中宮の参拝を終えて、今回のクライマックス、山頂の上宮を目指します。
12:06、中宮社殿右の入口からアタック開始です。
階段上ると石造りの鳥居があります。その手前参道脇に赤い帽子、前掛けのお地蔵さんが見守ってくれています。
12:08 鬼の石段(鐙)
いよいよ最後の難関、この山に住んでいた鬼が一晩で築いたと伝わる鬼の石段(別名、鬼の鐙)です。一直線に延びたおよそ850段、全長181mの自然石の急な階段です。
鬼の石段
求菩提山とその周辺には鬼にまつわる伝説が多く残されています。その代表的な場所の一つがこの鬼の石段です。
いい伝えによれば、「夜な夜な山から下ってきて悪さをする鬼に村人達は因りはて、求菩提の権現様にどうにかしてくれるようにお願いしました。権現様は鬼達に一晩で中宮から上宮まで石段を築くことが出来なければ山から出て行くように命じたそうです。すると鬼はすさまじい勢いで石段を積んでゆき、夜明け前に完成しそうでした。そこで権現様は一計を案じました。鶏の真似をして夜明けの時を告げたのです。これを聞いた鬼は約束を果たせなかったことを知って、一目散に逃げ出したということです。全国各地に伝わる鶏鳴伝説に似たお話です。
求菩提山では鬼が重要視されていました。例えば、鬼ケ州(鬼塚)が求菩提山六峰の第二峰に数えられ、また、中宮には鬼神社が祀られています。この他にも鬼の胴を祀った甕の尾、鬼の手形石、鬼が被っていた穴石、鬼の割れ石、鬼石などの呼び名や鬼木という鬼にちなんだ地名が残っていたり、鬼を退治する百手祭などが知られています。
(現地案内板より)
12:26 参道から上宮
長い冬眠生活で日頃の運動不足がたたり、息をきらしてようやく辿り着きました。
12:28 上宮
みごとな青空に感激もひとしおです。
扁額には「国玉神社 上宮 聖護院沙門泰年」とあります。中宮と同一人物と思われます。
国玉神社上宮
求菩提山の山頂(標高782m)は、神が降りるところとして古くから特別な場所でした。国玉神社上宮周辺にある巨石群は盤座と呼ばれて、神が宿ると信じられていました。江戸時代に記された「求菩提山雑記」には、山頂は常に雲に覆われ、怪しげな光が見え、蒸気を噴出する「辰のロ」という場所があると記されています。こうした特徴が、古代人の自然崇拝を呼び覚まし、求菩提山に芽生えた山岳信仰の原点となったと考えられます。
平安時代後期、修験道が山に伝えられると白山権現(十一面観音)と地主権現(薬師如来)が二所権現として祀られました。南には遠く犬ケ岳を望むことができ、修験者たちはご神体である犬ケ岳を仰ぎ見たことでしょう。
(社前案内板より)
お二人は今後のルートを入念に打ち合わせ中のようです。
盤座の石塔
社殿の左から裏に巨石の盤座が点在しています。
境内社社殿右にあります。社名、御祭神等不明です。
石塔社殿右前にあります。
元文三年(1738)戌午八月吉祥日の日付があります。椎田邑願主 仁右衛門 等の文字が刻まれています。
社殿から参道
以前にはここに拝殿がありましたが、平成3年(1991)の台風被害で倒壊しました。
残念ながら樹木に覆われてここからの展望は全くありませんでしたが、日当たりが良かったので、ここの陽だまりで昼食にしました。現役時代の昔話に当時が懐かしく思い出されました。
ーーまだまだまだ続くーー
12:06、中宮社殿右の入口からアタック開始です。
階段上ると石造りの鳥居があります。その手前参道脇に赤い帽子、前掛けのお地蔵さんが見守ってくれています。
12:08 鬼の石段(鐙)
いよいよ最後の難関、この山に住んでいた鬼が一晩で築いたと伝わる鬼の石段(別名、鬼の鐙)です。一直線に延びたおよそ850段、全長181mの自然石の急な階段です。
鬼の石段
求菩提山とその周辺には鬼にまつわる伝説が多く残されています。その代表的な場所の一つがこの鬼の石段です。
いい伝えによれば、「夜な夜な山から下ってきて悪さをする鬼に村人達は因りはて、求菩提の権現様にどうにかしてくれるようにお願いしました。権現様は鬼達に一晩で中宮から上宮まで石段を築くことが出来なければ山から出て行くように命じたそうです。すると鬼はすさまじい勢いで石段を積んでゆき、夜明け前に完成しそうでした。そこで権現様は一計を案じました。鶏の真似をして夜明けの時を告げたのです。これを聞いた鬼は約束を果たせなかったことを知って、一目散に逃げ出したということです。全国各地に伝わる鶏鳴伝説に似たお話です。
求菩提山では鬼が重要視されていました。例えば、鬼ケ州(鬼塚)が求菩提山六峰の第二峰に数えられ、また、中宮には鬼神社が祀られています。この他にも鬼の胴を祀った甕の尾、鬼の手形石、鬼が被っていた穴石、鬼の割れ石、鬼石などの呼び名や鬼木という鬼にちなんだ地名が残っていたり、鬼を退治する百手祭などが知られています。
(現地案内板より)
12:26 参道から上宮
長い冬眠生活で日頃の運動不足がたたり、息をきらしてようやく辿り着きました。
12:28 上宮
みごとな青空に感激もひとしおです。
扁額には「国玉神社 上宮 聖護院沙門泰年」とあります。中宮と同一人物と思われます。
国玉神社上宮
求菩提山の山頂(標高782m)は、神が降りるところとして古くから特別な場所でした。国玉神社上宮周辺にある巨石群は盤座と呼ばれて、神が宿ると信じられていました。江戸時代に記された「求菩提山雑記」には、山頂は常に雲に覆われ、怪しげな光が見え、蒸気を噴出する「辰のロ」という場所があると記されています。こうした特徴が、古代人の自然崇拝を呼び覚まし、求菩提山に芽生えた山岳信仰の原点となったと考えられます。
平安時代後期、修験道が山に伝えられると白山権現(十一面観音)と地主権現(薬師如来)が二所権現として祀られました。南には遠く犬ケ岳を望むことができ、修験者たちはご神体である犬ケ岳を仰ぎ見たことでしょう。
(社前案内板より)
お二人は今後のルートを入念に打ち合わせ中のようです。
盤座の石塔
社殿の左から裏に巨石の盤座が点在しています。
境内社社殿右にあります。社名、御祭神等不明です。
石塔社殿右前にあります。
元文三年(1738)戌午八月吉祥日の日付があります。椎田邑願主 仁右衛門 等の文字が刻まれています。
社殿から参道
以前にはここに拝殿がありましたが、平成3年(1991)の台風被害で倒壊しました。
残念ながら樹木に覆われてここからの展望は全くありませんでしたが、日当たりが良かったので、ここの陽だまりで昼食にしました。現役時代の昔話に当時が懐かしく思い出されました。
ーーまだまだまだ続くーー
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