私自身、知的障がい者の方達と共に、何度もワークショップを楽しんできました。
で、今回の津久井やまゆり園の元職員、植松容疑者の内側は、こんなふうだったのかなぁ?
と、考えたのです。
彼も最初は、知的障がい者施設での仕事に、奉仕の精神をもって前向きに取り組んでいたのだと
思います。
が、次第に、理想と現実が違ってきたのかもしれません。
あるいは、自分が、この仕事に向いていないと感じ始めたのかもしれません。
現実の仕事という外側と、彼の感情という内側がかみ合わなくなってしまった。
昨年頃には、周りに、この仕事が「もう限界」と漏らしていたと聞きます。
私は、「もう限界」と感じたなら、なぜこの時点で辞めなかったのかと、非常にひっかかりました。
植松容疑者の親御さんは、教師だそうです。
もしかすると、幼い頃から道徳的教育的環境だったのかもしれません。
障害者を嫌いになるなどというのは恥ずべき事だ、同じ人間として愛さなければならない、
という風に教え込まれていたかもしれません。
それ自体は正しい考えなのですが、もっとおおらかでも良いと思うのです。
世の中広いのですから、知的障がい者に苦手意識を持つ人がいても、ちっとも不思議ではありません。
逆に、知的障がい者が全くOKな人達も、普通にいるのですから。
何かに、あるいは誰かに苦手意識を持つ、このこと自体は、別に普通な事だと思う。
私だって、通っていた知的障がい者の作業所で、相性の合う利用者さんもいれば、イマイチ苦手な利用者さんも
いました。
そういうことは、普通で自然であたりまえだと思います。
苦手ならば、距離を置けばいい、ことによれば辞めてしまえばいいではありませんか。
逃げるのとは違います。自分と相手を傷つけない、良好な関係を保つための選択です。
ところが、植松容疑者は、そうしなかった。
なおもがんばってしまった。
私は、この裏に、何か「罪の意識、罪悪感」みたいなものを感じてならないのです。
知的障がい者に苦手意識を持ってしまう自分は、愛のないダメな人間だ、価値の無いヤツだと。
だから、施設を辞めるのは、恥ずかしいことなのだという罪悪感みたいな感覚。
心の奥深くで、そんな自分を責め続け、それに我慢できなくなった彼の心は、
「オレは悪くない!悪いのはあいつらだ!価値の無い人間は、あいつらの方だ!」
と、鏡に映ったものが逆転するみたいに、自分を責めていた力で障害者を責めてしまったのではないかと、感じていました。
「ぼくは悪くない!ぼくは悪くない!悪いのはみんなあいつらなんだもん!!」
と、すすり泣き、泣きわめき、空に向かって拳を振るう幼い男の子が、見えてきてしまうのです。
本当に、心が真っ暗になるほど、辛いことです。どちらを見ても。
今一度、犠牲になった方々のご冥福をお祈りすると共に、被害に遭われた全ての方々の、身体と心の傷が
一日も早く回復することを願ってやみません。
で、今回の津久井やまゆり園の元職員、植松容疑者の内側は、こんなふうだったのかなぁ?
と、考えたのです。
彼も最初は、知的障がい者施設での仕事に、奉仕の精神をもって前向きに取り組んでいたのだと
思います。
が、次第に、理想と現実が違ってきたのかもしれません。
あるいは、自分が、この仕事に向いていないと感じ始めたのかもしれません。
現実の仕事という外側と、彼の感情という内側がかみ合わなくなってしまった。
昨年頃には、周りに、この仕事が「もう限界」と漏らしていたと聞きます。
私は、「もう限界」と感じたなら、なぜこの時点で辞めなかったのかと、非常にひっかかりました。
植松容疑者の親御さんは、教師だそうです。
もしかすると、幼い頃から道徳的教育的環境だったのかもしれません。
障害者を嫌いになるなどというのは恥ずべき事だ、同じ人間として愛さなければならない、
という風に教え込まれていたかもしれません。
それ自体は正しい考えなのですが、もっとおおらかでも良いと思うのです。
世の中広いのですから、知的障がい者に苦手意識を持つ人がいても、ちっとも不思議ではありません。
逆に、知的障がい者が全くOKな人達も、普通にいるのですから。
何かに、あるいは誰かに苦手意識を持つ、このこと自体は、別に普通な事だと思う。
私だって、通っていた知的障がい者の作業所で、相性の合う利用者さんもいれば、イマイチ苦手な利用者さんも
いました。
そういうことは、普通で自然であたりまえだと思います。
苦手ならば、距離を置けばいい、ことによれば辞めてしまえばいいではありませんか。
逃げるのとは違います。自分と相手を傷つけない、良好な関係を保つための選択です。
ところが、植松容疑者は、そうしなかった。
なおもがんばってしまった。
私は、この裏に、何か「罪の意識、罪悪感」みたいなものを感じてならないのです。
知的障がい者に苦手意識を持ってしまう自分は、愛のないダメな人間だ、価値の無いヤツだと。
だから、施設を辞めるのは、恥ずかしいことなのだという罪悪感みたいな感覚。
心の奥深くで、そんな自分を責め続け、それに我慢できなくなった彼の心は、
「オレは悪くない!悪いのはあいつらだ!価値の無い人間は、あいつらの方だ!」
と、鏡に映ったものが逆転するみたいに、自分を責めていた力で障害者を責めてしまったのではないかと、感じていました。
「ぼくは悪くない!ぼくは悪くない!悪いのはみんなあいつらなんだもん!!」
と、すすり泣き、泣きわめき、空に向かって拳を振るう幼い男の子が、見えてきてしまうのです。
本当に、心が真っ暗になるほど、辛いことです。どちらを見ても。
今一度、犠牲になった方々のご冥福をお祈りすると共に、被害に遭われた全ての方々の、身体と心の傷が
一日も早く回復することを願ってやみません。