写真の未来。

野町和嘉「写真」を巡って。

始めに。

2006年12月26日 | 始めに
野町和嘉「写真」の写真を見続けて35年になりますが、その魅力を語ろうとすると、どうしても綴る言葉の間から、写真がこぼれ落ちて行ってしまいます。
文章力の拙さからかと思いましたが、そうでもないらしい。他に聞いてみると、ただ「感動した」とか「打ちのめされた」とか、客観を装っていても「原点にもどれる写真」だとか、結局、写真の魅力を語るのではなく、野町和嘉「写真」と出会ったときの、自分の感情や心情を語っている感想に出会うことが多く、やはり写真がこぼれ落ちている。

写真は、言葉と相性が悪いのであろうか。それとも何か秘密が隠れているのだろうか。
フランスの思想家ロラン・バルトは、有名な写真論の中で、言葉で言い表せない写真の魅力を、それは「プンクトゥム=見る者を突き刺す」があるから。と言いましたが、名前を付けたからと言って、理解や納得がえられた訳でなく、言葉の屋上屋を重ねて、分かったように見せかける、言葉の悪い性癖が出たような気がしています。

これからこのブログで、野町和嘉「写真」の魅力を、言葉で伝える努力をしてゆきます。しかし私は幼少から、特に高校生になったあたりから、言語には敵意を持っていて、心の中で、決して主役を演じさせてはならないと、直感的に思ってきました。「言霊」とか「真言」とか言葉の威力で何かをすることに、その目的は良しとしても、手段としての「言葉」にアレルギーを感じてきました。しかし今、伝達手段として言葉を使っているのは事実ですし、言葉以上の伝達手段の代わりは、今のところ見つかってはいません。ですから、先々言葉で言葉を語る自家中毒が予想されるのですが、つまり悔しいのですが、「色即是空、空即是色」の昔人と同じ遠回りな利用手段を取らざるをえないのではと、少し言葉に譲歩して進めたいと思います。

このような書き出しをすれば、ブログを始める私の動機の説明になるのでは、と思うのですが…。


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この写真は、35年前野町和嘉が初めてサハラを撮った中の一枚です。

野町和嘉「写真」オフィシャルホームページ