表千家一期一会

養翠園

今月は
稽古場の皆様と
九代了々斎について勉強しております

その中で
了々斎が51歳で亡くなった後
幼くして千家の養子となり
代を嗣いだ吸江斎に
表千家の道統を伝えた
紀州徳川家・治寶候の
存在意義について学びました

冊子に了々斎は
紀伊徳川家の別邸である「西浜御殿」に
二畳台目の「實際庵」を好んだと
書かれているのを読んで
そう言えば
随分前に一度行ったことがあるなあと
思っていました

ところが・・・
偶然なのですが
今月私は和歌の浦に
出かける予定が組んでありました

そこで調べてみたら何と
宿泊する宿から
車でほんの10分程のところに
庭園「養翠園」があって
そこに「實際庵」があることに
気づきました

何だかとても良いタイミングで
自分でもびっくりしながら
さっそく行って参りました(*^_^*)

というわけで
今日は皆様に
その写真をご覧いただこうかと思います

よろしければ
お付き合い下さいませ




さっそく入ってみましょう

たくさんの松が植えられています


手前に据えられた三つの石

見ていたら
一番右の石は治寶公
真ん中は奥方様?
そして左の石には
もしかしたら
了々斎が
お座りになったのかしら。。。と
想像がふくらみました

おそれながら
私もそっと腰をおろしてみました


治寶公がご覧になった
その風景を見ていると思うと
感激します!

水は海水のため
池の中をのぞくと
牡蠣に似た貝殻が
たくさん見えました

庭園内に沢山敷かれている石は
茶室の露地の飛石と同じく
歩きやすく又景色良く
配置されていました

松の向こうに見えるのが
御茶屋「養翠亭」です





中に入ることは
できませんでした

そしてこちらが
二畳台目の小間「實際庵」です

刀掛が見えます

貴人口は無いようでしたから
お殿様もこの躙り口から
出入りされたのでしょうか


左斜登り御廊下

廊下が斜めになっているのは
「御座の間」が
亭内の最高所に位するためで
数寄屋建ながら
自然的に上段の間となる工夫が
なされているのだそうです


この説明文を読んで
私はおやっ?と思いました

ここ養翠園は
「西浜御殿」とは別なのですね

調べてみたら
西浜御殿は
 現在の県立和歌山工業高校付近
(和歌山市西浜)にあったそうで
治寶公は
西浜御殿から船に乗って
養翠園にお越しになっていたようです

養翠園でいただいたパンフレットには
次のように記載されています

「徳川治宝候が文政元年
和歌山市の西南方に当る
大浦湾、水軒川、水軒浜に亘る
景勝の地17000坪を卜し
水軒御用地となし
養翠亭なる御茶屋
及び付属各種の建物を擁する
広大なる庭園即ち養翠園と
其の余地に田畑を設け
田園の景色を副え以て
政余には
城内御本丸或いは
西浜御殿を出で
四季の田園及び海浜の景色を楽しむ
清遊の地とされました」


これを読んでみるとやはり
「養翠亭」は
「西浜御殿」にあったのではなく
又西浜御殿から移築されたわけでもなく
ここ「養翠園」内に造られたと
いうことになります

つまり
了々斎好みの小間「實際庵」は
西浜御殿ではなく
養翠園に造られたと
考えてよさそうです

今回出かけてみて
新しい発見があって
何だかうれしくなりました

養翠亭から池を望む
・・・・・・・・・・・・・・・・
さて最後に
こちらは
おまけの写真です↓
今回泊まった宿のお部屋の一室が
何と四畳半の茶室となっていました。

炉は電気炉のようでしたが
躙り口まで作ってあり
ちゃんとした水屋もあって
びっくりしました!
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