茶山守廣・隠岐三味線ブログ

名残尽きぬに 銅鑼が鳴る今宵

西郷港は 小雨も降らぬに 袖しぼる

        (隠岐民謡・しげさ節)

まるごと隠岐民謡の旅

2007年07月17日 | 気まぐれ日記
交流人口の拡大ひいては観光客の増加を目的とし、行政・交通・宿泊・観光協会そして我々民謡関係者が
一体となり推し進めてきた「まるごと隠岐民謡の旅」の事業も早や10年を経過しました。
この趣旨に賛同されて今までに全国各地より、民謡(民踊)関係の皆様方に多数お越し頂きました。

自分も事業発足当時より一員としてこれに関わってきましたが、最近では改めて同じ趣味を持つ者どうしの
「絆」の深さを痛感しております。
単に観光のみの目的であるならば、なんといっても小さな島国でもある隠岐は、自然や名所旧跡などは一度
見てまわれば充分だと思います。
同じ団体そして同じ人が何度と無く隠岐を訪れてくれる現実を思うとき、その度に嬉しさは勿論のことながらも
同時に受け入れる側としても責任の重さも感じています。

歴史と民謡そして人情の島とも呼ばれている我が隠岐の島は、皆さんご存知のように遠く昔は「流人の島」と
して多くの政治犯や罪人が島流しにあった島としても知られている。
文献等によるといかなる罪人といえども我々の祖先は、これらの人々を分け隔てなく島の住人として暖く迎え
同じように日々の生活を送っていたともいわれている。

少々手前みそになるかもしれませんが、外から島に来る人を”ようこそ”と暖かく迎え入れるDNA?が我々の
身体のなかには脈々と受け継がれているのかも知れないと最近では思うようになった。
索漠とした現代でややもすれば都会での凶悪犯罪などのニュースを耳にするとき、これからの時代が求める
何か大切なるもの、何事においても欧米化(欧米か!の漫才ではありませんが?)されつつある最近の我が
国ですが、日本人として大切なものが隠岐には未だ残っていると私は信じている。

今日も遠く名古屋市より踊りの団体が来られます。
この事業の発足当時より何度と無く交流を重ね、大変お世話になった団体の方々でもあります。
我々に出来ることは一つだけ、それは”ようこそ!”と暖かく迎え入れること・・・