じぶんの足でたつ、それが教養なんだ

「われこそは」と力まないで、じぶんの歩調でのんびりゆったり歩くのがちょうどいい。

ひとのうわさも七十五日?

2006-11-25 | 随想(essay)
 師範学校を卒業し、大阪は泉南郡田尻小学校に勤務していた宮本常一が胸を病み、周防大島に帰郷して長期の療養をしていた時期のことでした。昭和五、六年ころです。ようやく健康を回復して野山を歩き回ったり、浜や田んぼで寝ころがったりしていたら、そのうちに近所のひとびとの間に宮本は「気が狂ったといううわさ」がひろまった。「道行く女が顔をそむけ、道をさけ、子供に石を投げられるようになって」はじめて、自分のことがどのようにうわさされているのか気づいたというのです。
 村では、一日中仕事もしないで田んぼや浜辺で寝ころんでいるような暮らし方がなかったためだと宮本さんはいいます。「きちがいと思ったのも無理はないであろう」とも。
 「その私が、ある丘の上の小さなほこらの前を通って田のほとりに出たことがあった。そのほこらというのは、狐をまつったものである」(宮本「民俗学への旅」1968年)