表千家一期一会

6月稽古場7+好日会(金曜クラス)

今日の午前は
好日会の稽古をいたしました


今日は洗心会のMさんに
指導をお手伝いいただきました

お二人とも
水屋の使い方にも
すいぶん慣れてこられました



桑小卓での稽古は
今日のお二人にとっては
昨年に続いて二回目でしたが
昨年は入飾りで終わっていたので
今年は柱に柄杓を立てかける
飾り方をしていただきました

初めて見る飾り方に
とても驚いて下さいました

「松風供一啜」
東大寺道善師

午後からは
洗心会の稽古に
三名お越しになりました

現在洗心会には
30代から70代の方まで
17名の方が
在籍下さり
月に2回の通常稽古と
研究会に参加なさっています

ところで
私は今年誕生日が来ると
68歳になり
年が明ければ
何と”古希”を迎えることになります

たまにふと
将来どこかの段階で
私が稽古場を閉じる時のことを
考えることがあります

それが10年先か20年先かは
わかりませんが
仮に20年後88歳の時だとして
その時残された社中たちに
その先もずっとお茶を続けてもらうには
どうしたらよいのだろうかと思います

世間では
習っていた先生が高齢になり
稽古場を失った方が
寂しい思いをされているという話を
よく耳にいたします

お嬢さんやお孫さんが
後を継いで下さる場合は良いのですが
私の場合は
そういう人はいません

中には
大寄せ茶会に参加することで
何とかお茶から離れないでいる
という方もいらっしゃるようですが
できれば
気心の知れた少人数で
静かにお茶を飲み
修練を重ねていく場が存続することを
社中は望んでいるのではないかと思います

まだ先のことかも知れませんが
その時が来た時の方策として
一つの形を提案したいと思います

それは
共に修練を積んだ社中で
できる範囲でよいから
それぞれ自宅で釜を掛け
互いに行き来をして
お茶を続ける会を発足させる

会費制にして
指導者をおかず
稽古というよりも
お茶を愉しむ会になるでしょう

でもそれこそ
本当にお茶を続ける醍醐味を
味わうことができるのでは
ないでしょうか

まだまだ先の話で
実際はどうなるのかわかりませんが
そんなことを白昼夢みたく考えていたら
将来の漠然とした心配から
解放されて
心が軽くなったような気がしました
(^-^)
 冬瓜漬 琉球伝統銘菓

コメント一覧

omotesenkeichigoichie
想像=創造です。
自由に想像して楽しんで下さいね(*^_^*)
はな
なんだか私の悩み相談みたいになってしまい、申し訳ないことでした。
お茶に関するアレコレは、茶道をしていない人にはいまひとつピンとこず、している人には差しさわりがあって話が出来ないので、原田先生にアドバイスをいただけて、とても有難く存じます。
以前お話させていただいた、私が通いたいと思えるお稽古場が実現できるよう、楽しい想像を膨らましたいと思います。
ありがとうございました。
omotesenkeichigoichie
はな様の思いのたけを素直に書いて下さり、ありがとうございます。
今はな様が悲しくて寂しい思いをしていらっしゃることが、十分に伝わって参ります。大好きだった先生のことを思い出すと、本当に寂しいですね。。。

このコメント欄をご覧になっている方の中にも、色々なことで、はな様のようにお茶に悶々としている方は、案外沢山いらっしゃるのではないでしょうか。何を隠そう、私もかつてその一人でありました。
ですから、このコメント欄を読まれて、自分のような人がいるのだと知って、慰められていらっしゃる方もあるのではないかと思います。

前のコメントと矛盾するかもしれませんが、寂しくて悲しい時は、まずはその気持ちを否定せずに罪悪感なく、ありのままに十分味わって下さいませ。
十分味わいつくして、気がすんだら、先ほど書かせていただいたように、「今」をハッピーにする心を取り戻されたら良いかと思います。
それから、天国の先生に直接語りかけてお話しされるのも、とっても良いと思いますよ(*^_^*)
はな
覚えてくださっていて、うれしいです。
また、大変親身でご丁寧なお返事をいただき、誠にありがとうございます。心に沁みました。
私の過去の経験や未来の楽しみが「宝物」である、という発想は持っていませんでした。

そうなのです。私は今、悲しくて寂しい思いをしています。
昨年の6月に先生が施設に入られて、コロナだ何だので、会いに行くチャンスを得られないまま旅立たれました。
今、こうして書いていても涙ぐんでしまいます。。
施設に入られる前には、お道具を沢山譲っていただきました。
私の今の悲しみは、何かもっと出来ることがあったのではないか、という後悔や、いただいたお道具、茶道での経験を活かしていないという後ろめたさがあるように感じます。
お茶友があまりいない、という寂しさもあります。

確かに、私が選択して、悲しい気持ちになっているかもしれません。もっと、楽しかったことを思い出して、幸せを「今」感じられるようになりたいと思います。
そのためには、やはり未来への希望が必要ですね。
せっかく「宝物」と言っていただいた、私の思い出やお稽古経験を、若い方に伝えることができる日が来るように、何とかやってゆきたいと思います。

励ましてくださって、本当にありがとうございます。
人目があろうとなかろうと、きちんとしている人になることを目指しています。
原田先生のお心のあり方は、いつも素晴らしいと尊敬しています。私もそんな境地になれるよう、もっと「幸せ」力を磨いていかねばなりませんね!
平常心、とは少し違い、勤払拭でもなく、ゆるりと自然に幸せであること、そう考えると悲しんでばかりもいられないと思えます。
お話させていただくと勇気づけられます。
お茶に対してモンモンとしていた気持ちが、だんだんと晴れていくようです。
(私のようにモンモンとする人は少数派でしょうが)
本当にありがとうございました。
omotesenkeichigoichie
4月にコメントして下さったはな様ですね!
お久しぶりです。

はな様には、心あるお師匠のもとでお茶友のお姉様方とキャッキャと笑い合ってお稽古をした素晴らしい思い出がおありなのですね!
それは、はな様の宝物です。そんな宝物をお持ちのはな様は、とてもお幸せです。
そして将来いつになるかはわからないけれども、いつかはな様がその時の師匠のように若い社中と共に笑い合ってお稽古できる日を夢見ることができるのも、はな様にとっての宝物です。

こんな素敵な宝物をご自分が既に持っていることにまず気づいて下さいませ。
その上で大切なことは、過去も未来も本当は「今」の中にしか存在しないという真実に気づくことです。

楽しかった過去の記憶も未来のわくわくするような楽しさも、「今」この瞬間に味わいます。

一方、過ぎ去った過去を懐かしんで寂しい「今」を体験したり、、まだ来ない未来を憂いて悲しい「今」を体験することもできます。

それは単にどちらかを『選択』しているだけなのです。

もしはな様が「今」寂しくて悲しいとしたら、それははな様が選択してそのような感情を味わっているということなのです。

はな様には、他の誰にも真似できない素晴らしい思い出があるのですから、悲しむのはやめにして、あたかも今この瞬間そのお稽古場にいるかのごとく、思い出に浸って、「今」幸せな気持ちになることを選択して下さいませ。

「今」が幸せな心に満たされますと、必ず「幸せ」な人・物・事が引き寄せられてきます。これはこの世の真実です。これは宗教などの教えではありません(^_^;)

さらに未来の「幸せ」を心の中で実感すると、その引き寄せの力はさらに強まり、気づくといつの間にか、自分の望んでいた世界の中に自分がちゃんといることに気づきます。

人生をそのように、いつも楽しんで、歩んでくださいますよう、
祈っております。

実際に、私自身このような体験を重ねて今に至っているのです。
感謝です(*^_^*)
はな
お話しさせていただきたくて、またおじゃましてしまいました。
先生のお社中では、同じ位のお稽古を積んだ方が何人もいらっしゃるので、それぞれ行き来をしてお茶を楽しむことが可能なのですね。楽しそう、私も参加させていただきたいくらいです。
私が一緒にお稽古をさせていただいていた方は年上ばかりで、ご存命の方はほぼいらっしゃいません。
いつか、私が教えるようになったとしても、お弟子さんがある程度できるようになるには年数がかかるので、一緒に楽しむようになれるのはいつのことか。。
若いころに教えていただいていた先生、お稽古仲間一緒に花月などをして、キャッキャと笑い合っていた頃が懐かしくてなりません。
omotesenkeichigoichie
”ゆったりとお茶を楽しむ気分”にたどり着くまでには、それぞれのお方の長いご精進あってのことと存じます。
またお茶の師匠とのご縁というものは、以前もこの場でも語り合ったように思いますが、本当に不思議で有り難いものでございますね。
雲や
@omotesenkeichigoichie 今の京都の宗匠の稽古場は基本的に紹介者がないと入れない仕組みと聞きます。わたしのような横這入りは例外的で、やはり肩身の狭いものです。まあ、偶然に運よく入れていただいたようなものです。
学校関係では、二校に裏千家の講師先生を紹介できた実績があります。また、自分の転勤にあたり後任の講師先生もお願いして転勤しました。実のお弟子が少ないので原田さんのような心配をしたことは今までなかったです。今、二つの茶道会の世話役をしていますが、ほとんど私同様の高齢者で、大寄せの茶会を楽しまれているようにお見受けします。茶道人口の減少で、自分の若いころのように皆さんガンガン上を目指すパワーがなくなり、ゆったりお茶を楽しめたらいいような気分です。
omotesenkeichigoichie
いつもありがとうございます。
この”後継”という問題については、2つの側面があると思われます。
一つは、茶室・道具の問題。
もう一つは、残された弟子の問題。
私の場合、前者の問題については、後を継ぐ者はおりませんので、自分がまだ健在のうちに、可能な限り道具を整理し、茶室は私一代で使い切って終わりにする覚悟です。

気になるのは、後者の問題で、私より二回りも年の若い弟子達の茶の道が閉ざされることへの心配です。
結論から申せば、それは一人一人の選択に託したら良いのでしょう。例えば、雲や先生のように、新たな師匠との出会いを自力で探すのも一つの道であります。それが最も幸せなことかと思いますが、現実的にはなかなか難しいことでもあるという声を多々聞いております。大寄せ茶会に足を運ぶというのも、決して悪くはないでしょう。ただ私としては、自分が歩んできた道を思う時、これまで育ててきた、そしてこれからまだしばらく茶の道を共にする社中たちに寄せる思いは、本文で述べたような、茶の湯者としての世界を自分の足で立って創造していっていただきたいという期待でありささやかな望みであります。
昨日の若美津茶会の点心席でも、流儀を越えてそのような話で大いに盛り上がりました。
雲や先生の教えを受けた若いお茶人さん達が、これからの茶の湯の世界を牽引し広げて下さることを陰ながら応援いたしております。
雲や
後継者のことはわたしも私周辺でも聞く話ですね。わたしの息子や娘達は興味なさそうで、今は四人の孫に期待していますが、自分の年齢を考えてもこの十年が勝負と思っています。私自身も前の先生がお歳でもう教えられない、自分で宗匠を探して行きなさい。といわれ戸惑いながらも、今の宗匠に巡り合う機会を得て、もう十年を過ぎましたね。この十年がなければ寂しい思いをしたことでしょうし、原田さんとも出会う機会を得てこの期間楽しい気持ちで過ごしております。感謝です。
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