じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

廃人、廃屋に入る

2007-06-02 | 随想(essay)
 昭和七年九月二十日、私は其中庵の主になった。
 私が探し求めてゐた其中庵は熊本にはなかった。嬉野にもなかった。ふる郷のほとりの山裾にあった。茶の木をめぐらし、柿の木にかこまれ、木の葉が散りかけ、虫があつまり、百舌鳥が啼きかける廃屋にあった。
 廃人、廃屋に入る。
 それは最も自然で、最も相応してゐるのではないか。水の流れるような推移ではないか。自然が、御仏が友人を通して指示する生活とはいへなからうか。

  ふるさとはからたちの実となってゐる

  花いばら、ここの土とならうよ

  住みなれて茶の花のひらいては散る
                         (著作集Ⅲ「愚を守る」)