「元木咲良」 金-レスリング・女子フリースタイル62キロ級
*https://www.sankei.com/paris2024/medalist/?qrkydog_paris2024_page=PROFILE-1939702-------------------- より
元木 咲良(もとき さくら、2002年2月20日 - )は、日本の女子レスリング選手。埼玉県和光市出身。階級は59g級と62㎏級。父親はシドニーオリンピックのグレコローマンレスリング63kg級で9位だった元木康年。パリオリンピック金メダリスト。
育英大所属。
*Wikipedia より
3歳の初戦は泣いて逃げ出す・代表唯一の「非世界女王」…挫折が武器のレスリング「さくら」、パリで開花へ 2024/07/21 13:32 読売新聞オンライン
[花開け Paris2024]<5>レスリング女子62キロ級 元木咲良 22
パリ五輪の開幕が目前となった。花の都で開かれる100年ぶりのスポーツの祭典。日の丸を背負い、夢の舞台に挑む代表選手たちの思いを伝える。
タオルで何度拭っても、涙が止まらない。昨年9月にセルビアで行われた世界選手権で、パリ五輪代表の座を射止めたレスリング女子62キロ級の元木 咲良さくら 選手(22)は、泣いていた。うれしかったわけではない。
決勝で敗れ、狙っていた優勝を逃した。実力者がそろい、パリでメダルラッシュが期待される女子代表。その6人で唯一、世界選手権を制したことがない。
「自信がないし、マイナス思考。だからこそ、練習も研究もできる。それが自分の武器」。負けやケガに泣き、はい上がる。それを繰り返してきた。だから今度だって――。
涙で始まったレスリング人生だった。元五輪代表の父の影響で、3歳で地元の埼玉県のクラブに入った。その直後のデビュー戦で、同い年の男の子を前に戦意を喪失。泣きながら逃げ出し、棄権した。
強豪の埼玉栄中に進んでからも、定位置は優勝者の右か左。負ける度に「才能がない」と泣き、数日、口もきけなくなった。監督だった野口篤史さん(57)に言われた。「負けてから努力して、はい上がるのが、お前のペースなんだよ」
悔しさが稽古の原動力だった。男子選手に挑み、体重が100キロ近い野口さんともスパーリング。遅くまで居残った。練習に参加し、マットで向き合った父が「もう帰ろうよ」と漏らすほどだった。
恩師の言葉が現実になったのは埼玉栄高2年の時。7回ほどの対戦で全敗していた相手を破り、全国大会で優勝する。「勝ち続けた人にはわからない、達成感とうれしさがあった」と下馬評を覆す喜びを知った。
今度は、ケガに悩まされた。育英大2年で右膝の 靱帯じんたい を断裂した。「この世の終わりというくらい落ち込んだ」。壁にぶちあたっても逃げない。復帰までの7か月、取り組んだのがレスリングの研究だった。
朝から晩まで海外選手の映像を見た。練習場では他の選手の動きに目を凝らした。タックルに入る角度、相手の頭や脚の位置……。技が決まりやすいパターンが見えてきた。
「数学の公式と同じ。知っていれば、応用も利く」。得意の低いタックル「ローシングル」をかけるパターンは30にまで増えた。
レスリングが楽しくなった。復帰すると、国内の激しい代表争いを制し、初の五輪切符をつかむ。同じ競技者の妹に言われた。「努力は裏切らないんだね」
ライバルは、あの日、世界選手権で優勝を阻まれたアイスルー・ティニベコワ選手(31)。「キルギスの英雄」には、これまで3連敗を喫している。
試合によって構え方を変える老練な世界王者は、「めちゃくちゃ強い」。得意技を封じられ、研究成果を上回られる。どうしたら勝てるのだろう。
見返したのは、中学から毎日つけている30冊のレスリングノート。めくっていると、その時々の課題に向き合い、乗り越えてきた自分の姿を思い出した。
失うものはない。自分らしく攻撃的に戦おうと決めた。「こんなに挫折を味わった選手もいない。そこが自分の強み。金メダルを取って、リベンジしたい」
その名には「良い花を咲かせるように」との両親の願いが込められている。真夏のパリで、「さくら」が開花の時を迎える。 (上田惇史、おわり)
*https://www.yomiuri.co.jp/olympic/2024/20240720-OYT1T50028/ より
元木咲良 “弱い自分を乗り越えた先に” レスリング【解説】 2024年8月11日 16時46分 NHK NEWS
「小さいころから不器用で、運動神経もそんなによくないし」と、うつむきがちに話す姿が今も印象に残っています。
試合で負けて泣いている姿を目にすることもありました。
それでも元木咲良選手がパリオリンピックでチャンピオンに輝けたのは自分が勝てるためのレスリングを作り上げる努力を怠らなかったからです。 (スポーツニュース部 記者 持井俊哉)
不器用で勝てない日々
「私なんかがオリンピックに出ていいのかな」とも一時は話していた元木選手。
その自信のなさが物語るように競技人生は決して順風満帆ではありませんでした。
3歳のころからレスリングを始めましたが、高校3年生のときのインターハイでは今大会53キロ級で金メダルを獲得した当時1年生だった藤波朱理選手から1ポイントも奪えずに完敗しました。
自分の強さを見いだしていく
「そこまでの選手なんだろうな」と思っていたところ、長い腕を生かしたスタイルに光るものを感じたという群馬県の育英大学の柳川美麿監督の目にとまって育英大学に進学。
柳川美麿監督から指導を受ける
海外選手の技などを動画で研究しながら自分の得意技を探すことを重視する練習環境は元木選手に合っていたといいます。
長い腕を生かして相手を崩す「アリエフ」と呼ばれる技や低い姿勢で相手の片足を取りにいくタックルなど自分にとっての得意技を見つけながら実力を向上させていきました。
「こんな自分でも勝つ方法、やり方を模索すれば勝てるというのがレスリングの魅力だと思います」とも話していて、その試行錯誤を書き留めたノートは大学時代だけで20冊以上にものぼります。
負けても負けても負けても
成長した元木選手に大きな壁が現れたのが去年の世界選手権。決勝で敗れたキルギスのアイスルー・ティニべコワ選手です。
世界選手権は決勝で敗れる(2023年)
ことし4月のアジア選手権の決勝でもまたしても苦杯をなめさせられその悔しさは夢に出てくるほどだったといいます。
それでも「オリンピックに出る者としてネガディブになっているのは失礼だと思った。負けを原動力に挑戦者として挑むだけだ」と気持ちを立て直して自分のレスリングにより磨きをかけてきました。
挑戦者として
迎えた初めてのオリンピック。
準々決勝
初戦、準々決勝と磨いてきたタックルや「アリエフ」を有効に使って快勝。
準決勝はノルウェーの選手に5ポイントをリードされる展開となりましたが、豪快な「そり投げ」を決めて逆転勝ちで決勝に進みました。
翌日の決勝、相手のウクライナの選手は準決勝であのティニべコワ選手を破って勝ち上がってきました。
決勝でウクライナの選手と対戦
それでも「弱かったりダメだったりした過去の自分を乗り越えた先に金メダルがある」と腹をくくってすべてをぶつけました。
ディフェンスを固める相手にも果敢に片足タックルに入り、次々とポイント重ね、12対1と圧倒。
試合後は「何回も心が折れそうなことがたくさんあったけど多くの方の支えでたどりつくことが出来た。今までの弱かった自分にリベンジすることができた」と大きな充実感がにじんでいるように感じました。
不器用でも、運動神経に恵まれなくても、あきらめずに探求を続け、磨き上げた技でつかみ取った金メダルでした。
*https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240811/k10014546191000.html より
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