平安時代の結婚は現在とは全く違った。男は女の顔を見ることはできない。人の噂や和歌のやりとりで結婚することになるが、結婚して初めて女の顔を見ることができる。結婚しても同居することは無く、男が女の元へ通うのである。夜、女を訪ねて朝には帰るという風習であった。一夫一婦制ではないので男は何人でも妻を持つことができた。男が妻を訪ねるのは、会いたくなったときだけである。つまりセックスと深く関わる。子供ができても女の実家で育てられるから、男は責任を持たなくて良い。男が妻の元に通う風習を通い婚という。
通ひ婚めくや青蚊帳吊りければ 上野一考
上野一考句集『李白』より。
今では殺虫剤が発達しているので蚊帳を知らない人も多いだろう。目の粗い麻・木綿などで作り四隅を吊って蚊を防ぐ。寝床を覆う寝具である。この蚊帳の中に入って寝る。蚊帳は普通は萌黄色(黄色がかった緑色)に染められるが、これを青蚊帳と言うこともある。蚊帳は夏の季語である。
「吊りければ」とあるが、蚊帳の中に入ると、という意味であろう。部屋の明りは消してある。蚊帳の中の寝床に入ると、まるで平安時代の通い婚のようだと言うのである。妻の顔も妖しげに見えることであろう。俳句としてはここまでであるが、当然のことながら妻を抱くことになろう。「吊りければ」と言いながら、その後のことを言っていて、俳句のもつ余韻というものを強く感じさせる句と言える。俳句はもっと男と女の性の領域へ踏み込んでもいいと思う。
通ひ婚めくや青蚊帳吊りければ 上野一考
上野一考句集『李白』より。
今では殺虫剤が発達しているので蚊帳を知らない人も多いだろう。目の粗い麻・木綿などで作り四隅を吊って蚊を防ぐ。寝床を覆う寝具である。この蚊帳の中に入って寝る。蚊帳は普通は萌黄色(黄色がかった緑色)に染められるが、これを青蚊帳と言うこともある。蚊帳は夏の季語である。
「吊りければ」とあるが、蚊帳の中に入ると、という意味であろう。部屋の明りは消してある。蚊帳の中の寝床に入ると、まるで平安時代の通い婚のようだと言うのである。妻の顔も妖しげに見えることであろう。俳句としてはここまでであるが、当然のことながら妻を抱くことになろう。「吊りければ」と言いながら、その後のことを言っていて、俳句のもつ余韻というものを強く感じさせる句と言える。俳句はもっと男と女の性の領域へ踏み込んでもいいと思う。