平成…。
なったとき、もうオトナだったので、長い。
何に驚いたかと聞かれても…。
雲仙普賢岳の噴火は、いつだ?
あのとき、住居の支援をするか否か、国会で審議され、
「国民の一部だけに、国税は使えない」
みたいな話になって、意表をつかれた。
そりゃ…被災したのは、その地域のひとたちだけだ。
火山のそばに住んでいるのは、住民の意志かもしれんが…何も悪いことしてない、不可抗力なのに…。
もっとおかしなことに、国税バリバリ使われているのに。
日本という国の国民として、税金をおさめるのは、何のためなんだろう?
阪神淡路大震災も、ショーゲキだった。
今年、成人の方たちは、子供だったから、記憶にないかも。
火を消そうにも、水がない。
確か、あのときから、レバー式水栓は「レバーをあげて水が出る」形になった。あのときまで、「レバーを下げて水が出る」式だったので、倒壊した家々の蛇口が落下物で開き、水が出っぱなしになった。
あの時、あきれたのは、「復興のために税金で商業ビルを建て、賃貸でなく、分譲しようとしたら、買うひとがいなかった」という話。
住居も、ローン返済中の家が壊れ、二重ローンを借りて、新居を建てるはめになっていた。
個人商店は、経営者の年齢もあり、買ってまで継続する状況ではなかったのだろう…。
現実を見て、建てろ!
半壊のマンションも、全員の意見がそろわないと、立て直しも修繕もできない。
当然、自分の部屋だけ売って、立ち退くこともできない。
どんなぼろ家でも、戸建てがいいし、むしろ賃貸の方が、災害リスクは低いと思い知らされた…はずだった。
そして。
東日本大震災。
原発事故さえなければ、とっくに復興していただろう。
「津波が来る場所」と、現地のひとたちは知っていた場所なのに、なぜ、建てたかな?
なぜ、あんなにも、天災に弱いしろものを作って、平気でいたのかな?
ゴミの捨て方も決まってないのに。
<沈滞 核のごみ最終処分>(上)不信 本質的な議論置き去り 国主導で場所探し先行
驚くのは、あれだけのことが起きて、「原発を廃止しよう」と、決まらないことだ。
「原発なしでは、日本の電力はまかなえない」
と、言葉では聞くが、本当にそうだろうか?????
大昔、浅草のビルに日本で最初のエレベーターができたが、稼働させると、あたり一帯、停電になったそうだ!
電気を効率的に使うことに、知恵を使えば、発電力の総量に、それほど縛られはしないと思うのだが…。
(うち、こんな田舎の一戸建てなのに、南側にべったり建った狭小三階建家屋のせいで、昼間から電灯をつけ、冷暖房が必要…。日本の住宅政策、間違ってる…)
そして、あのとき、あきれたこと。
計画停電だ。
あのとき、電気の過剰使用がヤバいからと、地域ごとに、数時間ずつ停電させたが。
「どこを止めると、本当にどこが止まるか、東電にもわかってない」
ことが、わかった。
戦争や非常時に備え、そういうものは機密で、わざとフクザツに作ってあるのかも、と、お年寄りが言ったけど。
いやー、あれは単に、戦後、場当たり的に作ってしまい、記録が整理されてなくて、東電にもわかなんい感じだった。
しかも、あの年だけ!
「原発が止まると大変だよっ!」というアピールだったのでは?
もうひとつ。
この二つの大災害が、不幸にも、たまたま「野党政権」のときに起きたのが、どういう呪いだろうかと思う。
野党政権だったから、自衛隊派遣要請が遅れた、と認識している人もいる。
まあ、あるかもしれない。
だが…東電の幹部とか、自民政権と近しかったわけで。
人命を犠牲にしても、自民政権に戻したい、企業トップはいっぱいいただろう。
災害は特別としても、
「野党に政権をかえても、世の中うまくかわらない」
という強いイメージが残ってしまった。
「自民党が50年以上かけて変な国にしたのに、1年2年で変えられるわけがない」
と、あのころ、職場の先輩・団塊で、公務員の妻だった人が断言していたのが、思い出される…。