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後で考えます

多分映画の話題。でも映画好きで、これから見たい方は読まないほうがいいです。

Norway Cruise 3

2013-07-11 11:44:58 | Weblog
やっと三日目に最初の寄港地ベルゲンに着いた。予定より遅れて10時か11時に着いた。私と友人のTさんはエクスカーションとしてBergen Walking Tourを取ってあった。これはひとり35ポンド。午前中のはずが遅れたので12時半ごろからになった。3時間でBergenの街、世界遺産のブリッゲンの木造建物、最後にフロイエンのケーブルカー。ガイドは30代ぐらいの緑のジャケットのお兄さん。グループは約30人。この街はノルウェー第二の都市で博物館なども沢山あるが、みな素通り。コンサートホールはピアノの格好している。その前にこの街の有名人第一のグリーグの銅像がある。これは本人の背格好そっくりに作ってあって、彼は150cmちょっとのチビだったので、銅像も小さい。近くにクビだけのもある。ガイドによるとこの町は彫像で有名で、各街角にある。いくつあるか教えてくれたけれど、数は忘れてしまった(二百+?)。ホールを抜けると大きな池のある公園に出た。ここにもいくつも彫像がある。怒って泣いている男の子の彫像がおもしろい。次はこの町の目抜き通り。その先には劇場がある。この町第二の有名人はイプセンだ。世界で二番目に多く上演された劇作家だ。(第一はもちろんシェイクスピア)。

 

 

次は魚の市場。今では観光客目当てで本当のマーケットではない。ここでノルウェーお得意のトロールにであった。山奥に住んでいる小人族みたいなもので、鼻がひしゃげて大変醜い。人形も大小いろいろある。観光客には大人気で売れるのだろうが、私はこんな醜い人形なんて飾っておく気はない。これじゃ日本のハローキティのほうがよっぽどかわいい。魚の干物、スモークドサマンなんかも売っている。そこを通り抜けるとブリッゲンだ。ここは港の前の道にそって建てられた木造の建物で昔は港の倉庫として使われていたそうだ。しかし木造ということで何回も火事にあって現在のものは20世紀中ごろのものだ。ほとんどは御土産屋。建物の間に入ると案外奥が深い。昔は奥のほうで人が住んでいたらしい。しかし火事が恐ろしいので冬でも火気は厳禁。寒かっただろうね。ここは世界遺産のひとつだけれど、こんなものでも世界遺産になってしまうの?今に世界中世界遺産でいっぱいになってしまうだろう。後ろのほうに干しダラの巨大な木像があった。最近はタラも取れなくなって、マーケットでもいくつかしか見なかった。お土産やは入ってみたけれどどれも高くて手がでない。もともと私は買う気は全く無いので、いつも「見るだけ」。

この日はかなり天気は良く、青空も見えていた。気温は思ったより暖かく16度ぐらい。これではロンドンとたいして違わない。街はかなり清潔でゴミなども落ちていない。

 

 

 

最後はフロリエンの山のケーブルカー。見晴らしはかなりいい。切符を買うときかなり長い列を見たが、私たちはグループということで素通り。こういうところがエクスカーションで行く特典だ。上は観光客でいっぱい。後で知ったことだがもっと上にいくロープウェイもあったのだ。このケーブルの料金ははっきりしたことは忘れてしまったが、イギリスのお金にして往復5ポンドぐらいだったと思う。

下に戻るにも長蛇の列なので早めに列に加わって帰ってきた。4時に出航なのでもうゆっくり街を見ている暇はない。ケーブルカーの駅の前を左におりると案外すぐ港の近くに来た。自分でガイドブック片手に歩きまわってもよかったかもしれない。最初ということで、経験のためにも船のエクスカーションを取ってみたのだ。私たちのパスポートはまだ返してもらっていなかった。朝船のアナウンスで下りる時パスポートが必要なようなことをいっていたので、不安なので、レセプションにいってきいたら、必要は無いとのことだった。私たちのパスポートは最後まで手元にはもどってこなかった。

 

この日と後数日は夕食は上でバッフェだった。バッフェのいいところは好きなものだけ好きなだけ食べられること。私などいつもスイーツを二つ食べていた。

 

今日は劇場でダンスのショーを試した。なかなかうまい。客はほとんど満員。もっとあとで彼らのインタビューにも行ってみた。かれらがどうやって何百人もの候補者の中から選ばれたか、そもそもどうしてこういう仕事を選んだのか、とかいうものだ。なかなかおもしろかった。かれらのショーは1日おきに3回あって、夜同じものを二回約一時間かかる。歌って踊って、なかには空中で綱を使ったダンスなどもあった。こういうエンターテイナーはこの船には随分いて、ナイトクラブもいくつもあり、歌、ピアノの演奏、小さいながらオーケストラとかもあった。映画も4,5本あって、思い出してみると最初の日本関係の映画のほか、Oz、Le Miserable、Skyfall、などがあった。各映画は2,3回上映した。最初のもののほかは私は見ている。上の15階のプールの上のほうがやる回数は多いけれど、あそこだと風が強すぎて寒いしよくない。私たちは下の劇場でやったSkyfallを見た。観客は百人ぐらいだろうか。後ろのほうではテレビが何台もあって、そこでも同じ映画を見せていた。

Norway Cruise 2

2013-07-10 14:30:49 | Weblog
二日目は航海だけなので船の中の探検。まず朝食。15階には二つのレストランがありどちらも朝食をやっている。そのほか5階のレストランでもやっているが、こちらはたぶんウエイターサービスだろう。私たちは上でバッフェ。まづいろいろな果物がならんでいる。これらは日によって少しは変わるけれど、大体のところは、スイカ、メロン、パイナップル、マンゴー、パパイア、グレープフルーツなど。次はシリアル、これもいろいろある。ベリー類の煮たもの、干しりんご、バナナとかナッツ類。次はベーコン、ソーセージ、目玉焼き(焼いたのではなくポーチド)、いり卵、マッシュルーム、焼いたトマトなど。その他各種のパン、ケーキ、クロワッサン、ヨーグルト、スムージーなど。ジュース数種類、もちろんお茶、コーヒー、と盛りだくさん。私は1日目はベーコンを一切れ食べたけれど、その次の日から、ほとんど肉類は朝食には食べなかった。おもに食べたのが果物だ。

 
果てしなく続いている客室。両端にスイーツルームがあるのでたぶん270メートルぐらいある。二日目の朝早く起きてしまったので朝焼けの空を見た。その後は北に向かったので寝る時間もまだ昼間のように明るいし、起きたらもう日が出ていた。暗い夜というのは最後の日まで見なかった。

 

デッキも長ーい。朝などここを早足で歩いて運動している人もいた。

部屋はメイドさんが日に二回きてくれて掃除とか整頓してくれる。自分で掃除しなくていいのはすばらしい。部屋のテレビは24インチぐらい。主なチャンネルはP&Oと各港のエクスカーションの宣伝。ひとつのチャンネルはいまこの船がどこを航海しているのかを地図で見せてくれる。普通の局はBBC World NewsとSky Newsだけ。リモコンのメニューを押すと映画とかtv番組などがある。映画は有料が2,30、タダが20ぐらいあるけれど、私はほとんど見たものばかりでいまさら1.99ポンドも払って見たいものは無かった。イギリスのBBCとかぐらい見せてくれるといいのに。もちろんテレビなど見ている暇はあまりなかったのは本当だ。その他自分のアカウントが見られる。エクスカーションとか飲み物にいくら使ったかが出てくるわけだ。食事時のワインとかビールは払わなくてはならない。私たちは航海中二本のワインとビールを数回飲んだが、値段は一本16ポンドぐらいから。ビールは一本3ポンド、とそんなに高くはない。

前日の夕方に翌日の催し物とか着く港の説明などの紙をくれる。これを見ると朝9時ごろから3ぺージにも渡っていろいろな事をやっている。まづ手始めに寄航する土地の説明会。二つ行ってみたが、それぞれ45分も係りの人がベラベラ喋り捲るのでしまいには眠くなった。次は元BBCプレゼンターのおじさんの講演会。昔特派員としていろいろアジア各地を回った時の面白いはなし(のはず)。これも途中眠くなった。これは6階にあるシアターでたぶん千人以上入れるだろう。客はちらほら。次はジムの近くで足の健康についての講演。実際にどうやって足の健康を保つのか教えてくれると思ったら、30分もその他のはなしで、実演もなしなので、途中であきらめてしまった。これは若いお兄さんで、彼はこの他にも体についていくつか講演していたが、もう結構だった。

途中にはランチがあり、これは15階のレストランでまたバッフェ。サラダが多いけれど、ご飯とカレーなんかも出ていた。サマンとかコロッッケ、ニシンなど毎日違うけれど、私たちはほとんどサラダと魚だった。

 

最上階には3つ小さめだけれどプールがありまわりに沢山のデッキチェアがあった。真ん中のプールの上にはかなり大きいスクリーンがあって映画とかテレビ番組を見せていたようだ。私たちは最初の日の日本に関係ある映画を見ようとしたのだけれど、なにしろ物凄い風で寒いし、音も良くないし、面白くも無いのであきらめてしまった。中に入り、店があるので見物にいったら3階ぐらいの吹き抜けになっていて両側に螺旋階段とガラス張りのリフトがある。そのあたりに店とかギャラリーとかがあって、服、アクセサリー、ハンドバッグ、本、雑誌、雑貨などを売っている。吹き抜けのアトリウムで結婚式をやっていた。きれいでスタイルのいい花嫁さん。もう二人の幼児を連れていた。航海の最後のほうで、この航海中に二組の結婚式があったことをきいた。親類、友人たちもクルーズを楽しみながら結婚式とはいい考えだろう。

 

午後には船長の挨拶と歓迎パーティ。そのあとはその日はブラックタイのひでみな着飾ってダンスパーティーだった。その日から数日は夕食は上のレストランでバッフェにした。

  

上のバッフェは毎日テーマがありアジア系、地中海風、インディアン、アメリカンとかがあった。この写真はアジア風で、焼き飯、焼きそば、春巻きとかがあった。この写真はもう食べかけ。いつも食べる前に写真を撮るのをわすれるのだ。ひとつ5センチぐらいの丸いかまぼこみたいなのがあって、ノリでグルグルしてあってその間に白いなにかがある、というヘンテコリンなものがあった。しろいものはたしかに酢の味がするけれど、絶対にご飯ではない。もっとボロっとしたもので、あまりおいしいものではなかった。友人ともしかしてこれは海苔巻きのつもり?と議論になってわざわざこれが置いてあるところにいって上の説明をよんでみた。たしかにSushiとある。まさかSushiをたべたことが無い人が食べてみて、これをSushiだとおもわれてはかなわない、とふたりで憤慨物だった。それの写真を撮るのをわすれたのは残念。

Norway Cruise 1

2013-07-09 19:39:27 | Weblog
急に思い立ってノルウェイ クルーズに行ってきた。6月の前半に調べ初めて、行き先はレイコさんお勧めのノルウェイにした。クルーズにも、フィヨルド行きか、オスロの辺を通ってロシアまでいくか二種類あってどちらもよさそうだけれど、後者は短くて12日もかかる。フィヨルドは一週間なので、クルーズなどいったことのない私には最適と思いこれに絞って探して見た。

フィヨルドにいくにも二種類あって、ひとつはイギリスのサウスハンプトンから、もうひとつはコペンハーゲンに飛行機で飛んでからというもの。飛行機でいっても1日目はコペンハーゲン、次の日から1日洋上。サウスハンプトンからも二日目は洋上、三日目にノルウエイに着くので時間的には同じようだ。値段はサウスハンプトンからのほうが少し安い。数日探して決めたのが6月28日からサウスハンプトンから出るP&OのAzura。もう安いほうは売り切れだけれど、バルコニー付きの部屋があった。値段が699ポンドと599ポンドの二種類あって、高いほうはシャワーではなくお風呂付。そのほかチョコレートなどをくれるとかあったが、迷わず安いほうにした。これはP&Oのサイトで見たもので、ここでは同じ部屋でも値段が二種類ある。Vantage FareとGetaway Fareとあって私の選んだ部屋のVFはたしか1100ポンド以上した。どこが違うかというと、VFはキャンセル、変更がきく、とか、自動車の駐車がタダ、とか、1日前のホテル付きとかだ。ただしこの特典もそのうちのひとつを選ぶということだ。もう日にちも迫っていることだし、500ポンドも違うのだから迷わずGF。

違うサイトでもこのクルーズはあったけれど値段は同じようなものだった。サイトで読んだときにはたしか出航は夜の八時半とかあったと覚えているのだが、Eティケットを印刷してみると三時半に船にいくようになっている。その日は金曜日でツレアイは働いているので(今回は友人といっしょにいくのだ)ヴィクトリアからNational Expressのバスにした。このサイトが曲者。マトモに予約すると往復30ポンドぐらいだが、ホームページの一部にサウスハンプトン5.5ポンドから、とある。そこをクリックしてロンドンからサウスハンプトンのを見ると前日は5.5ポンドだが28日は普通の値段とある。これが13.5ポンドプラス一ポンドの手数料付き。その他往復とか片道とかいろいろ調べて見るとすごくヘン。片道を二枚買ったほうが往復(たしか30ポンド弱ぐらいだったかな)を買うよりずっと安いのだ。帰りの日のサウスハンプトンからロンドンは7ポンドプラス一ポンドの手数料で合計22.5ポンド。それに同時に二枚買えない。本当にへん!!!

サウスハンプトンのドックに行くNational Expressバスもあるはずなのにとうとう見つからなかった。私たちのバスはサウスハンプトンコーチステイションどまりなのでそこからドックにタクシーで行った。これが6ポンド少しなので8ポンドあげた。11時半の出発で二時間ぐらいのはずが途中渋滞で30分ぐらい遅れた。ドックに行くとスーツケースは出航手続きの前に係員に渡すようになっていた。ケースには自分で印刷した荷札をつけるとのことでセロテープを持って行ったのにこれがボロのテープでくっつかない。係りの人はなれているみたいでホチキスをかしてくれた。どうして家でやっておかなかったかは、友人の分まで印刷したので、結局ドックで荷札をつけることになったからだ。

出航の待合室は人でいっぱい。その前にPと書いた紙をくれたので座ってまっていたら10分ぐらいでPの人々への呼び出しがあった。ここでEチケットとパスポートを見せる。私たちのは日本のパスポートで、ここでここで預かるとのことだった。いつ返してくれるのかわからず、預り証を受け取った。ここでクルーズ中に使う身分証明書のようなカードをくれた。出航手続きは簡単ですぐ船に入る列になった。船に入るとすぐに写真を撮られた。これで船に出入りする時に本人かどうか写真が係員のモニターに出るのだ。ふねには写真家が乗っていてあらゆる機会に写真を撮っている。私たちはあまり写真をとってもらうのには関心がなかったので、出航の記念撮影はパス。

私たちの部屋は10階にある。行ってみると左側の一番後ろだった。私たちより後ろにはスイーツがいくつかあった。ここまでスムーズにいって港に着いてから30分ぐらいかな。部屋はちょっと小さめのホテルの部屋というところ。横3メートルたて5メートルぐらいかな。ベッドが二つ、テープル、椅子二つ、左には戸棚みたいのがあって、下は冷蔵庫、上のほうにはテレビがある。戸棚の上にはやかんとコップ、マグ、紅茶、コーヒー、ビスケットなどが置いてある。いりぐちのドアの横は物置、シャワー、トイレット。物を置くところは以外と大きく、横1.5メートルぐらい。天井までの小さい戸棚と金庫がある。シャワーはかなり小さめで60から70センチ四方ぐらい。横にトイレと洗面台がある。後にほかの乗客を見てみると横幅の大きい人たちがかなりいて、私たちは彼らを二種類に分類してみたのだった。つまりシャワーに入れる人と入れない人に分類していったのだ。(私たちは)まったく失礼な人だこと。すみません。シャワーに入れない人達はたぶん風呂付の部屋なのだろう。

 

船があまり大きいので全体の写真をとるのがタイヘン。私たちの部屋は真ん中ぐらいの階にある。部屋はとても清潔で鏡が沢山あって、広く見せるようにしてある。バルコニーは以外と広く椅子二つ、テーブル、と足置きみたいな小さめの台があった。ここは縦が2メートルと少しあったかな。私たちのバルコニーは隣のスイーツに少し張り出しているので他の部屋のバルコニーより少し大きめになっている。実はバルコニー部屋といっても一番安いのにしたのでもしかしたらバルコニーの前になにかあって景観がさえぎられるのではないかと思っていたらなんのことはない、見晴らしはかなりいい。下を見ると下の部屋のバルコニーは私たちのより突き出している。上をみるとやはりバルコニーがあるけれど、上のバルコニーの先は私たちの部屋とバルコニーの境目から一メートルぐらい出たところにあって、各階の部屋の大きさが違うのかもしれない。

このAruraの数字を挙げておこう。初航海は2010年4月、115,000トン、長さ290メートル、横36メートル、スピード22ノット、乗客数3,100、最大乗客数3,574、客室のある階14、客室1,559、乗務員1,226。翌日の船長の挨拶では実際の今回の乗客は3,187人、乗務員1,150人とのことだった。なんと約4.5千人ものひとが乗っているのだ。

乗ってすぐ4時半ぐらいに救命具の説明会が5階のレストランであった。部屋に帰ってみたら、もう港を出港していた。あの8時半出航というのはどうしたのだろう。ちゃんとチケットを読んで3時ごろ着いてよかった。夕食の時間は6時半からと8時半からだが、私たちは自由にどちらでも選べるというのを選択しておいたのだが、これはもういっぱいで8時半を割り当てられていた。夕食までの時間を船の中をうろうろしてすごした。プールは最上階に3つあり、もう泳いでいる人もいた。実際には8時45分ぐらいからその日の夕食ははじまった。

いつもは私の夕食は6時ごろなのでもう空腹でしかたがなかった。5コースあって、それぞれ数種類から選べる。その日私が食べたのは海老のカクテル、メネストローネスープ、ステーキ赤ワインソース、イチジクのショウガソースがスイーツ、コーヒー。最後のチーズコースはもうおなかがいっぱいでパス。なかなかおいしかったのだが、私には時間がちょっと遅すぎた。終わったらもう10時近くで寝る時間だった。ベッドは少し狭いけれどかなり寝心地はいい。この日はまだイギリスの近くなので、寝るころには少し暗くなってきた。

寝ていたら、突如アナウンスがあった。たしか朝の4時ごろだった。急病人がでたので救急ヘリコプターが来ます。バルコニーには出ないでください。窓も開けないでください。とのこと、そのときにはもう船は止まっていた。私たちの部屋はカーテンを閉めてあったのでなにが起きたかは分からなかったが、1,2時間止まっていたような気がする。その後動きだしたのだが、結局ここで時間を取られたせいか一番目の港のベルゲンには2,3時間おくれて到着した。



 

バルコニー、ちょっと狭いシャワー。

 

洗面所とクローゼット(物置)。沢山のハンガーがある。私たちには多すぎるくらいだけれど、服を沢山持ってきた人達とかもっと長い航海には必要なのだろう。

Henry Moore Foundation

2013-04-22 10:12:53 | Weblog
やっと四月も後半になってすこしだけ暖かくなってきた。風はまだ冷たいけれど、太陽が照っているというのは本当にいいことだ。しかしこの国のことだから一週間も雨がふらないともう日照り、ということで水が足りなくなるのだ。これも国がお金のために貯水池を売ってしまったからにちがいない。

とにかく青空のあるうちに、ということでHenry Mooreの家に行ってきた。これは私もこの間までこんなものがあるとは知らなかったものだ。それも私の家から直線でいけば30分ぐらいのところにある。ここはNTでもHHAでもないので、知らなかったのだ。友人を誘っていったのでちょっと遠回りになった。A10を走っていくとうっかり曲がるところをミスしてしまった。思ったより近かったのだ。A10から近いのかと思ったら、曲がりくねった田舎道を2,30分も行ってようやくたどり着いた。

家そのものはそんなに大きくなく、昔はコテージ二つに分かれていたものをひとつにした、とのことだ。家のなかにMooreの作品だけではなく、ルノワールとかの小さめだけれど、フランスの印象派の絵画が飾ってある。居間には彼の収集した化石とかが置いてある。大きな亀の甲羅とか40CMぐらいもある美しい木の化石もある。台所などはむしろ質素なほどだ。これでは人がきたときは隣のパブでもてなしたのはわかる。庭は広大なものでところどころにMooreの作品とロダンの作品が置いてある。最近金属の値段が高くなっていて目ぼしいブロンズの彫刻品などが盗まれることがおおいので、ちょっと心配してしまった。しかしこれらはあまりにも大きくて重そうだから泥棒ももっていけないだろう。

 

元は二軒のコテージだったのを隣も買って一軒にしてしまったそうだ。巨大なMooreの作品。

 

いろいろ作品をどうやって完成品にするかの過程も見せてくれる。最初は小さいものを粘土などで作ってそれを大きくし、最後にはブロンズで鋳るのだ。しろいのはその途中らしい。これは絶対どこかでみたことがある、と頭をしぼってみたら思い出した。テームズの川岸のTate Britainの前にあるのだ。右の写真はバンではなくその後ろのMooreの作品を見てください。その後ろはスパイの元締めMI6。

 

広大な庭、というか羊が沢山いるファームみたいなところにも作品はある。あまりにも遠いので一見小さく見えるけれど、近くにいってみると巨大なものだ。

 

この門みたいなものも絶対どこかで見たと思ったので、また無い頭をしぼって思い出した。WisleyというRHの庭園にあった。ちゃんとこれは私が写真をとっておいた。同じものだけれど、Wisleyのほうが二、三倍、あるいは4倍ぐらい大きい。

 

ロダンのものも随分ある。これは有名なカレーの市民。これはロンドンの国会の横とか実際のフランスのカレーでも見た。これはすこし縮尺が小さめにできていると思う。最後のはやはりMooreのもので巨大。ものすごく重そう。仕事場の小さい作品をみるとなにか私にでも出来そうなものがある。

ようやくここイギリスにも春がきたようで、いい天気の日だった。

Clandon Park

2013-04-20 20:01:20 | Weblog
今年の寒さはまったくひどい。それでも3月末になって少しは太陽のでる日もあるようになった。例年には3月末にはもう水仙の真っ盛りには遅いのだけれど、今年の寒さで1,2週間はおそいのではないかと思って水仙で有名なClandon Parkに行った。ここは私は二回目。前にきたのはもう数年前で、一番おぼえているのは入り口のホールの天井だ。真っ白で広い天井全体に彫刻が施されている。

ここはNational Trustのひとつ。M25からそんなに遠くは無い。ここ数年でNational Trustで変わったことはいくつかの建物の中で写真を撮ってもいいことになったことだ。NTには数年前まで5,6年会員になっていてずいぶん行ったので、ここ1,2年はもうひとつのオーガナイゼイションのHistoric Houses Associationの会員になっていた。この二つの違いはNTの建物がNTの持ち物であるということ、HHAのほうは金持ちたちはいまだにその屋敷の持ち主で住んでいるのだけれども、週の数日はわれわれ貧乏人にもその金持ち生活を覗き見させてくれることだろう。ほとんどの場合は建物の中も写真を撮れる。別に写真を撮っても減るものではないので、NTはケチと思っていたものだ。NTでも申し込んで料金を払えば撮らせてくれるみたいだったが、勿論そんなことはしたことが無かった。

着いてみると水仙は沢山前庭にあるのだけれど、ほとんどはつぼみでちらほらしか咲いていなかった。期待したわりには広さもそんなに広大ではなく、毎年私が水仙をみにいくTrent ParkにあるMiddlesex University の庭の数分の一だろう。

 

二枚目はClandon Parkのサイトからいただいたもので、こういう景色を期待して行ったのに、実際は左の景色。

ここClandon Parkも有名な玄関のホールだけは写真を撮ってもいいことに変わっていた。ホールはとても天井が高くて吹き抜けになっている。天井全体が真っ白く、人物とかギリシャ風の彫刻を施されている。かわっているのはいくつかの人物の足がにょきっと天井から飛び出ていることだ。

 

もうひとつの特徴はいくつかの部屋に沢山の陶器があること。これはもうすごい。数限りなくマイセンだのフランスのだの精工な飾りの施された食器やら置物がある。有名なマイセンのサルのオーケストラも沢山ある。本当はホールのほかの部屋では写真を撮ってはいけないのだけれど、二階の吹き抜けの廊下の戸棚にあったものがあまりにも美しいのでこっそり撮ってしまった。すみません。この陶器の収集はWallace Collectionとかにも勝るとも劣らないものだろう。いまではこのサル一匹で数千ポンドもするだろう。

 

Olympic 4

2012-08-23 09:28:36 | Weblog
数日お休みがあって、最終日の前日と最終日に行われたマウンテンバイクの会場でのボランティアに行った。前のリーバレーは近くてよかったのだが、今回はまずロンドンシティーのリバプールストリートまで30分、そこから歩いて10分ほどのフェンチャーチストリート駅に行って、そこからまた電車で4,50分もかかるリーオンシーというところだ。そこからまた会場のハドレイファームまで歩いたら45分もかかるのだが、これは送迎のバスが30分おきにある。つまり合計で2時間半ぐらいかかったのだ。どうして北のはずれの会場から東のはずれの会場と二箇所やることになったのだろう。チームの人たちは同じで、聞いてみるとここリーオンシーに住んでいる人もいた。彼らはリバレーのときはやはり2時間半もかけて毎日通っていたのだ。ご苦労様。もちろんボランティアの交通にはオイスターカードをくれてオリンピックの開催中はこのエセックスの片田舎にもそれで行けるのだけれど、カードをみせなくてもユニフォームをきていると駅員は素通りさせてくれた。

マウンテンバイクというものは私は全く知らなかったのだが、何キロもある谷あり、坂ありの難所を自転車でものすごいスピードでいくのだが、女性は6周、男性は7周もするのでそれぞれ一時間半から二時間ぐらいかかる。岩場では転倒するひともでて、完走できなかったひとも多数あった。例によって私たちはあまり競技を見ている暇はなかったのだが、幸いなことに二日目の競技の最後にスタンドにいたので、最後のほうは少しみることができた。すぐその後にメダルの授賞式があって、それも目のあたりにみることができた。スタンドは来賓専用で、一般の観客は広い会場いっぱいにちらばって立ち見だ。坂もあるので芝生にすわってピクニックみたいなものだ。幸い天気はこれ以上は無いぐらいの上天気で青空が美しかった。

  

ここでも最初にきたのがまたプリンセス アンとその夫君。今回はゆっくり最後まで見ていって、おしまいにはラウンジで軽食を取っていった。彼女らはヘリコプターで来たそうだ。そのほかにも私は顔はしらないけれど、各国のVIAが来ていてスタンドは満員近かったみたいだ。前のリーバレーのときも帰る前に私たちに軽食そふるまってくれたけれど、ここハドレーの時のほうが豪華だった。いっぱい食べて夕食なんて家に帰っても必要ないくらいだった。逆にボランティア用のお昼はここでは料理しない、とのことでサラダとかサンドイッチとかだけだった。なるほど他の部署で働くボランティアに私がプロトコルだといったら「いいなー」とうらやましがられたのが納得。

 

最終日の朝電車に乗ると次の駅の近くにいって電車が止まってしまい、ずいぶんたって運転手の放送があった。次の駅でなにか重大な出来ごとがおこり、この電車はそこを通過することができない。しかたがないから始発の駅までもどります、とのこと。もう30分以上も止まっていたのだけれど、私の駅はすぐ前だったので、そこで下ろしてくれればバスと地下鉄でいけばいい、と思っていたら、なんと始発の駅まで一度も止まらずノロノロと戻ってしまった。幸いこの駅からは他の線がでていてここからリバプールストリートまで行けたのだけれど、迷惑なことだった。後でしったことだけれど、だれかが飛び込み自殺をしたのだった。その日は日曜日だったので始発の電車はあの駅を通るのが8時近くのはずだった。この自殺志願者はわざわざ日曜日に早起きしてどのくらい駅で待ったのだろう。なにも日曜日に自殺しなくてもいいのに、とかいろいろ考えさせられた。 

Olympic 3

2012-08-21 13:38:09 | Weblog
最初の数日はラウンジに空色のセーターを着た背のたかい男がうろうろしていて、後で考えたらあれはジョナサン エドワードだった。そのほかボートで金メダルを5つもとったレッドグレーブなんかもよく来ていた。セブ コーは一度来たみたいだけれど私は見ていない。

幸い最終日には1,2位がイギリスで占められるという種目があって、そのときはT1の誘導にいたので授賞式を垣間見ることができた。高いところにいなかったので、ちかくではあったけれどカメラマンの頭越しにチラッと見えただけだった。
 
 

私たちの任務のひとつが受賞式でメダルと花束を渡すIOCのお偉方を確保しておくというものがあったが、これは一日に二人だけくじ引きで選はれるのだけれど、私は一度もあたらなかった。そのかわり授賞式の練習の時、メダルをもらう選手の代わりを勤めた。プロトコルの半分近くのボランティアたちは各国語の通訳要員で、フランス、ドイツ、ロシア、チェコとかの代表的なヨーロッパ言語のほかは、中国語がひとりと日本語がわたし。普通の任務の他にチョコチョコとラングエッジサービスに呼ばれていた。中国語の女の子はドーピングの通訳もやったと言っていた。

  

私たちボランティアはもちろんお金はもらえないけれど、ユニフォームは支給があった。Tシャツ二枚、ズボン二枚、ジャケット、帽子、バッグ、水筒、靴、靴下、傘などだ。これらは終わったら返さなくてもいいのだけれど、こんなものオリンピックのあとはどうするのだろう。行く度にバッジもくれるのでだいぶたまってしまった。ほかのボランティアたちはアクレディションとかバッグにいくつもこれをつけていたが、私はそういう趣味はない。最終日には銀色のリレー用のバトンをお土産にくれた。

さて次はオリンピック最終日と其の前の二日にわたっておこなわれたマウンテンバイク。

Olympic 2

2012-07-28 09:23:53 | Weblog
実のところロンドンがオリンピック開催に決まったときは私は非常に懐疑的で、金がかかるのに、と否定的でさえあった。しかしやることに決まってしまったことだし、週二日ボランティアに行ってるほかは暇もあるし、オリンピックのボランティアを募集していた去年のときも受付の最終日ぐらいまでどうしようか気持ちが決まっていなかった。まあ、やりたくなければあとで断ればいいさ、と数ヵ月後のインタビューにいってみた。そしたらまるで就職のインタビューみたいに30分もいろいろきかれた。

話すだけならそれでおしまい、とたかをくくっていたら、そのうちアンケートみたいなものが送られてきて、いろいろ書きこむようになっている。いままでなにをしてきたか、とか日本語はいまでもどうやってつかっているか、とかを書くようになっている。一ページが1500字も書くようになっていて、やっとこさで一ページ目を書いて次にいくとまた1500字、これはたまらない、と思いながら書いていくと、その次もまた1500というぐあいに5,6ページにもわたって書かされた。あんなに英語で作文したのも会社を辞めてからなかったなー。

そのうち、はい、採用、ということになり、今年になってずいぶん何回も訓練をうけたものだ。私の配属された部署はプロトコルというところ。訓練はおもに通訳などだったので、この部署では旗とかメダルを管理するようなことをきいていたのだが、それでは日本語が必要でないときはなにをするのかさっぱりわからなかった。これはいざはじめてみてやっとわかった。

最初に配属されたのはリーバレーといって、私の住んでいる北ロンドンからそんなには外れていないところ。私の家からはバスで15分ぐらい。ところがその終点からリーバレーまで2,30分あるかなくてはならない。やってみて初めてわかったのだが、プロトコルとはつまりはVIAのお世話なのだ。オリンピックにはIOCのお偉方だの、各国の皇族とか政治家なんかが客として沢山まねかれている。彼ら用のラウンジがあって、競技の合間にはかれらはそこで他のVIPと会見をしたり、軽食をとったり、競技の結果などを知るのだ。VIPにも三種類あって、T1,2,3と分かれている。一般の観客は駐車できないのだが、やはりT1ともなると専用の駐車場がラウンジの近くにある。T2はもうすこし離れたところ、T3ともなると歩いてて10分もかかるところにタクシーなどでくる。この人たちをラウンジまで案内するのが大きな仕事だ。競技が始まるとかれらは専用のスタンドにいくのだが、ここでも偉い順に席が決まっているので、そこに誘導する。

ここリーバレーでの競技はカヌースラロームといって、そうとう長い川みたいなものが作ってあり、そこに急流が流れている。25ぐらいの門があって、緑の門はそのままくぐり、赤いと流れをさかのぼるようにぐるりとまわっていくのだ。門に触ると減点(たしか2秒の減点)、まったくくぐらないと50秒もの時間がたされてしまう。スキーにこれとにたような競技がある。


  


ここで問題になったのがVIP用の席がガラガラだということ。しかし内情を少し知ってみると、これはメディアの取り上げ方が煽情過ぎたと私は思う。もちろん競技の合間にはかれらはラウンジに帰ってきて食べたり飲んだりしているので、その間はスタンドはカラというわけだ。それに一日に何人ぐらい偉いひとがくるかわからないのである程度多めに席を確保しておいた、ともいえる。二日目からはアーミーなんかにも来てもらったのはたしかだけれど、あんなに新聞などで非難されるなんてちょっと度が過ぎていると思った。

ラウンジの前での見張りも仕事のひとつ。ここにくるからにはだれでもアクレディションというカードを前にぶら下げているのだけれど、そこにいろいろ数字とかイニシャルなんかが書いてあって、6のあるひとだけがここに入ることが出来る。一番最初にきたのがプリンセス アンで、こういう超VIPはやはりマネジャーが誘導するのだ。私はそばでニコニコしていればいいだけ。うっかり彼女が例のアクレディションをぶら下げていたかどうか見逃した。彼女はその日は娘さんがほかの場所でオリンピックに出場するので、そうそうにひきあげたみたいだった。

  

私たちは5つぐらいの班にわかれて駐車場だのスタンドだのラウンジだのを順繰りに回るのだ。朝は競技の始まる二時間ぐらい前に行って、その日の時間割とか説明などを聞き、お昼ご飯をたべていよいよ任務が始まる、というわけ。5日間やったカヌーには選手が80人ぐらい、ボランティアは700人ぐらいと聞いた。いったいカヌーなんて見に来る人がいるのかしら、と疑問に思っていたら、連日満員でほっとしたことだ。そのほか選手団の関係者やらテレビ報道関係などごった返すほどの人出だった。

ボランティアようの広い会場があって、そこで食事なんかがでる。そんなにたいしたものはでなかったが、一応暖かい食事と果物、飲み物、ビスケットなどをくれる。おおきなテレビもいくつもあって、もちろん一日中オリンピックの中継。とくにカヌーは一日中やっている。ゴミはきびしくて、かならず3つに仕分けしてすてることになっていた。

 

それでは日本語は使ったのかというと、正式には一度だけ。最終日に決勝まで残った日本人選手のインタビューをオリンピック関係者が記録として残しておきたいとのことで訳してあげた。そのほか日本からのカヌー関係のかたがたがきていて、ラウンジでいろいろお話をした。彼らは近くのマリオットホテルに泊まっているのだけれど、夜の食事にいいレストランがないか、ときいてきたので、私の家の近くのパブ カーベリー レストランとかを教えてあげたら翌日早速そこに行ってきておいしかったと言って下さったので、とてもうれしかったことだ。そのほか競技の後の数日はイギリス旅行に行くとのことで、私のすきなガーデンなどの話をした。

私たちプロトコル チームの特典はというと、仕事がバラエティーに富んでいるということかな。VIPの誘導もあるけれど、コンピューターから競技の順番とか結果をだして知らせるとかも仕事のひとつだった。最初の1,2日は激しいにわか雨にたたられて、お偉方を車まで傘をさして送った。幸い後半は天気にも恵まれたのだが今度は暑すぎてかれらにサンクリームを用意までした。私たちは運よく競技がある時間にスタンドに配属になる以外はほとんど競技など見る暇は無かった。特典のひとつにはVIPが帰ってしまったあと、ケイタラーが私たちのためにパイとかケーキを振舞ってくれたことだろうか。もしかしたらVIPのあまりだったのかな。

  

HEVER CASTLE

2011-10-05 11:01:30 | Weblog
ここイギリスは5月ごろ少し暖かかった後、8月など冬のように寒く、もうあの暖かい日々は来年まで来ないのか、とさびしく思っていたら、一週間だけ気が狂ったように暑くなった。毎日30度近くまであって、土曜日は久しぶりのBBQ、日曜日は今年最後の遠出をした。春にHistoric Houses Associationに入ってから、Norfolk, Devon、とずいぶん使わせてもらった。今回はロンドンの近くに初めて行った。これらの屋敷はもう9月の末で閉まっているものが多く、ロンドンの反対側にあるこのHever Castleは一年中開いてるみたいで、夏のようなこの日行ってみた。

前から行ってみたいとは思っていたが、もうずいぶん長くNational Trustばかり行っていたので、ここは初めて。この城はヘンリー八世の二番目の妻になったアンの家族が住んでいたところだ。13世紀に始まった城で、19世紀には荒れ果てていたようだが、アメリカの金持ちが買って、修復し、いまではみごとにチューダー朝の屋敷に甦っている。

まず入ると右側に非常に大きな湖がある。これは例によって人口湖なのだろうか。それにしてはまるでちょっとした海みたいに大きい。左にはイギリス人の好きなギリシャ、ローマ風の神殿の廃墟みたいなものがあり、絶景の湖を見晴らすいい風景になっている。



廃墟を通ると今度はイタリア庭園がある。真ん中にいくつかの芝生の広間があり、その周りを花壇とか葡萄の棚などが囲んでいる。そのほか広い敷地には薔薇園とかコンサート場、森、ピクニック用の芝生などがあり、このめったに無いほど素晴らしい晴天の日、子供連れでにぎわっていた。湖の横にWater Mazeというのがあって、真ん中の岩の塔に行き着くまでに周囲に通路があって、石を踏むといろいろなところから水がビュッと飛び出す仕掛けになっている。まるで真夏のようなこの日、沢山の子供が水着やら下着になって大喜び。

屋敷そのものはとても古く、内装、調度家具もとても赴きがあって美しい。柱などもものすごく細密な浮き彫りがしてあって、もうあめ色というか、光沢のあるこげ茶色になっている。そんなに大きくはないが、何百年も前の大金持ちの邸宅はこういうものだったのだろう、と教えてくれるようだ。窓も色とりどりのステンドグラスが美しい。もちろん豪華さではロスチャイルドのワデスドンなどには及ばないけれど、こちらにはホンモノの輝きがある。数年前にアンと妹のメアリーの映画があった。彼女たちの絵もいくつもあった。映画を見た時はこの姉妹になった、ポートマンとヨハンセンが性格と外見としては反対なような気がしたけれど、この屋敷にある彼女たちの絵をみると、なるほど、アンはなにかポートマンに似通っている。目も茶色だし。ちょっと映画のキャクティングにいまさらながら納得がいった。

屋敷の前面はもう赤くなりつつある蔦に彩られている。その前にはいくつもののトピアリーがあり、いろいろな形に刈り込まれていて楽しい。抽象的な形もあるし、カタツムリ、ブタ、なんだかわからないけれど、巨大な昆虫みたいなのもある。みな良く刈り込まれていて、鋭角の線が美しい。



私たちはHHAのカードがあるので入場にはお金は払わなかったけれど、入り口を見ると普通の大人の入場料は14ポンドとある。これでは夫婦、子供二人で入ったら、40ポンド近くかかってしまう。それでも昼ごろには子供連れでにぎわっていて。そのわりにレストランは空いていて、家族連れはお弁当でも持ってこなければ大変な出費だろう。HHAの会員は年間たしか一人30か35ポンド。これらの屋敷はまだ持ち主がすんでいるものが多く、開いている日をさがすのが大変、ということはあるけれど、随分節約になっていてたすかっている。

Hever Castle




E BOOK

2011-09-30 09:49:37 | Weblog
ソニーのebookreaderを買ったのは7月のノーフォークにいく直前だった。前から欲しいと思っていたが、いろいろあるものの中でどれにしようか迷っていたのだ。amazonの評もいろいろ読んで結局買ったのはソニーのタッチスクリーンのものだった。ereaderの中では一番値段の高いもので、もうすこし出せばタブレットコンピューターが買えてしまう。しかし私が欲しかったのは軽くてバッグの中に入ってしまうものだった。使ってみての私の意見では、1 画面はereaderの中では大きいほうで、下にキーボードがないのでほとんど全面を使える、2 辞書が何種類も入っていて、知らない単語をたたくとすぐ下に辞書がでてくる、3 SDカードを使えるので本体の2gb以上使える。

画面は明るいとはいえないし、バックライトがないので明かりのないところでは読めない。しかし紙の本だって明かりなしには読めないではないか。重さは200gちょっとで文庫本の薄いもの、とまではいかないけれど、片手で持ってもくたびれるものではない。

辞書の機能はすばらしい。いままで英語の本を読んでいて、今だに知らない単語はぞろぞろでてくるが、たまには辞書をひいたり、想像でこんな意味だろうとすっとばしていたのがちょっとたたくだけで意味が下にでてくるのは驚きだ。もちろん英語の辞書だけれど、数行の表示で足りなければ、またたたくと画面いっぱいもっと詳しい辞書がでてくるのだ。

実際に読んでみると画面の暗さはあまり気にならない。日のあたっているところでも楽に読めるし、薄暗いところでは字を大きくすればいい。私はいつもはMのサイズで読んでいるが、少し薄暗いとLのサイズにしてみる。字が大きいとページをくるのが多くなるのだが、次のページに行く速度は速く、指でサっとなでるだけだ。ページが変わるとき一瞬白黒が反転するけれど、なれると気にならなくなった。

それでは実際の本は、というと、これを買うと100冊の本をくれる。ほとんどがクラシックでディケンズ、ワイルド、スコットなど。その他ロマンスとか新しいものもある。これらクラシックはグーテンベルグのサイトにいけばいくらでもダウンロードできるものだが、私はワイルドが大好きなのでダウンロードする手間がはぶけるのはよろしい。

作者が死んでから50年以上たつ有名な本はほとんどこのグーテンベルグにいけばタダなことは分っているけれど、それではまだ生きている作家のebookがタダでないかとグーグルでさがしたら、あるある、ゾロゾロみつかるではないか。私は昔からSFが好きなので、ハインラインのfree ebookとやったら見つかった。それもひとつのzipファイルで彼の生涯書いた全部の本が手に入ってしまった。これはオドロキだ。この手で他の作家もやってみるとタダのebookはもう星の数ほど数え切れないあることがわかった。面白くていろいろダウンロードしてみたものだ。

読むほうも手軽にどこにでも持っていけるので、前よりずっと読むようになった。ひとつ問題は日本語が読めない。日本語のebookを試してみたけれど、やはり全部文字化けして読めない。これは日本語のフォントがないためだろう。これはここイギリスで買ったので仕方がないことだろう。日本でereaderを買えばいいことなんだろうけれど、最近日本語の本をあまり読まなくなってしまったので、当分はereaderで読むものが全部英語でもいいことにしよう。

買ってから2ヶ月もたち、もう絶対紙の本など手にしたくないという気持ちだ。もちろんダウンロードした本もまだ10冊も読んでいないけれど、前からebayでebookのコレクションを売っているのを知っていた。あるもののなかには何万冊もの本をdvdで売っている。悪いことにはあまりに作者、本の数が多すぎて中身の説明が足りないことだ。しかしいくつか説明を読んでみて、なんの本が入っているかのリストを知ることのできるものを発見した。それも五千冊も。一応作家のリストを見てみると私でも知っている有名作家が沢山いる。そこでたった3.65ポンドだし試しに買ってみた。

買ってびっくり。確かにこの五千冊、数百、数千の作家の本の中には私の知らない作家のほうが多いのだけれど、ほとんどはまだ生存している作家が多く、ありとあらゆる本がつまっている。たとえばAだけでも127人もの作家がいる。Bは80人、そのひとつBernard Cornwellをあけてみると34冊も入っている。この調子で作家のリストを見ているだけで楽しくなってしまう。私のツレアイは最近歴史小説に凝っていて、今読んでいるのがCon Igguldenという人だが彼が今紙の本で読んでるものもあるしその他合計9冊入っている、ということはIgguldenが今まで書いた本全部が入っているのだ。そのほかあるある、リストをみていると恐ろしくなる。私のこれからの生涯のあらゆる時間をつぶしても読みきれない本がたった一枚のdvdに入っているのだ。

もうひとつ買ってみたのが、今度はSCIーFI30000冊、というもの。もちろん前の5000冊だって、普通の人が生涯に読める本の数倍は入っているのだけれど、SFの好きな私には少しものたりない。Besterなんか2冊、Bradburyは8冊もあるけれど、Silverburgは一冊も無い。この売り手の説明には作家のリストもないし、知らない作家のほうがずっと入っているとは思うけれど、なにしろ三万冊もあれば知っている作家のものもあるに違いないと思った。それにたった4.99ポンドだし。

結果はあたり!Besterは30冊、Sheckleyは35冊、Moorcockは49冊、と、もうこれらのdvd3枚で私のこれからの生涯に読みたい本のほとんど全部を手に入れたことになる。しかしながらこの二つ目のコレクションの悪いことはファイルの種類がpdfが多く、コンバートするとあるものにはページナンバーが入ってしまうことだ。つまり本文を読んでいるととつじょPage 9とかがでてくることだ。まだここからの本は覗いて見ただけで読んでいないのでどのくらいきに触るか分らない。まだepubにコンバートしてみたのは4冊だけで、そのうち2冊にはページナンバーが無いみたいだ。想像するに、どうも古いものにはページナンバーとか余計なものが入っていてるらしい。こういう書籍を電子化するのにも最近はやり方が進化しているのだろう。

ツレアイは先週iPadを買って、いい大人のオモチャになっているけれど、これで本を読むのがえらく気に入ったらしい。さっそくIgguldenを何冊かコピーしてあげた。これだと日本語も読めるのだけれど、まあいい。そのうち私用にもうひとつ買うか、日本語の読めるereaderを買おう。いまのところは英語のreaderで満足している。

使ってみて2ヶ月、ソニーのreaderの悪いところも分ってきた。MP3も使えて音楽もオーディオブックも聞けるのだけれど、あまり音が良くない。写真も入れられるけれど、やはり白黒じゃねー。メモもできるけれどどういうわけかキーボードにハイフンが無い(みつからないだけかな?)。本のリストが読みづらい。これはなにも何百冊もいれておくことはないのだ。今読んでいるのと、読みそうなものを数十冊入れておけばいいことだ。そのほかの本はpcにいれておけばいい。バッテリーが説明に書いてあるほどはもたない。

今私が読んでいるのはまだ一冊目で、J. D RobbのNaked in Death。ちょっとした近未来のミステリーでなかなか面白い。次は友人のお勧めのAlice Sebondの Lovely Bonesか、長い間読みそうでよんでいないAnne Franceの日記かな。

どうやら日本でereaderははまだあまり普及していないらしい。携帯電話で本を読むのかな。それに日本の電子書籍はまだ高いし、タダの青空文庫はいいけれど、やはり古いものばかりだ。そこへいくと英語ではタダの電子書籍はゴマンとあるし、私みたいに10ポンド以下で図書館一館分ぐらいの本が手に入ってしまう。買わなくても最近は図書館のサイトにいけば、ebookを借りることができる。最初に安くはないebook readerを買わなければならないけれど、これから持つ人が爆発的に多くなるのはわかる。私がMP3プレイヤーを持ったのは10年以上前で、その時にはあまり普及していなかったのだが、今では携帯でもできるし持っていない人のほうがすくないのではないかな。

最近買ったモノのなかでは最高に楽しんでいるおもちゃだ。

London Open House 1

2011-09-21 09:37:06 | Weblog
先週の週末はロンドンのオープンハウスがあった。これはロンドンの有名な建物が一般の人々に公開される、というものだ。この中には恒常的に開いているものもあるし、この時だけ一般公開しているものもある。まず行ったのはForeign Office、つまり外務省だ。どういうわけか各場所の開場を9時半と間違えて9時に友人と集合してしまった。Foreign Officeはこのオープンハウスの中でも人気一番で長い行列ときいていたので、実はあきらめていたのだが、時間が早かったので、行ってみたらまだそんなには列は長くなかったので並んでみた。9時15分ぐらいから並んで10時に開場のはずが10時すぎても開かない。係りの人が数人でてきていいわけしているが、どうも準備が間に合わなかったらしい。たぶん係員が寝坊したに違いない。10時も15分以上すぎてやっと開いた。私たちの前には2,30人いた。10時15分ごろにはもう長蛇の列でもう列の後ろがどこかも見えないほどだった。もちろん入場も人数制限をしているのだろう。私たちはもう一時間もまっていたので、真っ先に入った。どこもそうだったが荷物の検査は厳重でところによっては空港みたいにベルトコンベイヤーの検査器があるところもある。



外務省は入り口をはいるとまず目につくのが中庭。といっても天井はガラスで覆ってあり雨がはいってくるものではない。そうとう広い長四角の空間になっていてマーブルが床に敷き詰めてあり、あとで二階から覗いてみるとマーブルの模様がそろっていてとても美しい。中にはいると四方にある壁の飾りがみごとだ。中の部屋もそれぞれ美しいが、やはり圧巻は大広間とそれに続く階段だ。

  

階段のまわりには外務省らしくいろいろな国の風俗の絵がありひとつには着物を着た日本女性がたっている。これらの絵もそうだけれど、やはり建物がたってから100年以上になるので、これらの絵にでてくる人たちもなにかヴィクトリア朝めいていておかしい。彼女はギリシャローマの戦士とか19世紀のラファエル前派の絵画に出てくる女性みたいなのとかの横にボーと立っている。

  

さすが外国からの賓客などにまずは張ったりをきかせる役目の役所だけのことはある。30分時間を間違えたのが幸いだった。最後のアンケートにはすばらしかったけど、寝坊しないでください、と書いてきた。お土産に旅行の前の荷物のチェックリストが飛び出てくるというヘンなペンと鉛筆をもらってきた。ここは長時間まっても見る甲斐のあるところだった。

Travel to South (1)

2011-08-15 20:41:24 | Weblog
Norfolkは夏のホリデイとは言いがたかったので、すこしは暖かいかと思い8月第一週にイギリスの南にいってきた。この間HHAに入会して南のほうにも沢山あるのを知った。DorsetとかはむしろNational Trustより沢山あるのではないかな。最初にいったのはビューレイ(Beaulieu)といって自動車の博物館があるので有名な屋敷だ。
 
庭と屋敷そのものはたいしたことなく、横にあるアビィの廃墟もまあこんなものか、という程度。もちろん自動車の好きなひとには狂喜の博物館だけれど、車などAからBに行ってくれればそれでよし、という私だから、それほどの感激はない。もちろんコッコイイ車をみればイイナーとかは思うけれど。一番興味深かったのはむかし自動車でのスピード記録を争った車たち。一つ一つがドデカイ。こういうことにわれを忘れて夢中になる人たちがいるんだな、という程度だ。夏休みらしく、子供がうじゃうじゃいて、走り回っている。敷地内にモノレールみたいなのがあって、園内(つまりここは遊園地なのだ)をぐるっと回っている。所々にモダンアートみたいな銅像が置いてあるが、下のほうを見るとみんな値段が書いてある。数百ポンドから数千ポンドで、いったいどんな人がこんなものを買うのだろう。
 
左はたぶん一番安いもので150ポンド。右の犬は1985ポンドと読める。ベンチに座っている令嬢はいくらかわからない。

敷地のいろいろなところで、昔の服をきたメイドだの運転手なんかがいて、たぶんいっしょに写真を撮ってくれるのだろう。その他タカの種類の説明だの、いろいろ子供をあきさせない工夫はしてあるけれど、庭の見物が主な私たちには見当ハズレもいいところ。もう当分ここにはこないだろう。これでひとり18ポンドも取られるのだから、家族連れの見物の費用はとんでもないものになるだろう。

その夜の泊まりはボーンマス。私はいつも数日前にLateroomsで宿を見つけることにしている。時たま直前だとまあまあのホテルがとても大きな値引きをすることがあるからだ。このホテルはなんと二人で45ポンドという驚異的な安さで、いったいどんなひどい安宿かとビクビクしながらいってみると、案外りっぱな大きなホテルだ。部屋もまあまあ広いし、一番いいのがベッド。最新のフォームのものですごく気持ちがいい。たぶん一週間程度の逗留者が多いのだろう。夜になると私たちの部屋の真下でライブのバンドがはいっていてすこしうるさかった、というのが唯一のモンクだ。朝食も食べ放題で果物なんかもあるし、これで45ポンドは最近泊まったホテルのなかで最低料金で驚きだ。

ボーンマスの海はものすごく波が静かで、温度が22,3度ではちょっと私たちには寒すぎで海岸をちょっとあるいただけだった。
 

こん回の道筋は二年前とほとんど同じだったけれど、こん回はHHAの屋敷の庭などが目的なので、途中での見物はまったく違う。ところが二日目に目的の城の開場まで時間があるので、この間行って最も景色が良かったダードルドアにいってみた。この日は天気がよく朝でも25度近くあったらしく、このあたりでは水泳をしている人たちもいた。そのあと行った城は残念ながらその日は結婚式があるので閉まっていた。

最近のイギリス

2011-08-11 07:53:09 | Weblog
8月の第一週はまたホリデイだった。7月のノーフォークは夏にしては薄ら寒く、どうしても夏のうちにもう少し暖かいところに行きたいとこんどは南を目指したのだ。そのことは置いて、帰ってきたとたんにロンドンのトテナムで暴動、略奪が起こりビックリ。そしたら次は私の住んでいる町がやられたのだ。私の家は大通りに面していて、右には町のショッピング街、左に行けば大きな店が並んでいるショッピングセンター、と便利なところだが、両方でこういうことが起きると家の前の道をパトカーがピーピーと行き来して騒がしい。もう今日は木曜日でさすが少しは収まったらしいがそれでも昨日もパトカーの音が何回もしてそのたびにビクッする。月曜日に町にいってみると、町の真ん中のショッピングセンターへの道はいかれないようになっていた。私の職場はそこから数軒のところにあり、幸いなにも被害はなかったがそこまでの道の薬屋などがやられていた。いったいどうやってあのシャッターをこじ開けられたのかな。もっとも私はチャリティーショップで働いているので、モブ達もこんなボロの置いてあるところなど関心はないだろう。

火曜日にはもう店は開いていたが目的で行った銀行はしまっていた。ショッピングセンターの店もあいていたが、何件かは窓が板で応急処理してある。噂ではHMVなどカラにされたということだが、もう店は開いていて商売をしている。HMVはそれでなくても最近売り上げが落ちて困っているとのことで、一日でも閉店はしたくないだろう。隣近所のモーバイルの店はいくつも窓は板張りで閉店している。私はまだいっていないが、私の家の左のほうにあるショッピングセンターではコメットとかスポーツ店がやられてからっぽになったということだ。コメットの隣に今アメリカ資本のもっと大きな電気屋が建設中で、持ち主はまだ完成していなくてほっとしたことだろう。ここであいているのはおもちゃ屋のトイザラスだけということだ。

私のいく映画館は私の家とこのショッピングセンターの間にあり、わたしはまだ行っていない。噂ではやはり窓が割られたということだが、いったい映画館からなにを盗むつもりなのだろう。映画を見ている間に襲われて焼き討ちにでもなったら死ぬから怖くて今のうちは映画にもいけない。映画館はガラ開きだろう。

一番おどろいたことは、もう略奪で逮捕された人数は千を越すとのことで、たぶん略奪者など数人に一人しか捕まらないと思うと、ここイギリスではこういうキチガイは数千、数万もいるということだ。日ごろ若者の振る舞いにはあきれかえることが多かったけれど、この人数はいったいどういうことなのだろう。毎日テレビのニュースにかじりつてあきれかえっている。火曜日の夕方から家の前の道を主には白人の男共が続々と町に向かっているのが見えた。もう人々は黙って見ていないで自警するしかないと気がついたのだろう。うちのテイシュでさえちょっと行ってみる気になったみたいだ。これでもう少し血の気のおおい中若年だったら我慢できないところだろう。

昨日水曜日のニュースでは彼らのことがかなりのニュースになっていて、わたしの家の前ではないけれど、少し町よりのところをこの人々が集まってきているのが報じられていた。ロンドン市長のボリスが来ていてわたしの店のまん前で人々に囲まれてインタビューされているのがニュースになっていた。こうあまりにも身近なところをテレビで見ると、なにかすごくヘンな気がする。しかしかれらをインタビューするとあまりにも頭にきてかっかとしすぎていて、むしろ彼らのほうが危険だ。

どうしてこういうことになったか。以下はわたしの独断偏見の推理。
①ニュースコーポレーションの陰謀:この暴動ですべてのイギリス人はその前の大ニュースだったNCの盗聴事件はすっかりきれいさっぱい忘れてしまった。あれだけ数千人の携帯電話を盗聴できたし、いくつかの携帯にはにせのテキストも送っていたらしいので、たとえばロンドンの15歳から25歳に若者たちだけにこっそり、たとえば今晩はハックニーを襲え、とかテキストを送るのは簡単だろう。
②若者だけを襲う、というか警察に記録のある若者たちだけをねらう黴菌が発生した。これらは彼らの元々あまりない良心をマヒさせ、その近くの若者共にもあっという間にうつった。数年前にはShaun of the Deadでゾンビー菌に襲われたのだから、ありえるだろう。
③これのおきる1,2週間前に必要があってガラスを買いにガラス屋にいった。あまりにも暇そうでビックリしたのだが、こん回の暴動で割られたガラス窓は数限りないことだろう。ガラスの需要を高めるための策略。

こんなことを冗談でも考えてはいけないんだけれど、わたしの想像は先走るばかりだ。本当はここには若者、中、高年もふくめて大バカモノが沢山いる、ということなのだろう。もう日本にいた年月の二倍近くをここですごしているので、もう私の内面はイギリス人になってしまっていて、こん回の事件ではほかの国々の人たちにはずかしい、という気持ちが強い。来年のオリンピックへの影響も甚大なものがあるだろう。

Norfolk 3

2011-07-24 16:53:37 | Weblog
コテージの後ろ庭を歩いていくとそうとう大きな沼がある。その周りにいくつも魚釣り用の場所があってここの持ち主なんか毎日魚釣り。家とキャラバンを貸しているのでその上がりだけで暮らしていけるのだろう。イギリスでは釣った魚は食べないことになっている。どうも法律で決まってるみたいだ。海の魚は食べるのにね。
ここの沼には大きいのがうようよいるようで、ツレアイも久しぶりで大ものを釣って喜んでいた。



おもにはコイの一種でミラーというんだそうだ。彼らも釣られてやってゴハンにありついているのだろう。

HHAの屋敷はいくつかいったが、一番よかったのがホウントンハウスというところ。屋敷そのものはあまり印象に残っていないが、庭がすばらしい。調度雨が降っていたのだが庭を最初に一回りして、屋敷を見物した後、雨もやんだようで、もう一度庭を見てきた。
 

いくつかに分かれていてその一つに噴水があり、数分おきに水がでてくるのだけれど、その水に炎がまじって出てくる。水がまだ下のほうの時に炎が現れ、水は2メートルぐらいまであがるのだが、それにしたがって炎も上がるのだ。どういう仕掛けになっているのだろう。


もうひとつ最後にいったマニングトンガーデンがなかなかよかった。ここはまだ金持ちさんは住んでるので横にあるガーデンだけ見せてくれる。なかなか広いところで、ほとんど薔薇が多い。残念ながら薔薇の季節はもうお終い近いので満開とはいえなかったが、まだまだ美しい花が沢山さいていた。





屋敷の大きさも大きすぎず小さすぎず、程よく、私がユーロミリオンで100ミリオンもあたったらこんな家に住みたいものだ。この二つはぜひ来年ももう一度来たいところだ。

Norfolk 2

2011-07-17 17:27:24 | Weblog
Elyの教会のステンドグラスがとても美しかったのでもういくつか載せよう。
 
二つ目はLady's Chapelといって大きな付属のホールのもの。これを建設するとき土台がおかしくなって塔が倒れたとのことだ。いまでは窓はほとんど下のほうみたいになんの飾りもなくなっているが、ほんの一部だけ古いステンドグラスを残している。昔はさぞ美しかったものだろう。

HHAで最初にいったところはホルカム ホール。珍しく内部の写真を撮ってもいいとのことだ。入ったところのホールの大理石の柱が美しい。内部も立派だけれど、イギリスの屋敷としてはまあ普通。
  
チャールズ一世の肖像画とかラファエロのコピーとかがある。この王様の絵は何百枚とあるのだろう。どこの屋敷に行ってもこの人の絵がある。たった一人首を切られて死んだ王様にしては人気のあるひとだ。ヘアスタイルでも有名らしく見るたびに片方が短くかたほうが長い髪形をしている。きっと逃げたときにもこの髪型だったので、チャールズ本人ということがさっさと分ってしまったに違いない。

次は現在の女王の避暑地サンドリンガム。ここは特に領地が広くて入り口を入っても屋敷まで延々と道が続いている。屋敷は大きなものだけれど、一般公開しているのはほんの2,3部屋だけ。さすが現在でも使っているのであらゆる内装、飾りなどがピカピカでりっぱだ。シャンデリアも豪華でピカピカ。写真をとっていいのは付属の博物館とガレージ。そこには数え切れないくらいの高級車がぞろぞろある。これで数ある田舎の家の一軒に過ぎないのだから、全体ではいったい何十、何百台の車とか馬車があるのだろう。


庭も一部しか見せてくれないけれど、湖の周りがとても美しい。こちら側はそうとう歩かなければならないので同伴のお年寄りは残念ながらここまではこなかった。ここが一番すばらしかったのに。


ここはHHAではなく一人やく10ポンドの入場料を払った。

次はカースルライジング カースルという12世紀にできた城。内部は廃墟だけれど、外側はよく残っている。正四角形の城で周りの堀も残っている。

 

ここは階段が多そうでお年寄りたちは行かず私たちだけ。同じ日にいったのはWalshingham Abbeyという僧院の廃墟だ。この街は現在もキリスト教の聖地らしく、お参りの人たちがぞろぞろいた。かれらはこの廃墟ではなく、新建設の寺院にいくらしい。
 

イギリス人とは廃墟の好きな国民で、新築の廃墟なんか作ってしまう人々だ。私の家の近くの庭園には立派な新築廃墟があって、横にこれらを注文して造ってくれる会社の宣伝があった。なかなかりっぱなものが出来てしまうのだ。もっとも立派な廃墟はヨークのほうにあって、ひとつは Fountain Abbey もうひとつはリボゥというところ。リボゥの廃墟の山の上にはナショナルトラストの持ち物の土地があって、ここから廃墟の見物ができるようになっていた。新築廃墟の大々的なものはロンドンの西のストウだろう。

これはリボゥ(Revaulx)を上から見たところ。

これは数年前にいったストウの庭にあるニセモノ廃墟のひとつ。ここはこういうニセモノが沢山あって、ニセモノとはいえもう1,2百年はたってしまったので、りっぱに古びている。あまりにも広くて廃墟も沢山あるので、全部見てあるいたら3時間はかかるという大規模なものだ。