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アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

平塚市美術館

2009-07-27 15:23:43 | コラージュ作品
行って来ました、平塚市美術館。

行く度に思います。

遠い・・・。
なんて立派な美術館なの・・・!!

なぜこんな立派なところで、名もない私が、アートセラピーなんていう怪しげな(お役所&お役人から見れば)
ワークショップをさせていただけることになったのか、縁とか巡り合わせとかって
不思議なもんです。

今日で2度目の、コラージュ・ワークショップです。

でも、前回(4月)参加の人はいなくて、全員が「今日初めて、コラージュって
ものをやってみる。」という方でした。

で、「コラージュってなぁに?どーやるの?」
から始まるのですが、みんな難しい顔でし~んとしている。

ある程度まで説明して、
「うーん、これは、早く始めちゃったほうがよさそうだわい。」
ということで、さっそく始めてもらいました。

あれよあれよと言う間に、アトリエは盛り上がり、出来上がる頃にはもうみんな
満面の笑顔、そして、どこを見てもすばらしい作品ばかりの、大満足の楽しい
時間になりました。

これは、元気な男の子(小2か3くらいかな)の作品です。

コメントは?
「たのしかったぁ

自分を信じる 7

2009-07-26 17:58:59 | 心や気持ちのお話
riccoさん、コメントありがとうございます。

いつも思うことですが、皆さんのコメントには、深く考えさせられるものが多いです。

「自分しか信じられない」
という状態もあるんですね。

言い換えると、「他人は信じられない」ということでしょうね。
もはや、過去の話ですが。

自分が信じられない私には、一種羨ましい感じがしました。
なんか、すごく力強い感じがします。

「他人なんて、信じられない。自分を信じて進もう!」
みたいな強さを感じました。

でも、強くなれない状況の時には、寂しかったでしょうね。
相棒と一緒に乗り越えられて、良かったね。

私なんて、自分も他人も信じられないという、ダブル惨め女でした。

きっと何か原因、遠因があるのでしょうが、
「どうせみんなは、私を裏切る」
みたいな思考回路がありました。

最近でも、それがひょいと顔を出す時があるんです。

例えば、レストランに行って注文をします。
少し待って出てこなかったり、一緒に行って注文した人の方が早く出てきたり
すると、とたんに不安になって
「自分の注文は、忘れられている。 私のことは忘れられている」
みたいに考えてしまう。

変な話ですよね・・・。

私の中の、子どもの部分、未熟な部分なんです。

自分を信じる 6

2009-07-24 13:18:15 | 心や気持ちのお話
また、マイケル・ジャクソンの話に戻るんですが(7/13の記事をお読み下さい)、
ハワイの知人の話によると、マイケルと懇意にしていたユリ・ゲラーが
「マイケルは本当に寂しい人だった。」
と、彼には本当の友人がいなかったと言っていたそうです。

インナーペアレンツ(親とは限りません。親を投影する者も全て含みます)
に支配されていたであろうマイケルは、自分を信じることができなかった。

自分を信じることができなかったマイケルは、全く同じように、他人を信じる
こともできなかった、ということ・・・。

マイケルの周りには、彼の人柄やその才能を、心から愛する人たちもきっといたはずです。
でも彼は、それを信じ、受け取ることができなかったのでしょう。

その結果、ひとりぼっちになってしまった。

本当は、ひとりぼっちなんかではなかったのだと思います。
彼を慕う人たちの、たくさんの愛で囲まれていたかもしれない。

でも、それを信じなければ、無いのも同じ。
だから、ひとりぼっちになってしまったのでしょう。
「ひとりぼっちだと感じてしまった。」
という方が正しいですね。

心のあり方、というのは恐ろしいものですね。

全く同じ状況でも、捉え方によって、楽園にも砂漠にもなってしまう。
その人の、地位とか財産とか肉体の状態とかとは、全然関係ないんですよね。
楽園にするのも砂漠にするのも、その人次第ってことですよね。

う~ん、私も、人生、楽園にできたのに砂漠にしちゃったところ、いっぱいありそうだなぁ。

も、もったいない!
楽園面積を、もっと広げよう!


さぁ、明日は、平塚市美術館で、コラージュのワークショップです。
たくさんの人が集まってくれます。

緊張するけど、不安はありません。

自分に自信があるから?
いいえ。そんなものはありません。

みなさんの力を信じているからです。


「自信がある」というのと、「自分を信じる」というのは、違うように感じます・・・。

自分を信じる 5

2009-07-23 11:01:21 | 心や気持ちのお話
りんたさん、「自分を信じる 4」コメ、ありがとうございました。

「自分を信じる」シリーズは、4で終了した訳ではありません。

自分を信じる、というのは、それがその人の人生の課題である場合(私もそうみたいですが)、
それこそ一生をかけて取り組むような大きなテーマなので、
本気で書こうとすると、それは今日までの私の人生みたいなもので、
毎日がこれになっちゃうし、重たく感じる人もいるんだろうなぁ、と思い、ちょっと自分も重たく感じたりもしたので、
息抜きの話題を書きました。

でも、りんたさんのコメントを読んで、また書き始めようと思いました。

これからも、このテーマは、いろいろ他の話題を合間に入れながらも、続けて
いこうと考えています。

りんたさんは、「自分を信じる」シリーズが、自分の事のようだったと感じて
くださいました。
自分を信じる、という方法がわからない、とも。

その苦しみ、わかります。

だから、探すんですよね。
こういうことには、マニュアル無いもんね。

でも、苦しんだり落ち込んだりするほうが、ずっといいと思います。
そういう苦しみを、無かったことにして、表面的にスマートに通り過ぎるより。

苦しんだり落ち込んだりすることは、無意識に解決を探していることにつながる、
と感じています。

体験的には、
「もう、いや!! こんな自分はうんざり!!」
という所まで来たとき、ふと見ると、目の前に扉があったり鍵があったり、という
感じでした。

言い換えると、苦しんだり落ちたりしている時ほど、解決の扉に近づいている、
ということなんですけど。

もっと言い換えると、苦しむ自分、落ち込む自分こそ、抱きしめたくなるほど
かけがえのない、最高の相棒なんですよ。

相棒は、苦しみあえぎながらも、いつも私を扉まで連れて行ってくれました。

私が、相棒を「いなかったこと」にして無視しない限り。
相棒を「ダメなやつ」と否定しない限り。

あなたの相棒を嫌わず、心から受け入れ、認め、一緒にいてください。
決してあなたを裏切らないはずです。


これは個人的な心の旅の記録ではあります。

が、人は、状態は千差万別であっても、肉体の構造が皆同じなように、
心の状態や世界は千差万別であっても、心の構造それ自体は皆同じかと思います。

なので、一人の人の体験が、何かの刺激になって役に立つこともあり得ると思う。

そんな気持ちで書こうと思うし、そんな気持ちで受け取ってもらえればと思います。

ビューティーへの道

2009-07-22 11:06:52 | 日記
このところずっと、お化粧してもパッとしないし、すぐ化粧崩れしちゃうし、
おまけにほうれい線が目立つようになってきたし・・・で、憂鬱な気分でした。

最初は、ずっと体調悪かったから、お肌にも影響出たんだなぁ、くらいだったのだけど、体調がだいぶ良くなってきても、お肌はいっこうに良くならない。

それどころか、どんどんくすんで、もう、メイクしてもどーなのよ!状態に
なってきてしまいました。

なんかおかしい。
いかん、このままでは。

そして先週、一大決心をして、主婦でも通えそうなプチプライスのエステに
行ってみました。

そしたら、施術の前に、機械を使って測定するお肌診断があるのだけど、もう
衝撃の結果。
「うるおい」と「きめ」の数値が、えぇーっっっと思うほど最悪。

そういえば、外出しない日は、朝、水で洗顔したまま、何もしなかったなぁ・・・。

それを言ったら、エステティシャンの人に仰天されてしまいました。
「化粧水と乳液をきちんとつけるだけでも、ずいぶん違うんですよ。」

はい。あらためます。

早速、お試しの施術を受けると、何かこう、肌が柔らかくなって、くすみもとれている。

では、と少し通うことにしてみました。

と、ここでお約束をさせられる。
つまり、エステサロンの方は、当然お客さんをきれいにするために、全力を注ぐけれど、お客さんの方でもきれいになる努力をしなくてはなりません、と。

「きれいになります。」
と、お約束させられるのだ。

ガヒーン、と思ったけど、これが効いたんですよ。

その日から毎日、化粧水、保湿液等きちんとつけ、クレンジングも優しく丁寧にやりました。
パックなんてもしましたね。

そういう、基礎的な事をきちんとするだけで、なんと、自分でもびっくりするくらいキレイになってまいりました。
 *注 あくまで主観によるもので、客観的な判断や数値によるものではありません。


おぉぉ、私もきれいになれるのかと感動し、ボディジェルを塗ってみたり、
そうなると姿勢や立ち居振る舞いなんかにも気を使うようになり、
トータルビューティーを目指す美のカリスマになった気分になる。

(いえいえ、本物の美のカリスマは、こんなものではアリマセン。)

いかにワタクシが、基本的なことをないがしろにして、自然のままにし続けて
きたかということです。

アラフィーに、自然のままは通用しない。
ここでも、「メンテナンス」を痛感したワタクシであります。