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アートセラピー「心のお絵かき」の世界

アートセラピストで妻で母で女の、楽しく豊かでゆるい人生後半日記。

実録 がんばれ若者。 そして親。 その4

2009-06-30 17:46:58 | 青年の子育て
   つづきです。

夕食のあと、夫、長男、私で、話し合いが始まりました。

私はかなり、怒りのようなもやもやした感情があったのですが(裏切られたと思ったからね)、本気で怒っているときほど、頭がクールになってしまう性格が幸いして、穏やかな話し合いが始まりました。

今思い返せば、長男は、逃げも隠れも、言い訳さえもせず、落ち着いて黙って、私たちの前に座っていたんだから、もうこの時点で、腹が据わっていたんでしょうね。

「今、どういうことになっているの?」

と、私が口火を切ると、結局、短大の学習だけでは技術が足りず、思うように就職口も無かったこと、卒業してしまったので、これからは、昼間警備員のバイトをして、夜にコンピューターで絵を描く技術を独学しようと考えていること、等を話してくれました。

それを聞いた夫が一言。
「おまえは甘い。」

「昼間働いて、夜勉強して追いつくほど、コンピューターの世界は甘くない。コンピューターを使って、何をするにしろ、専門技術を習わなくては勝負できるはずがない。」

男の、父親の一言というのは、重い。

ましてや、私らは、めったに口出ししない両親なので、その親の一言は、無口で頑固な若者にも、決定的に重かったんだろうね。

彼の考えていた将来設計は、大きく変更。

これが、親が金を出す最後の学校ということで、それ系の専門学校に行くことになりました。

でも、その時点でも、まだ私は、長男の本音中の本音を知らなかったのです。

てっきり、コンピューターグラフィックスのデザイナーとかだと思っていたんですよ。

専門学校卒業したら、デザイン事務所に就職して、やがて独立できればいいな、なんてね。
けっこうまともで、ステキな人生設計じゃないの・・・と。

ところが・・・ 入学手続きの書類を見て、今度こそ本当に絶句してしまった。

黙って、落ち着いて、どこまでもどこまでも、気絶するほど母を驚かせ続ける長男でありました。

        つづく

       いくつになっても、親は子に鍛えられるねぇ

実録 がんばれ若者。 そして親 その3

2009-06-29 15:52:32 | 青年の子育て
・・・つづきです。

長男の選んだ美大は、短大でした。
「早く社会で働いて、技術を身につけたい。」と。

もちろん私は、そういう選択は彼に任せました。

短大の2年間なんて、あっという間です。

しかし、卒業年次になり、就職活動をしなければならない時になっても、彼はいっこうに、それらしい行動をしませんでした。

リクルートスーツやら靴やらを、買ってあげたのですが、全然活動しない。

デザイン系の会社などでは、いわゆる就活の時期とは関係なく、2がつでも3月でも、臨機応変に社員をとることは知っていましたし、あまりガミガミ言ってもなぁ、という思いで、じっとイライラや不安をこらえて見守っていましたが、ついに
「就職した。」
という報告を受けることなく、卒業式を迎えてしまいました。

「どうする気かなぁ?」
と思い始めた頃、まるで会社訪問するような格好で、長男が度々出かけるようになりました。

無口なので、何も言わないのですが、私は勝手に、地元の小さな印刷会社にでも面接に行って、デザイナーの仕事とかにつけるのかと思いこみ、喜んで報告を待ちました。

ところがある日、長男の机の上に求人票のようなものを見つけ、無断だったけど、思わず見てみると、なんとそれは、交通整理の警備員のアルバイトの求人票だったのです。

「えっ いったいどういうこと
何のために美大に入ったの?

ショックと混乱で、文字通り、頭の中が真っ暗になってしまいました。
なにか、長男に裏切られたような気持ちでいっぱいでした。

震える手で、求人票をひっつかむと、直ちに夫に、事の次第を報告しました。


              ・・・つづく


             あ~、今思い返しても、生々しい記憶だわ~

実録 がんばれ若者。 そして親 その2

2009-06-27 16:30:14 | 青年の子育て
・・・つづきです。

息子は、美大に入れるのが、よほど嬉しかったのでしょうね。

志望する学校の、オープンキャンパスやら、デッサン教室やらに、自分でどんどん申し込み、高校からの推薦状もいただき、さっさと受験手続きもして、めでたく行きたい美大に入りました。

無口で、何を考えているのかわからない子だったけど、考えも行動力も、親の知らないうちに、しっかり成長していたんですね。

いつまでも、幼い子どもの残像で接しているのは、母親ばかりなり・・・。

この時、私の心の中には
「あぁ、これで、長男に恩返しできたな。」
みたいな、不思議な感覚がありました。

子どもに親が恩返し?
って、奇異に感じるでしょうね。

でも、2人、3人と子どもを育てていれば、どうしても、我慢を強いたり、下の子の面倒を見させたり、母親自身の手伝いをさせたり、を長男・長女にさせてしまいます。

「お兄ちゃんなんだから・・・」
「お兄ちゃん、ちょっと手伝って・・・」
を、何度言ってきたことでしょう。

そして、どれほど長男が、素直にそれに従ってくれたことか。
それなのに、私は、どういうわけか長男に厳しく、次男に甘く育ててしまった・・・。

「つらいこと、いっぱいあったよね。ごめんね。ごめんね。」
という苦い思いが、長男17才のその時までも、常に私の心の底にはありました。

だから、長男の嬉しそうな様子を見て、ほっとしたのです。

あぁ、これで「お返し」ができたな、と。

美大での穏やかな日々は、淡々と過ぎ、さて就職だ、卒業だ、という時になって
突然、3度目の「驚き」がやってきました。


・・・いよいよ佳境だ・・・

                 つづく・・・

でも、明日から両親&妹と箱根旅行。
なので、ちょっとお休みかもかもです。

実録 がんばれ若者。 そして親。

2009-06-26 13:55:48 | 青年の子育て
  つづきです。

中3の「驚き」を、はるかに凌駕する高3の「驚き」

でも、私は嬉しかった。
彼が、本当のことを言ってくれて。
主人や私に気をつかって、本心とは裏腹なことを言わないでくれて。


ちょうどこの少し前、ある出来事がきっかけで、人生を悲観した私は心のバランスを崩し、心理療法のケアを受けていました。
そこには、いろいろな方がたくさん来ていて、その人達とグループワークをすることも多かったのですが、皆、ある共通点を持っていました。

親との葛藤です。

身体的に、また心理的に強い支配を、長期にわたり親から受け続けた子は、親が恐いですから、親の気に入られるような「良い子」になる可能性が高いです。

大人になってもそれを引きずり、親のみならず、職場の上司や先輩、あるいは配偶者の前で「良い子」を演じ続け、必死にがんばって、ついに自ら壊れていってしまう人たちを、それでもなんとか自分を取り戻そうともがく人たちを、目の前で何人も見ました。
つらいなんてもんじゃない。

親の「よかれ」が、必ずしも、子どもにとっての幸せではないこと、素直でおとなしい良い子ほど、気を付けなくてはいけないことを、私は全身で学んだのです。

だから私は、息子の言葉に、驚いたけど、同時にほっとしたのです。

「あー、もったいない。上の大学に良い条件で行けたのに。」
と、一瞬思いましたが、次の瞬間、間髪を入れず答えることができました。

「わかった。あなたがやりたいことをやりなさい。応援する。」

そして、夫がまたすごかった。

私学の高校に入れて学ばせるのには、たくさんのお金がかかります。
夫は「それが親の義務だ」と、一生懸命働いてくれました。
それが、ある意味、無駄になってしまう。

工学系の大学に入れば、将来も安心だし、世間的にも問題なく見えます。
それが、美大生になって絵を描くという・・・。

ところが、私の報告に、夫は全く動じませんでした。
「そう、わかった。」
と一言。
すごい人だ。


・・・と、ここまで書いて気がついたんだけど、相変わらず長男はぶっきらぼうで無口だし、夫も極楽とんぼみたいなところあって、いつも「全くもう!!」って思ってたけど、うちの家族は案外イケテるんだねぇ・・・。

                        まだまだつづく・・・


実録 がんばれ若者

2009-06-25 16:57:02 | 青年の子育て
長男が中学3年生になって、初めての授業参観日の朝。

てっきり、普通の子と同じく国語の授業かと思って、教室を聞くと、自分は国語ではなく、木工室にいると言う。
驚いて参観の時間に木工室に行くと、3年生全体の中で、ほんの一握りの子どもたちに混じって、うちの子が技術工学系の授業を受けていました。

その時初めて、長男が普通高校への進学ではなく、工業高校への進学を希望していたのに気がついたわけです。
本当に驚きました、その時は。

あわてて(もう中3ですから)、県立工業高校を探すのですが、通えそうでいいところが無い。
八王子に、工学系大学の付属高校があることを知り、でも私学だから学費がなぁ・・・、と考えていると、夫の鶴の一声。
「工学は、設備の整った学校で学ばなければ意味がない。」
それで、もう時間のあまりない中、家族でがんばり、無事その付属高校に入学したのでした。

小学校中学校と、長男の成績はどんよりと低空飛行で、面談とかすごく嫌だったものです。
が、どういうわけか、高校での成績は妙に良くて、おまけに出席とかも良かったものですから、毎年のように表彰状なんかを頂きました。(私学って、そういうのあるんですねぇ。)

つまり、一族にとって、将来有望のちょっと自慢の息子になったのです。

が、忘れもしない高校3年生の夏。

前述のような状態ですから、息子は、上の大学のどの学部にも、一発で推薦を受けられるポジションにいたわけです。

でも、私は、無口な長男のことがふと気になりました。
素直に、親の敷いたレールに(もちろん、彼のために一番よかれと思って敷いたレールですが)、黙々と乗り続けて、彼は幸せなんだろうか?
無口な彼の本心は、どうなんだろう?

大人への進路を決める、大事な高3の初夏のある日。

私は彼に聞きました。
「このまま、上の大学に行っていいの?
 もし、本当にやりたいことがあるのなら、お母さんに言ってごらん。」

その時、年齢的なこともあり、私とほとんど口をきかなかった長男が、こう言ったのです。
「ぼくは、本当は、絵が描きたい。」



                          つづく
             (はぁ~、長文はアラフィーにはこたえるわぁ~)