オペラ「天国と地獄」はフランスを代表する[喜歌劇)オペレッタであるが当時オッフェンバックの時代、オペレッタのジャンルは確立していなくあえて
オペラ「天国と地獄」と明記させて頂きます。何故ならドイツ出身でありながらのオッフェンバックが活躍した1800年代真っ只のパリ、ナポレオン3世の成金ブルジョワ時代に加えて
パリが世界に発信した文化に、パリ万博やエッフェル塔完成等があるが、これは外せない話題としてオッフェンバック率いるブッフパリジャン座のオペラがあります。
当時フランス内務省の検閲と戦いながら歴史的名作「盲目の二人」を発表し、その人気に気をよくしたオッフェンバックは赤字解消にと、とてつもない不朽の名作オペラ「地獄のオルフェ」を発表します。
初日以来大人気で異例の超ロングラン公演となり当時のパリからヨーロッパ中に噂となりました。
当時は「オペラ」と銘打って上演されていましたが、その大人気にこの作品はやがて音楽の都ウイーンに登場します。当時ウイーンで流行りだした季喜劇的オペラ(民族ダンスが加わったオペラ)と合流。その民族オペラがゥウイーンにおいて大きな葉を咲かせます。オッフェンバックがウイーンに登場して以来、そのオッフェンバックに影響を受けたが如く、次々とウイーンのオペラ作曲家達が登場し、やがてオペラのジャンルから飛び出したように新しいオペラのジャンルのオペレッタ(喜歌劇または軽歌劇)のジャンルが確立され、今日に至っています。やがてこのオペレッタもミュージカルに発展しますが。
この度の川口シティオペラの公演の「天国と地獄」はこんな作品です。題は邦訳で「天国と地獄」ですが、物語の内容が現世と冥界から成り立っているので邦訳にこのようなタイトルが
つけられたのでしょう。本題は「地獄のオルフェ」と言います。
この作品に感動していたオフィス松山はパリを訪れた際モンマルトル墓地の有名文化人達の墓地めぐりの際にオッフェンバックのお墓を見つけ、挨拶しようと、ふと墓の前に立つと以前からあった妄想癖が始まり、オッフェンバックと会話していたのです。以来日本に帰ったらこの「天国地獄」をと考えるようになり、大阪の近鉄劇場において関西初演的上演を果たしました。
「このように今回上演の川口シティオペラ第8回公演「天国rと地獄」はオフィス松山のオペラ人生にとって欠かせない作品でもあります。
オフィス松山のシテイオペラにかけるポリシーは参加合唱団が市民で構成される事、参加子供合唱団が市内の子供達である事。市や市の文化行政課や市内の公立会館の後援がある事。
これらが市民オペラの形態を持つシテイオペラとして文化実践活動してきた経緯です。
このようにシテイオペラ(市民オペラ)は地域の文化コミニュニティの向上につながると確信しています。
それは舞台をご覧になればご理解頂けるものと思っています。どうぞ劇場に!オッフェンバックと同じく”面白くなければオペラじゃない”です。
オペラは客席と舞台が創り上げるもの一体となってこそ文化享受の道の道が開けるといううもの!
さて、、、