★一期一会
出会いと云うと『一期一会』の言葉がよく使われます。しかし私は正直あまり好きな言葉ではないのです。好きな方からお叱りを頂くかもしれませんがどうも好きになれない・・・
原因は出会いを全て良い解釈をしてる場合が多いからです。どちらかと云いますと私自身が捻くれているのかもしれませんし卑屈になっているのかもしれません。でも好きになれないのは申し訳ないですが仕方がないのです。
出会いには『良い出会い』と『悪い出会い』があります。どうもそう考えてみますと悪い出会いが多かったのかもしれません(笑)。
友達を選ぶことは大切ですし今は誰彼となく色んな方とお話をし自分の知らなかったことを再発見してみましょう。そう云う意味で色んな方とお友達になりいい関係が出来れば云うことはないと思います。生徒にはいつも云っています。
私のように年を重ねて来ますとあの時あの人と出会ったことが今の自分がある。またあの時あの人がいたから舵を右に切らず左に切った・・・そんなことを今痛切に思います。
私は四国の愛媛県の片田舎で生まれました。予讃線で『中萩駅』という駅から歩いて5分ぐらいの処に今も主のいない実家があります。高校時代までは実家にいましたが大学受験に失敗をしまして浪人をする気でいましたがどうしても家を出たかったので困っていたところ香川大学で2次募集をしてる大学があるから一緒に行かないかと誘われて嫌々ながら受験をして名古屋の某大学に行ったのです。正直東京の大学に行きたかったのですが・・・
結果的にはその彼とは今もお付き合いをしていますし生涯の友の一人です。そう云う意味ではいい出会いであったように思います。ですから今も続いているのだと思います。大学では部活に熱心で学校には毎日行きましたが恥ずかしながら授業には出た記憶があまりなかったです。教科書も古本屋に売ってお酒になっていました。それでも何故か記憶力は抜群に強かった所為か成績は優が多かったです。出席のいる科目には後輩や代弁を頼み4年で卒業いたしました。4年で卒業することが親孝行だと思っていましたから・・・
学生時代は『文学と酒の生活』でした。名古屋の同人誌のT文学やHなどはよく出入りしましたしハチャメチャな生活でしたが今では懐かしく社会人になっても大いにその仲間たちとは連絡を取り合い助けられました。高校時代は防衛大学に行きたくて頑張っていましたが突然勉強をしなくなりました。高校1年の時母親が42歳の若さで交通事故で亡くなってから成績が急降下しましたので同僚や先生は母親が亡くなったことが影響したと云いますが実はそうではなっかったのです。その頃ある国語の教師に魅かれ勉強より文学が面白くのめり込んでいったのです。もう朝まで片っ端から読み漁りました。英語の辞書を開くよりも国語辞典を開く方が多かったです(笑)。読むことに満足できず小説を書くようになりました。あの時あの先生が国語を担当していなかったら多分目標の大学にはいけたと思っています(自惚れ?)。それだけ勉強は頑張ったですが・・・
大学時代の友達はいい思い出が多いです。一年おきに逢いましょうということで現在も続いています。今年は逢う年です。そう云う意味ではいい出会いの場所でした。私たちはお酒が入ると文学の話をしました。朝まで話し現在のようにゲームなどもありませんから兎に角議論ばかりでした。未だに逢えば朝まで話が尽きないのです(笑)。
社会人になって四国に帰ってもS文学と云う琴平にある同人誌に籍を置いていました。うどんを食べながら(やっぱりお酒も飲みました)議論したものです。しかしその後『文学界』の同人誌評で『中間小説の壺を心得た面白さがある』と久保田万太郎氏に好評価をして頂いたのですが私は『純文学』を目指していましたので能力の限界を知りその時点で筆を折りました。久保田先生に手紙を出そうとしたためたのですが自分の能力に自信がなく止めたことが懐かしく思われます。時は高度成長期でしたからそのまま妥協して執筆していれば流行作家になっていたかもしれません。しかし当時の『第3の新人』ともてはやされた遠藤周作、吉行淳之介、三浦朱門等が好きでしたし郷土のノーベル賞作家大江健三郎の小説も好きでした。それだけに拒否反応が強くあの時久保田先生が云ってくれなければ私の人生は『無名作家』で終わっていたかもしれません。
サラリーマンの時代は出世は他の人よりも早かったと思います。文学で議論をし説得することを知っていた私は28歳で管理職になり転勤族になってしまい再度岐阜まで来てしまいました。どうもこの東海地方に縁があるようです。家を建て住み着いてしまいましたから(笑)。会社を辞めたのはある人物がどうしても嫌だったからです。岐阜にいたO部長が名古屋の支店長で帰ってきた時には辛かったです。その方に1カ月間毎日説得されましたが生来頑固なものですから退職しました。名古屋でのある人物は『悪い出会い』であった気がします。結局止めて明光義塾に参加をしましたが50を過ぎて参加しましたし世はバブルが崩壊し独立なんて成功の確率はほとんど0に近かったのですが借金せずに店を立ち上げましたので苦しい時期はありましたが運よく現在までは続けさせていただいています。全員に反対されました(笑)。
出会いは難しいです。私は関西系ですのですぐに相手の懐に飛び込むと云いますか余り警戒心がないと叱られていますが、東海地方はよく排他的で受け入れてくれるまで時間がかかると云います。警戒心が強いのは誰も同じですから余り気にすることはなく私は私でマイペースでやっています。ですから子供とは友達同士にすぐなりますし叱るときは誰彼となく叱ります。私の塾は青春時代のある1ページですがそれでも良い塾だったと云ってもらいたく生徒が結婚してお子様が再度教室で学ぶようになったら最高です。そんな生徒達と『出会い』が出来る仕事と思うと感謝に堪えません。
勉強は『分析力』『競争力』をつけることに専念していますが『良い塾に出会った』といわれることを目標に頑張っています。生徒の皆さまも『良い出会い』『悪い出会い』を知ったうえで『一期一会』を使って欲しいと思います。高校、大学に行けば本当の友達に巡り合えます。逢えないかもしれません・・・それはあなた自身の係わりと選択の問題です。
長い夏もお盆が過ぎれば終わります。昨日から郡上では徹夜踊りが始まりました。私共の教室も16日(月)から授業が再開されます。28日(土)、29日(日)は定例模試で終わります。どれだけ実力がついたか楽しみです。お弁当をもって教室に来て自習勉強をしている生徒を見ますと『頑張れ!』と声をかけたくなりますし事実そうしています。20日(金)には漢字検定の特別回があります。暑い夏を皆さんはどう過ごしたでしょうか・・・
『其の文好き者は皮必ず剥がる』
虎や豹は毛皮の模様が美しいがために殺されて皮を剥がれる。長所がかえって身の災いを招くことの例え。
乗り換え&併塾キャンペーン実施中!
長良福光教室&芥見教室HP http://mm.visia.jp/dozan/
長良福光教室 058-210-1730
芥見教室 058-244-0170
出会いと云うと『一期一会』の言葉がよく使われます。しかし私は正直あまり好きな言葉ではないのです。好きな方からお叱りを頂くかもしれませんがどうも好きになれない・・・
原因は出会いを全て良い解釈をしてる場合が多いからです。どちらかと云いますと私自身が捻くれているのかもしれませんし卑屈になっているのかもしれません。でも好きになれないのは申し訳ないですが仕方がないのです。
出会いには『良い出会い』と『悪い出会い』があります。どうもそう考えてみますと悪い出会いが多かったのかもしれません(笑)。
友達を選ぶことは大切ですし今は誰彼となく色んな方とお話をし自分の知らなかったことを再発見してみましょう。そう云う意味で色んな方とお友達になりいい関係が出来れば云うことはないと思います。生徒にはいつも云っています。
私のように年を重ねて来ますとあの時あの人と出会ったことが今の自分がある。またあの時あの人がいたから舵を右に切らず左に切った・・・そんなことを今痛切に思います。
私は四国の愛媛県の片田舎で生まれました。予讃線で『中萩駅』という駅から歩いて5分ぐらいの処に今も主のいない実家があります。高校時代までは実家にいましたが大学受験に失敗をしまして浪人をする気でいましたがどうしても家を出たかったので困っていたところ香川大学で2次募集をしてる大学があるから一緒に行かないかと誘われて嫌々ながら受験をして名古屋の某大学に行ったのです。正直東京の大学に行きたかったのですが・・・
結果的にはその彼とは今もお付き合いをしていますし生涯の友の一人です。そう云う意味ではいい出会いであったように思います。ですから今も続いているのだと思います。大学では部活に熱心で学校には毎日行きましたが恥ずかしながら授業には出た記憶があまりなかったです。教科書も古本屋に売ってお酒になっていました。それでも何故か記憶力は抜群に強かった所為か成績は優が多かったです。出席のいる科目には後輩や代弁を頼み4年で卒業いたしました。4年で卒業することが親孝行だと思っていましたから・・・
学生時代は『文学と酒の生活』でした。名古屋の同人誌のT文学やHなどはよく出入りしましたしハチャメチャな生活でしたが今では懐かしく社会人になっても大いにその仲間たちとは連絡を取り合い助けられました。高校時代は防衛大学に行きたくて頑張っていましたが突然勉強をしなくなりました。高校1年の時母親が42歳の若さで交通事故で亡くなってから成績が急降下しましたので同僚や先生は母親が亡くなったことが影響したと云いますが実はそうではなっかったのです。その頃ある国語の教師に魅かれ勉強より文学が面白くのめり込んでいったのです。もう朝まで片っ端から読み漁りました。英語の辞書を開くよりも国語辞典を開く方が多かったです(笑)。読むことに満足できず小説を書くようになりました。あの時あの先生が国語を担当していなかったら多分目標の大学にはいけたと思っています(自惚れ?)。それだけ勉強は頑張ったですが・・・
大学時代の友達はいい思い出が多いです。一年おきに逢いましょうということで現在も続いています。今年は逢う年です。そう云う意味ではいい出会いの場所でした。私たちはお酒が入ると文学の話をしました。朝まで話し現在のようにゲームなどもありませんから兎に角議論ばかりでした。未だに逢えば朝まで話が尽きないのです(笑)。
社会人になって四国に帰ってもS文学と云う琴平にある同人誌に籍を置いていました。うどんを食べながら(やっぱりお酒も飲みました)議論したものです。しかしその後『文学界』の同人誌評で『中間小説の壺を心得た面白さがある』と久保田万太郎氏に好評価をして頂いたのですが私は『純文学』を目指していましたので能力の限界を知りその時点で筆を折りました。久保田先生に手紙を出そうとしたためたのですが自分の能力に自信がなく止めたことが懐かしく思われます。時は高度成長期でしたからそのまま妥協して執筆していれば流行作家になっていたかもしれません。しかし当時の『第3の新人』ともてはやされた遠藤周作、吉行淳之介、三浦朱門等が好きでしたし郷土のノーベル賞作家大江健三郎の小説も好きでした。それだけに拒否反応が強くあの時久保田先生が云ってくれなければ私の人生は『無名作家』で終わっていたかもしれません。
サラリーマンの時代は出世は他の人よりも早かったと思います。文学で議論をし説得することを知っていた私は28歳で管理職になり転勤族になってしまい再度岐阜まで来てしまいました。どうもこの東海地方に縁があるようです。家を建て住み着いてしまいましたから(笑)。会社を辞めたのはある人物がどうしても嫌だったからです。岐阜にいたO部長が名古屋の支店長で帰ってきた時には辛かったです。その方に1カ月間毎日説得されましたが生来頑固なものですから退職しました。名古屋でのある人物は『悪い出会い』であった気がします。結局止めて明光義塾に参加をしましたが50を過ぎて参加しましたし世はバブルが崩壊し独立なんて成功の確率はほとんど0に近かったのですが借金せずに店を立ち上げましたので苦しい時期はありましたが運よく現在までは続けさせていただいています。全員に反対されました(笑)。
出会いは難しいです。私は関西系ですのですぐに相手の懐に飛び込むと云いますか余り警戒心がないと叱られていますが、東海地方はよく排他的で受け入れてくれるまで時間がかかると云います。警戒心が強いのは誰も同じですから余り気にすることはなく私は私でマイペースでやっています。ですから子供とは友達同士にすぐなりますし叱るときは誰彼となく叱ります。私の塾は青春時代のある1ページですがそれでも良い塾だったと云ってもらいたく生徒が結婚してお子様が再度教室で学ぶようになったら最高です。そんな生徒達と『出会い』が出来る仕事と思うと感謝に堪えません。
勉強は『分析力』『競争力』をつけることに専念していますが『良い塾に出会った』といわれることを目標に頑張っています。生徒の皆さまも『良い出会い』『悪い出会い』を知ったうえで『一期一会』を使って欲しいと思います。高校、大学に行けば本当の友達に巡り合えます。逢えないかもしれません・・・それはあなた自身の係わりと選択の問題です。
長い夏もお盆が過ぎれば終わります。昨日から郡上では徹夜踊りが始まりました。私共の教室も16日(月)から授業が再開されます。28日(土)、29日(日)は定例模試で終わります。どれだけ実力がついたか楽しみです。お弁当をもって教室に来て自習勉強をしている生徒を見ますと『頑張れ!』と声をかけたくなりますし事実そうしています。20日(金)には漢字検定の特別回があります。暑い夏を皆さんはどう過ごしたでしょうか・・・
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芥見教室 058-244-0170