お寺ふぁん・続々

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コロナの猛暑 明治 鹿鳴館

2020-08-07 | 日記

 ふ~ と涼一服。

 

 今年の梅雨はほんと長雨でした。ロボットみたいなのはオリンピック開幕のカウントダウン表示。

 もう365日は切ってるよね? 開催していてももう終わるころだし・・

 

 夜が明ける。浮世絵の空は演出だろうとおもっていたんですが・・でもないですね。

 

 勤めは新橋、着任して1月ほどですが、東京駅から歩くようにしています。暑くなりました。・・それも残暑・・

 

 日比谷公園に”密”ができています。ロケですかね・・?

 もうこの時間で音楽会盛会です。 ”み~んみんみんみんみ~ん”

 ひょっとしたら・・ですが、クマゼミ君が北上してきてるんじゃ・・あのしゃわしゃわ下卑た音がまざっているような・・

 

 違うある日、鹿鳴館跡を通り過ぎます。

 

 鹿鳴館・・列強に一体何を・・といぶかしがられ、滑稽に思われた御用施設ですね。

 わかるような、わからんような・・

 知ったかで書きます。

 鎖国日本は、外国賓客をもてなす迎賓館を持ちませんでした。

 そこで国営高級ダンスホールのお目見えです。武士の娘や芸妓舞妓を”レディー”に仕立て・・

 もちろん意図大有りです。

 当時の国際法では未開な地は無主の地、文明的な統治、独立国家とは認められない。

 そこは文明国が統治してやらねば・・と先取りで支配できると理解される。

 相手国の真似で接待漬けしてともかくも文明国を装う、さらになんとか不平等条約、特に治外法権撤廃のきっかけを作りたい・・と。ざんぎり頭などの洋風化も同旨ですね。

 外国側の治外法権堅持の事情も分かります。

 日本は明治になっても基本江戸の刑罰を踏襲します。磔、獄門などというのが残るわけです。

 生命を奪う刑罰というのは、刑法の一般予防(いわゆる見せしめ)として行われますが、同時に娯楽にもあたる。

 文明文化と遠いほど娯楽傾向が強いということもあるようです。

 多くの外国人も刑の執行現場を目撃したようですし、晒された首の写真は絵葉書のような土産物で売られたとも・・

 ”こんな未開な者たちに自国民の裁判を受けさせることはできない・・・”

 

 鹿鳴館の設計者はお雇い外国人のジョサイア・コンドル氏、同氏は数々の洋風建築物を残しましたが今は失われたものが多いようです。最後まで日本に暮らしこの前行った池袋護国寺に葬られているとか。

 これは昨日。

 お昼にカレーを食べます。

 ”サラリーマンカレー” とでもいうところでしょうか。

 あっさりしていて個人的には好みですが、一般には取り立ててうまいもんではないと思います。

 ”まだやってたんだ~”となつかしさいっぱい。

 それにしてもこういう店はニワトリのケージよろしくサラリーマンがそれこそ”こっこっ・・”と列をなしてひっきりなしにという状況でもうけを出して行くんじゃないかと思うんですが・・お客さん閑散です。

 たくさんの客が来ても詰めることもできません。”おのれ、コロナ!”が目いっぱいですかね。

 新橋飲み屋街を覗きます。人波が細くなっています・・って猛暑もあるんですけどね。

 覗くんじゃなくて夜の客で行きたいよ~😭

 


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