岐阜/医大生が指導する明光義塾長良教室&芥見教室

医大生が個別指導する全国でも珍しい塾が明光義塾長良地区、芥見地区に登場。山県市、美濃市、関市からも通塾されています

★夏の思い出

2016年07月17日 19時35分45秒 | 日記

★野球を捨てた日

 1週間が経つのは早く気が付けばもう日曜日でした。今日は久しぶりに休み雑用をこなしています。しかし、驚いたことは岐阜新聞はじめ各新聞メディアに一斉に報じられました14日(木)のフランステロ事件。死者84人、重体52人と大きく報じられました。フランス南部のリゾート地ニーズで花火の見物客へ大型トラックが突っ込んだ事件。そのことを翌朝Twitterで動画配信していましたら何か変なのです。実は15日(金)にトルコで軍の一部がクーデターを企て軍参謀司令本部を占拠して国営テレビで「全権を掌握した」とする声明を出したのですが鎮圧され未遂に終わった事件が起こったのです。さながら日本の2.26事件と同じようなことがトルコで発生したわけです。そのことに気が付いたのはTwitterを知人にツイートしていた頃でした。私はテレビも見ず新聞もあまり読みません。新聞は少々見ますがテレビはほとんど見ないです。受信料さえ払うのが嫌になるくらいですが事実情報はNETしかありません。従ってかなりなギャップを感じる時もあります。しかし、戦争は嫌ですね。集団的自衛権が閣議決定され今度は憲法改正ですか・・・。日米であまり煽り立てるなと中国に言われる始末。必要以上に煽り立てるのもいかがなものかと思います。

 さて、今日はあっという間の一週間でしたがなかなか梅雨が明けづ蒸し暑い日が続いていますがどうか体調面に気を付けてください。特に風邪などひかないように注意しましょう。

 夏期講習もプレ講習が今週23日(土)まで続き本格的には25日(月)から始まります。AコマからDコマまではこの様になります。
Aコマ  2:40~4:10
Bコマ  4:20~5:50
Cコマ  6:00~7:30
Dコマ  7:40~9:10

 このような中で部活や高校生は学校の補習なども含め好きな時間を選択できます。しかも、都合が悪くなれば「振替」が当日でなければできることになっています。振替に理由は必要はないです。無論「空きがあれば」という条件が付きますが大抵は何とかなります。安心してください。

 そんなことでそれぞれの教室で7月、8月は違いますしお休みもそれぞれ違います。ですから明光義塾の各教室でご確認ください。これは長良教室&芥見教室のみのスケジュールとなっています。

 夏期講習が終わると二期制の方は前期末テストが始まります。またすぐに実力テストが開始されますし8月21日(日)には第1回岐阜新聞テストが始まります。ここで今の中学3年生は自分の位置が分かります。しかし、私どもは9月4日(日)に全国模試を実施しますがこれが志望校判定模試80%になっています。全学年受験するようになっています。小学生、中学生は必ず受験で(高校生は先日実施しました)志望校を5校A判定からE判定まで実施いたしています。有償にしますと受験生しか受験しませんので無料にしています。全てDOZANグループで補填しているわけです。そうすることで3年生にならなくても私どもの塾生は現在の位置が明確になっています。

 さて、「夏の思い出」ということで果たして私は夏どんなことがあったのか記憶を回顧する必要があるのですがやはり一番は「野球を捨てた日」の思い出が強いです。
当時は母親がまだ元気でしたので勉強漬けで野球と勉強の兼ね合いでしたが結局勉強の方を選択せざる得ませんでした。以前も書きましたが自分で言うのも変ですがいいとこにいました。しかし、だんだん順位が下がってくるのです。甲子園で準決勝まで行きましたが敗れその時点で新チームが結成されました。当時の監督はその後亜細亜大学に行かれましたが私はその時点で退部したのです(現在の早稲田大学の監督は予断になりますが後輩になります)。
 
 先生からは母親から野球を止めさせて欲しいと希望があったようです。そのことは母親が亡くなってから先生から聞きましたが勉強させるように仕向けられていたようです。しかし、私は野球を捨てた時に何をしたのだろうかと考えるのですが思い出すことができないのです。それな何もしなかったのですから思い出すことはないのです。

 野球と時間との綱引きでした。ここで私が手にしたものはギターでした。ギターも田舎ですので何時弾いても問題はありませんし私の部屋は離れでしたので誰に遠慮することも無かったのです。その分悪友たちが夜の夜中に部屋にいるのです。朝起きると隣で寝てるなんてことはザラで生活は非常に乱れていました。
 田舎ですから塾なんてありません。自分でするしかないのですがする気にならないのです。今まで体力を使っていたのが急に辞めますと体調が変になります。私は幼いころから体が非常に弱かったということもあって野球の世界に入ったのですがそれがいつしかのめり込むようになってしまったのです。結局この頃の時間の過ごし方が非常に問題でしたが今更希望の大学は無理だろうと思いひたすらギターを聞きながら曲を作ることに夢中になっていました。

 我が家から駅は近かったので家の傍を予讃線と云うJR、当時は機関車が走っていました。家を通過すると私は駆け足で駅まで走るのです。改札口から入ると遅れますのでホームの最後部の車両に飛び乗るのです。これが普段は上手くいくのですが少しタイミングが悪いと汽車に乗れません。そうしますと学校の校門は閉まりますので遅れて教室に入っていくということになりそんな日々を過ごしていたのです。
 
 当然母親からは叱られるのでこそっと自分の部屋に隠れていました。そんな日々が過ぎ正月を迎えた1月11日に両親は交通事故に遭遇し母親は即死、父親は重症ということになりました。翌日のテレビ、新聞には報道されました。父親は新聞を持ってきて黙って手渡してくれましたがその新聞もしばらくは残していましたがある時期に処分致しました。加害者は飲酒運転で今でも覚えていますが葬儀の日多くの参列者の傍らで裸足で坊主頭になって土下座をじっとしていました。参列者から罵倒されそれでも耐えていたようです。父親が彼を許すといったのはそれから5年ほど経ってのことだと思います。位牌に向かって号泣したそうです。

 そんな時期を通り過ぎ私も学年は高校2年生になっていました。そこで出会ったのがある国語の先生でした。その先生は非常に文学が好きで私はどんどんその話に引き込まれました。本を読むことで何もかも忘れることが出来る。そしてそういったものを自分で書いてみようと思い始めて「文学界」の新人賞に応募をしたのです。高校2年の夏のことでした。野球を捨てて初めて自分の目的が見え始めたものが100枚の短編でした。結果は無残にも終わりましたが私はもうこの世界に完全に浸かってしまいました。ですから勉強などはほとんどしませんでした。兎に角朝方4時ごろまで原稿用紙に向かっていたのですから・・・。そして父親に起こされて駅の最後尾のホームから汽車に飛び乗り学校ではずっと寝ていました。

 3年生になって相変わらず私の生活は変わらず読書と小説めいた雑文を書いていました。しかし3度目の夏が来たのです。補習はきちんと受けて勉強はすべて学校以外はしませんでした。学校から見える西日本で一番高い山、石鎚山を仰ぎながら「芥川賞を獲る!」なんて無謀な野心を駆り立てていたのです。

 受験勉強を始めたのはこの3度目の夏のことです。進路指導の先生は頑張れば行けるとは云ってはくれましたが私は全く勉強をしていませんでした。私の机には小説の本ばかり山積みされていたのですから。しかし、始めました。

 その頃父親には縁談がいくつか舞い込んでいました。母親の1周忌が終わりましたのでまだ年齢的にも40代でしたので当然と云えばそうかもしれません。私には一人の弟がいました。この弟についてはまたの機会に書きたいと思いますが不遇な人生を送って39歳で亡くなりました。その弟も当時は伝書鳩に凝って色々と孤独を紛らわしていたようです。

 3度目の夏が終えた頃先生から母親が野球を止めさせたいとの話が合ったことを聞き母親との約束を守ろうと考えたのです。父親が再婚するのであればもう家には居ることは難しいと考え独立をすることを考えました。それは大学に行くという明確な答えが事実として此処にはあったのです。先生もそれでは希望する大学を目指して頑張れということで目標は決まりました。

 しかし、結果は残念ながら失敗に終わったのです。悲しみに暮れる時間はありませんでした。どこかに行かなくてはいけないのですから・・・。私は1大学3学部を受験したのですが滑り止めと云う滑り止めは受験はしなかったのです。実際は申し込みはしましたが受かる自信があったものですから受験をしなかったという方が正しい表現なのですがあの時どうして受験をしておかなかったのか不思議です。

 そんなことで最後の最後香川大学で受験が出来るということで決まったのは3月23日だったような気がいたします。今の様にNETに公開されません。ひたすら郵便結果を待つだけです。午前中、午後と郵便屋を待つ心境は何とも言えないものでした。『そんな筈は絶対ない・・・」
 何度呟いたことでしょう。

 結局、受験は失敗しましたが家を脱出することはできました。そして私は進む道は作家になることでしたから兎に角学生運動にはあまり参加は致しませんでした。私と同じ高校のクラスのS君は高校時代国語の先生に感化された一人でしたが雑誌プレイボーイに大きく写真付きで掲載されました。今は銀座で不動産業を屋をしているとのことです。60年安保は私の前ですが70年安保がもうそこまで忍び込んできていたのです。私はひたすら大江健三郎や吉行淳之介の本に没頭して日を過ごしていました。暑いこの時期が来るとそれを思い浮かべます。

 思い出はそれぞれあるかと思います。また人生の中で作られてくるでしょう。しかし、誰しも人に言えない苦しみや悲しみがあってそれが傷となって残って来るのです。時が解決してくれるとは言うものの時間が経つのが辛いです。

 「夏の思い出」皆さんはどんなことを思い浮かべるでしょうか・・・受験生の方は今はやるしかありません。私でも3度目の夏は頑張りました。後悔の無いように頑張りましょう。通過点なんて慰めのような言葉に騙されず事実は事実として受け止めなくてはならないのです。ただひたすら自分との戦いです。誰も助けてくれません。頑張れ受験生!

<今日の言葉>
『できるとおもえばできる。できないと思えばできない。これは、ゆるぎない絶対的な法則である』
                         パプロ・ピカソ

<今週のYouTube>
当時エレキバンドが流行り私もビアガーデンでよく弾きました、思い出の曲。
CHERRY30530『霧のカレリア』
https://www.youtube.com/watch?v=EhsfyEtKjbM

夏期講習募集中!
無料券(90分4回)7月28日まで!
<詳細>

http://mm-homepage.com/dozan/

長良教室 058-210-1730
芥見教室 058-244-0170


 

 

 


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ★教材の自由自在 | トップ | ★夏の戦い »
最新の画像もっと見る

日記」カテゴリの最新記事