大分八幡宮(福岡県飯塚市)を掲載しました。
当社は神功皇后ゆかりの社です。三韓征伐から帰国され粕屋の宇美八幡宮で応神天皇をご出産後、京にご帰還の途中、軍隊を引率して立寄られた所です。途中にある険しい峠の「ショウケ越え」は竹で編んだザルすなわち「ショウケ」に生まれて間もない応神天皇に入れてこの峠を越えたことから名づけられました。また「大分」の地名は此処で軍隊を解散したこと「大分かれ」から「大分」になったとされています。
大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)
【鎮座地】〒820-0712 福岡県飯塚市大分1272 旧筑前国 穂波郡
【御祭神】品陀別命 息長足姫命 玉依姫命
【例祭】9月30日 仲秋祭 10月1日 仲秋祭 10月1日 御神幸祭 10月1日
【旧社格等】郷社
【御由緒】
當宮は、神功皇后御征韓後粕屋の宇美邑にて應神天皇御出産遊ばされ、翌年の春、京にお上りの際軍隊を引率され粕屋、嘉穂の郡境にある険しい山「しょうけ越え」を経られ、當宮に至り坐して暫しお止りになり筑紫の行政をお執り遊ばされ、此地にて軍隊を解隊せられし由縁の地なり。
宇佐宮託宣集に我宇佐宮より穂浪郡大分宮は我本宮なりとあり。本邦五所別宮第一に列せられ朝廷の尊崇篤く、筥崎宮の元宮として由緒正しく、第四十五代聖武天皇神亀三年(今より約一三00年前)御神託によって創建せられ、応仁天正の九州動乱にて御社殿は兵火に罹り焼失し後天正五年秋月種実公勅命に依り現在地に假殿を建立、御神霊を勧請鎮座せられたる御社殿がその侭今日に至る。
神殿裏山の小高い丘状の盛土は、全国でも珍しい皇室古墳埋蔵推定地「仲哀天皇御陵」として考古学者の学問的期待をかけている聖地であり、往古旧社殿は小高い丘の前にありて跡地に礎石のみ残れり。
(平成祭データ)
飯塚市の東部、旧嘉穂郡筑穂町大分(だいぶ)にあります。JR篠栗線(福北ゆたか線)筑前大分駅から南に数100mの長楽寺に鎮座。
二の鳥居一の鳥居をくぐると石畳の参道が続きます、両側に歴史を感じさせる燈篭と狛犬が数対並んでいます。
狛犬逆立ちの狛犬が迎えてくれます、弘化三年丙午(1846年)八月吉日の日付が見えます。
三の鳥居
県指定天然記念物の「大楠」参道左にあります、推定樹齢は約350年、胴周りの径は約9mです。
神功皇后が三韓征伐から帰国の際に持ち帰った3本の楠の内の1本の子孫であると言われています。
神門
拝殿
本殿
創建は奈良時代の神亀3年(726)と伝えられ、宇佐神宮の本宮で筥崎宮の元宮とされています。
御祭神は應神天皇、神功皇后、神武天皇御母君の玉依姫命の3柱です。
境内全景
社殿全景
拝殿から神門
応神天皇産湯の井戸宇美八幡宮で生まれた応神天皇が、ここで産湯を使ったと伝えられています。
社域は広く、一の鳥居から続く朱の板垣に囲まれ、さらに社殿は神門からのブロック塀に囲まれています。
当社は神功皇后ゆかりの社です。三韓征伐から帰国され粕屋の宇美八幡宮で応神天皇をご出産後、京にご帰還の途中、軍隊を引率して立寄られた所です。途中にある険しい峠の「ショウケ越え」は竹で編んだザルすなわち「ショウケ」に生まれて間もない応神天皇に入れてこの峠を越えたことから名づけられました。また「大分」の地名は此処で軍隊を解散したこと「大分かれ」から「大分」になったとされています。
大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)
【鎮座地】〒820-0712 福岡県飯塚市大分1272 旧筑前国 穂波郡
【御祭神】品陀別命 息長足姫命 玉依姫命
【例祭】9月30日 仲秋祭 10月1日 仲秋祭 10月1日 御神幸祭 10月1日
【旧社格等】郷社
【御由緒】
當宮は、神功皇后御征韓後粕屋の宇美邑にて應神天皇御出産遊ばされ、翌年の春、京にお上りの際軍隊を引率され粕屋、嘉穂の郡境にある険しい山「しょうけ越え」を経られ、當宮に至り坐して暫しお止りになり筑紫の行政をお執り遊ばされ、此地にて軍隊を解隊せられし由縁の地なり。
宇佐宮託宣集に我宇佐宮より穂浪郡大分宮は我本宮なりとあり。本邦五所別宮第一に列せられ朝廷の尊崇篤く、筥崎宮の元宮として由緒正しく、第四十五代聖武天皇神亀三年(今より約一三00年前)御神託によって創建せられ、応仁天正の九州動乱にて御社殿は兵火に罹り焼失し後天正五年秋月種実公勅命に依り現在地に假殿を建立、御神霊を勧請鎮座せられたる御社殿がその侭今日に至る。
神殿裏山の小高い丘状の盛土は、全国でも珍しい皇室古墳埋蔵推定地「仲哀天皇御陵」として考古学者の学問的期待をかけている聖地であり、往古旧社殿は小高い丘の前にありて跡地に礎石のみ残れり。
(平成祭データ)
飯塚市の東部、旧嘉穂郡筑穂町大分(だいぶ)にあります。JR篠栗線(福北ゆたか線)筑前大分駅から南に数100mの長楽寺に鎮座。
二の鳥居一の鳥居をくぐると石畳の参道が続きます、両側に歴史を感じさせる燈篭と狛犬が数対並んでいます。
狛犬逆立ちの狛犬が迎えてくれます、弘化三年丙午(1846年)八月吉日の日付が見えます。
三の鳥居
県指定天然記念物の「大楠」参道左にあります、推定樹齢は約350年、胴周りの径は約9mです。
神功皇后が三韓征伐から帰国の際に持ち帰った3本の楠の内の1本の子孫であると言われています。
神門
拝殿
本殿
創建は奈良時代の神亀3年(726)と伝えられ、宇佐神宮の本宮で筥崎宮の元宮とされています。
御祭神は應神天皇、神功皇后、神武天皇御母君の玉依姫命の3柱です。
境内全景
社殿全景
拝殿から神門
応神天皇産湯の井戸宇美八幡宮で生まれた応神天皇が、ここで産湯を使ったと伝えられています。
社域は広く、一の鳥居から続く朱の板垣に囲まれ、さらに社殿は神門からのブロック塀に囲まれています。
裏山(?)の古社跡にも、枝・草を払い除けて、伺いました。
ただ、今日は、あいにくな天気だったので、晴れた日にまた伺いたいものです。でも、山に入るから来春かな。冬は峠が怖いので。
拙ブログにお立ち寄りいただきありがとうございます。
当地には神功皇后ゆかりの社が多くあり、三韓征伐の前後の
足跡を訪ねて、時系列に整理したいと思っていますが、なかなか
思うようにできません。
今後とも宜しくお願いいたします。
ちなみに今回は、宗像大社の沖津島現地大祭に合わせたちょっと遅いGWで、貴ブログを参考にいろいろと堪能させて頂きましたm(_ _)m。
参拝したお社はこんな感じです。のんびりとした1週間でした。
宗像大社(辺津宮・中津宮・沖津宮)
織幡神社
住吉神社
櫛田神社
筥崎宮
香椎宮
志賀海神社
宮地嶽神社
年毛神社
美奈宜神社(蜷郷)
美奈宜神社(荷原)
大己貴神社
筑紫神社
宇美八幡宮
若久住吉神社
大分八幡宮
自分は、特にブログとかやってませんが、
今後ともよろしくお願いします。
では、失礼します。
昨夕(6/3)当地のローカルニュースで放映されていました。
関東方面から参加の方がインタビューに答えられていましたが、もしかして御津垣様ではと思いました。
毎年5月27日の日本海海戦記念日に行われ、全国から多数の参加の応募があり大変な競争率と聞いています。
来年は応募したいと思っています。