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全能神―主イエスの再臨

全能神の発表「ペテロの経験:刑罰と裁きに関するペテロの認識」抜粋 10

2018-07-06 01:47:16 | 全能神の発表

 あなたが満たした条件は、何であろうか。あなたが満たしたのは、最後までわたしに付き従うことのみであるが、そのほかに何があるだろうか。あなたはわたしの言葉を遵守しただろうか。あなたは、5つあるわたしの要求のうち、1つを満たしたが、残り4つを満たす意志は全く無い。あなたは、単に最も手軽で簡単な道を見いだし、それを追求しつつ、自分が幸運だと思っている。あなたのような者に対するわたしの義なる性質は、刑罰と裁きであり、それは義なる報いであり、邪悪を行う者全員に対する義なる懲罰である。わたしの道を歩まない者は、その者が最後まで付き従ったとしても、全員確実に懲罰を受けるであろう。これが神の義である。この義なる性質が人間の罰において表される時、人間は茫然として、神に付き従いつつ、神の道を歩まなかったことを悔いる。その時、その者は神に付き従いつつ多少の苦難を受けたが、神の道を歩まなかった。どのような申し開きがあるだろうか。刑罰を与えられるのは不可避である。しかし、その者は心の中で「いずれにせよ私は最後まで付き従ったのだから、あなたが私に刑罰を与えられたとしても、それは厳しすぎる刑罰ではあり得ないでしょう。そしてその刑罰を与えた後も、あなたは私を求めるでしょう。私は、あなたが義であられ、私を永遠にそのように扱われないことは知っています。結局、私は排除されるような者ではありません。排除される者は厳罰を受けますが、私の刑罰はそれよりも軽いでしょう。」と考える。神の義なる性質は、あなたの言うようなものではない。自分の罪を告解することが上手な者が寛容に取り扱われるということは無い。義は聖さであり、人間の侵害を容赦しない性質であり、したがって不浄な物事や変化していない物事の全てが、神の嫌悪の対象となる。神の義なる性質は、法ではなく、行政命令である。それは神の国の中の行政命令であり、その行政命令は、真理を備えて居らず、変化していない者全ての義なる罰であり、救いの余地は無い。人間がひとりずつ区分される時、善良な者は報償を受け、邪悪な者は罰を受ける。この時、人間の終着点が明確にされ、救いの業が終わり、人間を救う業はそれ以後行われず、邪悪を行った者全てに懲罰が与えられる。「神は、自身の傍らにしばしば居る者全てを覚えている。私はそうした兄弟姉妹の一人であり、神はそうした者をひとりも忘れることは無い。私達は神により完全にされると保証されている。私達の目下の者達のことを、神は覚えておらず、そうした者のうち、完全にされる者の数は、しばしば神と対面している私達よりも少ないことが確約されている。私達のうち、神が忘れられた者は一人も居らず、全員が神に認められ、神により完全にされると保証されている。」と言う者も居る。あなたがたには皆そのような観念があるが、それは義であろうか。あなたは、真理を実践したであろうか、それともしなかったであろうか。実のところ、あなたはそのような噂を広め、何も恥じることが無い。


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