★新入生
3月は別れ、4月は出会い・・・。入学式をまじかに迎え皆さんは何を思うのでしょうか。そして何を決意するのでしょうか。
世はコロナで桜の花見見物どころではなく落ち着かない日々です。私も午前中は友人とお茶を飲んで昼は外食でその後少し買い物をして帰りましたが人が非常に少なかったです。東京を中心とした都市部で不要不急の外出自粛を求めた結果でしょうか。東京多摩では大雪警報が出されているようで桜に雪にコロナという不条理な関係が並んでいます。しかし、学校の再開についても変更をといって魚の商品券だ、肉の商品券だと馬鹿馬鹿しい議論をしている。もっとしっかりした政治決断をしてもらいたいと思うのは私だけでしょうか。
一昨日のNHKや今朝の岐阜新聞に山中教授のインタビューの記事がでていました。IPSは役に立ちたい、来年には完全にやつけることはできないがそれでもワクチンが出来る。そうすると花粉症のように例年この時期にはコロナが発生するのだから注意をしようと言うことになる。そのためにIPSも一役買って進めていきたいと非常に興味深いことを言っていました。
今、世界中の学者が目標を一つにして頑張っています。もう少しです。
新入生と言うと塾においても新しい生徒が見えています。もうそろそろ慣れてきている頃と思います。特に集団塾から見えた方は間仕切りがBOXになっていますので多少違和感があるようです。2,3回授業を経験すれば慣れますので大丈夫です。また中学生の個別指導と高校生の個別指導は違います。中学生と同じに思っている方は自習をしているのかと思う方も見えるようです。どのように違うのかと言いますと単純に中学生はキャッチボールを致します。入塾にはテストはありませんので出来る子もいれば遅れている子も見えます。長良教室&芥見教室は個別指導ですが非常に授業中静かです。もともとは先に芥見教室を開設したのですが分からなかったために声の大きい人や笑い声などあちこちで活発に話がされていました。これは活気と言うものだろうか・・・。実は20年前はそう思っていましたがどうもそうではない、と気が付いてから大きく変えていきました。そしてその結果長良教室が当時は長良福光教室と言って現在のKゼミナールさんの第二教室になっていますが高富街道沿に出てきてからは顕著に変わっていきました。
高校生はと言いますとまたもう一つ輪をかけたような静けさと言いますか分からない時すぐに教えて欲しいという私にしては少し物足りなさを感じていますがきちんとそれなりに指導をしています。凡そ科目は一般的には英語・数学+(オンライン映像)が基本ですが私どもは全科目指導対象としています。つまり言い換えれば指導できる講師がいるということです。医学部や薬大生、名大生や兎に角センター90%の講師陣を揃えています。従ってオンラインはありますが非常に少なく飽くまで個別指導と言うことに拘っているわけです。
私どもは小・中・高と教室は別にしています。個別指導の最大に欠点は人件費です。これは経営をする側から言いますとそうなります。生徒は全く関係はないのですがそれでも横軸は嫌なのです。個別指導は集団塾のように同級生や同じ学校の生徒の集団を柱にはしていません。従って大方の塾は教材が統一されていると思います。でも考えてみてください。皆さん同じ高校、同じ大学に行くならばそれでもいいのでしょうが必ず違います。不思議と思われないでしょうか。実はこれが集団塾の最も欠点で、営利を目的としたやり方なのです。先ほど言いました魚にするか肉にするかと言う頓珍漢の問答になってしまいますがこれは手間がかかります。一気に消費税を下げればいいわけですし、現金支給でもいいのではないでしょうか。実は手間をかけるようにしているとのことです。では何故わざわざ手間がかかるようにしているのかと言いますとそこに天下りがあって利権が動くというのです。世の中うまくいかないものです。ともあれ私どもはそんなことよりもオンラインと言う集団的、不特定多数が対象ではありませんのでそういうことにはなりません。此処に集団と個別指導の基本的な経営理論が異なって見えるのです。ですから個別指導は飽くまで個別であって小学生、中学生、高校生において指導は変わりませんが生徒側の方が必然的に大人になっていきます。それは受ける側がしっかりした質問をしているからです。そのようなことを小学生や中学生に要求はできませんがその内慣れてきます。これが環境なのです。
今年はコロナの関係上入塾をされる方の動きに今一の感じを受けますがもう4月12日(日)には「志望校判定模試」を実施いたします。全学年志望校の判定を致します。レベル的には岐阜新聞より少し高いでしょう。しかし、偏差値は±1点ぐらいの誤差です。中学1年生が今ならどこに行けるとわかると目標が立て良いです。意外と実態が異なります。偏差値は http://mm-homepage.com/dozan/ の処を参照ください。
私には大学2年の時同じ部活に入ってきた京都の後輩がいました。「日記」の欄に書いてありますが11月24日に長く付き合っていた彼女と彼女の誕生日に別れました。それから半年たって後輩の彼女は私の前に現れたのです。不思議と同じ名前だった。あの時は運命を感じていました。下宿はかなり近くだったですので帰りはよく一緒に帰りました。彼女は詩を書いていましたが心を突き刺すような切り口鋭い言葉でした。先輩後輩となり先輩と言う言葉が邪魔でいっそない方がよかったのですが照れもあっていつしか見守る状態でありました。彼女は京都弁で「かんにん」とよく八重歯を見せながら言っていましたがある日バスと接触し大怪我をしました。確か4月末か5月ぐらいだったのでしょうか。毎日顔を出してくれというのでどうせ学校に行っても授業に出ないのですから病院に通っていました。行かないとうるさく結局妥協して病院に行っていました。それから私たちは交際を始めいつしかいなくてはならない存在になっていました。しかし、私にも卒業の季節が来て彼女と距離を置くようになりました。
別れは大垣城で堀を見ながらベンチに座って何時間話していたのでしょうか・・・。学生だから出来たのでしょう。今ではとても考えれなく時間がないのですが当時はのんびりしていました。私は卒業式には出席していません。卒業証書が意味があって式には意味がないような気がして出席しなかった。証書は後日大学側から送付してくれました。
彼女と大垣城で別れて私は住宅メーカーの高松支店に配属になりました。就職して半年ぐらい経ったとき彼女は高松にやってきました。当時私は「瀬戸内文学」と言う同人誌に入って小説を書いていました。書くことが酷く悲しく苦痛になって当時の「文学界」同人誌評の小松伸六先生から賛辞を頂いたのですが何故かやめてしまった。当時の雑誌社の編集長からもわざわざお電話をもらいました。「太宰治が織田作之助に言った言葉に『例え一日一行でも書きなさい』と言ったがこの言葉をあなたにあげるから兎に角書いて持って来いよ」と言ってくれたのですがどうしてそうしなかったのでしょうか・・・。今も自分自身が理解が出来ない若かりし頃です。
当時は三島由紀夫が単身東大生と激論しその内盾の会を作り割腹自殺をした70年代。そして浅間山荘事件と続き一連の学生運動は終わりました。時代はその後急速に高度成長を遂げていくのですが私たちはそういう時代背景の中で別れる選択をしました。原因は色々ありますが別れは電話で「今から名古屋に帰ります」と言って電話口で泣いていました。私も会社の中でしたが涙が流れて仕方がなかった。嫌いで別れたのではなく別れる条件があったのです。別れたくないのに別れざる得なかった事実は私が文学を辞め仕事に没頭し転勤18回と言うかなりハードな生き方、生き様を見せました。今、彼女はどうしているでしょうか。私が岐阜に住んでることは誰かから聞いているかもしれません、あるいは知らなく四国にいると思っているかもしれません。満開の大垣城の桜の下での思い出が心の傷となり今も心に痛みます。
私の新入生の思い出はこのように故郷に帰るたびに思い浮かべていました。実家はもうすでに処分しましたので暫くは用はありませんが心象風景は何時までも心に残ります。私は永井龍雲の「心象風景」という歌が好きです。私だけの宝物のような気がしていつもこの歌を聞いています。そこには若い時代の頃別れた二人の女性の存在があるのです。
<今日の言葉>
『笑われて、笑われて、つよくなる』
太宰 治
<今週のYouTube>
永井龍雲・・心象風景
新年度生募集中!
無料体験実施中!
<詳細>
長良教室 058-210-1730
芥見教室 058-244-0170