午後1時48分頃、地震がありました。
テレビをすぐつけると、しばらくすると、大体わかってきました。
和歌山で、震度4だったそうです。
パソコンを見ていたら、家が家鳴りするよりは少し広めに揺れたような気がしました。
これ、地震だよねと思いながら、少し待っていると、ちょっと先程よりは大きめに揺れが来ました。
前後に分かれていたから、どこかよその地震だと思って、テレビをつけて確かめました。
家が揺れても、全然テレビでも言わないような局地的な地震もあるのです。
今回は、紀伊水道が震源地でした。
地震は、起こると思っても、待っているだけで、何の防御も取れないのが現実のところです。
たいしたことなくてよかったと思うことだけしかできていません。
シェイクアウト訓練など見たり、聞いたりしているから、実際に行動に移さなくっちゃと思うには思うのですが。
根本的に、家の地震対策をしようにも、なんか家具に囲まれた小さな家で暮らしていますわ。
諦めているわけではないのですが、今どうこう、移動することもできないのですよね。
リフォームするのにも、地震対策まで、根本的にお金が用意できなかったですし。
笑われるかもしれませんが、実家の父が、天災は忘れたころにやってくると言って、今は、南海トラフが来るとやかましく言われているので、来るのは今じゃないと言うのです。
私も、わらにもすがりたいから、父の意見を笑えません。
思えば、あの阪神大震災が起きた朝、ラジオで聞いた言葉を忘れられません。
東海地方が揺れたと言っていたので、とうとう東海地震が来たのかと誤解してしまいました。
神戸は、ちょっと後にならないと情報が入ってきませんでしたね。
あれから、だいぶたって、東日本大震災が起こり、熊本地震が起こり、去年大阪も大きな揺れにあいました。
自分のところではないのは、単なる偶然で、いつ起きても困らないように、日頃から家族で話し合っておかないといけません。
避難場所の公園は、電柱が多いので行くなとか、災害伝言板に言葉を預けるからとか、言っております。
でも、家にいたら、ひどい地震だったら、大丈夫じゃないのではないかというのが本心です。
地震じゃなくても、家鳴りしているし、どう考えても家具が無いと生活できないし、物欲から放棄しなければ、地震対策ができないと思います。
家でとっている新聞に、以前書かれていた説で、南海地震は、2035年頃に起こるというものがありました。
何の根拠もなく言われているわけじゃないので、私はその説を信じたいと考えています。
その頃までには、どうにか、家の地震対策を根本的に終わらせたいものです。
喫緊の課題だと認識しなければとは思うのですが、お金の問題もあるし、我が家的には、長い目で見るよりほかにありません。
今日の地震みたいに、コタツのふちの猫も、ちょっとびっくりしてるのを見ると、考えなければと焦ります。
今あるのは、何のおかげ様かと、感謝しかないのです。
日々祈ることしかできないような気もしています。
テレビをすぐつけると、しばらくすると、大体わかってきました。
和歌山で、震度4だったそうです。
パソコンを見ていたら、家が家鳴りするよりは少し広めに揺れたような気がしました。
これ、地震だよねと思いながら、少し待っていると、ちょっと先程よりは大きめに揺れが来ました。
前後に分かれていたから、どこかよその地震だと思って、テレビをつけて確かめました。
家が揺れても、全然テレビでも言わないような局地的な地震もあるのです。
今回は、紀伊水道が震源地でした。
地震は、起こると思っても、待っているだけで、何の防御も取れないのが現実のところです。
たいしたことなくてよかったと思うことだけしかできていません。
シェイクアウト訓練など見たり、聞いたりしているから、実際に行動に移さなくっちゃと思うには思うのですが。
根本的に、家の地震対策をしようにも、なんか家具に囲まれた小さな家で暮らしていますわ。
諦めているわけではないのですが、今どうこう、移動することもできないのですよね。
リフォームするのにも、地震対策まで、根本的にお金が用意できなかったですし。
笑われるかもしれませんが、実家の父が、天災は忘れたころにやってくると言って、今は、南海トラフが来るとやかましく言われているので、来るのは今じゃないと言うのです。
私も、わらにもすがりたいから、父の意見を笑えません。
思えば、あの阪神大震災が起きた朝、ラジオで聞いた言葉を忘れられません。
東海地方が揺れたと言っていたので、とうとう東海地震が来たのかと誤解してしまいました。
神戸は、ちょっと後にならないと情報が入ってきませんでしたね。
あれから、だいぶたって、東日本大震災が起こり、熊本地震が起こり、去年大阪も大きな揺れにあいました。
自分のところではないのは、単なる偶然で、いつ起きても困らないように、日頃から家族で話し合っておかないといけません。
避難場所の公園は、電柱が多いので行くなとか、災害伝言板に言葉を預けるからとか、言っております。
でも、家にいたら、ひどい地震だったら、大丈夫じゃないのではないかというのが本心です。
地震じゃなくても、家鳴りしているし、どう考えても家具が無いと生活できないし、物欲から放棄しなければ、地震対策ができないと思います。
家でとっている新聞に、以前書かれていた説で、南海地震は、2035年頃に起こるというものがありました。
何の根拠もなく言われているわけじゃないので、私はその説を信じたいと考えています。
その頃までには、どうにか、家の地震対策を根本的に終わらせたいものです。
喫緊の課題だと認識しなければとは思うのですが、お金の問題もあるし、我が家的には、長い目で見るよりほかにありません。
今日の地震みたいに、コタツのふちの猫も、ちょっとびっくりしてるのを見ると、考えなければと焦ります。
今あるのは、何のおかげ様かと、感謝しかないのです。
日々祈ることしかできないような気もしています。