写真の未来。

野町和嘉「写真」を巡って。

レンズの自由意思- 5

2010年04月06日 | 「レンズの自由意思」
 インターネットの登場で、写真の需要は、爆発的に増えたと言うのに、反比例して、プロ写真家の写真は、急速に露出を減らしているのは何故なのだろうか。写真集、雑誌などのメディアの衰退と軌を一にしているから。さらに、インターネットに写真を出しても、課金システムが機能せず、また簡単にコピーされ著作権が守られないから。つまり、インターネットはプロ写真家には敵であるから。などが理由で、プロ写真家には表現とビジネスの場が減少し、衰退の途上にあるということになっているのだろうか。

つまり、インターネットの出現で、社会や文化が、情報革命で大きく変わろうとしていることと関係しているのですが、では、その変化とは何か。その変化の未来とは何か。を知れば、プロ写真家の写真にも、復活が可能になるのだろうか。

先ず、インターネットで写真の需要が爆発的に増えた理由から見てみましよう。

インターネットは、言語思考をサポートするために発明されたコミュニケーションツールですが、そして、この新しく出現した発明品の説明に、「Home Pages」という、bookの概念(言語思考)をあてました。
人間は、新しいモノを表現し伝達する場合、「既存」の概念や言葉でしか、未知や未来を表現出来ないので、既存のbookの概念を使ったのは仕方のないことなのですが、でも、「 Pages」とは、ページをめくり、読み進んで行く、つまり線形的なのですが、webコンテンツでは、バケツの中に投げ入れられた情報を、リンク或いはタグで掬い上げるような、つまり非線形的な動きが出来るので、「Home Pages」という名称は、本当はあまり正確ではなかったのです。
確かにwebは、言語思考をサポートする期待から、bookの概念で発明されたものなので、間違いではないのですが、しかし、例えば、今流行のTwitterでは、文字を書きそれを読む手続きが、便利になったと言っても、煩雑で遅くて、人間は、究極、テレパシー的(無意識)理解を望むので、もどかしく思っているのも事実なのです。活字人間には辛い話ですが、インターネットでは、web = 言語 = bookの概念 =「Home Pages」=「理解」の関係は、希薄になる運命にあるのです。
そして写真についてですが、写真は、その言語理解の遅さをカバーするために、つまりエンジンをサポートするターボ機能のような役割で使われています。前回からお話ししてきた撮影法で言えば、第五の、言葉の代わりや言葉理解のサポートのために撮影された写真が、爆発的に増えているのです。
でも動画に取って代わられるのではないか?。の疑問については、動画は、bookの概念と同様、線形的で、見終わるまで、つまり理解までに砂糖が溶ける時間を待たなければならないもどかしいツールなので、人間が望むテレパシー的(無意識)理解には、直感的な写真の方が重宝がられると思います。

言語思考をサポートするために発明されたインターネットなのに、使ってみると、言語思考や言語理解のスピードは遅かったんだ。と気付かされ、また人間は、究極、テレパシー的(無意識)な理解スピードを望んでいることも分かってくると、インターネットでは次の技術進歩が期待されるようになってきました。

有史以来、言語思考の進化が進み、今日では、言葉での理解が理解の総てになっているのに、言語思考や言語理解のスピードは遅かったんだ。と言うことになると、革命の芽が芽生えることになり、所謂インターネットの「情報革命」とは、この内容を語らなければならなくなってきています。

先回から、「レンズの自由意思」のタイトルで、写真の能力についてをお話しをしてきましたが、その理由は、写真は「情報革命」で、言葉エンジンのターボ機能などではなく、革命の主要なツールになるのではないか?。と思い、それには写真本来のパワーを取り戻さなければならず、そこで今一度、新しい視点で、写真の機能、能力を知っておきたいと考えたからです。

これからの「情報革命」の進歩とは、言語思考では、「ページリンク」が言語理解と言うことになるだろうし、写真は、撮影者の「無意識」を写し撮ることが出来、鑑賞者もそれを感得できるので、本当のテレパシー能力以外では、写真が一番、理解スピードが速いツールということになるでしょう。
また、絵画などのモダンアートは、現在は、言葉での理解が理解の総てになっているので、表現も粗い知性である現実意識(言語思考)を満足させる作品が多くて、そのライバルは村上春樹になっているのですが、本当の幸福感を感じるのは「無意識」なので、今の表現法を言語思考対応から、新しく「無意識の意思」対応に変えなければならないことになるでしょう。

活字人間には辛い話ですが、人間にとって「理解」とは何か。を巡って、心、意識、脳、肉体、感覚器官などの人間内部。そして、インターネット、写真、絵画、音楽、芸術、知識、科学、思想などの外部ツール。法律、自由主義、民主主義、などの社会体制。などが、根本から総て問い直される、その入り口に、間もなく立たされることになるでしょう。