写真の未来。

野町和嘉「写真」を巡って。

AIとレンマと存思(1)ー成仏の方法(12)

2022年11月07日 | AIについて

先回からの続きで、人の「意識・思考」には、現実意識である「ロゴス」と、現代では無意識とされる「レンマ」の二つがあり、さらに加えて身体が意識・思考する「ある自由意識」(仮称)もあると先回の分析により明らかにして来ました。

仮称としたのは、名称が与えらた存在としてロゴスに翻訳されると、本来の広がりが失われると感じたからですが、これからのお話しは「レンマ」や「ある自由意識」(存思)の側から眺めて、AIがどう見えるかのお話しをしたいと思います。

その前に、ロゴスの振る舞いを少しお話しします。

 これまでのお話で、ずーっとロゴスを悪く言ってきましたが、現実は確かに、ロゴス以外のものはロゴスに翻訳し説明しなければ伝わらず、「言葉での理解が理解の全てになっている」現代人にはその存在そのものも無いとされかねませんでした。

そこで「レンマ」や「ある自由意識」などの意味を伝えるには、言葉使いにも長けていなければなりません。幸いにこのブログを続けてきたので、言語に反感を抱いていた私にも(参照)、ようやく「レンマ」や「ある自由意識」を保持しながらロゴス翻訳で文章を綴ることに抵抗が少なくなってきています。

でもロゴスを疎かにしてきた訳ではありません。むしろ生存には絶対必要なものと思ってきました。仕事では、ロゴス論理たっぷりの我ながら良くできた企画書作成も経験しています。

現実生活の意識・思考では、ロゴスとレンマが融合するアーラヤ識がベースなので、本来人間は二つを調和させ生きていかなければならないのです。

しかし現実意識ではロゴスのみが威張っていて、そこに無意識と呼ばれるレンマが不意に現れると、ロゴスは不可解なものとか不合理な論理だなどと排除しようとするのです。でも渋々ロゴス翻訳でぼんやりと意味を伝えてくれたりすることもありますが、そんな差別的な状況に、さらに第三の意識である身体感覚の「ある自由意識」が加わわるとどうなるのか。

ロゴスの監視役として君臨する「超越的第三者の眼差し」は、その異人を許してくれるのかどうか、心配になります。

 先回を読んだ方は、お分かりと思いますが、「超越的第三者の眼差し」について、これは下記で詳しく説明していきます。

「中沢新一著「レンマ学」を読んで…(2) 」もご参照ください。)

 

 「超越的第三者の眼差し」とは、ロゴスの一機能であり、時間の中を線形で動くロゴス(言語思考)自身の行動全てを、常に上から目線で監視をしています。

「超越的第三者の眼差し」が正しくないと判定したものには、訂正を加えさせます。視覚からの情報で、脳の言語記憶から「猫」の名称を取り出し、その「猫の存在」を使って「それは猫である」「隣の猫である」とロゴスは判断します。しかし突然「違うよ?」と視覚が言う。直ちにその眼差しが作動します。言語記憶から「それは犬である」「隣の犬である」と言葉を取り出させ訂正を促します。これが基本の働きです。

これは、あくまで基本で、ロゴスの処理性能に合わせ複雑な対処方法で訂正を促します。違う違う!と言葉を発しさせ顔前で手を振らせる指示を身体に命じたりもします。

哲学書では、否定に否定を重ねたり目眩しの弁証法などを使ったりして、目的の主題に導こうと手管を使ったりします。

つまり、何事にも勝り神にも訂正を迫る、上から目線でです。

 コンピュータのCPUやプログラミング言語、そしてAI(人工知能)なども、このロゴスの「超越的第三者の眼差し」の機能を利用し発達してきています。

 次に、ロゴスと、コンピュータやAI(人工知能)の関係を詳しくお話しする前にこれをご覧ください。

 

私の2011年7月18日のTwitterからです。

 

 2006年3月21日に「Twitter」はアメリカで誕生しました。

日本語化された日本版Twitterは、2008年4月23日にスタートしました。

 

その少し前から、日本では新自由主義の啓蒙が始まり、Twitter上でも議論が盛んに行われました。池田信夫氏がその先鋒にあり、Twitterとアゴラ(後に池田信夫氏が代表になる)で活動を盛んにしていました。

当時のfacebookやTwitterなどのSNS(ソーシャルネットワークサービス)は、まだ生(う ぶ)で、実名で真面目な投稿も多く、匿名の煽りや冷やかしも少なく、炎上も始まったばかりでした。

その、池田信夫氏のツイートに、私は下のツイートを返しました。

池田信夫氏の主張に、私は「個人の平和が全体の平和になるのか、全体の平和が個人の平和になるのか。彼(池田信夫氏)の新自由主義は後者。」とツイートしました。

するとそこに、@masason(孫正義氏)が「己の体で主張できるほどその説を信じていますか?」とRTして来ました。このようにこの時代Twitterは誰もが真面目でおおらかでした。

しかしこの問いに、私は答えませんでした。身体のことを言葉で表現することの難しさ、そして、精神(心)のことは、心理学や哲学のスタイルでロゴス流(西洋流)に言葉で語ることは出来るが、身体のことをそんなありふれた言葉で語ればそれで済むのか?の思いに気づいたからです。

これを契機に、人生の終りに一番知りたい疑問、私のブログ「死んだらどうなるのかでこのことをさらに深く考えることになりました。

そしてそれは現在の「成仏の方法」に至りましたが、ようやく先回「身体の意識・思考」で身体のお話にたどり着くことになりました。

 

今日(2022年11月現在)、孫正義氏はソフトバンクグループを率い、新たな転進として、世界中のAIベンチャー約450社に投資をして、彼らの未来実現へのサポートを始めています。

実体経済とは連動しなくなった金融バブルが崩壊を始めていて、次の体制に移ろうとしています。ソフトバンクは既存ルールでの投資事業が今期(2022.6月期)3兆円という莫大な損益を計上し企業の毀損が止まりません。しかし社会の産業は止まることを許されず次のルールのもとで産業の糧である投資活動が求められています。

その復活に賭け孫正義氏は、AI事業への投資バックアップに余命を賭する覚悟で望んでいるようです。

そこで、@masason(孫正義氏)の「己の体で主張できるほどその説を信じていますか?」のRTが気になってきます。孫正義氏のAIへのビジョンは知り得ていませんが、その問いには、私がAIに思う事をお話ししてRTにしたいと思います。

 

これからのお話しは、先回やそれ以前の私の思考がベースになっていますので、その内容を再度説明しながら行きたいと思います。

詳しくは、中沢新一著「レンマ学」を読んで…(1)を、難しければ(2)から、そして先回の、成仏の方法(11)ー身体の意識・思考をお読みください。

 

では、本題に入ります。

 

「AI(人工知能)について」です。

 

分かりやすくお話しするために、先に概略をお話ししてから進みたいと思います。

 

・AIとは何か、どんなアルゴリズムで動いているのか。

 

・「超越的第三者の眼差し」は、AIとどう関係しているのか。

 

・データの生成、選択。AIへの入力の方法

 

・AIの問題点とは何か。

 

・将来的に、「相対性理論」が「量子論」になってゆくような変化が、AIにもあるのではないか。

 

・「ロゴス」以外の意識・思考例えば、「レンマ」や「ある自由意識」との関係は。

 

・AIは何を目指すことになるのか。

 

などを順にお話ししてゆきます。

 

では始めます。先ず

・AIとは何か、どんなアルゴリズムで動いているのか。

 

AIの実行には…

1.コンピュータのハードとOSプログラミングの作成と設定

2.AIアルゴリズムとそのプログラミングソフトの作成。

3.学習(言語)データーの生成、収集、分類。そして入力。

4.AIソフトを作動させ、値を出力。

…などが行われます。

 

そしてこれらを運用する基本思考には、「ロゴス」が使われ、例外は許されません。

AIは、キリスト教社会である西欧文明の思考から生まれました。

キリスト教、イスラム教などの一神教は「初めに言葉ありき」で始まります。

そこでは聖書やコーランなどの「言葉で語られる真理のみが真理のすべて」となっていて、その他の思考を歴史が排除し洗練を深め社会は現代に至っています。

つまり言葉が実行原理となる「ロゴス」のみが思考の方法となり、その環境で宗教も哲学も科学も生まれ発展し全世界に浸透して来ました。そしてアジアなど必ずしも全てがそうではなかった社会でもつまり全地球の人間社会では、今日「言葉での理解が理解のすべてである」が社会のルールになっています。

そんなロゴス環境をベースにして、先端科学からコンピューターが生まれ、そこにAIが生まれました。これらの進歩は「ロゴス思考」をさらに強固にし将来社会の発展を担うことが期待されています。

 

「ロゴス」は時間性と線形性を持ちます。AIも同じ時間性と線形性をもつニューロン→シナプスの脳の伝達構造を真似て動きます。コンピュータのCPUとプログラミングも同じく0と1の言語情報を時間に沿って並べ順番に処理されます。

しかし一方、「レンマ」は全体を一気に直感で掴み取り非線形性で非因果律性を持っています。そして「ある自由意識」も身体感覚で意識・思考し基本的には非時間性と非線形性で動きます。そうするとこの二つは線形性と時間性では動作しないことになるので、脳の働きではないということになるのでしょうか。

それとも脳にはそれらを動かす別の動作機能が隠れているのでしょうか。

頭脳のニューロンは1000億個~2000億個あると言われます。もしもコンピュータのニューロンにあたるCPUの数をそこまで増やせば、時間性や線形性を超えて、コンピュータ上に「レンマ」や「ある意識」が現れることになるのでしょうか。

前にお話ししたエクソソームという、血管のネットワークを通じ身体器官の間で情報をやり取りをするコミュニケーション物質があります。この顆粒状物質により、脳を介さずに身体器官同士が独自に働く事実が医学で発見されています。ロゴスである医学では十分に研究は進んでいませんが、例えば「レンマ」や「ある自由意識」とは、エクソソーム仕様のものが体内にあり協働して生まれてくる未知の意識・思考なのではないでしょうか。

レンマとは、「一即多、多即一、相即相入」の華厳の思想や、あるいは空海の即身成仏義にある「重々帝網を即身と名ずく」の「重々帝網」の思想などで、そして「ある自由意識」とは、「存思意識」の言葉で、それら姿をロゴスは説明するのですが、ロゴスファミリーであるAI(人工知能)はこのことに関心はあるのでしょうか。しかしそんなものがあるなど気づきもしていないようなのです。

こう考えるとAIは見たこともない目新しいものなどではなく、ロゴスの単なる進化形思考と理解できます。だから作動するアルゴリズムには「ロゴス」の個性の数々が色濃く反映されることになります。

 

・「超越的第三者の眼差し」は、AIとどう関係しているのか。

 

「超越的第三者の眼差し」は、ロゴス思考の機能の一つです。ロゴスが動作している間、それは常に上から目線で監視役を務めています。

例えば科学の歴史では、「相対性理論」の不完全さに対して「量子論」の発生をロゴスに促しました。そして一つの対応を終えると、ただちに次の新しい「超越的第三者の眼差し」がその上位に発生してきて、この「量子論」の不完全さを言いつのり、次の新しい対応を促します。このべき算のように繰り返す眼差しを科学発展の基本原理などと言たりしますが、これは一方、物事に終わりはない。ということであり、寿命という終わりがある人間には残酷な原理になっています。

「超越的第三者の眼差し」は、このように常に現実意識の中に「部屋の中の象」状態で存在しています。AIで頭が良いという基準は、こちらの能力が高いことを言い、記憶力や処理能力に優れているというIQ的頭脳は、コンピュータのCPUの性能であり、まもなくシンギラリティで凌駕されることになっています。

しかし、日々の思考の間、我々はこの「超越的第三者の眼差し」の存在を自覚認識しているでしょうか。「レンマ」思考の側から眺めると、ロゴスの個性がよく見えます。言葉にサポートされ時間の中を線形性で動くロゴス思考の間中「部屋の中の象」のようにしてこの「超越的第三者の眼差し」が常に目を光らせているのが良く分かります。

 

この「超越的第三者の眼差し」の原理を使い、AIは作動しています。

AIのアルゴリズムは、この原理実現のための設計図になります。

ロゴス思考が細部にまで漏れずに及び、AIは作動しています。

 

AIの、機械学習、ニューラルネットワーク、ディープランニングなどは、脳のニューロン→シナプスの情報処理構造を真似て改良を続ければ脳の機能の全てが再現コピーできて、やがてそれを上まれるようになるという予想のもと設計されています。そしてその道程とは「超越的第三者の眼差し」の監視があれば、AIの進化がロゴス思考の進化に、さらに人類の進化にまで続くという楽天的な希望に基づいています。

 

・データの生成、選択、AIへの入力の方法

 

AIは文字データの入力から始まります。文字データとは、ロゴスが思考に用いる「存在」に相当します。「存在」は言語思考の二項分類(選択=暗いがあるから明るいが存在する)で生成され、ロゴスはその「存在」を単位に思考をしています。

先回を参照ください。

そしてAIの動作も、その「存在」を様々操作し「新しい値の存在」を得る作業に他なりません。

 

「日差しが眩しいのでブラインドを下ろした」。

この「無意識」の動きは、ロゴスの意識からではありません。

この動きの後にロゴスは、日差し、眩しい、ブラインド、下ろす、など、予め「存在」として記憶されていた言葉を脳の言語記憶の中から取り出し、文字に表現できる「存在」として意識上に生成します。そしてその生成を現実意識の思考単位にしてロゴスは思考を開始します。例えば、「天気が良くなってきたなあ。」などと呟く現実意識です。

つまり、呟く以前、無意識の状態では、まだ言葉(ロゴス)は無く「存在」も未生なのです。

 

AIはこれまで「超越的第三者の眼差し」の指導で、「無意識」の「存在」を感じたことは無かったのでしょうか。同じ意識の仲間なのに一括りに「無意識」と名付け無縁なものとして「レンマ」や「ある自由意識」のことを考えようともしなかったのでしょうか。入力データの候補としては考えなかったのでしょうか。

コンピューターはその「存在」を0と1のコンピュータ言語に翻訳して動作します。しかし0と1では「レンマ」の直感は働きません。ロゴスとレンマが協働して働くアーラヤ織が現実意識の基礎にあるのに、ロゴスはレンマを排除しこれを進歩と言うことにしたのでしょうか。

もしAIに、この「無意識」を認知できるシステムが可能になったら、ギリシャ文明以降のロゴス主導の西洋文明を変えることになるかも知れません。

科学はロゴスの優れた下僕であり、そのファミリーの数字や数学思考もやはり「無意識」とは無縁の関係にあります。アルキメデスのお風呂場でのひらめき、比重の発見は無意識の功績のようにも思うのですが…

このようにAIは、無意識とは無縁を貫き、ロゴスの言葉でラベリングされた言葉の「存在」のみを入力することが最善と考えるようになります。

しかし言葉は、「存在」を指差す指であり、単なる情報であり「リアル」ではありません。だから「言葉」を眺めたり切り刻んでも、例えば「月」の文字を真剣に眺めても、そこからは月(リアル)の新しい謎は発見できません。

ですから、AIのアルゴリズムで、入力値(言葉)をシャフルし新しい値が出で来たと思っても、ロゴス的人間がこれまでに発見してきたこと以上に、その出力に謎はありません。ただ、その結果により謎(リアル)発見へのモチベーションが出てきて、新しい価値が生まれたと感じるに過ぎません。

「レンマ」や「ある自由意識」から見ると、AIからはそんなレベルの値が出力されているように見えるのです。

ではそこから、ロゴス的人間にはどのようなモチベーションが促されるのでしょうか。

例えばそれは、量子論では観察者が観察をして初めて存在の値が決定しますが、そんな価値の発生から思考のスタートが促されることに似ています。

 

少し長くなりました。今回はここまで。次回は、AIの分析をさらに深め問題とその解決をお話ししたいと思います。