ゆのひらんおばちゃん Part3

創業70年の土産屋を 2023年3月末で閉めました。『夫婦で余生を どう生きるか』を模索していきます。

母の思い出の裁縫箱

2023-05-15 | 

実家を片付ける時に持ち帰った 両親の思い出の品。次は母の思い出の品です。


実家の母は働きながらも、料理や裁縫や編み物が得意でした。料理の血は しっかり姉が受け継いでいます。


昔は今のように 既製服を買った
記憶がありません。ほとんどが母の手作りでした。スリップ(当時はシミーズ)まで手作りでした。





新聞紙で型紙を作り、姉とお揃いの服を よく作ってくれました。時には母と三人お揃いもありました。それを着て昔のラクテンチに出かけたことを思い出しました。




昔 湯布院の大谷百貨店という衣料品店があり、その二階で編み物教室をやっていました。母も そこで編み物を習い『 ジューキ(JUKI)の編み機』で 親子四人の毛糸の洋服を編んでくれていました。

編み物教室には入学前の私も付いて行き、セーターの手首や裾の部分は、 かぎ針のようなものを上下させて編み、また機械に戻す作業をさせてもらった記憶があります。

編んだものを ほどくのは楽しい作業でした。編みかえる時のために 両方の手を平行に出し、その手に丸くからませて 毛糸を輪っかにするのも覚えています。

時には鍋で染料を溶かし、毛糸を煮て色を変えて編んでくれました。

今の時代のような『趣味で縫い物や編み物をする』ではなく、必要に迫られて生活用の衣類を作っていた母でした。

今なら衣類は買えば済む時代になりましたが、昔を思うと 今の時代は お気楽で贅沢だと思い知らされます。

旧式の足踏み式ミシンもありましたが、いつの頃か処分されました。衣類が買える時代になったのです。

なにかにつけて 裁縫箱をそばに置いて縫い物をする母を見てきたので 実家を片付ける際に持ち帰りました。中身もそのまま残っています。

古ぼけていても 生の母を思い出す裁縫箱は 捨てきれないものがあります。




手作りの針刺しは私好み👍️







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