★高校野球
母校が勝ち進んでいます。すでにベスト8に名乗りを上げていますが今日は休みのようです。毎朝岐阜新聞の高校野球の結果を見てネットを見ますが今年は第二シードでしたが今の処実力通りに勝ち進んでいるようです。強いところが殆ど扱けて勝ち残っていますが何となく不気味でもあります。岐阜県は大垣日大高校が代表になりましたね。おめでとうございます。県内の生徒がいないという意見もありますが学校や監督の意向でしょうからそれ程問題にすることはないのではないでしょうか・・・。
私の母校は愛媛県の東予にあります西条高校と云う古い学校です。昔江戸時代紀伊藩の分家で出来た屋敷が学校です。お城ではなく堀があって屋敷になっています。その堀は海から引っ張っていますので満ち潮や引き潮によって海水の深さが違いますし朝はとっても霧が深く門は大手門になって今も残っています。ですからボート部もあったようです。 http://mm.visia.jp/dozan/ の『講師採用』の処にその門の写真が出ています。校章は以前も云いましたが松山東中学の夏目漱石の坊っちゃんで有名な野太鼓が転向して来て作ったといわれています。
従って将軍御三家の分家でありますから江戸時代参勤交代は免除されていたようでかなり裕福な町であった様です。私たちの時代はセンター試験はありませんでしたので共通一次試験が主であったのですが、しかし、レベルが分かりませんので愛媛県5校合同模試と云うのがありました。松山東、今治西、新居浜西、宇和島南に西条高校だった気が致しますが・・・。
野球は甲子園に行けばベスト8が当たり前でそれまでに負けると監督交代と云うかなりな後援会からのプレッシャーがきつかったです。ですから中途半端な負け方は出来なかったのです。その証拠に私たちは試合の1か月前からはグローブを捨てて素手で硬球を受け止める練習をしていました。これが大変でもう肋骨なんて何本折れたことか(笑)。お陰で私の時は甲子園で準決勝で負けましたが国体では優勝しました。しかし、それにしてもきつかったです。お城ですので学校のまわりはお堀です。これを毎日10週位したのかな・・・(記憶にない)。愛媛県は最近まで夏の優勝はPL学園のいる大阪に負けるまでは全国一の優勝回数を誇っていました。有名なのは松山商業と三沢高校18回引き分け再試合やその後やまびこ打線で有名になった蔦監督の池田高校、ヤンキースの松井選手の5打席連続敬遠、など四国を勝ち抜くのが大変な時代でした。四国を制すれば全国を制することが出来るとまで言われた時代です。
野球の結果は火曜日には決まるでしょうがさながらもう決まったように甲子園での同窓会の案内が来ています。私は体力的に少し難しいのでお断りしましたが仲間に会うのは久しぶりなものですから会いたいのは会いたいので正直迷っています。
私は野球部が甲子園で負けてから辞めました。学校は古いものですから商業学部が一クラスあります。今は看護か何かになっているようですが・・・。で、野球部は県内から集まって来ますし争奪戦が大変です。しかし、私はただ一人普通科で唯一高校時代に自慢が出来るのは実力テストが学年で10位までは廊下に張り出されますが、その時は9番だったのです。その日から私を見る目がみんな変わってしまいました。しかし、次が14番・・・その後は不明(笑)。
野球漬けから一転ある先生との出会いで体育系から文系に変わってしまいました。正直中学時代はかなり勉強はしたつもりです。ですから新居浜西、西条高校は偏差値の差はほとんどなかったのですが野球をするために西条高校に入ったのですが、何故かこの暑い夏を境に成績はぐんぐん下がっていきました。学年で10番以内と云いますとどの辺りかと云いますと一概には言えませんが偏差値65,66辺りになります。ですからまさか受験に失敗するとは考えていませんでした。上手くいけば京大、阪大など。現に私より悪かったものが京大を出ていまや誰もが知ってる大会社の社長をしています(笑)。
私の転機はもう一つあります。母が高校1年の正月空けに交通事故で亡くなったのです。このことは非常にしこり何十年として残っていましたが一昨年墓地を四国から岐阜に移転をしてやっと落ち着いたところです。みんなは母(学校創立以来の秀才と云われていたようですが定かではありません)が亡くなったので勉強をしなくなったのだろうと云っていましたが実際は私が勉強をしなくなった理由は国立を1年の時に諦めたというか行く気がなくなったからです。ですから志望校は英語、国語、日本史の三科目でしたので楽でした。つまり結論から言えば赤点さえとらなければ希望の大学にいけるということだったのです。しかし、ここに大きな落とし穴がありました。中学時代は英語はそれ程嫌いでもなかったし苦手意識もなかったのですがある先生との出会いが英語を嫌いにさせる原因になってしまったのです。ですから人のせいにしても仕方がないのですがあの時本当に日本はこれでいいのだろうか・・・なんて真剣に考えていました。色んな本を読んでアメリカ憎しで全くやらなかったのです。結局これが最後まで尾を引いてしまいました。ただひたすら勉強をせず朝まで小説らしきもの(あれが小説といえるなら)を書いていました。
凡そ勉強は誰のためでもない。珠にいやいやご父兄に引っ張られてお見えになる方がいますが勉強は生涯ついて回ります。自分自身で逃げて納得してはいけない。私はよく『強いものから逃げるな!』というのは実はこんなところからきているのです。
高校時代は汽車通でした。田舎ですので電車ではなく汽動車でしたが楽しい時代でした。汽車の中で単語を一生懸命覚えました。辞書を1ページ覚えると食べてしまうのです。そうすると忘れないということで本気で食べていました。
ですからこの暑い夏、受験生の皆さんには特に云いたい。今や塾には涼しい静かな部屋があります。教材もあります。環境が整っていますので膜利用して下さい。
私たちの高校からは石鎚山が見えます。西日本で一番高い山なのですがこの山を見て育ちました。私の実家は新居浜駅と西条駅の真ん中に今は無人の駅になっていますが中萩駅と云うのがあります。この石鎚山のお山開きの時は当時は急行が止まるのです。駅前に大きな鳥居さんがありますが祖父が中心になって建立したものですから最初に名前が書かれています。汽車に乗って暑い最中勉強しましたが今の世代は恵まれています。それは今や普通なのですが甘えてはいけないと思うのです。
ある医大生が云っていましたが彼はS大学の薬学部にいましたが4年生の時に辞めて再度塾通いをしたそうです。最初の薬学に入る前はY塾、が退学してからはK塾に通ったそうです。しかしそこで目にしたことはY塾では受験生は自習室で寝ていたそうですがK塾に行きますと順番待ちだそうです。両方とも甲乙付けがたい塾なのですが双方とも指導してくれる先生はいません。ただひたすらBOXで一人で勉強をするだけです。その点中学生の塾はどうでしょうか・・・。少なくとも明光義塾長良教室&芥見教室においては指導をしてくれますし教材も自由に使用させています。いたれりつくせしですがやはり今の時代はこれで普通なのかもしれません。
ともあれ残された時間は1カ月を残すだけ。長良教室&芥見教室の<特典>も7月28日が最終となっています。昨日も駆け込みでは入られた方が見えましたが8月は入会金が無料と云うだけになり4回無料券はなくなります。7月29日以降31日まではお休みとなっていますのでどうかお早めに来てください。
今日は野球やら私の下らない高校時代を書いてみました。力を付けるというか実際は自分との闘いです。如何なるノート作りをしていくのか・・・。6月23日(土)24日(日)は私共の志望校判定模試、8月31日(日)は第1回岐阜新聞テストです。そして前期期末テストに実力テストと目白押しです。本格的に受験シーズンに突入していきます。中体連を終えた方は今からでも個別は出来ますので是非教室を覗いて下さい。そして、悔いのない中学時代、高校時代を過ごしましょう。
<今日の言葉>
『三流は人の話を聞かない
二流は人の話を聞く
一流は人の話を聞いて実行する
超一流は人の話を聞いて工夫する』
羽生名人
<今週のYouTube>
永井龍雲の『星にたずねて』を選びました。何故か泣けてくる!
http://www.youtube.com/watch?v=eKA5LeaFrF4
夏期講習申込締切7月28日
無料体験実施中!
<詳細>
http://mm.visia.jp/dozan/
長良教室 058-210-1730
芥見教室 058-244-0170
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