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<ブログアーカイブ34>1994年当時の中国進出の逸話に見る中国の本音と建前2012-10-29掲載

2015年04月01日 10時00分21秒 | 海外経済
私が中国と係わったのは1994年の8月に上海を初めて訪れた時からです。それから間も無く中国政府の経済開放政策にのっとり上海市の依頼で日本企業の中国進出コンサルタントとして4年間活動しました。その後は現地で知り合った人脈を通して上海拠点のフリーのコンサルをしてきました。今日は何かと騒がしい中国進出の原点となる1994年当時の実態に関する体験談です。

<1994年当時の上海の印象>
1.街並みは今のハノイに似て近代的なホテル以外は古いビルが目立ち、ジャズレストランで今も有名な「平和飯店」は素敵でしたが、今は近代化のシンボルになった「浦東」はTVタワー位しかない未開のエリアでした。
2.最も繁華街の「南京東路」は車道に自転車が溢れており、車の方が避けながら走る道でした。
3.男性は殆どジャージーズボンにTシャツか上半身裸で女性も質素な人民服かジャージーでした。
4.TAXIは殆どアウディ80で一部日本の軽自動車(ダイハツだったと思いますが・・?)が走っていました。
5.一流ホテルは殆ど日本と同じ雰囲気で女性スタッフがいずれも美人でお洒落な制服かドレス姿で素敵でした。
6.ホテルでのディナーはほぼ5千円位掛かるのに、郊外の道路横の食堂(安ドライブイン)では5百円で食べ切れないほどの料理を堪能しました。
7.「日本人は公安の目が光っていてウッカリすると逮捕される」と脅されたので夜一流ホテル以外に単独で出かけるのは勇気が要りました。
8.これから浦東が開発され新空港ができるとか高速道路や地下鉄工事の話が持ちきりでした。

<日本企業進出の実態>
1.当時の日本企業の進出は独資といわれる単独進出は困難で、殆ど現地国営企業との合弁による合資企業を起こし、日本側は資本金1億円(以上)を持ち込み、中国側は現地工場の土地に、古くて陳腐な建物と設備に現在の従業員を提供するだけで1円も出さない現物出資でした。
2.中国側の現状を何処まで活かせるかは工場視察で判断するのですが全く使えないのが殆どなので再建設で設備も日本から持ち込むのが普通でした。
3.工場は郊外にあるので、いわゆるライフラインの電気、水道及び物流等の環境が不備が目立ちました。
4.契約は先ず中国語で作成され、それを中国側で日本語に翻訳し同時に討議するが、この日本語訳が後で日本で中国翻訳したものと異なる事が多く、重要事項の表現違いという問題が起きた。
5.契約書は討議して両者合意で改定した部分以外に、中国側の都合の良いように勝手に改ざんされる事が発生した。
6.契約の基本事項として、総経理(代表取締役社長)は中国人、副総経理は日本人、株は51%が中国側で49%が日本側というのに加え契約期間が100年、万が一の撤退には取締役の全員一致が条件というのがあって私の担当した10個程の案件の殆どが潰れました。
特に撤退条件はその後の進出企業で赤字撤退を決めた企業で中国側の取締役全員に相当の賠償金を払わされたとの酷い事例報告を受けました。
7.契約に際し、全てが上海市の許認可が必要との事で、「日本からウォークマンを土産に持ってきて欲しい」という明らかな賄賂を要求されました。
8.丁度「ヤオハン」の浦東での百貨店オープンに立ち会えたが、当時は生鮮品の仕入れに物流便も自前で用意しなければならず、又冷凍/冷蔵倉庫が少ない等のハンディを抱えて苦戦し、商品価格も当時の市民の所得では高すぎて物見に終わり失敗した事例を覚えています。

以上は1994年という一世代前の出来事ですが、この当時感じた「日本は利用するだけ利用して後はポイ捨てすればいい」という中国政府の本音が今も続いていると思います。


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