お寺ふぁん・続々

写真撮ってきたから見て〜♪ 程度の記事書いてます!

戦艦大和 沖縄特攻 さくら

2020-04-07 | 日記

 今日は何度か「戦艦大和」という語を見た。

 なぜ? ひょっとしてと調べてみると、そうだ、昭和20年の今日7日沖縄特攻のための進撃中アメリカ軍の猛攻により沈んだ日だ。

 

 大和は姉妹艦武蔵とともに超秘密兵器、建造から就役まで秘密裡に誕生した。就役後も極力秘匿である。

 主武装は口径46サンチの主砲を三連装にして三基計9門、これで敵艦の射程外から砲弾を浴びせるという構想だったようだ。

 砲の46サンチというのはちゃんと理由を持っている。闇雲にでかいわけではない。

 仮想敵国アメリカ。いかにアメリカといえど、太平洋、大西洋オンリーの戦艦を造ることは考えられず、そのために必ずパナマ運河を通過できる艦体となるはず。

 その最大サイズの艦に搭載できる最大砲が40サンチという見込みのもと、凌駕する46サンチとした。

 これは“当たり”だったみたいね。

 

 15.5サンチ砲も三連装にして4基12門、副砲(対艦砲)として装備した。が、就役後舷側に置いた2基を撤去し、相応の対空砲に置き換えられた。

 このことが、艦の運命を物語っている。

 もう大型艦同士が撃ち合う時代ではなく、敵は空なのだ。

 それはいつから? 証明したのは日本、開戦劈頭イギリスの新鋭戦艦プリンスオブウェールズと巡洋戦艦レパルスを単発機よりはるかに鈍重な双発機で両艦とも撃沈した。

戦艦プリンス・オブ・ウェールズ

”イギリス王太子”(現在はチャールズ皇太子)の称号を冠する。

極めて有力な対空火器システムポムポム砲を装備していたが、日本攻撃機の完全排除はできなかった。

 

 真珠湾は“ま~寝首掻かれちゃさすがの戦艦もね・・”という空気があったようだが、広い洋上でしかも航走中に・・というのは世界を驚かせたという。

 当時の常識で動いている戦艦は航空機では仕留められないということになっていたらしい。

 つまり大和達は誕生した時点で既に不要無用の金食い虫、敵にとっての標的艦となっていたということかな。

 

 当事者である日本は、航空機(戦闘機)の支援のない裸の艦隊を洋上に出せばどうなるか、知らないはずもないことだった。

 それでも出さざるを得なかったのは、“航空は貴い血で敵を撃滅している(通信機の発信が一定時間継続して切れれば命中とみなした模様)のに海は何してる!”という批判非難が陰に陽にあったからとも・・

 申し訳としては敵の航空機を自身に引き寄せ、空の特攻を支援する囮になるためと・・

 苦しい・・

 

 もう一つ無駄話すると、大和を始め残存各艦は対空火器の増備をした。

 対空火器の目的は究極は敵機の撃墜、もう一つは鉄の雨を天地逆に降らせることによりパイロットをびびらせ、手元を狂わせて被弾を避けるという牽制らしい。

 対空火器の神髄は狙い、つまり照準機器である。あるいは弾丸自体の機能性であろう。

 アメリカの対空火器はレーダー管制され、弾丸も直接命中しなくても近接すると炸裂して機体を損傷する。機銃も給弾ベルト等によりほとんどシームレスに発射できる。

 一方、日本の対空火器は目視であり、機銃にいたっては撃っていって着弾を修正するのに大体合ってきたところで弾切れとなる。すると最初からやり直し。

 日本の攻撃機は接近さえ許されず、アメリカの攻撃機は先ず当たることのない打ち上げ花火をからかいながらのなぶり殺しを可能にする(大和艦隊の撃墜数は十指に満たない)。

群がる敵機を追うこともできず息絶え絶え状態に・・・既に艦首部分は沈んできている。

大和は不沈艦と号する。鉄の塊が浮いている以上、”不沈”など幻想に過ぎない。

 

 まったく勝負にならなかったんだね。だから100%生還できない攻撃しか残されておらず、しかも成果なし、なにもかも崩壊状態になっていたというところかな。

大和爆沈 この爆煙は遠く離れた鹿児島からも見えたとか・・

 

 口でこそ“最後は勝つ!”と言わざるを得なかっただろうけど、誰しも疑いが現実化しどんどん大きくなっていっていた時代だと思う。

 戦況の良く見えている海空の特攻兵士こそひとしお・・

 

 当時の桜はどうだったんだろう?

 美しく咲く桜に想いを馳せる。その美しさも晴れ晴れと見られない現在のコロナの時代も似てるのかも・・・

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする