧乏人のつらさを微塵も知らないから、しかたのないことだ。

こころは、きっと酒の力で、強いのだろうし、集団力ですごくずぶといやつだ。
そんな環境でも、生きている。

毎日、ああ、そいつがいなければいいとおもうのだが、元気に老春を謳歌している。
最後まで、人への思いやりがない人もいると思うと、むなしい世の中を感じる。

でも、そのひとはわるくはないとおもう。
親の教育と、常識が日本人にはない何かを、もっているから、しかたのないことなのだ。

花桃の木が逝った?!(朴正子)

2012-05-29 | 日記
小さなお庭の玄関にある、貴女が植えた花桃の木が逝きました。
いつも、貴女が空を見上げて、悲しそうにしたときそばに寄り添ったように、立っていた。

貴女の体が召されてからも、一生懸命一人で咲いていた。
貴女のことが好きだから、後から追って行って天国で今年も花桃を付けているの?

みんな、さみしがっています。
私も、貴女をおもいだしています。
どうして、花桃さえも、逝ってしまったのだろう?!

貴女の親友がその木を眺めながら、悲しい目をしていた。
その時に、もう花桃は、天国に行っていたのかもしれない?!

今年は、枯れ枝のようになり、魂の抜け殻のように、立っている。
それでも、私は何とか、生きていたらいいのにとおもった。

さびしいから、花桃の木が、貴女に会いに行ったのだ、永遠にあなたに愛されるために。

お別れを言おう、華麗なかわいい花をつけてくれて、ありがとう。
貴女のことを、あいしてくれたんだよね、ほんとうにありがとう、そしてさようなら。

木には魂が宿るという、きっとあなたも素敵な心で、許してくれたんだと思う。
素敵な空に、すんでいるあなた、みんなは、元気です、懸命にいきていますから。
お元気で、そちらに行くまで、みんなを守ってください。

朱に交われば、赤くなる?!

2012-05-29 | 日記
人間関係は、気を付けないといけない、心の美しい優しい人と、かかわれば、自分も染まる。
心根の優しい人は、癒されるし、自分も真似しても感じがいい。

そのうちに、いい人に、自分がうまく、染まっていく。
悪人や、人をだますような悪い人と、かかわりがあれば、自分も傷つくし心も痛くなる。
できるだけ、悪い人、根性の悪い人とは、かかわりあわないほうがいい。

自然と、人間は良くも悪くも染まりやすい生物であるし。
それでも、いい人になれば、人を生きているだけで、癒される空気になれる。

損をしてもいい、人を陥れたり、無理に人を蹴落としたりしたくない。
負けても、人を傷つけるぐらいなら、自分が悩んでいくほうがいい。

本当にいまならいきるいみがわかる?!
人を、愛するなら、人嫌いな私でも、人を好きになるように、やさしくしていきたい、ただし、よい人にそうしたい。

悪い人には、染まりたくないし、心が荒んでしまい、いやになるから。
心根の悪い人は、自分から不幸づくりをしている。

ちゃんと、優しい穏やかな種を人間にまいていったら、優しい花が咲き、いやされるのだ。
私は、いいひとになりたいのではなく、やさしい、たおやかな気分になりたいだけなのだ。

貧乏でも、楽しく?!

2012-05-29 | 日記
そこそこ、貧乏でも動けたら、楽しくなる時も多い。
まず、ご飯が食べれる普通の喜びを、毎日味わうだろう。

それから、エコ生活を楽しんでいけるのは、身に沁みこんでいるから。
外に行けばよい情報を、くまなく探していける貧乏人には頭が必要なのだ。

一番は、これより下がないなら、少しでも上がっていけたら、心の満足があるのだ。
上に行けば、下がる苦しみがあるので、まあ貧乏のほうが、安心だ。

見栄を張らない、嘘をつかない、そして、生きる貧乏を楽しんでいく。
只で、本を読んだりして勉強できる空間はたくさんある。
只で、運動できる公園は山ほどある。

情報をラジオでも何でもいいから、耳を傾けたらいい、電話ひとつで小さな品を当てることもできるし、何よりも無料でできる得する貧乏人のための情報は毎日一つぐらいある。

今年も暑いようなので、ゴーヤの苗を無料で配るところもある。
まさしく、エコカーテンになるものが、只なのは、ありがたいことだ。

一つだけ、貧乏を楽しむ方法を教えてあげたい?!
自分より少しだけ、金持ちを見つけて、その人の賢い知恵を盗んでいく。

人間は、賢く生きたら、うまく人生をたのしめるものだ。
よい、知識、考え方、知恵は、盗んで行っても、だれも責められない、

エコばかりではなく、金持ちのいい知恵を盗んで行ったら、人生を楽しめるのに、間違いない。

本当の貧乏しかし、今は嘘が多い?!

2012-05-29 | 日記
タレントの母が、不正じきゅう、なまぽをした。
話題は、扶養義務がある人が、高額所得者だから、問題になっただけ。

本当は、もっと底辺に問題がある。
たとえば、某成くでは、ふせいなまぽのために引っ越してくるわ、身内を切るわ、
それから、偽装離婚をして、若くても20万以上母子家庭でもらうわ。

そんなことをしたら、まじめに働く、貧乏人がかわいそうである。
最低時給で働いたら、22日働くよりも、なまぽのほうがいいのである。
若者が、そんな悪知恵をしたら、この日本はおしまいである。

私の父と母は、とても暮らしが貧しくて、お金をかりてくらしていた。
それでもない時は、雑草を食べていた。
しかし、生ぽは受けなかったのは、それは知識もない代わりに貧乏にたけていたのだ。

ご飯が炊ける匂いに、胸を躍らせて、塩だけのおかずに興奮していた。
私も母の子で、その知恵は少しは受け継いでいる。
米、塩、みそがないことはまずない、しかしおかずらしいものはあまりない時が多い。

雑草如く、猫の額ほどのところで、しそなどを植えて、非常時に備えている。
また、貧乏人同士、助け合いの心でいきている。

お金じゃない、心の栄養は一杯母から、もらっているので、まあ安心である。
お金は、生きた使い道だけにしたいものだ。

私は、本当の貧乏の生活だから、今でも雑草をうえているのだ。
なりふり構わずに、アルミ缶を集めたこともあるが、これは率が悪い、それよりも食べれるものを少しでも、植えたほうが安心である。

家具は買わない、拾う、もらう、などして、いいものはなにもない。
家電品は、2~3年節約して、それでもどうしてもいるものは、買うのだ。

毎日、我慢と辛抱で暮らしていたら、つらい時でも、母さんを思い出す。
私を貧乏から、育ててくれた母は、今でも私に言っているような気がする。

「お前は、賢いんだよ、だから、大丈夫だ!?」とね。

「トン」がない?!

2012-05-27 | 日記
私には、トンがないから、
あなたの望むようなことはできない。

私には、トンがないから、
あなたの、望むように、消えることもできない。

貴女が、この不幸の鳥かごから、のがしてくれたなら、
私は、トンがなくても、こじきになって、カンを集めて、いきれるのに。

私には、この不幸の鳥かごから、逃げ出すことができない、
トンがあったら、嫌いなあなたから、二度と顔が出せないところに飛んでいくのに?!

私には、何もない、生きてゆく目的などなにもない、
ただ、不幸の鳥かごで、餌を食い、閉じ込められて、苦しみながら、なきつづける。

私は、トンがないから、嫌いなあなたのそばにいて、苦しめているのだ。
自死するにも、少しの元気と、トンがいるのに。

不幸の鳥かごで、野垂れ死にするまで、なきつづけるのか?
一生、みじめに、外の雀たちの自由を、知りつつ生きるのか?!

不幸の鳥かごは、いつまで私を飼うつもりなのか?
できうれば、不幸の鳥かごを、あなたの善意で、そっと壊して、死んだ小鳥を、
あなたの手で、土に戻してほしい。

それだけが、私の望みだ。