昭和七年九月二十日、私は其中庵の主になった。
私が探し求めてゐた其中庵は熊本にはなかった。嬉野にもなかった。ふる郷のほとりの山裾にあった。茶の木をめぐらし、柿の木にかこまれ、木の葉が散りかけ、虫があつまり、百舌鳥が啼きかける廃屋にあった。
廃人、廃屋に入る。
それは最も自然で、最も相応してゐるのではないか。水の流れるような推移ではないか。自然が、御仏が友人を通して指示する生活とはいへなからうか。
ふるさとはからたちの実となってゐる
花いばら、ここの土とならうよ
住みなれて茶の花のひらいては散る
(著作集Ⅲ「愚を守る」)
私が探し求めてゐた其中庵は熊本にはなかった。嬉野にもなかった。ふる郷のほとりの山裾にあった。茶の木をめぐらし、柿の木にかこまれ、木の葉が散りかけ、虫があつまり、百舌鳥が啼きかける廃屋にあった。
廃人、廃屋に入る。
それは最も自然で、最も相応してゐるのではないか。水の流れるような推移ではないか。自然が、御仏が友人を通して指示する生活とはいへなからうか。
ふるさとはからたちの実となってゐる
花いばら、ここの土とならうよ
住みなれて茶の花のひらいては散る
(著作集Ⅲ「愚を守る」)