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ゆのひらんおばちゃん Part3

創業70年の土産屋を 2023年3月末で閉めました。

湯平温泉の復興を願いつつ、身近な風景を綴ります。

マロニエ物語

2024-03-09 | 思い出
昔 たしか三十年くらい前の話です。

夫の兄が美大を出て留学先のパリから『マロニエの実』を持ち帰りました。兄は帰国後 奈良に住んで 庭にマロニエの種を植えました。

1メートルくらいに育てた苗を『母校に植えて欲しい』と我が家に送ってきました。

当時の校長先生は 故 上田千代吉先生でした。入学式で手品をして子供たちを喜ばしてくれた校長先生です。

私が若い頃 由布院中学校に教育実習に行った時 担当したクラスの担任が上田先生でした。

そんな関わりがあったので マロニエの苗と兄の手紙を持って校長先生にお願いしに行きました。

良い時代でした。校長先生は すぐ玄関前に 自ら お手植え下さいました。

マロニエはパリの街路樹としても有名です。成長も早く 数年後には枝を伸ばし、葉を繁らせ 玄関前に日陰を作りました。職員室の日射しを和らげていました。

夏は青々として、秋には落葉して 実をつけるのを楽しみにしていました。成長した様子を退職された 上田先生に写真を添えてお便りしたら お返事が来て 今も残してあります。達筆です。



実がなったら自分の庭にも植えたいと思っていましたが・・・

ある日 突然伐られていました。

植えた時の いきさつを知らない人にとっては邪魔な木になっていたのでしょう。

ここに植えていました。



先日 久しぶりに小学校に行き、そんなことを思い出しながら シャッターを押しました。

時代が流れ 良い時代が終わり、マロニエも無くなり、上田千代吉先生も兄も亡くなり、小学校も閉校となり、プールも壊され グラウンドも 近いうちに半分になります。

昭和 平成 令和と時代は流れ いろんなものが無くなってしまいました。

卒業生がパリのマロニエを植えたことも、それが成長したことも、切り倒されたことも 覚えている人は 夫と私だけになりました。

『マロニエの跡形もなき その場所に

立ちて思うは 過去の良き日々』
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旧 湯平小学校

2024-03-07 | 思い出
日曜日は工事が お休みなので 旧湯平小学校へ行ってみました。先週に引き続き二回目です。

メタセコイヤの向こうにあった地区公民館は完全に撤去されました。





創立100周年の式典をしたのは何年前だったかな?『湯平小学校跡地』の石碑があります。


校長室の前にあった池の水は無く『意智の会』が作って寄付した水車の跡形も無く…古くなった板に『○○○会』の文字だけが残っています。




現在 校舎は『地区公民館』として使われ、公民館活動が行われています。




グラウンドを望むとトラックや機材が 並んでいます。


もう グラウンドに降りる機会もないかもしれません。校舎側からグラウンドに降りてみました。


校門側から校舎を望みました。左手のメタセコイヤから校舎は右端の体育館まで 一直線に ほぼ同じ高さで並び かっこいい。
右端は体育館です。



振り返ると、校門の外の川向こうの山肌が崩れています。このあたりの崩壊の前に道路をグラウンドへ移動しなくてはなりません。



再び校舎側を見ると こんな張り紙が。す、す、すみませ~ん。すぐ戻りましょう。



モクレンのつぼみがたくさん見えます。









お約束も 錆びてよく読めません。




私の出身小学校ではないけれど、親として9年間 関わったので やはり 懐かしく 名残り惜しいものがあります。

時代が流れ、歴史が移り変わり、水害があり、その風景が次々と無くなくなっていくのは淋しいものです。


























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粘土細工の野菜

2024-03-01 | 思い出
昔 母の友人の おばあちゃんが 湯布院温泉に引っ越しました。


その方の新居(隠居)に 義母を連れて遊びに行きました。

その おばあちゃんは粘土細工がお上手で、細かい作品が多数ありました。花が多かった気がします。

私が凄く感動していると
『好きなのを持って帰りよ』と言って下さいました。

遠慮のない私は 花ではなく 野菜の粘土細工を いただきました。

台座に盛ってありましたが、今回 引っ越してからは バラして台所の壁に飾っていました。




しかし 夫に不評です。可愛いのは あまり性に合わないようです。

夕べ 夫の留守中に 元の台座に戻しました。すごくリアルです。




その おばあちゃんは100歳を越えて亡くなりました。

頭が良くて 商売がお上手で 趣味も豊富な 女将さんでした。母と共に昭和、平成、令和を湯平温泉で生き抜いた女性です。

コメント (4)
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かぐや姫

2024-02-28 | 思い出
そのグループ名を最初に聞いた時は びっくりでした。

『かぐや姫』

それも男性三人組。

リーダーの『南 高節』は お寺の息子さんなので、変わった名前ですが 業界の中で『なんこうぶし』と読まれたのをきっかけに『南こうせつ』に変えたそうです。

大分の高校の同級生で結成したグループです。高校時代はフォークギターを抱え、庭や文化祭で活躍していたそうです。夫の兄が同級生で、一年下の学年に夫がいたので詳しいのです。


初めてのアルバムは

『レッツ・ゴー!かぐや姫』
です。





曲は
『うるわしのかぐや姫』
『町の噂のかぐや姫』
『妻と云う名のかぐや姫』
『ひとり寝のかぐや姫』
『うるわしのかぐや姫』
『酔いどれかぐや姫』
『たそがれのかぐや姫』
『天国のかぐや姫』他

かぐや姫シリーズが多くありました。


その後 南こうせつが大学時代に 高校の同窓生の『伊勢正三』と大学生の『山田パンダ』を誘い再スタートしました。

新生かぐや姫のファーストアルバムは 表にはアルバム名は無く


裏に『三階建の詩』とあります。



南こうせつが作曲した
『神田川』
『赤ちょうちん』
『妹よ』も普通に好きでしたが、

伊勢正三が作曲した
『二十二歳の別れ』
『なごり雪』は、より好きです。

イルカさんの『二十二歳の別れ』は 伊勢正三さんから提供されています。

伊勢正三さんの出身地の津久見駅のホームでは この曲が流れています。

かぐや姫の歌は 頭の中に風景が浮かぶ、美しい日本語の歌です。

今の 言葉の羅列の歌や、日本語と英語が混じった歌や、下に歌詞が出ないと なんと歌っているかわからない歌は 我々の年代には わけわかりません。


今 こうせつさんは 一人で活躍を続けていて 6月には大分市内でコンサートがあります。ゲストは海援隊です。

南こうせつ 76歳
武田鉄矢75歳
頑張っていますね。






コメント (4)
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昭和の遺物③柳行李(やなぎごおり)

2024-01-16 | 思い出
柳行李(やなぎごおり)と金属製の箱(通称ガンガン)。



夫の祖父母が北九州から移住してきた時に これに衣類を入れて来たのだろうか?

それとも 両親のものだろうか?

誰が使ったのかを聞く人も今は誰もいない。

義父が亡くなって26年、母が亡くなって6年。夫は父の亡くなった年齢を越しました。


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