一昨年――昭和五年の秋もをはりに近い或る日であった。私は当もないそして果てもない旅のつかれを抱いて、緑平居への坂をのぼっていった。そこにはいつものやうに桜の老樹がしんかんと並び立ってゐた。
枝をさしのべてゐる冬木
さしのべてゐる緑平老の手であった。私はその手を握って、道友のあたたかさをしみじみと心の底まで味はった。
私は労れてゐた。死なないから、といふよりも死ねないから生きてゐるだけの活力しか持ってゐなかった。あれほど歩くことそのことを楽しんでゐた私だったが、
『歩くのが嫌になった』
と呟かずにはゐられない私となってゐた。それほど私の身心は労れてゐたのである。
『あんたがほんとに落ちつくつもりなら、』緑平老の言葉はあたたかすぎるほどあたたかだった。
かくして其中庵の第一石は置かれたけれど、ぢっとしてゐられる身ではない。
笠も漏りだしたか (「随筆」山頭火著作集Ⅲ所収)
緑平さんは柳川在の、井泉水とは別口の心の友であり、同時に物理的にも山頭火を支えきった御仁でありました。この人の影にあの人がいた。
枝をさしのべてゐる冬木
さしのべてゐる緑平老の手であった。私はその手を握って、道友のあたたかさをしみじみと心の底まで味はった。
私は労れてゐた。死なないから、といふよりも死ねないから生きてゐるだけの活力しか持ってゐなかった。あれほど歩くことそのことを楽しんでゐた私だったが、
『歩くのが嫌になった』
と呟かずにはゐられない私となってゐた。それほど私の身心は労れてゐたのである。
『あんたがほんとに落ちつくつもりなら、』緑平老の言葉はあたたかすぎるほどあたたかだった。
かくして其中庵の第一石は置かれたけれど、ぢっとしてゐられる身ではない。
笠も漏りだしたか (「随筆」山頭火著作集Ⅲ所収)
緑平さんは柳川在の、井泉水とは別口の心の友であり、同時に物理的にも山頭火を支えきった御仁でありました。この人の影にあの人がいた。