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後で考えます

多分映画の話題。でも映画好きで、これから見たい方は読まないほうがいいです。

UN BALLO IN MASCHERA

2009-07-14 20:24:24 | オペラ
Conductor: Maurizio Benini
Ramon Vargas, Anna Christy, Dalibor Jenis, Angela Marambio
数日旅行にいったりしていたら、このオペラのことを書くのを忘れていた。忘れるほどひどくはなかったのに。Vargas君をきくのは本当に久しぶり。どうしているかと思ったら、元気でROHに復帰してくれた。声は昔の線の細いリリックなものより、少し太くなって、貫禄がでてきたようだ。けして見かけのいい人ではないけれど、見苦しくはない。見苦しいのはAmeliaのAngela Marambioだ。歌はまあまあだけれど、デブで、スタイルが抜群に悪い。登場人物が舞台に大勢いると、余計デブさと下品さが強調されてしまう。RenatoのJenisというひとは声は大きいけど、きめが粗くRenatoの苦悶などこれっぽちも伝わってこなかった。OscarのAnnaはきれいな声で、明るく、役にぴったり。Vargasのほかは二流の舞台だった。

IL TROVATORE

2009-04-19 05:48:43 | オペラ
Conductor:Carlo Rizzi
Count di Luna:Dmitri Hvorostovsky
Leonora:Sondra Radvanovsky
Azucena:Malgorzata Walewska
Manrico:Roberto Alagna
このモシンスキーの演出をみるのはこれで三回目。最初はホセ クラ、次はアルヴァレス、今回はアラーニャ。前回のがとてもよかったので、今回も期待したのだが、どういうわけか裏切られた感じがする。ロベルトはなにか最近落ち着いて、ガラが小さい割りに歌はスケールが大きくなっているのだが、今回は最高潮とは言えず、マアマアぐらいか。ルナはいつもドミトリさんだったと思う。最初の時はへんな黒い鬘をかぶっていた記憶があるが、今回は自髪で、真っ白だが、ふさふさはしている。歌もめりはりがあって、りっぱ。これで女性軍がよかったらいいのだけれど、二人とも最初がひどい。後半になって持ち直したのはたしかだが、記憶に長く残る歌手たちではない。

舞台装置はあいかわらず回転にじかんがかかりすぎ。二幕目のかまどみたいなものは相変わらず大きすぎて、舞台のほとんどを占めている。この演出もこれでおしまいにして、次回はもっとすっきりやってもらいたいものだ。

このオペラは歌は最高なんだけれど、やはり筋はひどい。リゴレット以上に納得がいかない。まんなかあたりでマンリコは自分がルナの弟だと気がついているのに、どうしてだまって死んでしまうのだろうか。母親に義理立てしたのか。レオノーラだって、マンリコが牢から出ることができても、オペラのことだから、彼女のいないこの世なんてがまんできず死ぬのにきまってるではないか。ルナは生き残ってもこれから先苦しみの生活が待っているだけだ。とにかく登場人物全部を不幸のどん底におとすのが目的のオペラだ。その代わり音楽は覚えやすく、美しい。

行ったかいはあったけれど、少し期待はずれの日だった。

DIDO AND AENEAS/ACIS AND GALATEA

2009-04-12 17:02:47 | オペラ
Conductor
Christopher Hogwood
DIDO AND AENEAS
Dido: Sarah Connolly
Belinda:Lucy Crowe
Aeneas:Lucas Meachem




Galatea (sung by):Danielle de Niese
Galatea (danced by):Lauren Cuthbertson
Acis (sung by):Charles Workman
Acis (danced by):Rupert Pennefather




この前に見たベリーニがすばらしかったので、ROHは最近なかなかいいではないか、と思ったら、少し裏切られた。短いオペラが二つ。最初のはパーセルで、この主題のものは他の作曲家でもきいたことがある。緩やかなメロディーで美しいが少し単調。歌手はConnollyがすばらしいが、AeneasになるMeachemはちょっとスケールが小さい。

次のはヘンデルの作曲だが、あまり有名でないもの。最後のコーラスがよかったが、どちらかというと眠くなるようなもので、これはヘンデルがまだ若いときに作曲したもだそうだ。ヘンデルでも若気の至りか、もうすこし修行を積んだほうがいいだろう。

二つとも歌とともにRoyal Balletのダンサーたちが踊るのだが、これが前の日に見たMaliphantみたい。動きといい、衣装の単調さといい、そっくり。衣装などMaliphant以上にミニマルで、体の線をぴったり包むだけ。よっぽど伸縮自在の布を使ってあるのだろう。足など上げすぎて切れてしまったらタイヘン、などと変なことを考えてしまった。

舞台はふたつとも簡素だが、二つ目のAcisの使われていた枯れ木のオブジェみたいなものが面白かった。テイトモダーンの巨大な展示物みたいなものだ。

I CAPULETI E I MONTECCHI

2009-04-03 23:37:12 | オペラ
Romei: Elina Garanca
Giulietta: Anna Netrebko
Capellio: Eric Owens
Tebaldo: Dario Schmunk
Condactor: Mark Elder
ROHでのベリーニ版ロメオとジュリエット。このオペラは名前は知っていたが、聴いたのは初めて。グノー版のほうが有名だが、これは思ったよりずっと良かった。グノーとの筋の違いは恋人二人に焦点をあわせるより、ヴェロナでの二つの家の政争が物語りの大筋になっているところか。最初も二派のチャンバラから始まる。この戦いは真ん中ぐらいにも大々的なものがあって、ひとも何人も死ぬ。こんなに数日間に何回も争って人死にがでていたら、すぐに両派とも死に絶えてしまうだろうに、と思ったほどだ。

舞台装置は何本も柱が立っている他は簡素で、暗い。と言ってもこの間のオランダ人ほど安っぽい感じはしない。最後はジュリエットの家の墓で終わるのはシェークスピアの劇と同じだ。ここではジュリエットは床に直接寝ていて、なにか寒々しい。棺の中とは言わないまでも、せめてちょっとした台の上とかに死体を置かないものだろうか。

音楽はとても優美でそれぞれの歌手の歌がきっちり分かれていて聞きやすい。なるほど少し前に見たYoung Victoriaの中で女王がベリーニが大好き、というのが分る。ヴェルディほど大衆的親しみ安さはないけれど、本当にこれが19世紀のポップなんだろう。その割に最近はドニゼッティはよくやるが、ベリーニの上演回数はとても少ないのではないだろうか。このオペラがとてもよかったので、ぜひもっと彼のオペラを聴きたいものだ。一番有名なノーマでさえ最近上演されたのは聞いたこともない。

歌手はもちろんアナは絶好調だが、いままで名前しか知らなかったGarancaがすばらしい。主役の彼女が出てくるのは2、30分してからで、その前は両家の男共が争っている。そこらへんでジュリエットと結婚したいTebaldoが大活躍なのだが、このテナーはどうしたことか声量が足りない。そこに出現したロメオのElina Garancaは出てきたとたんにすごい声量と美声で他の男共を圧倒してしまった。女性ではあるけれど背もかなりあって、これは大スターになるに違いない。写真で分るとおり、かなり見栄えのする顔で、ちょっと骨ばってるところが男役にはぴったりだ。なにか宝塚の男役スターみたいだ。




アナももちろん負けないぐらいよかったが、私には今回はGarancaをはじめて聴いたオペラとして記憶に残ることだろう。アナは少し前にMETのルチアで聴いたが、今回もやはりちょっとふっくらしていて、ジェイン オースティン風の胸の下からふわっとしたドレスでも13歳にしては超グラマーなところは隠せない。

この二人音程は高低の差はあっても声が少し似通っていて、二人で二重奏を歌うと、一人が二役で歌っているように聞こえる。二人がすばらしかったので、これでかなり出番はあるテナーのSchmunckがもっとよかったら満点のオペラになったに違いない。


MADAMA BUTERFLY

2009-03-16 18:43:01 | オペラ
このオペラはずいぶん長い間毛嫌いしていたものだ。もちろん筋に問題がある。日本人としてやはり芸者が自殺する話など見たくはないものだ。ところがドミンゴのでたDVDを見る機会があって意見をころりと変えてしまった。そのDVDでも演出はビックリ仰天のものだったが、音楽の美しさに圧倒されてしまったのだ。今回も同じ。とくに一幕のすさまじさにはまたビックリ。いまだに外国人から見る日本とはこんなものなのか、と逆認識させられた。まず最初に喋々さんが日本舞踊を踊りながらでてくるが、扇を投げて受け止めるところで失敗。その後のとくに喋々さんの親類の女性たちがすごい。なんとも形容しがたい着物すがたの女性たち。色がドハデで、喋々さんも影に隠れるほどだ。二幕目の最初にまた日本舞踊もどきがでてくるが、足がバレー風にものすごい外又。これには笑ってしまった。子供は操り人形で、文楽からとったものだろう。これは案外よくできていて、動きが自然でアタリ。しかしながら顔が全くかわいくないのはどうしてだろうか。

これは数年前にENOで始まったミンゲラの演出によるものだ。全体の演出が(日本人には)ビックリ仰天のものだが、やはり音楽は美しい。主演はGallardo-Domasのはずだったがどうやら違う歌手だ。うっかり名前をききもらした。歌はなかなかよろしいが、ちょっと中年オバサン風。ピンカートンはファウストになったGiordaniで、まあまあ。脇役もみなうまい。

今回のホスト役はフレミングで、彼女も紙を見ながらのインタビューだったが、前回のデュッセイよりよっぽどうまかった。ハンプソンもうまかったのでこう場慣れしているのはアメリカ人のお国柄か、と思ってしまった。

もちろん最後はまた全員のスタンディング オベーション。ああまたか、というところ。こうなるとスタンディング オベーションが無いということはよっぽどひどいんだろう。いままで見た中では一度もなかった。つまりはスタンディング オベーション=普通orまあまあか。

DER FLIEGENDE HOLLANDER

2009-03-10 18:33:50 | オペラ
この日は珍しくオペラの二本立てをしてしまった。昼間にいったのがオペラハウスのこれ。主演はブリンで二時間半ほどのオペラをインターバルなしで一挙にやってしまう。舞台はほとんど何もなく暗い床がかなり急な坂になっている。前のほうが二メートルほどプールになっていて水がはってある。私は上から見ているので、なおさら急に見えるのかもしれないが、歌手が足をすべらしたら水にはいってしまうのではないかと思ったほど。もちろんたまには歌をうたいながら水にジャブジャブということにもなる。

オペラはワグナーの若いときにつくったもので、どちらかというとイタリアオペラみたいにきこえる。時としてヴェルディとかベリーニみたいと思ったものだ。このあとでワグナーらしさがでてくるのだろう。ブリンの最初はながいアリアではじまり、これは去年彼がO2でのコンサートで歌ったのを覚えている。あの会場は音響効果がひどいもので、あれではだれが歌ってもよくは聞こえないだろう。ここオペラハウスではやはり音はすばらしい。しかしいくらブリンでも最初は声がでていない。それはどの歌手も同じで、いつものことだから、少し歌いなれるのを待つしかない。

音楽とか歌手はなかなかよかったけれど、いけないのは舞台。前のほうの水はいいとして、全体あまりにも暗すぎる。2幕目ではセンタは女工ということで、何台ものミシンの列が現れる。次の幕ではオランダ人の船からの踏み板みたいなものがある。もっといけないいのは衣装。たぶん二十世紀真ん中ぐらいの想定で、男は外に出ればだれでも着ているような薄汚いかっこう。女性はこれ以上安っぽいものはないだろうというぐらいペラペラなワンピース。もちろん地上の人々は労働者なんだろうけれど、あまりに薄汚いと見ているのがいやににってくる。2時間半ものながいオペラを飽きさせずきかせるのはいいけれど、この演出でまたもう一度ぜひ見たいかというと、疑問だな。

RIGOLETTO

2009-03-02 11:14:56 | オペラ
Duke: Francesco Meli
Rigoletto: Leo Nucci
Go;da@ Elateroma Soiroma

Anvilで昔のロック熱が再発したと思ったら、今度はオペラ。それもオペラ中のオペラとでも言うべきリゴレットに行ってきた。これを見て、いやはや、オペラ、特にヴェルディというのは19世紀のヘビーロックあるいはポップみたいなものだ、というのが私の感想だ。彼のオペラをいくつか見てみると、メロディーは似てるし、リズムなんかみな同じ。ほとんど3拍子で調子がいいったらない。最初の公爵のアリア、Questoからして一度きけば口ずさみたくなるメロディーばかり。音楽が進むにつれて、観客の感情も一途に登りつめて、最後の「呪いだー!」で終わる。まるでヘビーロックの頭が真空状態になるような大音響のコンサートみたいなものだ。きっと後数十年、百年しても、ビートルズとかストーンズの音楽を再演するトリビュートバンドが尽きないことになると、ママ ミア!でアバの音楽がいつまでも親しまれるのも、つまりはオペラ=POPということなのだろう。

ところでこのオペラの筋はいくら考えても納得がいかない。悪いやつがはびこって、かわいそうにリゴレットと娘のジルダは不幸のどん底に落とされてお終い。まあこれが昔も今もある現実なのだろう。そういえばオペラにはハッピーエンドとか勧善懲悪なんてものはあまり存在しない。悲劇のほうが観客の心に長く残るのだろう。ヴェルディはオペラ作家のなかでも抜群に人殺しの多いひとで、初期のエルナニなんて登場人物のほとんどが死んでしまう。その他トロバトーレ、椿姫とか主人公の死で終わるものがほとんどだ。その中でも後味のすっかりしないものの第一がこのリゴレット。それにも関わらず、一番の傑作もこれだ。

このマクヴィッカーの演出は私はこれで3回目ぐらいだろうか。最初の時の過激な演出にビックリしたが、2回目はちょっと抑えてあってまた驚いた。今回は最初に近くなったのかな。ENOではこれほど過激ではなかった。前に見たときはリゴレットはPaolo Gavanelli だったのは覚えているので、今回は名前だけは知っているLeo Nucciのほうに行ってみた。公爵は一回目はアルヴァレスで、歌は確かにすばらしいが、お腹がでていて、衣装がパンパンに膨れ上がっていた。今回のテナーは初めてのひとで、最初のアリアの時はまったく声がでていなくて、拍手もほとんど無し。しかしすぐ持ち直して、後のアリアでは拍手喝采。ジルダも最初はよくなかったが、最後の幕のあたりではまあ合格点。この二人ともあまり美男美女と言いがたいけれど、目をつむろう。

最初からよかったのはやはりリゴレットのLeo Nucci。ただこの人は背がかなりあって、背の高いせむしというのはちょっと奇妙だけれど、歌の立派さで許す。彼をwikiで調べたらいま66歳。ドミンゴより1歳若い。たぶん絶世期は過ぎているのだろうが、まだまだ現役で歌える歌手だ。もうあと数年はがんばってまたコベントガーデンに来てもらいたいものだ。

特によかったのが有名な四重唱。ここら辺でもうオペラの醍醐味を満喫することになる。これは前に何回も見ているので今回の切符は買うのを躊躇したが、来てみるとやはりいいもので、これからもこういう有名通俗オペラは見逃さず来てみる価値はある、と痛感した。さて次はブリンのオランダ人。

DIE TOTE STADT

2009-02-03 09:34:55 | オペラ
Conductor: Ingo Metzmacher
Paul: Stephen Gould
Marietta: Nadja Michael
Frank: Gerald Finley

エロール フリンの好きな私はこのオペラの作曲者のKorngoldにはなじみがある。しかし映画音楽のほかはヴァイオリン協奏曲がとても好きなくらいで、なじみがない。このオペラも名前は知っていたがいままで聴く機会が無かった。オペラハウスでも80年ぶりぐらいの再演らしい。Korngoldなんてあまり人気はないのだろうか。それとも映画音楽作曲家というので軽くみられているのか。フリンの映画は最近何本かみたので、その音楽のすばらしさはよく覚えている。

このオペラは彼が23歳のとき書いたそうで、たぶん過去の作曲家とかその当時の彼の先生などの影響が大きいのだろう。一幕目の真ん中のあたりなど、これは絶対聴いたことがある、何だろう、と頭の中がいっぱいになってしまった。数分たって、ああこれはマーラーの「大地の歌」だ、と気がついた。特に「大地の歌」の最後で「永遠に。。。。永遠に。。。」と長く伸びるところにそっくりなのだ。あとで読んでみると確かにマーラーはKorngoldの先生だったのだ。マーラーはオペラの指揮者だったにもかかわらず自分ではオペラを書いていない。もし若いころ書いていたらこのオペラみたいなものだろう、と想像される。

全体に優美な旋律で、筋は妻を失った男が妻に似ている女性に恋するが、相手にされず彼女の去った後悪夢を見る、という若者にしてはやけに暗い、おどろおどろしいものだ。彼の住んでいる土地がブルージュということだが、舞台上でそれらしきところはない。それとも途中であるカーニバルの場面はブルージュから取ったものだろうか。全体に暗く、スポットライトを多用している。

歌手は主役の二人はあまり良くない。Stephen Gouldは半分ぐらいまで声があまりでず、よくこれでここの主役に抜擢されたものだ、とおどろいたほど。背はかなりあるが、そうとう太っていて、それも背中のほうに肉が盛り上がっているかんじで、茶色の背広だが、やけにかっこうが悪い。それでも最後のほうでは少し声も改良されたみたいで、まあこれなら聴かれる、という程度。MariettaのほうのNadjaも最初はボリュームが全く無く、美しい声でもない。彼女も声は歌うにつれてよくはなってきたが特別記憶にのこるソプラノではない。ただし、スタイルはとてもいい。これで考えたのは先週のMETの中継のことだ。あれではやはり声はアンプを通して巨大なスピーカーで聞こえるのでボリュームが無くてもうまく聞こえるのだろうか。というのはkoniさんのサイトでOrfeのことを読んだのだが、彼はユーリディーチェの声はボリュームが少ないと書いていた。私がみた映画館での彼女はすばらしい技巧とボリュームで圧倒されたが、あれはやはりアンプで改良された声だったのかもしれない。しかし私はオペラはナマでなければいけない、という完全主義者ではないので、ナマよりすばらしく聞こえるのならそれでもいい、という考えだ。

友人のFrankになるのがGeraold Finleyで彼のほうが歌も外見もかっこよく、去年のDr Atomicの時の好演を思い出した。この春にENOでDr Atomicをやるので、機会があれば行ってみたいものだ。

ORFEO ED EURIDICE

2009-01-25 06:25:37 | オペラ
またまたMet。前回キャンセルされたので、今回は映画館に念を押しておいた。確かにやるとのことで。かなり安心していった。今回は6時数分前に入ると、もう画面は明るくなっていた。6時ぴったりにイントロダクションと指揮者レヴァインのインタビューが始まった。このオペラは一時間半と短いのでインタビューは前にやるのだな。しかしなんかおかしい。レヴァインさんはもちろん普通よりふくよかなんだけれど、それにしても幅広すぎないか?また映写の縦横の比率が間違っている。これは前にもあったことで、私が文句をいったらその時は直してくれた。今回もだれも立って文句をいわなそうなので、私が出て行くことにした。幸いまだ数分はインタビューが続いていそうだ。わざわざエスカレーターを乗り継いで窓口まで文句を言ってきた。

幸いオペラの始まりに間に合って、ちょっとすると画面を調節している様子。ああ良かった、と思ったのに、調節が終わったら前と同じではないか。もう一度文句をいうのを諦めて音楽に専念することにした。

舞台上に4階建てのテラスみたいなものがあって、老若男女の群集が百人ぐらいだろうか、一列に立っている。見ると白人黒人東洋系やら、あらゆる人種がいる。服装もエジプトの神官、アメリカインディアン、ヨーロッパの貴婦人やら全員がありとあらゆる服装をしている。ヘンリー八世みたいなのもいる。これがイントロダクションの最初にあった全世界の今まで生きてきた人間たち全部を代表しているんだな。

一番下には数十人の男女。こちらは服装はまちまちとはいえ、現代風ということでは統一がある。その真ん中に黒い服を着た男とも女ともいえないようなデブがいる。始まってみるとこれがオルフェ(Stephanie Blythe)。背も相当高いひとだが、画面のせいでそうとう太って見える。しかし歌いだすとすばらしい声で一言で観客を虜にしてしまった。このオペラでは全体の3分の2ぐらいはオルフェだけが歌っている。オペラにしては珍しく、ちょくちょくオーケストラだけの部分があって、ここの間をもたせるために一階にいるダンサーたちが踊り狂うのだ。服装がまちまちなように振り付けもまちまち。全員が統一して踊るところでも振りをぴったり合わせるなんてことはしないので悪いけどうまいんだかヘタなんだかわからない。時々二人ずつカップルになって踊るところがあるが、男女だったり、男だけ、女だけのカップルもいて、どうもこれは現代の恋愛関係を示しているのだろう。

3分の2もすぎてやっとユーリディーチェの登場。これがDanielle de Nieseで、白いドレスと波打つ髪でなんとも美しい。彼女は前に数回ナマできいたことがあって、今回もすばらしく、彼女の歌も演技も益々磨き上げられているのがわかる。声も美しく、特にこの役ではものすごいまでの緊張感が感じられる。オルフェも最初はこの緊張感が感じられたが、一時間近く一人で歌っていて、少しだれたのだろう、ユーリディチェの登場で彼女のピンと張り詰めたような緊張感が一段と勝っているのがわかる。Danielleはスリランカとオランダの混血の人で、ちょっと色が浅黒いが、顔といいスタイルといい抜群。彼女とオルフェのやりあいの場面では、こんなに迫られたらオルフェでなくても彼女のいうことをききたくなるのは当然とまで思わせる。ここの場面だけは山道みたいに坂になっている。

このオペラは前にDavid DanielsでROHで聴いたことがある。その時はコンサートパフォーマンスだったので、舞台装置など無かった。DVDではコジェーナの歌ったのをもっているが、これも相当変わった演出で、今回も負けず劣らず風変わりだ。音楽はバロックの極致、なにか現代風ミニマリズムに通じるところがある。一種、催眠術的なところがあって、頭の中が空洞になってしまうのだ。音響効果もすばらしく、たぶんナマで見るより大音響なのだろう。ロック音楽の大音響の中でもこれに通じるものがある。こうして映画館で見るのは劇場の最上席で見るより映像としては上等なのかもしれない。歌詞が下にでるのも画面と文字を両方見られてよろしい。先月映画のLa Bohemeをみたが、このMETのナマ中継のほうがずっとよかった。

観客も回が進むにつれて増えているみたいだ。また最後には全員のスタンディングオベーションで終わった。次は2週間後のLucia di Lammermoor。

PARISINA

2008-12-07 17:46:57 | オペラ
David Parry conductor
Carmen Giannattasio:Parisina
José Bros:Ugo
Dario Solari (Nicole Alaimo?):Azzo
Nicola Ulvieri:Ernesto
Ann Taylor: Imelda
Geoffrey Mitchell Choir

ドニゼッティのパリシナというオペラのコンサート パフォーマンス。今回はフェスティバルホール。舞台の後ろにかなり大きな四角いスクリーンがかかっていて、いったいなんだろうと思った。始まって見るとそこの下部に字幕が出る。このホールでは前は字幕は電光掲示板で、それもやけに小さくて見にくかったので、今回の字幕のほうが大きくてとても見やすい。しかし私たちは一番前の右側に座ったので、コントラバスが時としてじゃまになる。スクリーンは映画でも写せるぐらい大きいものなので、もう少し下から三分の一ぐらいに映してくれるといいのに。まあ、これは贅沢な文句かもしれない。

ドニゼッティは何十ものオペラを書いた人で、もちろん私はこれも初めてきいた。いくつかは前にもきいていたが、コメディをのぞいてはどれも似通っている。しかしどれを聴いても圧倒される。このオペラも五人しか出てこないし、三人の愛情のもつれにすぎないけれど、聴いていると胸が高鳴って、スケールが小さいことは全くない。全体に美しいアリア、重唱の連続で、なるほど、ドニゼッティが自分で一番好きなオペラだったというのはわかる。悪いけれどこれに比べるとこの間オペラハウスで聴いたフアン君のMatildaなんか駄作である。

筋はヴェルディのトロバトーレとドン カルロを足して4で割ったみたい。若い娘と結婚した公爵は彼女が他の男を愛しているのを知る。男は公爵の前妻との間の息子であることが分かる。しかし嫉妬から息子を殺してしまい、パリシナも狂い死にしてしまう。オペラのヒロインはよく狂い死にするのだ。

最初に出てきたErnestoがなかなかかっこいいヒゲの叔父さんで、声もいい。しかし次に出てきたDukeのSolariはもっと良かった。役の歳としては中年のはずだが、この人はウルグアイ人でかなり若い。けしてハンサムではないが、背がたかく、よく響く美声でとてもよろしい。かっこいいバリトンとしては、トマス ハンプソンを思い出させるものがある。パリシナのCarmenはアナウンスまでして声の調子が良くないとのことだった。時として特に低音が非常に苦しそうだったが、あの小柄な体のどこからあの大音響がでるのか、と思うほどの迫力だった。ただ、せっかく美しい若奥さんのはずが、ドレスが黒のシンプルなもので、それに黒いショール、となにか葬式にでも行くみたいだ。もう一人のImeldaが中年の女官の役のはずが若い女性で、派手な極彩色のドレスだったので、こちらのほうが目立つ。主役のテノール、Brosは前に一度ROHで聞いたことのある人で、よく覚えている。その時はちょっと遠かったので、見かけは分からなかったが、今回みると中年のおじさん風でおなかがちょっと出ている。声はとてもいいので、見なければハンサムな若者に聞こえる。

オーケストラは前奏曲のときはなにか気の入っていない音だったが、歌が始まると良くなってきた。ROHやコロシアムではこう前のほうの席をとるのは値段の高いこともあるが難しいので、こういうコンサートパフォーマンスの時に前のほうの席を確保できるのはうれしいことだ。もっともこの日の歌手は全員声量たっぷりでFHの一番後ろでも良く聞こえたに違いない。

La Damnation de Faust

2008-11-24 19:54:06 | オペラ
ベルリオーズのオペラをまたMETの中継で見た。今月は2回目だ。前回は現代モノということで少しかわっていたが、今回はもっとかわっていた。だいたいこのオペラは歌手が歌わずオーケストラだけの部分が非常に多く、その間歌手とか舞台はどうしたらいいか、というのが演出家の腕のみせどころだろう。そこでダンサーを多用し、後ろに映像を映すことで間をもつことにした。映像は鳥が乱舞するところからはじまり、自然とか部屋の内部とか忙しく写しだされる。この映像とダンスと歌を一緒くたにしたものは数年前バービカンでたしかモンテヴェルディのオペラをやった時にこの方式を使っていた。もしかしたら同じ演出家かもしれない。非常にヘンテコリンなところが似ている。最初のころの軍隊のマーチはたしかにフランスの兵隊がでてきて行進するのだが、どうしたことか後ろ向きに歩く。舞台は3階に分かれていて、それぞれがまたマスみたいにくぎられている。だから兵隊もその後のダンスも3倍になることになる。そのうちサーカスみたいにワイヤーでつるされたキリストだの兵隊だのが舞台を上下に動き回ったりもする。

オペラの登場人物は3人(+ちょい役ひとり)だけで、コーラスが時々と最後には長い合唱がある。最後の合唱にはどういうわけか男性合唱団は上半身裸。彼らは中年から老年のほうが多いので、こう裸をそれも大写しで見せられてもちっとも美しいものではない。やはり男性の裸は映画の300みたいに見がいのある人たちにやってもらいたいものだ。

最初のイントロダクションはまたスーザン グレアムで、彼女は2部にしかでないのでイントロをやると言っていた。メフィストになるJohn Relyeaがなかなかかっこよく、歌もうまいし声もいい。もちろんスーザンもりっぱ。とくに長いアリアはすばらしかった。ファウストはMarcello Giordaniといって、初めて聴く歌手だ。最初のオジイサンからメフィストが若返らせるのだが、それでも中年の小太りの叔父さんで、どうせならもうあと20年ぐらい若くしてあげたらいいのに。数年前にオペラハウスでみたファウストを思い出した。こちらはたぶんグノーのオペラだった。ファウストはロベルト君で若返ったとたんに後ろにとんぼ返りして観客をびっくりさせた。彼はもう45歳だけれど、まだ外見は若々しく、今回のファウストよりずっとあっていた。ただその時のメフィストがブリンでこの二人が並ぶとあまりに背が違いすぎておかしい。

インターバルに入るとトマス ハンプソンが出てきてファウストとメフィストのインタビューをした。メフィストのほうが若々しく、悪役が楽しくてしかたがない、なんて話していた。ファウストはこの役でもう数年間もヨーロッパを回っているなどと話していた。それならもう少し若々しく、すこしは痩せないかなんていうのが私の意見だけれど。その後はいまカリフォルニアにいる演出家のインタビュー。この人は話の内容より外見が奇妙。わるいけど明らかにわかるヘンな鬘をかぶっている。眉毛、まつげなんかもないので、もともとからだに毛のないひとか、病気が毛がなくなってしまったのだろう。あんなヘンな鬘はやめたほうがよろしい。

だいたいベルリオーズという人は親切げの無い人なのはわかっている。一番それを思ったのは彼のロミオとジュリエットを聴いた時のことだ。これもオペラというか歌のはいる音楽というか、ヘンテコリンなものだった。歌手たちは最初のほうで歌うと、あと一時間以上も延々と続くオーケストラのあいだずっと待っていなければならないのだ。かわいそうに、と思ったのは私ひとりではないだろう。このファウストのもっとあとにはLes Troyensというあまりにも長くて2夜に分かれて演奏しなければならないのなんかを作っている。

私も彼の音楽が大好きとは言えないまでも、幻想交響曲の第二楽章の美しさには感心する。これはチャイコフスキーの六番の第二楽章と共に、あらゆる交響曲(わたしがきいたかぎりだけれど)のなかでもっとも美しい。今回はマルガリータのアリアの美しさにうっとりした。このオペラは5,6年前に一度コンサートパフォーマンスを聴いている。その時のファウストはサバティーニでぎょろりとした目にもかかわらず、今回のファイストより歌の美しさはこちらのほうに軍配が上がる。

レヴァイン指揮のオーケストラと合唱は立派だったけれど、きっと舞台のヘンテコリンさのほうが記憶に残るオペラだろう。12月のタイスにまた期待している。

コニさんのblogによると彼が先週の火曜日に言った時に録画をしていた、とのことだが、私もこの土曜日のナマ中継というのはちょっと疑問だ。もしかしたら数日前に録画して、編集してあるのではないかな。それにしてはちゃんと幕間が30分ぐらいあり、ハンプソンインタビューの後にまだ15分ぐらい舞台のカーテンと客席だけを映していた時間があった。映画を見ている観客もこの間トイレにいったりしていた。これでMETは三回目だがいつも最後はほとんど全員のスタンディングオベーションで、アメリカではこれが普通なんだろうか。ここロンドンではたまにはあるけれど、いつもということはない。年に数回ということで、記憶に残るぐらい。国民性の違いもあるだろう。METでもやはり観客は中、老年が多く、ほとんど白人。少し東洋人もいるが、日本人だろうか。ここロンドンでは最近黒人とかインド系、中近東あたりからの人々も目につくようになってきた。コニさん、観客とか、ホールの内部とかの報告もお願いします。

ELEKTRA

2008-11-24 19:52:55 | オペラ




Conductor:Mark Elder
Elektra:Susan Bullock
Chrysothemis:Anne Schwanewilms
Klytemnestra:Jane Henschel
Orest:Johan Reuter
Fifth Maid:Eri Nakamura
Overseer:Miriam Murphy
Young Servant:Alfie Boe

私もここ10年ぐらいでずいぶんオペラを見たが、その中でもいくつかはもう一度でたくさん、というものがある。このElektraもそのひとつで、やたら暗く、記憶に残るアリアもゼロ。それなのにもう一度見ることになった理由はたった一つ、ここ数年ごひいきになったAlfie君がでるからである。もちろん端役だけれど。

とにかく血みどろのオペラだ。舞台も床は最初から血で汚れている。左のほうに大きな穴がぽっかり開いていて、右には薄汚れた回転ドア。床には紙くず、と、こんなに汚い舞台はENOのドン ジョバンニいらいだ。

オペラの音楽そのものはこの間みたサロメとよくにていて、私も前はあまり好きではなかったシュトラウスになれてきたのか、そんなに気嫌いしなくなった。前に見た時のElektra は名前を忘れてしまったがものすごいデブで、Orestが彼女を見て「苦労しているみたいで痩せたね」とかいうところがあって、観客全員がクスクス笑ってしまったのをよく覚えている。今回のElektraは痩せてはいないけれど、まだ許せる程度の体で、翻訳も「頬がこけている」ぐらいに変えてあったおかげで、大笑いにならず幸いだった。声も良く迫力満点のElektraだった。

前回のOrestはジョン トムリンソンだったのは覚えている。薄汚い衣と白髪の長髪で、てっきりElectra の兄(かおじいさん!)だと思っていたら、今回筋書きを読んでみたら弟だったことを発見した。今回はもう少し若いらしく、天井からはしごみたいので下りてきた。背中にはリュックサックをかついでいた。汚いのは前回と同じ。この二人はとてもよろしい。母親役はこれは超デブの白髪あたまで、これでどうやって若い男に乗り換えて夫を殺すことができたのか疑問。

目的のAlfie君は一言ぐらいかと思ったら1,2分歌ってくれた。しかしこれでは彼の美声は活かされていない。本当は端役でなどデビューすべきではない。端役はいつも端役というとになってしまう。来年ENOでLa Bohemeの主役をやるのそちらに期待しなければ。

最後はほとんど全員が抹殺されてしまって、Elektraまで仮面をかぶり、それを取ってみると顔が血だらけ。Alfie君はじめ召使たち全員も血だらけで死ぬことになる。5番目の侍女が中村さんという日本人で、2幕目でずっと床に転がってたのは彼女かな。期待したよりはずっとよかったけれど、いまのところ三回目を見る気はしない。

DR ATOMIC: MET

2008-11-13 20:10:39 | オペラ
今回のプレゼンターはスーザン グレアムで前回とは違って前置きは無しで、あっという間に始まった。原爆を造ったオッペンハイマーの話で、見るまでどうやってこんなものをオペラにしてしまうのか非常に興味があった。

筋は彼がいかにアメリカ政府との政治的駆け引きをしたかとか、もしかして人間を絶滅するかもしれない恐ろしい怪物を造ってしまったのかもしれない、という苦悩を描いたものだ。具体的にその苦悩を言葉にしてしまうより、もっと抽象的なせりふが多く、アメリカ原住民の苦しみなども取り入れて裾野広く始まり、最後の原爆の実験でクライマックス、となる。オッペイハンマーはもう戦争もこの恐ろしい兵器が無くても終わることを承知しているにもかかわらず実験だけではなく実際に兵器としても使ってみたいし、この実験がもしかして世界の滅亡を引き起こす可能性もあるのも知っている。

作曲はJohn Adamsで打楽器を効果的に使って非常に先進的なものだ。前半一時間半と非常に長く、少し途中がダレるが、前半の最後のオッペンハイマーの長いアリアは古い詩から撮ったものらしく、聴き応えのあるものだった。

30分ほどのインターバルがあり、主演のGerald FinleyとかAdamsのインタビュー、原爆についての基礎知識などを見せてくれた。この中に実際の原爆の写真もあり、舞台に実際に背景として使われていた。これは直径2,3メートルの球体で電線が縦横にたくさん着いていていかにも怪しげなものだ。私は広島で実際に落とされた原爆の原寸模型をみたことがあるが、こちらは2メートルほどのロケット型のものだ。

後半はいよいよ実験がはじまり、筋はもっと具体的なものになる。最後の10分ぐらいは歌が無く、緊張した音楽が爆発までを物語る。このオペラはやはり21世紀のもので、19世紀のヴェルディなどのように音楽だけを聴いても楽しめるものではない。これは舞台上の映像も非常に大きな役割を果していて、まさしく見て、経験して初めてわかるオペラなのだろう。

歌手はみなすばらしく、オッペンハイマー夫人は大写しになっても非常な美人。後半の始めにインディアンの女性が掃除婦として床をはいていたが、突如低い美しい声で歌いだしちょっとビックリした。

次はLA DAMNATION DE FAUSTで今回のプレゼンターのスーザンが出る。彼女のちょっと変わったネックレスが印象的だ。このDr Atomicは来年ロンドンのENOでもやるのでぜひ行ってみたい。これは後世にも残る21世紀の代表的オペラになるだろう。

Matilde di Shabran

2008-11-07 00:33:22 | オペラ
この間リサイタルで調子の良くなかったフアン君のでるロッシーニのオペラだ。ロシーニは30いくつもオペラを書いたが今もよく上演されるのはひとつか二つだろう。私はこんな名前のオペラがあったのも知らなかった。終わって見なるほどここコベントガーデンでも百年もやっていなかったのが納得できる。筋もたいしたことないし、記憶に残るアリアなんてひとつも無い。前半が90分と長すぎる。

メロディはロッシーニ風アアアァの連続で歌うほうは大変だろうけれど、きいてると飽きる。後半になるとちょっと筋も展開するけれど、結局のところはこれはフアン君が主役ではなく、ソプラノのマティルデのほうが主だ。Aleksandra Kurzakというソプラノはなかなかいいけれど、これからも記憶に残る大歌手になるだろうか。ズボン役のカサロヴァはりっぱだ。ちょっと固めの声と歌だけれど、体もフアン君に負けない背丈があるので、若者の役にはぴったりだ。

舞台は二つの螺旋階段がくるくる回るだけ、と簡素だ。歌手はそれを昇ったり降りたりしながら歌を歌う。超デブではできない舞台だろう。フアン君は痩せ型の人で、今回はあごひげだが、だれかがいっていたようにサッシャ バロン コーエンのボラットそっくり。前はテニスのサンプラスだったが、これからはボラットと呼ぼう。この人は際立って甘い美声とは言えないまでも、コロコロ、ヒョロヒョロ転がるロッシーニにはぴったりなんだろう。彼のCDも聴いたがヴェルディなんてまったくあってないし、突如ポピュラー風のアマポーラなんで歌うけれど、やめて欲しい。時々歌声というよりナマの声が混じるのはどういうものか。

その前にみたヘンデルのオペラのほうがよっぽどりっぱで見がいのあるものだった。


PARTENOPE

2008-10-16 18:52:39 | オペラ
Partenope Rosemary Joshua
Rosmira Patricia Bardon
Arsace Christine Rice
Armindo lestyn Davies
Emilio John Mark Ainsley
Rosmira(Eurimene) Patricia Bardon
Ormonte James Gower
Conductor Christian Curnyn

ヘンデルのこのオペラは始めてみる。もっともヘンデルはたくさん書いているし、私のオペラ歴も長くはないので、ほとんどは初めてだ。私のヘンデル歴は、長いこと食わず嫌いだったのが、ある時全く逆回転して大好きになってしまった。それ以来ヘンデルのオペラは機会があれば必ずきいているが、そのたびに彼の偉大さを知ることになる。今回のは彼の傑作のひとつとは言えないようだけれど、それでも4時間近く彼の音楽を楽しむことができた。

舞台は1920年台になっていて、装置は本当に簡素だ。一幕目はテーブルと椅子と上階への階段だけ。出場人物は6人で、女性、ドレスを着たPartenopeが一人の他はみんな男性で背広すがた。一人はカウンターテナー、二人はメゾ、ところがその一人は男装の女性、とややこしい。この三人は声の音域が同じなので、最初のうちはどれがどれだかわからず、背広の色で人物を判断するはめになった。

舞台が進むにつれて各人の性格も区別がついてきた。二幕目では舞台の真ん中にトイレットがあり、人物が入れ替わり立ち代り出たり入ったり、時には出られなくて中でもがいたり、わらいを誘う。けして下品なギャグではないし、全体に効果的に照明をつかっている。二幕目の最後でAnsleyのカメラマンが男装のRosmira が正体を明かすのを写真に撮る場面があるが、これが三幕でうまいこと使われていた。

オペラの登場人物は主人公のPartenopeはナポリの女王、彼女を取り巻く男たちはナポリの諸国の王侯貴族のはずだ。私はこういうオペラの現代風も悪はないと思うほうだが、悪く言うと原作の歴史的、土地の空間的意味はなくなってしまっている。Ansley扮するEmilioはナポリの大将らしく、たぶんPartenopeの元恋人と想像するが、ここでは単に話の進行係みたいになってしまっている。

歌は六人ともとてもうまい。オペラは主に多くのアリアを五人順繰りに歌っていく。特に二幕の最後のArsaceが嫉妬と絶望に狂う歌は圧巻。ここで5,6年前にDavid Daniels のリサイタルに行った時彼が最期に歌った歌だと思い出した。彼の歌でも一番印象に残るものだった。

ここENOでは歌詞は全部英語の翻訳なんだけれど、数年前から字幕がつくことになって大変助かっている。とくに女性が英語で歌うと全くといっていいほど分からないので、こう字幕があるとオペラをずっと楽しめるようになった。しかしそれなら原語でやればいいのに頑固に英語でやることを通しているのもROHとの違いを強調したいのだろう。全体的にROHのほうが格が上のようだが、こちらも時としてけして引けをとらないものを上演する。今回のは多いに楽しんだ。この劇場は内外ともとても美しく、だいたい椅子がすわり心地がいいし、とても見やすい。ROHのすわり心地の悪さは腹立たしいまでのものがある。