岐阜/医大生が指導する明光義塾長良教室&芥見教室

医大生が個別指導する全国でも珍しい塾が明光義塾長良地区、芥見地区に登場。山県市、美濃市、関市からも通塾されています

★郡上踊りにひきこもり男が総理を目指す

2022年05月29日 13時52分57秒 | 日記

★作品集Ⅱ

 昨年の春以来書き溜めていた作品についてお話をしていきたいと思います。私は十数年前からライブドアでブログを書いていましたがYouTubeが掲載できないことでその頃併用していましたSo-netやFC2などは止めてgooでお世話になって今日に至りました。その間色々株式投資の推奨銘柄の評論などを踏まえて書いていましたが本格的に「岐阜/医大生が指導する明光義塾長良教室&芥見教室」は楽天ブログも参加致しました。そういう中で自分のしたいことは何だろうといつも拘りを持って現在に至っていますが数年前から再び物書きに戻ってしまいました。戻ってしまったという事は昔は書いていたという事です。

 もうずいぶん昔、私が初めて小説を書いたのは高校2年生の時です。どこの雑誌社に応募したのかも忘れてしまいましたが確かに書いて郵便局から送った記憶があります。元々は短歌の世界が好きで石川啄木に憧れました。私の生まれ育った愛媛県は正岡子規の影響でどこの小学校でも中学に至るまで俳句の世界です。毎日のように俳句を作りました。しかし、俳句は5・7・5の十七文字です。もっと奥深く書き込んでいきたいと思い詩の世界ではなく単純に短歌の世界に足を踏み入れたのは自然な流れだったのです。東京の「あさがお」という同人誌に参加をしていました。受験生になっても勉強より雑誌に歌が掲載される喜びの方が嬉しかったです。この会は大学1年生まで続いたのですがもうこの三十一文字では満足できなくなり結局小説を書くようになりました。単純に表現の仕方が突き詰められるという事で書き始めたのです。大学では当初は吹奏楽部に入りましたがこれは籍を置いただけで1日で辞めました。当時の学生時代の応援団吹奏部は相当にヤバイ存在でした。寮生活をしていましたが寮長が副団長という事もあって辞めた方がいいからと言ってその場で処理してくれました。余程軟に見えたのかもしれません。

 大学に入ったものの授業に出ずすることもなく街を徘徊することもつまらなくなりトタン屋根のある部室を覗いてみました。そこには一人でポツンと本を読んでるM君がいました。彼は学生運動の幹部になっていくのですが私はそこで本の話をするでなく雑談に時間を潰していました。部屋はベニヤ板で仕切られ土間は土でした。雨が降ると屋根がトタンですので大きな音がするし水は床を流れ、少し目を移すと一升瓶んが何本か転げていました。そういうところから私の小説は始まりました。当時の文芸部は10人程でしたが杁中から八事の新館に移動する過程だったのですが私が2年生の頃には60数人の大所帯になっていました。このことは昨年刊行した「ワインと檸檬」の中に出てきます。
 やがて学生運動が非常に激しくなり私はあまり関心がなく無気力無関心の方でしたから止めるべくして退部をしたのは大学3年生の時でした。3年生までは授業には出席しないが部室には毎日顔を出していました。それも4年になって部も止めると何もしなく大学に行くことすら必要性を感じなくなりました。ただ卒業を待つという区切りの問題だけがあったのです。ひたすら小説を書いていました。随分模写もしましたが面倒になり自分で書いてしまう方が多かったです。

 卒業と同時に住宅メーカーに入社をして四国高松に配属されましたがそこで知り合ったのは「瀬戸内文学」でした。私は学生時代ペンネームは槍沢新太郎という名をずっと使用していました。いまだ覚えてくれる方が多くいるのは嬉しいですがこの名前は石川啄木の小説「二筋の血」という中の主人公の名前です。瀬戸内文学に入っても同様にこの名前を使用していました。そこで発表した「明日の流行」が文学界同人誌評の小松伸六先生の目に留まったという事で非常にありがたかったです。今でもスマホで検索して頂けば出てくるのですからネットの世界は恐ろしいです。その小松先生に賞賛された私が何故文学を辞めるという皮肉な結果になってしまったのは時代は純文学、大衆小説の大まかに二種類だったのです。当時は第三の新人の私小説の時代です。遠藤周作、吉行淳之介、小島信夫、安岡章太郎など現実と随分かけ離れてしまうのですが私もその中でもがき苦しみ書いていましたが小松先生曰く「中間小説のツボを心得た作品」と非常にお褒めを頂きました。しかし、私が目指したのは中間小説ではなく純文学でした。純文学以外は文学でないとまで言い切るほどのめり込んでいたのです。結局そのことがきっかけで文学の世界から離れてしまいました。

 そして何十年か経ちました。
 私の生活もどんどん会社と共に大きく変貌をし世の中はバブルの時代を迎えました。あの時小松先生や編集部の人から書くように言われたのですがそれがその時代を象徴するように中間小説の時代が来ました。タラレバは言いたくありませんが続けていたら作家として続いていただろうかと疑問に思うのです。しかし、あの時はあれが精一杯時代に反逆的な素直な自分を認めていたいと思います。だから何も後悔はしていないのです。

 学習塾は会社勤めの終わりごろから体調が悪く体を壊し結局辞めることになりました。一時的に身内のエステサロンに籍を置きましたが理由あって辞めて自分で学習塾を始めることになりました。岐阜に来て約三十年近くなります。実家も処分し家を建て親戚もできそれぞれの生活に時代は進んでいきました。私はそういう中で幼馴染の同級生で画家がいます。彼とは悪友で芸術や趣味も合い話はいまだに尽きないのですが残るもの残らないものがありますが小説などはただの紙切れ同然でシュレッターで処分されて終わりです。駄作だからいいかなとずっと予選落ちした時に思っていましたが昨年あたりから文芸社や幻冬舎などから誘いがあり形にすることはある意味意義があるのではないだろうかと思い始めました。小説がつまらなく駄作であったとしてもひとつの時代を走った事実を未来に残しておいてもいいかなと思い始めたのです。結局昨年からそういう意味で作品を刊行するようになりました。

 今回の作品は「伊東住雄作品集Ⅱ」で短編166枚の作品です。「郡上踊りにひきこもり男が総理を目指す」と「朝子は鵜飼の篝火にピカソの光を見た」の二編です。個人的には後半の作品が好きです。多くの不条理の世界に立ち向かう若者の姿は多様性を求める現代の中で古風的な古典的な考え方かもしれません。しかし、最後の作品で朝子が鵜飼の篝火と心象風景に残っていた手力雄神社の火祭りの交差する姿を見てピカソのキュビズムの世界を見たと言い一つの解決を図ることになる。最初の郡上踊りについては社会から断絶され挫折し姓名まで変えてひっそりと田舎で暮らすが十年後に知り合った彼女と別れることになり、引きこもりから立ち上がり踊りの中で最後はクライマックスを迎えることになりますが不条理の世界に慣れてしまったしまった我々は今だこそ自分を見つめる時期ではないかと思います。
 この短編作品は作品集Ⅰ、Ⅱと基本的に話は異なりますが底辺に流れているものは同じです。コロナ禍の中で体調を崩される方が多くなりました。それでも時間は立ち止まらなく受験日は近づいてきます。そういう不条理の世界は身近にゴロゴロと転がっています。夏休みなど暇な折良ければ読んでみてください。

<今日の言葉>
「自己を過大評価した瞬間から、思考の硬直が始まる」
             野村克也

石原詢子/*上の*

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長良教室 058-210-1730
芥見教室 058-244-0170

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★午後3時50分僕たちは鉄橋を走った

2021年08月08日 15時05分21秒 | 日記

★二人の女を愛した男たち

テレビではオリンピック一色で昨日は侍ジャパンが金メダルを確保致しました。04年のアテネ五輪直前に長嶋監督が脳梗塞で倒れ17年後開会の聖火リレーを務めた。壮絶なリハビリをしたとも聞く。そういうことを表には出さないのが長嶋茂雄のいいところで今回のサプライズは誰しも驚かれたことでしょう。ともあれ見ることが出来なかったのが残念ですがこのオリンピックについて天皇陛下はIOCバッハ会長の「誤訳」をされげなく訂正していました。
https://www.msn.com/ja-jp/sports/tokyogorin-2020/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E4%BA%94%E8%BC%AA-%E5%A4%A9%E7%9A%87%E9%99%9B%E4%B8%8B%E3%81%AFjoc%E3%81%AE-%E8%AA%A4%E8%A8%B3-%E3%82%92%E3%81%95%E3%82%8A%E6%B0%97%E3%81%AA%E3%81%8F%E8%A8%82%E6%AD%A3-%E9%96%8B%E4%BC%9A%E5%AE%A3%E8%A8%80%E3%81%AB%E5%9E%A3%E9%96%93%E8%A6%8B%E3%81%88%E3%81%9F%E5%85%83%E9%A6%96%E3%81%AE%E5%99%A8/ar-AAN2beU?ocid=msedgdhp&pc=U531

 ともあれコロナの鎮圧が最大のテーマです。祝いでなく記念と言われる陛下の気持ちは痛いほどわかる気がいたします。オリンピックについては色々言いたいこともありますが今日は先日7月5日にAmazonから発売になった作品についてお話をしたいと思います。

この作品は短編数集で原稿200枚少々の2編が収められています。「午後3時50分僕たちは鉄橋を走った」「二人の女を愛した男たち」であります。このモデルになった鉄橋は岐阜市と瑞穂市を繋ぐ別名前野橋という処です。ただ言っておきたいことは鉄橋を走るということは鉄道公安委員会からお叱りを受けますので決して実施しないようにしてください。小説の世界は一種の仮想世界ですのでそういう場面が必要でした。またこの作品の原点は大学時代に書いた「トランペット」の作品をもとに書いています。話は主人公でひきこもりの五郎と足の悪い坊さんのヤーさん、ジェンダーの桂ちゃんそして裕福なわがままな路子の4人の大学卒業前半年間の物語です。それぞれが身体に傷を抱え一歩踏み出すことが出来ない。五郎は妄想の世界が居心地よく路子が押しかけて同居をするようになっても断ち切ることが出来なかった。路子は実家が東海地方の中堅ゼネコンの一人娘であったため会社の跡取りの問題を抱えていた。ある日父親から電話があって実家に帰るが結局はそれが別れとなった。2月にはいって鉄橋を渡る日が来た。午後3時50分に決行する。しかし、何故か別れた路子がそこにいた。よりを戻したいと五郎に頭を下げ桂ちゃんやヤーさんが拍手で迎えた。結局4人で鉄橋を渡ることになる。トンネルのようにドームになった鉄橋の向こうには伊吹山がありその下には白く輝く光の塊が見えた。桂ちゃんはそこがLGBTの原点だと言い鉄橋を走る。鉄橋を渡ることは非常に難しく電車が車で10分ほどになったが渡り切れないと判断した五郎は長良川に飛び込もうと声を掛ける。五郎は路子を抱えて飛び降りヤーさんも川に飛び込んだ。桂ちゃんは電車のライトに向かって鉄橋を走っている。流される川の流れに身を任せてその姿を見たが桂ちゃん、ヤーさんの生存は分からなかった。
五郎と路子は堤防に寝転び始めて路子を抱いた。その時上空をジェット機が空を飛び過去と未来をぶち切るように切り裂いていった。五郎はやっと吹っ切れたと呟き路子は海外に留学をすると夢を語った。一歩引きこもり8050問題やその他不登校などの問題を多く抱えた問題を提起しました。

一方「二人の女を愛した男たち」はやはりひきこもりの一平を中心に話は進んでいく。マンションを借りて台風の夕方ドイツの東野から国際電話が入る。先月まで借りていた部屋なのだがそこに日記帳を忘れてしまったので帰国するまで本を預かってもらえないかと依頼をされる。外は暴風圏に入ったところでインターフォンから声が漏れてきた。そこには風雨に打たれている女子大生の涼子がいた。帰る手立てもなく薔薇の絵を抱え通路に蹲っていた。一平は彼女を部屋に入れ結局泊めることになった。お礼に来た彼女は実は自分は解離性健忘症で過去のことが分からないと初めて告白をする。一平は現在と過去、そして未来への選択に迷うが友人の医者の高橋と話をしながら少しずつ接点が交差してくるようになる。ある日涼子の誕生日に長良川の鵜飼い見物に出かけるがそこで家庭教師をしていた生徒に出会う。「理恵」と呼ばれ東野の日記の女性が理恵であって涼子と理恵は同一人物だと分かる。鵜飼いの篝火は過去の思い出を焚きつけるように押し寄せてきた。一平はその夜誕生日の涼子の生まれた年のワインを抜いて乾杯をするがもうその時には涼子は理恵であることが明確になっていた。その内理恵が妊娠し結婚しなくてもいいから子供は産むと言い出した。一平は彼女との結婚を意識し涼子の両親に挨拶に行く。そこでは父親と東野、理恵の三人の食い違いが明確になって来た。それから数日後ドイツから東野が日記帳を受け取りに来たが涼子は隣の部屋で聞いていた。玄関に掛けている真っ赤な薔薇の花は鮮血を表すような鮮やかだった。その絵を見た東野は自分の彼女もこの薔薇の花が好きだったと言って部屋を出て行った。
 話はそこで一段落つき高橋と一平は料亭で酒を飲んでいる時涼子の母親から理恵が倒れて出血していると携帯に電話が入る。僕の携帯を取り上げた高橋は救急車に自分の病院の名前を伝えるように話をして二人は岐阜市内の街を病院に向けてタクシーで走っていく。物語はそこで終わることになるがこの先は読者の判断に任せたいと思い話を切りました。

 以上が二つの作品の大まかな話であります。10月には楽天にも出るかと思います。今回は最初からAmazonでしたが次回からは最初からAmazonと楽天双方に出版を販売依頼していくつもりです。
 このようにして私の夢は形になってきましたが次なる仕事は初めてエンターティメントを書き上げました。書き上げたというよりも彼是3年ほど練りまくった作品です。岐阜と四国を舞台にした作品となっています。多分10月ごろには出せるかと思います。尚、Amazonの無料キャンペーンで8/10、17時から8/15、17時にかけて掲載されると思います。

 夏期講習も一段落致しましたがこれから中盤、後半となっていきテスト対策と流れは進んでいきます。その間に岐阜新聞テストや私どもの「全国志望校判定模試」などが実施されますが出来るだけ受検してください。受験は自分を助けてくれます。今一度見直ししましょう。

<今日の言葉>
「自分だけが便りなのだ。信じるものはこの腕しかない。神々の力の及ばないところに私はいるのだ。この岩と夢の中に自分が同化してしまいそうな不安な心持になる。そこから逃れるために、私は力いっぱいアイス・バイルをふるった。行動することだけが私の神経を癒すのだ」
                吉尾 弘「垂直に挑む」

いちご白書をもう一度(昭和50年)バンバン

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★合格発表の日に思う事

2021年03月21日 10時57分59秒 | 日記

★高校入試合格発表

今日は午前9時から各高校で合格発表がありました。今年も岐阜高校、岐阜北高校に合格者を出すことが出来ました。連絡を取りながらブログを書いていますが兎に角お疲れ様でした。合格した人、失敗した人悲喜こもごもです。結果的に頑張った人、計画通りに行った人は良かったですが目標をかなり上げていた人には厳しい結果が出ています。コロナの件が原因とは言いませんが、その分大学入試では頑張ったので平均点が上がったのですから分からないものです。世の中気持ちと反対に動くようです。

 今回のテストで心配したことは体調の変化でした。かなり体調を崩された方も見えるようでした。自由にのびのびと勉強をして実力も相当伸びた方も見えます。反面あまり伸びなかった方も見えますがそれでも精一杯頑張ったのですからここは辛抱です。いつも言うように入試は「通過点」といいますが目標点」は何でしょうか。それぞれに違いはあると思いますが入試の通過点で目標をセットしてしまう方もいれば就活にセットする方も見えます。また人生の目標をセットしていく方も見えるでしょう。しかし、とりあえずは身近なところで入試の合格を願うという事が一般的ですが、そうしますと仮に高校入試で、大学入試で失敗してもそれは一種の獣道に紛れ込んだようなものです。そこは森深い場所で行き先が分からないがよく見ると獣が通った小さな草むらを踏みつけた跡がある。これを獣道と言います。獣は生きるために道を切り開いていくのですが今失敗した方はそこに活路を開いてください。きっと道はある筈です。

 私も昔大学受験に失敗し泣くに泣けない日々を過ごしました。当時は電報でしか合格の通知を早く知る方法はなかったですがいくら郵便屋さんの来る時刻に待っていましたも答えはありませんでした。東京で3泊4日で3学部受験しましたが結果的に何も得るものはなかったのです。まさに地獄に突き落とされたような日々、滑り止めの大学すら受験料を払っても受験しないほど自信に満ちていましたが、今まで多少なりとも天狗になっていたのが鼻の折れたピノキオになってしまいました。ひたすら自分の部屋に籠り天井の節目を数える日々でした。当時付き合っていた彼女も学校を早退し私の部屋に来て様子を見て胸に被さり泣いてしまいました。彼女のショートの髪を撫でながらミルクのような甘酸っぱい香りを感じました。その時不意に彼女とは別れるだろうなと頭をよぎりました。案の定私が家出同然に飛び出した1年後彼女の誕生日に別れることになりました。結婚して東京に行ったと風の便りに聞き探しましたがその後の消息は誰も分かりません。

 私の受験の失敗はこの様にして再スタートを切りました。会社勤めも転勤転勤で好きな文学も断ち切り小松伸六先生の言葉を頂きながら結局は能力の限界を感じ仕事に没頭していきました。体を壊し今の仕事を始めましたが今日の発表の日の長いこと。3年間の総決算で毎年なのですがいつも長く感じます。結果を早く知りたいという期待と怖さが同居し岩陰に羽を震わせじっとしている自分自身の心象風景を感じます。どうか一日も早く立ち直って下さい。そして明るい元気な姿をまた見せてくれることを期待しています。

 今回大学受験、高校受験で合格された方、おめでとうございます。しかし、単にここは高校という単なる「駅」です。大学受験が本当の受験においては終着駅になります。いい大学に行ってください。また大学に合格された方は大学生活を楽しんでください。学生しか味わうことが出来ない世界があります。世と隔絶されたような一つの世界、それもいいのではないでしょうか。しかし、学生であるという事ですから勉強をしっかりしてください。勉強をしなかった私が云うのも変な話ですが学生は将来を見据えて頑張って欲しいものです。私は元々作家志望でしたので報道関係に非常に興味がありました。結局、物造りが好きなことが住宅メーカーに就職することになったのだろうと考えていますがもっと勉強してた方がいいにきまっています。今更ながら再度大学に通いたいなんて数年前には考えていましたが現実には難しいので書類を読んで気を紛らせています。

どちらにしましても結果は出ました。まだ長良教室の方と調整が終わっていませんので終わりましたら
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書き込んでおきますのでご参照ください。
それぞれの春はそれぞれの思いを乗せて桜の花びらのように瞬時に散ってしまいます。「次代のエース」として頑張ってください。いつも私は皆さんの傍にいます。困ったことや悩みがあればいつでも教室に来てお顔を見せてください。元気が一番です。これからの人生に期待しています。また今回の試験で苦杯を舐めた人は途中下車駅ですからある意味挫折を最初に味わったことは幸運だったかもしれません。人生こういう不幸はいくつもあります。私など数えることが出来ないほどあります。でもその度心を奮いたたせ頑張て来ましたしこれからも頑張ります。一緒に頑張りましょう。
受験生の皆さん結果はともあれ本当にお疲れ様でした。しかし、今からが大事だという事を忘れないでください。

♪ツヨク想う 絢香 (Live)

<今日の言葉>
「成功する方法は、たった一つだ。成功するまで、失敗し続けることだ」
            ジョン・テンプルトン

春期講習募集中(3/28まで)
4月度から入会金必要
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長良教室 058-210-1730
芥見教室 058-244-0170

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★思うままに

2020年12月06日 14時58分33秒 | 日記

★近頃は

 冬期講習は12月1日(火)から始めました。昨日5日(土)は中学3年生だけの「志望校判定模試」を実施いたしました。従来は小学生、中学生全て同時に実施いたしていましたが未習部分が多くて中学3年生以外は1月に先送りに一昨年から致しています。中学3年生は三者面談が今頃実施してるところが多いと思いますが最近はかなり高校に対する進路の指導がチャランポランな気がいたします。本人が公立希望をしているのに駄目だとか私立単願でないと駄目だとか挙句の果ては通信しかないとか、何様?って感じの進路指導の先生に対する批判が多いこと。400点以上毎回取っている子に単願で私立高校、推薦でいい大学に行けるからって誘い水をし誘導している。推薦でいい大学に行ってる岐阜市の高校はありません。ないとは言い過ぎですがそれほど自慢が出来るようなところはないことは事実です。その私立高校でいい大学に行ってる方はセンター試験や一般入試で行かれた方が殆んどです。従ってあまり知らないのに知ったかぶりして子供に嘘を押し付けるのは非常に恥ずかしい行為です。また本人が公立を希望しているにもかかわらず受験させない。私立一本ならまだしも私立も受けさせない。理由は受けても受からないから・・・。そういう進路指導の方も見えます。受験する私立、公立高校は誰でも受験が出来ます。ただ合格すると言うこととイコールではないです。しかし、意味がないから受験はさせないと言う先生の人生観ははっきり言って「教師資格 喝!」と思います。結論を言いますとそれぞれの学校には割り当てがあるのです。今年はこれ位の生徒をください。もっと点数のいい生徒を混ぜてください、これが実態です。

 第一志望の道は厳しいですがそのために頑張ってきたのですから自分の主張は明確に伝えた方がいいです。月曜日辺りからかなり本格的な話し合いが始まると思いますがデーターと自分との戦いです。もしもあなたが相談の結果一抹の不安があるのでしたら(全員ランクを下げてもありますが・・・)下げるのもいいでしょう。言えることは高校に最後尾で入ってもきついのでワンランク下げて上にいた方が楽だからという方がよく見えますがこれは入学して5月の連休までのお話です。中学に入って最初のテストがいいのとまったく同じことなのです。高校生は順位がかなり変わってきます。楽に上位で突き切って3年間持続できれば申し分ないですがそういう人は見たことはありません。高校生は入ってからが勝負です。現に私どもの高校生は数学、物理、化学、英語、国語などが主になっています。時たま世界史や現社などをされる方が見えますが場当たり的です。

 今日は講習については勿論ですが入会の時期はありませんので何時でも構いませんが冬期講習の締め切りは12月28日(月)になっています。年が明けると私立中学、共通テスト、私立高校、公立高校と目白押しですが今年はコロナで振り回されて非常に気の毒な感じがいたしますが皆さん同じ条件ですので我慢するしかありません。必死になって自習室に通っている高校生、やがて中学生もこれから増えてきますが自習室はかなりゆったりと確保していますので自由に出来ます。
冬期講習についての詳細は http://mm-homepage.com/dozan/

ここに全て書いてありますので今日は来年4月からの教材についてお話をしたいと思います。今年が終わらないのに来年の話をするのは鬼が笑うかもしれませんが教材が大幅に変わります。それに並行して少子化です。教材についてもかなり変わってきます。多分に教材についてお話をするのは私が一番とは言いませんが早いと思います。

 個別指導はもう集団の良さを全て網羅してしまいました。こう書きますと何の事かお分かりにならないと思いますが使用教材は二本立てになります。その二本とは「解説動画」と「動画解説」の二本立です。どう違うのかと言いますと単純に言えば講師が出てきて画面上で説明をするのが「動画解説」です。講師が出て来なくて赤鉛筆で線を引いて説明をするのが「解説動画」です。現在でも講習用の教材は「解説動画」ですがこれが通常教材の中で「動画解説」を出来るようになります。今までは集団塾ではそういうことをやってアップしていましたが正直羨ましかったですが個別にも出来るようになりました。教室で補充教材を使用する場合でも全て動画解説をすることが出来るようになります。

 これはかなり画期的なことです。そしてatama+が小学生にも対象となります。atama+は共通テスト8割を前提に進めていますが現在は中学生まで下げてきていますが、小学生まで下げてきます。芥見教室では4年前からこのatama+の稲田氏と接触し非常に共鳴をして今回本格始動し始めました。https://www.atama.plus/

 このように時代は塾の再編と共に人海戦術の限界、指導者の出来不出来などは一気に解決し、それよりもうちの子供は何時しかできなくなりましたというお話を聞きますが、何処でどこの単元で躓いたのですかと聞いてもご父兄では分からず当然子供も分からない、それが実態です。気が付けばみんな先に行っていた。塾に行っている子といかない子ではこのように差が出来ることを知らなかったと言う方が多いのは事実です。この話は中学1年生や高校2年生にはよく聞かれる言葉です。でもやれやれで高校に入ったのだから少しは休ませてあげないとと言われる方も見えますが正直そんなにお子さんは苦労はしていないです。もっとガンガンやって丁度いい。私に言わせれば高校からが本格的ですということです。
勿論、中学2年生で塾に通って成績の上がらない方はすでにその塾はあなたには合っていない証明なのです。このことは私どもの生徒にも言えるのですが何としても見直すことが大事なのです。そこでその具体策、戦術はAIと授業の動画解説です。これは全て家庭配信いたします。令和3年は非常に変わってくるのではないでしょうか。長良教室&芥見教室は小・中・高一貫指導塾です。特に長良教室&芥見教室は高校生はかなり多く飽和状態になって来ていますので小、中学生に力を入れていきます。今までは中学受験を終えると辞めていく子が殆んどでしたが少し来年度からは角度を変える予定です。

 中学生に関しましては従来通りですが「特待生」の制度は中学3年生の夏までしか対象になりません。つまり高校に入って東京大学や京都大学に行くから特待生にして欲しいと言ってもそれは出来ないと言うことです。飽くまで中学生時代の在籍は条件となります。現在中学生の1年生、2年生の大募集をしています。この冬はチラシ、DMはしていません。教室の窓口で資料の配布をしているだけですがそれでも体験の生徒がお見えになります。有難いと思います。特にこの冬芥見教室では過去の生徒の妹さんや弟さんが顔を出してくれます。一緒に見える人もあれば話をしてくれる人も見えます。話は尽きないですが妹さんや弟さんに上の子のイメージを被らせることは駄目なので当時を思い出しながらお話をしています。結婚した嫁さんも明光に通っていたなんて言う方も見えますし20年前にやんちゃ坊主だった生徒がネクタイをして嫁さんと一緒に顔を出して紹介してくれるのですが嬉しくてたまらないです。20数年前に会社で何度か倒れ原因不明で会社を辞めてからこの仕事に入りましたが気が付けば22年目に入りました。その間教室で倒れ一命は取りとめましたがその分残された時間を次の世代に役立てよという私の宿命のような気がしてなりませんでした。「次代のエースは君だ!」それはあなたであり講師の皆さんであり、また私自身でもあるのです。私どもDOZANgroupの合言葉は「次代のエース」を作ることです。勉強が出来るに越したことはないですが勉強だけでなく人格的にもしっかりと育成していく覚悟です。

 残り時間がすくなくなりました。年が明ければ共通テストです。第一志望に合格するように高校生には共通テストの受付に合わせて太宰府天満宮のお守りをお渡ししました。高校受験の皆さんには正月明けの1月4日(月)にお渡しいたしいたします。他の生徒には太宰府天満宮の鉛筆を恒例によってお渡しをしています。ともあれ今は講習中です。しっかり復習を致しましょう。中学3年生の1月早々の実力テストは最後の判断基準です。心おきなく準備しましょう。

<今日の言葉>
『グランドに出たらな、先輩、後輩の序列はないんだ』
          長嶋茂雄「強者の行動訓」

森田童子 「Dōji Morita」 ||| みんな夢でありました 「It all happened in a dream」   

冬期講習受付中!
入会特典1か月無料(90分×4回)12/28まで
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長良教室 058-210-1730
芥見教室 058-244-0170

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★君の誕生日

2020年07月19日 17時37分14秒 | 日記

★夏の思い出

 夏期講習の申し込み締め切りが迫っています。一応7月28日に閉め切りになっています。個別指導ですので何処から入っても構いません。つまり集団塾ですと決まったところから始まりますので遅れたところは空白になり自分のペースには合わしていただけません。学校別、映像ににしてもしかりです。目標を高く掲げている方は集団では無理でしょう。何故ならレベルが共通しているからです。中学と高校の勉強スタイルは塾によって違います。少なくとも少子化の中で余計窮屈な世界になっているはずです。DIAMONDに面白い記事が載っています。
https://diamond.jp/articles/-/243567
この話は非常に面白いです。たまたま将棋の藤井聡太棋聖獲得の知らせの後でしたので余計そう思うのかもしれませんがよければ一読ください。大学に入るために勉強をする。その目標の大学が必要としている科目だけすればいいとなるとテストのための勉強になります。これがセンター試験から共通テストに変わった主たる理由です。高校入試も普通科の再編案が模索されていますがこれはあまり大きくは変わらないと思いますが専門課程については変わる可能性があるかと思いますが上記DIAMONDの記事に重なる部分があります。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6812c08820a8caad6769dbd2bab4722a98d3e3e0

 このように益々変化がしていますが型にはめて子供を育成するのではなく自由にのびのび育ててやることが大事かと思います。明光義塾の教えるのではなく自分で考えて自立心を養うと言う考えは間違ってはいないと思いますし非常に大事だと思います。そうしますと1:1の場合考えるのではなく教え込むスタイルになってしまいますがこれでは成績は伸びません。従って勉強は一人で出来るようになればもうそれでいいのです。極論から言えば塾に通う必要はないのです。勉強は考えて新しいものを作り出すものです。教えられて納得するものではないです。しかし、現実には教え方について、考え方について個々の意見や思想的なものがあるでしょう。ですから効率を考えて次のステップに進んでいって欲しいのです。明光義塾とはそういう塾なのです。集団塾、個別指導や映像授業、学校別、コース別などそれぞれに生き方、育て方は異なるでしょうが自分に合った塾でいいのではないでしょうか。塾の格付けのようなものはありませんが一般的にはあると思います。それは評判であり口コミであると思うのです。明光義塾長良教室&芥見教室の評判、口コミは余り良くは分かりませんが精いっぱい生徒に向き合うことについては間違いのないところです。夏期講習の申し込みあと僅かです。兄弟姉妹、お友達同時入会(1週間以内に手続き完了が条件)の場合は半額になっていますので是非この機会に立ち寄ってみてください。今年の夏はコロナの関係で夏休みが読めず各塾様が色々苦心をして単純に言いますとロングランで取っておけばどこでもいいだろうと言う流れのようです。しかし、今回長良教室20周年記念と銘を打って出た以上はそれ以上頑張って評価、口コミを上げるしかないかと思います。詳細は http://mm-homepage.com/dozan/  の行事予定をどこでもクリックしていただければ出てきますので読んでみてください。

 さて、私が大学を卒業するについてどうしてもきちんと書いておきたいことがあります。それは彼女との別れであってそのことが未だ心の隅に残っていることも事実です。もう彼女はどうしているのか消息も分かりません。元気でいてくれればと願うばかりです。
 私が部室で本を一人で読んでいると入部希望という女性がいました。それが彼女でした。学年は私と同じ歳でしたが一浪していましたので後輩になります。鋭い切れ味のある詩を書いていました。フォークの雨が降る・・・、そういう表現を覚えています。彼女と付き合う1年前に随分長く付き合っていた故郷の彼女と11月に別れ、その半年後の4月に同じ大学に入ってきました。三年間付き合って私には夢があったので結婚は考えていませんでしたが彼女は考えていたようです。非常に気性が激しく感受性が豊かでしたのでよく喧嘩をしましたが最後には何となく元の鞘に収まっていました。今考えるとどうして別れたのかよく分からない、多分に彼女から身を引いたと言うかケジメをつけたのだろうと思います。私は高松市が最初の勤務地でしたが下宿先まで来てくれましたが一度会ってそれが別れになりました。その半年前に大垣城の堀のベンチに座って長い話をしていましたが堂々巡りで何も残ってはいませんでした。大垣駅で彼女は養老線に乗って向こうのホームから手を振ったのが印象的でした。私はこれが最後と思っていましたが急遽高松までその年の夏訪ねてきたのですがそれが最後の別れになりました。それが彼女の誕生日でした。いつも二人で祝っていましたので今年も同じようにと思ったのかもしれません。そういう意味では私の方が卑怯だったのかもしれないし別れた原因は私にあったのかも知りませんが今や真相は藪の中です。
 
 私の作品は私小説の第一人称で書くのが殆んどです。自分の気持ちを表現するのには小説を書いて解決するしか方法を知りません。絵画や写真、陶芸やその他色々表現方法はあるでしょう。でも私にはこの私小説的なものが一番表現しよいのです。例え新人賞に応募したとしても下読み段階で没になればシュレッターにかけられて終わりです。何も残りません。ですが無駄だとしても書かなくてはいけないと思うのです。現在依頼が二社から来ていますがその内店頭に並ぶかもしれません。そして1冊も売れない、読まれないかもしれません。ですが書かなくてはいけないのです。それは私の人生の使命のように思っています。もう時間があまり残っていないような恐怖と戦いながらいつもパソコンと向き合っています。

 学生時代はいつも私は夜型でしたので夜中の11時過ぎから朝まで勉強をしていました。家の前を列車が通過するとダッシュで家を飛び出すのですがタイミングが悪いと遅刻になります。私の学校は遅刻でも入れたのでしょうか・・・。私は遅刻=欠席ですから非常に最後は出鱈目だったことでしょう。大学受験に失敗したのも内申が影響したかもしれませんがあまりそういうことは考えませんでした。それよりか友人と夜中にバイクで走ったり酒を飲んだり煙草を吸ったりで悪い方のイメージが強かったかもしれません。その中で一番仲の良かった友人も数年前に亡くなりました。車ごと海に飛び込み自殺でした。悲しみを共有した幼馴染みでした。夏の思い出は付きません。

<今日の言葉>
『人生に代行などありはしない。生きると言うことは、独りのものでしかない。誰も君に代われぬし、君も誰のために代われるものではないのだ』
          石原慎太郎「君に情熱を教えよう」

 

 

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★good-bye2019

2019年12月29日 22時48分17秒 | 日記

 

★ラストステージ


 早いもので気が付けばもう今年は終わります。教室の方は28日の土曜日を最後に終わりました。年明けは2020年1月4日(土)土曜講座から始まります。
 振り返りますとこの2019年度は私は意地でやってきたような気がいたしています。正直もっと自分のしたいこと、やり残したことをやりたかった気がいたしますが出来ることと出来ないことがありますので正直戸惑いを隠すこともできません。

 私はサラリーマン時代は相当な短期で通っていました。鉄拳制裁など朝飯前でガンガンやっていましたが営業課長を卒業と同時にもうそういうことは我慢をするようになっていました。というよりかそこまでの話を私には持ってこなくなったという方が正しいのではないでしょうか。
 私は顔に似ず潔癖なところがあります。正義感が強く負けず嫌いで普段は温厚なのですが相手が牙をむけば必ず私は牙をむいて立ち向かいました。これがサラリーマン時代出世を妨げ体を壊した原因だと思っています。ですが後悔は微塵もありません。何故なら正義感、大義に向かって私は自分の駒を進めたからです。頭を下げることは嫌いではありません。年は関係ありません。年下であろうが年上であろうが教えを乞う場合、意見を聞く場合私は少なくとも耳を傾けます。取り入れるかどうかはその後の選択ですが聞く耳は持っています。ですから今年一年の中でも随分学生の皆さんから教えをいただいたこともありますし怒鳴りつけたことも一度や二度ではありません。でも有難いことに皆さんついてきてくれます。感謝に耐えません。

 前書きが長くなりましたが今年一年の中で何が一番気になったかといいますと平成が令和に変わったということでしょうか。個人的には休みが多かった気がします。その分正直大変でしたがここで今年の10大ニュースを載せてみたいと思います。読売新聞です。
https://www.yomiuri.co.jp/feature/top10news/20191220-OYT8T50125/

 このようにそれぞれの10大ニュースがあります。これは一般的な中から読売新聞が選択したのだろうと思いますが私個人としては昭和天皇が御崩御されたとき半旗を掲げ亡くなった小渕総理が「平成」ですと額を掲げましたがこのことがひどく印象に残っています。今年は菅官房長官が「令和」の額をもって披露いたしましたがあまり印象には残っていません。しかし、御崩御され暗い中での時代の移り変わりよりも新しくお元気なうちに代をお代わりになったことの方がよかった気がしていますが私だけでしょうか。

 塾の方では昭和が平成になろうが平成が令和になろうが普通通りに授業は致しました。新しい時代に向かうとき部屋に籠って考えることも大事かもしれませんが授業をやめる方がもっときついことに違いはないと私は思いました。そういう意味で平常通り進めさせて頂きました。

 今年一番はZ会アオイゼミの導入かと思います。全国の学習塾の中で私どもの長良教室&芥見教室が先陣を切って導入したことはかなりな冒険でした。これには私の意地、生き様があります。しかし、FCという壁が邪魔をして何ともならない状況が現在に至っています。正直時期を逸した気がしています。もっともっと大きく塾をすることができたであろうと思いますがタラレバは致し方ないです。
 
 生徒の数は例年とあまり変わりはしませんでしたがそれでも生徒数は全盛期の7掛けぐらいでしょうか・・・。私どもは100人以上いた時代もありますが当時は週1回の生徒がいましたが今は土曜講座の関係上週2回以上(但し、中学生のみです)に限定しています。ですから小学生は中学受験をする方が必然的に多くなってきました。また高校生も週1回から可能ですので多くなってきています。長良教室&芥見教室にしましても半数近くは高校生になっていますので講師の質を求めるのはここに原点があります。かといって中学生をないがしろにしているというわけではありません。基本は中学生ですのでできる子、遅れている子など様々ですが多様に見えます。
 
 芥見教室では数年前から英語の長文対策を始めていました。当初はできる生徒だけに実施していましたが昨年からは中学2年生以上は全員対象としています。本部のリスニングクイッヘパーなどもその一環行事かと思います。Z会と同じくして能力開発センターティエラコムとの繋がりも益々強固になっています。現在小学生には全員無償で使用させていますが現在でも能開ホロンでは使用していると聞きます。AIホロンと名を変えていますがこれはatama+の稲田氏によるもので私も数年前から稲田氏とはFacebookでお友達となり社員とのメールの交換やテレビ電話での会話など数年前からさせて頂いています。個別指導を模索していきますとどうしてもこの道に入ってしまいます。今後どのように進んでいくのか自分でもわかりませんが少なくともこの2019年度においては単なる通過点ではないような気がいたしています。

 もとより私はアンテナをあちこちに挙げることが好きでしたし現在も挙げています。つまり仕事は同業他社といいますように同業者はあまり参考にはなりません。何故なら都合の良いことは言わないし逆に悪い方が多いからです。私は基本的に他人の所為にすることが大嫌いです。すべては自分が受け止めます。、それで自分が潰れてしまうのであればそれだけの人間だということです。でも人にはそれぞれ使命があります。私は出来るだけ出来ることはしておこうと考えています。そのことは人間として生を受けた時から必然的に決まっているのではないだろうかとさえ思います。私の使命は「次代のエース」を作ることです。私の遺志を継いでくれたものが次の時代をリードしてくれる。そんな気持ちで指導といいますか塾の経営をいたしています。そこに本部の「自立学習」というものがあるのかどうか・・・。多分に勉強ができる出来ないは別として人間として素晴らしい生徒を一人でも二人でも育成していきたいと考えています。

 私は明光義塾の傘下に加盟して今度7回目の更新をすることになります。なるかどうか今はわかりませんが多少色々あるようです(笑)。FCというのは本部とオーナーは対等ですがいつしか優越権の乱用のように上から目線になっていることが多いです。私の心は随分早くから決まっています。本部は自分たちの会社を守るために必死になってやっていますがそれは私どもも同じことなのです。更新が駄目だというなら辞めるだけのことで単純明快です。私は十数年前から辞めたかったのですから・・・。

 私の考えは本部とは真逆の方向で進んでいます。Z会もその一つです。月謝の改定でUPすることに対して私はGDPをみても反対でした。そこにできたのが生徒に還元するということでZ会アオイゼミが導入となったのです。単純な気持ちではないです。現在FCに対する法的な規定はありません。セブンイレブンが先日謝ったのと同時に今後はFCに対する規制がもっと厳しく法制化してくるかと思います。2020年オリンピックが始まりそして終わりを告げますと世の中は不景気風が一層強くなってくると言われています。日銀により作られた株価は日経先物との乖離が相当な数字になっています。売るに売れない状況になっているのです。相場は買いだけでなく売りも利益になります。外人投資家はすでに売り越しに入っているといいますがこの先どうなるのでしょうか・・・。
 
 安部一強といわれる内閣が今後どうなっていくのか・・・。倒れるのかトランプの再選をみて4選もあるとのことですが一方野党連合政権にて政権交代になるのか非常に難しい時代になりました。子供の出生率も86万人と90万人を切り最悪になっています。フランスのシラク大統領が成功したのは子供ができても3年間は勤務先の給与を昇級する、病院や保育園、教育は当然無料、そこまでやって初めて少子化対策ができるというものです。消費税を上げてトランプの意のままに金を出し中東に自衛隊を派遣するような時代。今日本はまさに混迷の時代を進んでいます。そういう中で受験生は先般の問題もありましたが大変な時代であります。しかし、私が生きた時代もそうでした。安保70年体制の中で自分の居場所を見つけなくてはいけなかったのですから。現在では居場所はたくさんありますが当時はなかったです。しかし、戦うしかなかったのです。
 さらば2019年!

<本日の言葉>
『あなたの心が正しいと思うことをしなさい。どっちにしても批判されるのだから』
                 エレノア・ルーズベルト

<今週のYouTube>
鈴木一平の『水鏡』この歌が一番今年心に残りました



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★文学界新人賞

2019年10月06日 15時17分42秒 | 日記

 

★気ままに

 秋晴れの好天が続いていますが台風19号が三連休辺りに直撃しそうですが心配です。20日過ぎには高校生の修学旅行が控えています。

 今日は私立中学、高校の説明会を迎えて少し時間がありますので日記と言いますか学生時代を思い起こして書いていきたいと思います。
 学生時代受験に失敗した私は何とか家を脱出することが出来ましたが非常に複雑な気持ちでした。元々時代も違いますが私は勉強などする気は更々ありませんでした。受験に落ちた時にはもう少し受験校をばらけておけばよかった思いましたが後の祭りです。大学はW大とK大しか受験しませんでした。と言ってもW大は3学部受験しましたので結果的には4大学の受験申し込みをしました。しかし、K大は受験に行きませんでした。つまり自信があったと言えばそれまでですが落ちることは考えていませんでしたので一応W大しか受けませんでした。結果失敗になって浪人を先生からも薦められましたが家庭の事情でM大が3月24日に香川大学で受験が出来るということでそこに落ち着いたのですが当初は凹みました。合格が当たり前だと先生からも言われ実績もあり過去問題も10年分やって合格当たり前に考えていたのですが世の中そううまくはいかないようにできています。最初の挫折でした。安全と誰もが言っても安心と言うことはないです。

 現在大学受験の共通テストで英語の取り扱いがもめにもめています。少々早い気が致します。天下りの利権か生徒側かどちらの立場から話しているのか極端に分かります。出来るだけ受験生の立場になって欲しいと考えるのは私だけではないと思います。高校受験にしましても記述がかなり多く出てまいりました。各学校の中間・期末テストにすら記述問題がかなり出てきます。先日全国共通テストや高校受験の志望校判定模試をみてもかなり記述が増えています。
 私のときはそう言う時代ではなく共通一次と言うことでしたが私立大学全盛の時代でしたから今とは比較にはなりませんでした。景気もかなり良くて右肩上がりでしたので現在人気の公務員や医療関係は蚊帳の外で変わり者と言うイメージさえまりました。
 そう言う中で私は挫折を抱えたままで大学に行きましたが勉強する気はもともとありませんでしたから学校にはほとんど出席しませんでした。では大学で何をしに行きたかったのかと言いますとただただ小説家になりたかっただけなのです。ですから私の希望は東京だったのです。そう言う立場ですからK大は行っても大阪でしたので最初から迷いましたがスルーしていました。

 結果大学では文芸部に所属をしました。当時大学は木造で兵舎の後でした。木造?まさかと思いましたが事実でした。楽器が好きでしたので応援団の吹奏部に入りましたがとんでもないところだと寮長が副団長で止めてくれましたので即やめてしまいました。それで仕方なしに文芸部という看板が紙で貼られたトタン屋根の部室を覗きました。そこにはM君がいて誰もいないよ、まあ入れよって後の全学連中部圏の幹部とタッグを組むことになったのです。彼が部長で私が副部長、総勢60数人の大所帯でした。今は塩釜口の方に移転しましたが私が大学二年からそちらに行きました。

 友人には恵まれました。今でも彼をはじめ色々な先輩後輩との交流は続いています。私も機関紙に継続しましたが大学祭に行き部室に寄りましたがもう当時の機関誌はありませんでしたが『狼群』という雑誌は現在も残っていました。これは詩集を集めた作品集です。クリスチャンのMさんが名づけ親です。

 私は高校時代からあまり勉強もせず小説ばかり書いていましたので何時しか夜型になっていました。当時もう野球部は辞めていましたので帰って食事をして12時ごろ起きて朝まで勉強していました。と言えば格好がいいのですが勉強は原稿用紙か本を読んでいるかどちらかでした。離れで住んでいましたので悪友が2時、3時頃覗きに来るのです。つまらない話で盛り上がっていましたが朝がすぐに来て家の前は予讃線が走っていましたので家の前を通過しますと駅にダッシュして最後尾から列車に飛び乗るのです。私は隣町の伊予西条駅まで汽車通学していました。少し遅れるとその日はお休みで学校には行きませんでした。昼間は誰もいませんのでのんびり昼寝をしていました。そう言えば内申点は酷かった、評定はどうだったのでしょうか・・・。多分実力があればそこに引っかかったかもしれませんがそうは思えません。兎に角よく学校は遅刻しましたし休みました。よく親父も先生に呼び出しされなかったものです。私の知らない時に呼ばれたのかもしれませんが勉強しろとは一言も言わなかったですが「大学には行け」といわれたものです。

 そう言う中で学生時代部活の一学年下の彼女と仲良くなり一緒になることも考えましたが結局は別れることになり高松まで来てくれました。当時私は菊池寛賞に応募しかなりなところまでいっていましてそれどころではなく小説に没頭していました。彼女は数日高松にいましたが別れる結果の前提ですから気が重く最後は電話で別れました。電話の向こうで泣いている彼女の声は今でも心に突き刺さります。

 しかし、純文学から中間小説と決めつけられた私の作品はそこで終わってしまいました。それから数十年が経ちました。今や文学界も年2回の新人賞やその他応募が沢山あります。分類は純文学、エンタメ、ライト、推理、ホラーなど、そして純文学とエンタメの中間の中間小説が存在するのですが今や中間小説はライト小説などに押され気味で純文学はまたよく分からない世界なのですが兎に角存在しています。

 私は彼女と何処に行くにも一緒でした。大抵の中部圏の大学には顔を出しました。どうしてあの頃あのように自分中心のような考えをしていたのだろうかと思います。カミユではないが『太陽のせいだ!』そう叫んでみても何の意味もないのです。
 
 先日芥川賞を受賞した川上未映子の「すべて真夜中の恋人たち」を読みました。若さ溢れる良い作品でしたが朝井リョウのような若々しい作品は書けません。平野啓一郎も同じです。村上春樹や立松和平を読んでいる方が気が楽です。今、昔の本を本棚から出してきてカミユの全集や郷里の先輩大江健三郎の本を読んでいます。昔と今では時代が違うのですがいい作品は少しも色あせていない。やはり文学は素晴らしい。そう言う中で年甲斐もなく文学界新人賞に応募いたしました。多分一次通過もしないかと思いますが私は純文学を目指しそれが非常に面白い中間小説と評してくれたのですが結果的にそれが引き金になって筆を折ったのですから最後は純文学に挑戦して終えたいと考えこの度応募いたしました。夢はまだ途中です。

 中学受験、高校受験、大学受験の模試が激しくなってきます。この10月にほとんど終えてしまいますが兎に角自分の欠点を早く見つけることです。見つけれない方は先生や塾の先生と相談してみてください。一番身近な人に相談することが大事ですが中途半端な言葉や慰めの言葉は不要です。変に希望を持たすと却って傷つけてしまうことにもなりかねません。真面目に真剣に自分の立ち位置将来の道を考える時期でもあります。

<今日の言葉>
『吹いている風が全く同じでも、ある船は東に行き、ある船は西に行く。進路を決めるのは風ではない、帆の向きである。人生の航海でそのいく末を決めるのは、渚でもなければ、嵐でもない、心の持ち方である』
    エラ・ウィーラーー・ウィルコックス(英・女流作家)

<今週のYouTube>
JUJUの GOOGBYE DAY 私の着信音です。JUJUはいいね

JUJU - GOODBYE DAY

 

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★クリスマス

2018年12月23日 16時41分22秒 | 日記

★思うままに・・・

 何時しか冬期講習も10日から始まり年が明けると1月の11日で終わります。考えてみれば1年はあっという間に終えてしまいました。今年は何をしたのかよく分からないのですが講師募集はじめアドバイザーや人的な募集ばかり思い起こされてきます。そしてそれが解決したのならばいいのですが未だ未解決という誠悲しい1年であったのも事実であります。
 しかし、そのことで得たことも多く非常に勉強になったことは事実です。少しの時間の余裕は朝の数時間と夜寝る前にある数時間が私の自由気ままな時間です。その中で色々なことに挑戦し情報を得たり静かに本を読んだり好きな歌手の音楽を聴いたりするのが私の日課みたいになっています。10年ほど前にはYUIやZARDがお気に入りでしたがそれから絢香に変わりJUJUに変わり変化をしてきましたがやはり森田童子や永井龍雲が何故か落ち着きます。クラシックはもっぱらチャイコフスキーばかり聞いています。何か凝り性なのでしょうか・・・。本を読めば村上春樹ばかりで最近は昔読んだ谷崎潤一郎や夏目漱石、大江健三郎など20代に読んだ読んだ本を読んでいます。

 物の見方考え方は年をとるたびに変わってきました。それは自分を取り巻く環境が変わってきているのですから当たり前のことなのでしょう。でも昔のようにゴルフ三昧をしたりイチローが通ったバッティングセンターに行って球を打つことも出来なくなる代わりに命を頂いているような気も致します。心筋梗塞の手術を何度も繰り返し最後の手術は7年前になります。そうなんですあの3.11の日なのです。

 私は最近HP http://mm-homepage.com/dozan/  はあまり弄っていません。時間のこともあるのですがこれもそろそろ全面改良をする時期が来ている気がします。そういう時間との戦いの中で今年も平成の幕が降ろされようとしています。
 来年はもっとすごいことをしてみようと思っています。明光義塾長良教室&芥見教室は小・中・高の一貫授業です。その一貫授業が本当に出来ているのかどうか再検討をしています。やみくもに生徒を確保すればいいということではなく理想を追っていきたいと思うのです。しかし、生徒ありきが前提ですからいくらいい考えがあっても生徒が受け入れてくれなければ何もできません。本来はクリスマスプレゼントの報告でもしたいところではありますがもう少し時間が必要のようです。

 さて、クリスマスが今年もやってきました。クリスマスって何でしょうか・・・。Wikipediaによりますと https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%82%B9 少し長文ですが是非お読みください。非常に面白いことを書いています。
 
 今の時代は検索が非常に早いです。昔は言葉なら辞書を引っ張って来て調べていましたが現在ではスマホでサッと検索すれば出てきます。当然そうなってきますと上位になることを考えるのですがそこは地獄の沙汰も金次第ということでしょうか。検索上位にはそれだけの費用が掛かっています。しかし、お陰様で私のブログは10年近く(正確には来年の11月で丸10年)も書き続けていますので上位に挙がっています。非常にありがたいと思っています。10年間の中で写真は1枚も掲載していません(笑)。基本的にはブログというよりかはコラムなのですが以前まぐまぐから誘われて書いてみませんかとお話があったのですがとても私には荷が重く気楽に塾の様子や考え方、また私的な日記など書くのは不可能に違いなかったと思います。基本的には毎週日曜日に書いています。

 我が家のクリスマスは今年も丸亀市の土器町にあります「一鶴の骨付き鳥」を食するのですがこの食べ物は正直美味しいです。今は通販で買えますが私は高松に3年、丸亀に8年の11年間香川県に住んでいました。丸亀城は憩いの場所ですがこの城を8年間見つめながら20代は過ごしました。住まいも丸亀市で3度変わりました。最後は山の北八幡の近所に住んでいましたが人口は2015年の時点で15万人ですが当時は6万人ぐらいだった気がします。しかし、今やこの一鶴」は高松、大阪、東京とあちこちに展開をしています。この骨付き鳥とピザ、お寿司とワインで毎年パーティーをします。今年もそのようです。

 考えてみれば徳島に行ったり彦根に行ったり岐阜、名古屋と随分転勤をして結局体を壊し今の仕事を立ち上げ21年になります。明光義塾は3年更新ですが7回目の更新時期が来ています。塾業界再編成の中で長良にしろ芥見にしろ少子化で生徒が少なくなっているのに塾ばかり増えてくる。強いものが勝つ・・・。格差が非常に激しい職種でもあります。分類から言えば学習塾はサービス業に属しますがサービス優先成績ダウンでは何のことかわかりませんので兎に角成績を上げること大前提であることには言うまでもありません。明光義塾は個別指導塾の先駆けで一般的には老舗と言われていますが古くていいのは酒か骨董品位です。日々進歩がなければ生徒が可哀想ですし離散していくことは目に見えています。ですから私は悔いのない授業を心掛けています。皆さんのお手元に毎月お届けしている学習プログラムにしましても教室長が一人一人指示事項を出していることと思います。これは教室によって違いはあるかと思いますが生徒中心に動いていくことについては普遍的なものです。ですから他塾と同じもの、同じことをしていたのでは資金力、人材力、情報力に劣っている私どもでは何が出来るかをしっかり考えていくしかないのです。その答えは生徒の皆さんが出してくれると思います。塾とはそう言うものではないでしょうか。

 年が明け1月4日(金)から授業が始まり翌5日(土)には土曜講座が始まります。そして6日(日)には中学3年生第4回岐阜新聞テストが実施されます。またその日は中学受験の多くが実施される日でもあります。19日、20日にはセンター試験が始まります。試験が目白押しの中で新しいものを模索していく産みの苦しさを感じています。しかし、今やらなくては後悔します。ベストを尽くすべき最大のフォローをしていきたいと考えています。頑張れ受験生!

<今日の言葉>
『他人もまた同じ悲しみに悩んでいると思えば、心の傷は癒されなくても気は楽になる』
                       シェイクスピア
<今週のYouTube>
クリスマスにちなんで JUJUの『奇跡を望むなら・・・ Xmas Story』を選びました
https://www.youtube.com/watch?v=8i-fKRdB17w

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★再会

2018年10月07日 18時31分13秒 | 日記

★あの頃のこと

 2年ぶりに昔の仲間と再会いたします。大学時代のOBOGですが2年ごとに名古屋で開催をしています。今年は何名集まるのか知りませんが取りあえずおいしいワインを用意したとのことですのでフランス料理を食べながら大いに盛り上がっていきたいと考えています。
 ちょうど大学の女子マラソンと重なるために今年は10月20日(土)となりました。学生時代の友人も色々で基本的に今までお付き合いをさせて頂いているのは部活動の先輩後輩位です。私が学生時代に作った愛媛県人会は出身が愛媛県ということで法学部のY教授にお願いしましたがその後、学長にまでなったということで驚きも大変でした。応援団長になっている関係上日程が合わなかったのです。学長は呼んでいませんし、消息は不明です。
 それにしても、当時は今の様に携帯もTVもゲームもなかった。学生で洗濯機を持っているのが珍しい時代だった。
 起きるのは大抵昼過ぎの午後3時頃、そして部室で時間を潰して安酒を飲み激しく議論する毎日だった。飾りの様に文学界や群像の月刊誌を手にもって文学青年気取りで毎日を過ごしていました。学校には行くが授業には出ない。そんなことでも卒業は出来た。何故か「先輩」という言葉が響きよく聞こえ結局は奢ってしまい後で後悔をする羽目になってしまうのが常でした。最たるのは学校の授業料を使い込み支払わなかったことで通知が家に届き随分親父の後妻に文句を言われたことを覚えている。それでも金は使った。そのくせアルバイトは4年間一度もしなかったのはどうしてだろうかと未だに不思議です。当時はそんな時代だった。

 演歌が主流で新しくフォークソングが芽生えてきました。しかし、当時はヤクザ映画全盛で高倉健さんの「網走番外地」や「唐獅子牡丹」など映画館を出るともうみんな肩で風を切るように歩いていた。心が弱いと強いものに憧れる。
「おう、何の用だ!」
 もうみんながそんな顔をしていた。不思議な時代だった。あの健さんがその後性格俳優になっていくのですから変わりました。
 
 時は70年安保の時代。私の友人も佐世保に米国の原子力潜水艦が来るということで参加し逮捕されて雑誌プレイボーイに大きく写真付きで掲載されました。今は銀座で不動産を経営しているとのことらしいですが1960年、1970年日米安保条約は当時の学生には関心の深いもので就職の面接では学生運動をしていましたか?と聞いてくるのが一般的でした。その時に読んだ本が郷土の先輩大江健三郎の「遅れてきた青年」や安倍公房の「砂の女」のシュルリアリズム(超現実的)でした。
 一方、そう言う時代の中でそういう闘争に入って行けずといいますか関心を示さず「無関心」「無感動」「無気力」の時代でもあったのです。私はどちらかというと後者の方で学生運動は自分の仲間はしていましたが参加はしませんでした。参加というよりか妙に冷めた感じだったのでしょうか・・・。ただ馬鹿みたいに就職活動もせずに売れない小説ばかり書いて出版社に通っていたのです。

 あの時代は景気がよく私は何処か新聞社か放送局に行きたいと考えていましたがいずれも試験は終わっていて住宅メーカーに行くことになりました。放送局に試験の日時を聞きに行きますともう終わっていたのですが一緒について来ていた彼女がゲラゲラと大きな声で笑ったことが今でも思い出します。
「もう大人でしょ、しっかりしなさい」
なんて説教されたことも懐かしい青春の一コマです。
 
 今では情報がありますからすぐに分かりますが当時は分からなかった。唯一新聞記事や学校への就職紹介欄に掲載されるぐらいでした。ですからかなり慎重に調べている方はいいのですが私の様に出鱈目をしていた学生はそう言う情報はなかなか手に入らなかったです。
 驚いたことは作家三島由紀夫が防衛省・自衛隊:市ヶ谷駐屯地で盾の会のメンバーを引き連れて割腹自殺をするのでした。1970年11月25日のことです。その2年後1972年浅間山荘事件が起こり一応の終結を見ます。この事件の後日本は高度成長を一直線となっていくのです。そして時間がどんどん経ってあの頃のことを話す者はあまりいませんでした。岐阜新聞やメディアは凄かったですがその後はやはり何時しか話題は遠のいていきました。

 当時の彼女も今は後輩と一緒になったとのことですが消息は不明です。私が四国に帰り高松で住宅メーカーに勤務している時結婚するからと報告に来ました。それが彼女と話をした最後になりました。無関心でいつもぼんやりとしている私の傍らに彼女はいました。そして帰るときにギターを弾いている私に「城ヶ島の雨」を要求するのです。何故かこの曲が好きでした。そして別れる時もこの曲を弾いて欲しいと言って北原白秋の詞を口ずさみ泣きながら帰りました。それ以来ギターは何故か私は弾かなくなったのです。それが別れになりました。

 そんなことで大学時代は大いに遊び戦い(誰と?)自分のしたいことをしてきました。しかし、そういう意味では今の学生は大変です。自分の未来をしっかり見つめながら教員試験に合格した人も2名見えますし、大手の商社に決めた方も見えます。みんな未来を見据えて頑張っています。私どもも未来を見据えて頑張っているのですが毎日が迷いの連続です。高校入試はまだ将来を決めなくても普通科に行けば何とかなあるかもしれませんが大学受験はそういう意味では就職に直結した大学の選択になります。
 高校3年生にはもうセンターの受付が始まりましたので例年九州の太宰府天満宮の「お守り」を渡しました。中学3年生の方には正月明けにはお渡しが出来ると思います。私の友人が太宰府天満宮の方と同級生ということで現在まで私も便乗して毎年「合格祈願」されたお守りをお渡ししています。受験生以外は恒例の太宰府天満宮の鉛筆をお渡しします。

 そんなことで再来週には2年ぶりに再会を果たします。どんな話が飛び出すでしょうか。「先輩」そう呼ぶ彼女の声が聞こえてきそうです。
 
<今日の言葉>
『愛するもののために死んだ故に彼らは彼らは幸福であったのでなく、反対に彼らは幸福であった故に愛するもののために死ぬる力を有したのである』
                    三木 清「人生論ノート」

<今週のYouTubu>
こんな青春が私にもあった。鈴木一平の『水鏡』懐かしい・・・
https://www.youtube.com/watch?v=OMZQXFdohP4

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★栄冠は君に輝く

2018年08月05日 16時47分47秒 | 日記

★甲子園

 この「栄冠は君に輝く」の音楽と共に人生を歩みそして、今尚この曲に若い青春時代を重ねてしまう。この暑い季節、それは甲子園だった。
 この栄冠は君に輝くは加賀大介氏が作詞、作曲は古関裕而氏が1948年に作曲したもので現在まで歌い続けられている。今大会は100回ということで夏前から多くの企画が組まれていた。平成最後の夏ともいわれ私個人としては松山商業と三沢高校の延長18回再試合や雨の中江川の球が滑りボールとなって押し出し決勝点など。そして今大会の始球式をした松井秀喜の明徳義塾との全5打席敬遠などが印象に残っています。しかし、何といっても昭和34年夏我が母校西条高校が優勝したことは小学生の時代に憧れて高校に入り野球をしたということは何とも言えないものがあります。そして私の時代の1962年久留米商業に敗れたベスト4などです。

 今、教室は夏期講習で前半戦が終わり現在中盤にかけて活況を致しています。中には野球好きの少年もいて時には勉強の仕方を野球のルールに例えて指導したりしています。好きなことに対しては読解力もありますし興味もありますから理解力は早いです。この様に好きなことは何でも早いのですがこの手を使わない理由はありません。私は子供の好きなことを聞き出してそれに対応をするように心掛けています。運動の好きな子ばかりでなく本を読むのが好きならそう話すし、料理が好きならそう言った話を致します。国語の読解力をつけるのは好きな記事から始めればいいのです。最初からシャッターを下ろしているのをこじ開けるのでは話にはならないです。
 中には自分の殻から飛び出そうとはしない子も見えますが敢えて私は強要はしません。馬を川まで連れて来ても水を飲むのは馬の意志だからです。ですから勉強は如何に興味を持つか、仮に持てないのであればどうすれば持てるのかと考える方が楽です。嫌なものは誰だって嫌です。しかし、好きなことは誰でも興味津々なことは分かっています。ならば興味のある話を切っ掛けに話していこうじゃないかというのが私の理論なのです。

 野球は今と違ってハードでした。砂を噛むような苦しさと言いますがそうではなく将に砂を食べる感じでした。もう辞めよう、明日退部をしよう・・・。そんなことを考えながらまた練習場をトンボを使って均しているのです。その頃六大学の神宮にスーパースターが現れました。長嶋茂雄監督です。当時はプロ野球よりも六大学野球の方が人気がありました。あの時何故立教を受験しなかったのかなと未だに分らない。しかし、六大学ではその後星野や田淵、山本などの時代から江川の時代に変わってきます。空白の一日ということで巨人に入りましたが交換トレードということで阪神に小林繁が出されました。

 高校野球から六大学にそしてプロ野球にとバブルと共に大いに盛り上がっていきます。三重県の白山高校は初戦敗退ばかりで昨年は3回戦まで進みましたが今年は一気に甲子園に出場という奇跡を起こしました。女性部長がスカートを穿いてノックをしたということで厳重注意をされたそうですが女性だって同じ気持ちだと思います。マネージャーになるのが唯一許可されたことなのですからもう少し考えてもいいかと思いますがこの白山高校は5名の選手しかいなかったと言いますが昔さわやかイレブンと言って徳島県の池田高校が準決勝だった1974年のことを思い浮かべます。

 そんなことで夏がくればこの季節高校野球が話題を盛り上げてくれます。四国から転勤してきて思ったことは四国時代では街を歩いても野球の実況が聞こえてきます。そして喫茶店では必ずテレビが設置され、入り口には張り紙で「高校野球実況中継中」と貼り付けているのです。そして店内ではコーヒーを飲んで終えると今度はうどんを食べながらテレビを見るのですが基本的にベスト8で無事に帰れます。それ以下ですと監督は交代というほど厳しかったです。ですから地区予選はベスト8までは応援はありませんでした。そう言う意味で四国野球は昭和30年代の西条や松山商業、今治西高校などが凌ぎを削ったものです。そしてその流れは池田高校に繋がり畠山投手や水野投手と大阪PL学園との戦いに入るのです。KKコンビと言って桑田投手と清原選手の話は話題が付きません。今朝の岐阜新聞の書籍による週刊ランキングで清原選手の「告白」がベストテンに入っていました。この時期に出す出版社も凄いと思います。

 塾も8月11日(土)から15日(水)までは夏季休暇になっています。この間の過ごし方ですが8月19日(日)は第1回岐阜新聞テストです。結果は9月中旬でしょうか。私どもの小学生、中学生全員参加の志望校判定模試は9月2日(日)になります。塾外生でどうしても受験したい方はお申し込みください。枠があれば一緒に受験することも可能ですが費用は3240円かかります。通常の塾内生は半額をDOZANgroupが負担しています。志望校反映模試については http://mm-homepage.com/dozan/goods.php?categoryno=6&mm_id-dozan&selecttype=category 見て頂ければ幸いです。

 自習室が非常に活況になって来ています。ただ落ち着いて勉強している方と出入りの激しい方が見えますが自然に淘汰されてきているようです。やはり真面目には勝てないです。勉強はひたすら頑張るしかないのです。そして付け加えるならば考える思考力を高めることが成績UPに繋がります。社会の嫌いな方が多いのですが大抵は暗記が嫌いだからということですが社会は暗記科目だと思っている以上まず成績は上がらないと断言できます。確かに暗記の部分もありますが社会は暗記ではなく調べる科目です。此処を勘違いされている方が多い。ですから最近の暗記は視覚から覚える方が多いのです。スマホなどは代表的です。テレビのテロップにしても全て視覚なのです。此処に大きな社会問題が潜んでいるような気が致します。

 ともあれ残り少ないですが9月から来たい方、他塾の講習を受けたがパッとしなかった方など早めに一度顔を出してください。長良教室&芥見教室とも土曜講座はお陰様でほぼ満席状態になっています。ご相談はそれぞれの教室長と打ち合わせください。

<今日の言葉>
『日の輝きと暴風雨とは、同じ空の違った表情にすぎない。運命は、甘いものにせよ、苦いものにせよ、好ましい糧として役立てよう』
                      ヘルマン・ヘッセ
<今週のYouTube>
ー全国高校学校野球選手権大会の歌ー『栄冠は君に輝く』を選びました。
https://www.youtube.com/watch?v=A3pd2U_6Fxk

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