爽秋や見つけられさう青い鳥 徳田千鶴子
「青い鳥」という季語はないが、もしあったらどの季節がいいだろうか。人によって、と言うよりも年代によって違うだろうと思う。若い人は春だと言うだろうし、中年の人は夏だと言うかも知れない。歳をとれば秋となるのではなかろうか。冬と言う人はいないのではないか。
折からの爽やかな秋である。青い空を眺めていると、どこからか青い鳥が舞い降りてきそうな気がするのである。特に不満があるわけではないが、そのことが青い鳥を求める心につながるのだろう。
忘れし名ひよつこり浮かぶ夜長かな 同
昼間に会った人の名をどうしても思い出すことができなかった。その人は親しげに挨拶をしてくれたのに、どうしても名前を思い出せずに別れることとなった。こんなことは年齢に関わらずよくあることなのだが、そんなことがあったことも忘れている。秋の夜長に椅子から立ち上がったときに、ふとその人の名を思い出した。なんだあの人だったのか、とひと安心。作者のように多くの人に会う機会のある人には、良くあることなのだろう。
吾が子にも本音は言はず芙蓉の実 同
上五七まではよくわかるけれど、なぜ芙蓉の実なのかがわからないので考えさせられる。芙蓉の実は毛で覆われているので、本音は隠れている種子にあるということか。本音の正体は何なのか不明だが、わが子にも言わない本音とは芙蓉の実のみぞ知る。