富田林百景+ 「とんだばやし」とその周辺の魅力を発信!「ええとこ富田林」

大阪の東南部に位置する人口10万ちょっとのごく普通の町、富田林。その魅力を、市民の手で発見していきます。

2014年1月1日 水越峠からの初日の出 

2014年01月02日 | 朝日・夕日

 2014年1月1日 7:25 富田林市錦織東一丁目 川西大橋付近 

 水越峠 大和葛城山と金剛山の間を抜け、大和・河内を結ぶ幹線道路(国道309号線)。そこからの日の出にこだわっています。

1月1日 「郵便屋さん 朝早くから、年賀状の配達、おつかれさま。」(画面下のところに、小さく映っています。)

 

 

 7:38 おお、もうちょっとで出るかも...下のほうは厚い雲で覆われているので、そこからの日の出になりそうです。

左側の大和葛城山だけでなく、古来金剛山や和泉葛城山も含め、この辺一帯の山を葛城山と呼んでいたようで、『南遊紀行』貝原益軒 元禄二年(1689)において、金剛山を『名も高き葛城の高間の山是なり。甚高し。大峯の外、畿内にも、近国にも、是程の高山は見えず。絶頂に葛城の神社有。大社なり。一言主の神と云。役行者堂あり。・・・山上より二町西に下れば、河内国金剛山転法輪寺あり。役小角開基なり。』とみえます。。金剛山寺が出来るまでは高間山・高天山・葛城嶺と呼ばれていて、現在も登山地図では、最高地点は葛木岳と表記され、葛木神社があります。

 

 

 7:47 おお、もうすぐ出るぞといいながらも、雲がかかってきました。

現在、葛城山という名前の山は他に、大和葛城山(959.2m・写真左の山)のほかに、和泉葛城山(858m)、中葛城山(937.7m)、南葛城山(922m)があります。

4~5世紀にかけて、ヤマト王権の大王と婚姻関係を結び、鉄の掌握で大きな勢力となっていた葛城氏は、御所市・葛城市を地盤としたことが確認されていますが、それが広範囲の山全体のゆわれとなったのでしょうか。

 

 

 7:50 あともうすこし。ねばってみたものの、断念。

 

 

 「今日はあきませんな。」鳥もそう言っている...8時過ぎに一回、日が差しましたけど、通勤途中で撮れませんでした、残念!

 

 

 1月2日 7::25 再度、挑戦!

 

 

 きょうは見れそう!

 

 

7:28  おお出てきた! 場所はすこしずれているけど...

 

 

7:29 元旦ではないですが、まあええか。

 

 

 川西大橋からの写真でした。

ここは、電線がじゃまして、なかなか撮れるところが少ないです。太陽は右にずれていきますので、数日後水越峠のいちばん低いところから出ます。予想としては、1月7日 7:15頃に最低部より日の出!(山の標高があるのでいわゆる日の出時刻より遅れます。)

 

 

 ところで、川西大橋の上流部には、すぐ欠田井堰があります。

 

 

 さらに上流部には深溝(ふこうど)井堰、さらに見えてる赤い欄干の橋が、滝谷不動さんにお参りする時の高橋です。

深溝井堰の手前が、かつて富田林高校理化部の生徒さんによりアケボノゾウ・シカマシフゾウ・カズサシカの足跡化石や直立樹幹・化石林が発見された場所です。

 

 

 

 

 

ここの河原には、いろんな石ころがあります。

まずは、花崗岩類(約一億年前に地中深くでマグマが冷えて固まりできた火成岩。)大阪府の基盤を成す岩石で、このあたりでは地下1000m位より下で基盤をなし、その上に大阪層群が堆積しています。大阪層群は未固結の砂礫・粘土層で200万年~数十万年の地層です。まだあまり時間が経っていないので石にはなっていません。とはいっても人類が出てくる前の時代ですよ。 

 

 

 

 和泉層群の堆積岩。7500万年前、比較的浅い海底に堆積した砂・泥・礫が岩石として固まったもの。恐竜の時代なので恐竜やアンモナイトの化石がでることがあります。和泉山脈に産出し、石川の上流部から流されてきたものです。上流部(河内長野方面)に行くほど、この石の構成比が高くなります。土木建築資材として、和泉砂岩・和泉青石として利用され、墓碑・道標・狛犬・地蔵・灯篭などに大阪近辺では加工されました。

 

 

 

 チャートです。堅くて丈夫。火打石として使われました。大阪層群に含まれる石ころです。

 

 

 おお、これはサヌキトイド。 1500万年前頃の火山活動でできた火成岩です。

汐ノ宮の千代田橋上流部の河原に、二上層群、嶽山火成岩帯の玄武岩質安山岩の柱状節理があります。(当ブログ 2013.10.4.「横山潮湧石」参照) そこから流れてきたもの。二上山、 屋島や琴平山のサヌカイト(讃岐石)と組成が似ているので、サヌキトイドと呼んでいます。

二上山産サヌカイトは刃先が鋭く加工でき、打製石器となるが、サヌカトイドではちょっと無理。よく似ていますが、あまりたたいてもカンカン言いません。やはり、二上山産が最高品質で、藤井寺から河内長野までの先土器から弥生時代の遺跡に打製石器として出土しています。 

 

 

 

 一見、凝灰岩にもみえますが、これは大阪層群海生粘土層(暗青色)の未固結の粘土です。

この辺の地層は100万年くらい前の地層ですので、おそらく川の浸食により、はぎ取られたものとおもわれます。100万年たっていますので、かたく締まっています。よくみると角の取れていない真砂(花崗岩の風化したもの)と樹木化石を含んでいるのが見てとれます。金剛大橋あたりまでの大阪層群の粘土層の露頭では、この木片は良く発見できます。100万年経ているとしたらすごいですね。割れた木片なので、後の時代に根として入り込んだものではないと思われます。

 

 

 

 

 きょうは晴れていて比較的暖かく、鳥も元気です。

 

 

カワセミくんも、おはよう!

右の色鮮やかで少し大きいのが雄。左のくちばしの赤いのが雌。よく飛んできます。この前は雄が、お魚くわえていました。

小さく撮ったので、画像を拡大しています。そのため画質が荒くなっています。

カワセミはこの辺にはたくさんいます。私の確認では、狭山池・錦織公園・河内長野市花の文化園あたり。大阪市平野郷で見たこともありました。

巣穴も見かけ、飛び出してきます。河岸段丘の崖の部分によく巣穴を作っています。水面すれすれに速い羽ばたきで一直線に飛ぶ姿は、ほかの鳥ではみられないですね。

 

(写真撮影:2014.1.1.&1.2. )

( 2014.1.3. HN:アブラコウモリH )


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