公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

存在論の中でカントをどう捉えるか

2024-08-07 17:57:00 | 意見スクラップ集

格言『われわれの観念の対象がどのような効果をもつと考えるか、それは実際的な意味をもつと考えられる。 そして、これらの効果についてのわれわれの観念が、対象についてのわれわれの観念のすべてである。』

❶観念の対象 効果 発現

❷発現する効果に対する観念

❸後者が全てである

この格言は入り組んではいるが
全てであると定立した時の立場が存在論である。

❸の背景その根拠は何か?効果に対する観念とは入力と出力の組み合わせの集合の全体。カントって人はあまり数学に興味がなかったのか簡単な図式を嫌っていたが、これは二項演算を許す写像と群の概念である。

つまりそれが全てということは、目に見える素朴な実在よりも観念ではじめてとらえらる全体が本質であるという革命的考えの提唱だった。

同値反復のように見えるが、❸に至る根拠は、存在のあらゆる可能性はあらかじめ決められているという神の確信である。



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