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6月20日

2020-06-19 23:51:10 | 日記

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集団ヒステリー

2020-06-19 23:32:02 | 日記

「コロナ自粛はやりすぎだった」大阪、英国でも第2波に備えて異論が噴出
6/18(木) 8:31配信


ほとんど人がいない街と2mの距離を取れという看板(英国チェスター、5月) (C)Johndavidphoto
 新型コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言が5月25日に全面解除されてから、
3週間あまり。飲食店などへの休業要請も緩和され、ふたたび街はにぎわいを見せつつあります。

そんななか、今後第2波が来るとしたら、そのときにもまた同じような外出制限を課すべきなのか。
そもそも、そうした規制に本当に効果があったのかを検証する動きが見られます。
 「効果があった」とする専門家の発言や論文が多くある一方で、
「制限が過剰だった」と見る専門家も現れ、意見が分かれているのです。

「ピークアウトは自粛の効果ではない」大阪府の専門家会議
 いま議論を呼んでいるのが、6月12日に開かれた大阪府の専門家会議。出席した専門家から、
休業要請と感染抑制の関連について疑問を投げかける発言が相次いだのです。

 同日配信の朝日新聞などの記事によると、オブザーバーの宮沢孝幸・京都大ウイルス・再生医科学研究所准教授は、
「(感染の)収束は緊急事態宣言後の自粛によるものでないのは明白」と断言。府内の感染ピークは、
4月7日の緊急事態宣言にともなう休業要請が出される以前の「3月28日ごろだった」との認識を示しました。

「コロナウイルスの感染は、基本的に咳や唾(つば)による飛沫感染だから、カラオケや飲み会の自粛は重要。
だが、マスクをするか沈黙しているなら、通勤電車も問題ないし、ソーシャルディスタンスは必要ない」
というのが宮沢准教授の見解なのです。

また、中野貴志・大阪大核物理研究センター長はデータ分析から「クラスター対策は効果的だった」としつつ、
「経済を止める必要はない。止めても新型コロナは止まらない」と語りました。

 これに吉村知事が同調し、「国をあげて(これまでの対応を)批判的に検証しないと、
国として間違った方向にいくという強い危機感を持っている」と語り、
今後は社会経済活動とのバランスを取ったうえで、対策をすすめる意向を明らかにしたのです。

イギリスは「2メートルのソーシャル・ディスタンス規制を見直す」
 こうした“ロックダウン懐疑論”が、コロナで4万人以上の死者を出したイギリスでもわきあがっている点は、注目に値します。

 5月6日にイギリスのイースト・アングリア大学の研究チームが公開した未査読の論文には、
<外出禁止は、新型コロナの発生率の減少と相関がなく、むしろ、外出禁止の日数が増えるほど、感染者数は増加した。>
と記されていたといいます
(欧州30ケ国の感染者・死者数減と、施策との相関を統計的に分析。ニューズウィーク日本版 5月8日)。

専門家の意見が分かれるなか、6月14日にイギリスのジョンソン首相は、
「2メートルのソーシャル・ディスタンスを確保する」という規則を見直すことを明らかにしました(同日、ロイター)。
科学だけでなく、経済や社会も考えないと、もはや人間の暮らしが持たない、という判断でもあるでしょう。

高齢者を守るために若者を犠牲にした?
 そういった広い観点から、新型コロナの脅威にさらされているはずの高齢者までもが、声を挙げ初めています。
 イギリス紙「The Telegraph 」電子版に、「Tell MPs ‘not in my name’ if you are horrified by this social experiment」(この社会実験をおぞましいと感じるなら、議会の連中に、“断固反対だ”と言ってやればいい/以下筆者訳)というコラムが掲載されていました。

 著者のジャネット・デイリーはアメリカ出身のジャーナリストで、現在76歳。彼女は、新型コロナへの恐れは集団ヒステリーだと言い切っています。なぜなら、第二次世界大戦と比較して、物資が欠乏しているわけでもなく、またそうした緊張状態が長期間続くわけでもないことは明白なのに、根拠のない不安に人類が屈してしまう、不可解な混乱を生み出していると考えるからです。

 これに乗じて、ロックダウンや経済活動の停止が行われることによる損失を、デイリー氏は危惧します。

<一体全体、何の目的があって私たち高齢者を守ろうとしたのかわからないが、
そのために費やされたコストのせいで、孫の世代がこの先ずっと損をし続けると思うと、心の底からぞっとする。>

 そして、デイリー氏は、専門家が主張するソーシャルディスタンスの徹底にも疑問を呈しています。
それは、彼ら自体の不明瞭な言動のせいだとして、こう切って捨てるのです。

 <最初、ワクチンができるまでの間、じっとしていてくださいと言われた。すると、今度は何の説明も謝罪もなく、
ワクチンはできないかもしれないなどと吹き込まれていたのだ。>

 デイリー氏は、他ならぬ専門家ですら混乱に陥っていたなかで決定されたロックダウンに、
なんの科学的根拠があったのか、と言っているわけですね。

もちろん、これをもってして都市封鎖や移動制限にまったく効果がなかったと早急に結論づけるわけにもいきません。
前述の大阪府の会議で座長を務めた朝野和則・大阪大大学院教授(感染抑制学)の、
「クラスターを作らせないという意味で休業は有効ではないか」という発言に見られる考えに、
国民が一定の理解を示してきたからこそ、自主的な自粛が成立したのですから。

 ただし、同時に科学が万能ではないことも受け入れなければならないでしょう。
いかに科学的見地から正しく安全と判断された行動を積み重ねたとしても、
この世からウイルスが消え去ることはありません。事実、日本よりも厳しいロックダウンを課したアメリカで、
自宅に3週間こもりつづけたにもかかわらず、感染してしまった女性の例もありました。

海外でも「自粛警察」。なぜこんな密告社会になったのか
 イギリスの雑誌「The Spectator」電子版の「Social distancing destroys our lives as social beings」
(社会的距離の徹底によって破壊される、社会的存在としての我々の暮らし)というコラムも、
先のデイリー氏同様、今般の行政の対応を立ち止まって考えるべきだと主張しています。
 著者のジョナサン・サンプションは、現在71歳。かつて上級裁判官を務めた法律家で、
中世の歴史家でもあるサンプション氏は、こう言います。

<人類は何世紀にも渡って、新型コロナ以上の疫病に耐えてきた。のみならず、その間も、
人が人らしく暮らす姿勢を放棄したりはしなかった。それなのに、我々の世代が歴史上で初めて
このような危機に屈してしまうとでもいうのだろうか?>

 こう語るサンプション氏が、本当に危機だと感じているのは、一般市民の過剰とも言える反応。
イギリスでも、日本のような“自粛警察”がいるのだそう。外出自粛が要請されているのに、
誰かが恋人の家を訪ねたとか、孫とお茶しに出かけていっただとか、
そうしたいちいちを警察やメディアに通報する風潮を、
<世の中の空気がもたらした、不快な症候>だと懸念するのです。

一度に一つのことしか考えられない人は「狂信的」
 どうしてこのような密告が横行する、いやらしい社会になってしまったのでしょうか?
 サンプション氏は、その原因を「fanatic」(狂信的な)という形容詞に見出しているようです。

 公衆衛生と経済活動、そのバランスを保つことが社会を維持するために欠かせないのに、
ロックダウンに突入した数ヶ月前を振り返ると、専門家による“科学的”な算出を信用しすぎてしまった。
 こうした行政の態度が、一般市民にも伝染し、他人のちょっとした“ゆるみ”すら許せなくなるような
心の病にかかってしまった。その根っこにあるのが、「fanatic」な専門家たちの主張だったと、
サンプション氏は言うのです。

 では、「fanatic」とはどういう人たちのことを言うのでしょうか?
 <それは、一度に一つのことしか考えられない人のことである>

 それでも、まだ私たちは科学のみをよすがにして耐え忍ぶべきなのでしょうか?

 吉村知事の発言は、秋から冬にかけて懸念される第2波への対応をめぐり、大きな議論を呼びそうです。

単に、休業要請の是非を問うのではなく、物事には複数の事情があらゆる方面から関わっているという
常識に立ち戻るためにも、重要な問題提起となるのではないでしょうか。

 新型コロナとの戦いは長期戦である。その意味するところは、医学的、科学的な解決に限定されないはずです。

<文/石黒隆之>

https://news.yahoo.co.jp/articles/96b514347b21a1f587b524e89776f5683801383e?page=3
(上記より)




全文引用しました。

゛「fanatic」とは一度に一つのことしか考えられない人のことである゛

余命読者の人達もこれに当て嵌まるのかな・・・・

基本個人主義の欧米社会でも集団ヒステリーは起きるという事です。

自粛やロックダウンによる行動、移動制限が何処迄感染拡大防止に寄与したかは今後の検証を待たねばなりません。
医療崩壊を防ぐ為に自粛が必要だったと主張する人もいます。
しかし、病院、医療機関も一戸で成り立っている訳ではなく、社会経済に支えられて機能していますから、
長期に渡り経済活動が麻痺した場合は医療も共倒れとなる訳です。

外出自粛の実際の効果はともかくとして、感染拡大による不安により多くの人が
緊急事態宣言が出される事を寧ろ望み、自宅に籠る事で感染の恐怖から距離を置く事が出来たのは事実です。
コロナを恐れる余り自粛警察となって営業しているお店を通報した人も居ました。

余命を信じた人達は決して特別な訳では有りません。
世の多くの人は自身の事は気が付かないだけなのです。

本日もありがとうございました

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