りんたさん、「自分を信じる 4」コメ、ありがとうございました。
「自分を信じる」シリーズは、4で終了した訳ではありません。
自分を信じる、というのは、それがその人の人生の課題である場合(私もそうみたいですが)、
それこそ一生をかけて取り組むような大きなテーマなので、
本気で書こうとすると、それは今日までの私の人生みたいなもので、
毎日がこれになっちゃうし、重たく感じる人もいるんだろうなぁ、と思い、ちょっと自分も重たく感じたりもしたので、
息抜きの話題を書きました。
でも、りんたさんのコメントを読んで、また書き始めようと思いました。
これからも、このテーマは、いろいろ他の話題を合間に入れながらも、続けて
いこうと考えています。
りんたさんは、「自分を信じる」シリーズが、自分の事のようだったと感じて
くださいました。
自分を信じる、という方法がわからない、とも。
その苦しみ、わかります。
だから、探すんですよね。
こういうことには、マニュアル無いもんね。
でも、苦しんだり落ち込んだりするほうが、ずっといいと思います。
そういう苦しみを、無かったことにして、表面的にスマートに通り過ぎるより。
苦しんだり落ち込んだりすることは、無意識に解決を探していることにつながる、
と感じています。
体験的には、
「もう、いや!! こんな自分はうんざり!!」
という所まで来たとき、ふと見ると、目の前に扉があったり鍵があったり、という
感じでした。
言い換えると、苦しんだり落ちたりしている時ほど、解決の扉に近づいている、
ということなんですけど。
もっと言い換えると、苦しむ自分、落ち込む自分こそ、抱きしめたくなるほど
かけがえのない、最高の相棒なんですよ。
相棒は、苦しみあえぎながらも、いつも私を扉まで連れて行ってくれました。
私が、相棒を「いなかったこと」にして無視しない限り。
相棒を「ダメなやつ」と否定しない限り。
あなたの相棒を嫌わず、心から受け入れ、認め、一緒にいてください。
決してあなたを裏切らないはずです。
これは個人的な心の旅の記録ではあります。
が、人は、状態は千差万別であっても、肉体の構造が皆同じなように、
心の状態や世界は千差万別であっても、心の構造それ自体は皆同じかと思います。
なので、一人の人の体験が、何かの刺激になって役に立つこともあり得ると思う。
そんな気持ちで書こうと思うし、そんな気持ちで受け取ってもらえればと思います。


「自分を信じる」シリーズは、4で終了した訳ではありません。
自分を信じる、というのは、それがその人の人生の課題である場合(私もそうみたいですが)、
それこそ一生をかけて取り組むような大きなテーマなので、
本気で書こうとすると、それは今日までの私の人生みたいなもので、
毎日がこれになっちゃうし、重たく感じる人もいるんだろうなぁ、と思い、ちょっと自分も重たく感じたりもしたので、
息抜きの話題を書きました。

でも、りんたさんのコメントを読んで、また書き始めようと思いました。
これからも、このテーマは、いろいろ他の話題を合間に入れながらも、続けて
いこうと考えています。

りんたさんは、「自分を信じる」シリーズが、自分の事のようだったと感じて
くださいました。
自分を信じる、という方法がわからない、とも。

その苦しみ、わかります。
だから、探すんですよね。
こういうことには、マニュアル無いもんね。

でも、苦しんだり落ち込んだりするほうが、ずっといいと思います。

そういう苦しみを、無かったことにして、表面的にスマートに通り過ぎるより。
苦しんだり落ち込んだりすることは、無意識に解決を探していることにつながる、
と感じています。
体験的には、
「もう、いや!! こんな自分はうんざり!!」
という所まで来たとき、ふと見ると、目の前に扉があったり鍵があったり、という
感じでした。

言い換えると、苦しんだり落ちたりしている時ほど、解決の扉に近づいている、
ということなんですけど。
もっと言い換えると、苦しむ自分、落ち込む自分こそ、抱きしめたくなるほど
かけがえのない、最高の相棒なんですよ。

相棒は、苦しみあえぎながらも、いつも私を扉まで連れて行ってくれました。

私が、相棒を「いなかったこと」にして無視しない限り。
相棒を「ダメなやつ」と否定しない限り。
あなたの相棒を嫌わず、心から受け入れ、認め、一緒にいてください。
決してあなたを裏切らないはずです。

これは個人的な心の旅の記録ではあります。

が、人は、状態は千差万別であっても、肉体の構造が皆同じなように、
心の状態や世界は千差万別であっても、心の構造それ自体は皆同じかと思います。
なので、一人の人の体験が、何かの刺激になって役に立つこともあり得ると思う。
そんな気持ちで書こうと思うし、そんな気持ちで受け取ってもらえればと思います。


