じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

十月九日

2007-06-23 | 随想(essay)
 大堂津で藷焼酎の生一本をひっかけて、ほろほろ気嫌でやってくると、妙な中年男がいやに丁寧にお辞儀した。そして私が僧侶(?!)であることをたしかめてから、問うて曰く『道とは何でせうか』また曰く『心は何処にありますか』道は遠きにあらず近きにあり、趙州曰く、平常心是道、常済大師曰く、逢茶喫茶、逢飯食飯、親に孝行なさい、子を可愛がりなさいー心は内にあらず外にあらず、さて、どこにあるか、昔達磨大師は慧可大師になんといはれたかー
 あゝあなたは法華宗ですか、では自我偈を専念に読誦さすったらいいでせうー彼はまた丁寧にお辞儀して去った。私は歩きつつ、微苦笑する外なかった。

  まゝよ法衣は汗で朽ちた
  ゆっくり歩かう萩がこぼれる

 真偽も定かでない境地にまで山頭火は達していたのです。僧侶と見るならよし、仏と拝むなら、それもよし。