はしもと紀子の風だより

はしもと紀子の今日の出来事をお伝えします

9月17日(日)

2006年09月17日 | Weblog
外は台風13号の影響で風が強くなり、雨も依然降っています。
朝10時から1日、諸般の行動で17時少し過ぎて帰宅。

 昨日から今日まで「岸和田だんじり祭」です。300年の伝統を誇る大阪府岸和田市の祭りに、これほど関心を持つとは思っていませんでした。
 
 高槻篠笛の会にお誘いいただいてかれこれ2年でしょうか。篠笛の会の客員講師に来てくださったのが森田 玲(もりた あきら)「森田玲」先生でした。先生は昭和51年生まれ、とても若い先生です。先生は京都大学在学中、秋道智彌先生(生態人類学・海洋民俗学)に師事し、「地球環境」「伝統」「文化」などの漠然とした言葉で全体的(グローバル)に物事を考えても何も見えてこない、局地的(ローカル)な具体例を調査し、そのつみ重ねによってはじめて「全体」が見えてくると、「ローカル」を基本に「グローバル」を捉える視点に示唆を得て、地球規模での環境保全が必要な時代に、その土地の土着の文化にも目を向けなければ、文化の多様性を保つことができず、精神的に豊かなくらしをすることはできないのではないかとの思いで、「民の謡」を結成されました。そのご縁で、私たち篠笛の会有志は岸和田や京都大江能楽堂での演奏会に参加することになり「さくら」を吹く経験を得ました。笛は蜻蛉の7本調子。というわけでだんじりで育った先生は「だんじり」を根拠にきっとものすごく活ききっておられたことでしょう。だんじりに行きたかったなあ・・・。

9月16日(土)

2006年09月16日 | Weblog
 今日は朝8時から、衆議院補欠選挙・大谷信盛候補支援会議がホテル阪急エキスポパークで開催されました。呼びかけは、民主党北大阪地区総支部協議会。会長は藤村修衆議院議員、代行は中野寛成前衆議院議員、事務局長は大前英世府議会議員。民主党大阪府連傘下の7・8・9・10区の9区に隣接する地域の仲間で大谷補欠選挙を支援するための集まりでした。大谷候補はとても元気で頑張っています。「この選挙は日本がこのままでいいのかを問う選挙です。」といつものように誠実な語りで力強く決意を表明されました。8時に当地にいくためには、7時に中浜議員を市役所前で拾うために、6時半に家を出ました。つまり5時半に起きて支度。なかなか健康的です。

 午後は、「民主党『教育再生』シンポジュウムin大阪」が北浜・大林ビルで行われました。福田賢治民主党大阪府連政策調査会長の主催者挨拶に続き、第1部パネルデスカッションでは、パネリストに兵庫教育大学学長・梶田叡一さん、民主党政調会長衆議院議員・松本剛明さん、大坂教育大学・森 実さん、コーデイネーターに衆議院議員文教科学委員会理事の藤村修さんで進行されました。
 まず、今教育で何が問題か、それぞれから問題提起、次に学校教育に限定して意見交換。教育基本法と愛国心、ゆとり教育、小学校での英語教育など今、行われている教育の諸問題について真摯に語っていただき、大いに示唆を受けました。各人のご見解・ご意見は次の機会に。また、松本政調会長から、民主党の「日本国教育基本法案」の説明がありました。少なくとも自民・公明のいう他者基準との関係でいう愛国心ではないということなどが説明されました。ここですべてを報告するには、今日は力つきています。

9月15日(金)

2006年09月15日 | Weblog
 今日、朝、教育委員会から、20日の文教市民委員会に何か質問の予定はありますかとのTEL。今回はじめて質問予定はありません。文教市民委員会の副委員長にさせていただき、議事進行に責任を持つため(らしい慣例のような)です。なので一日の大半は、委員会の議案書や決算審査特別委員会のために主要事務執行書を勉強しました。途中、机に積んでいるDAYSJAPANに関心が移ります。
 広河隆一責任編集の「世界を視るフォトジャーナリズム月刊誌」-人々の意思が戦争を止める日が必ず来るー。特集、今、米(コメ)が危ない、インド男子誕生の圧力の影で、児童労働(子どもたちの生きる過酷な世界)、貧困―アフリカ、アジア、そして日本―
 このところ新聞では、人気投票のような総裁候補の記事。一方、規制緩和の結果、非正規労働者が過酷な状況で労働市場をさまようという記事、また1人の勝者に10人がぶら下がって生きる時代です。という派遣会社社長のコメントも・・・。

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 大阪ではクマゼミの「シャン・シャン・シャン」が主流ですが、私の故郷金沢では、夏最盛期は「アブラゼミ」の「ジィージィー」オンリーでした。小さい虫カゴにいっぱい、ぎゅうぎゅうに油蝉を捕りました。夏も終盤には、薄緑色の透明な羽と小柄なからだに特別な憧れを持った「ツクツクボーシ」が鳴き、それで夏休みの終わりを肌で感じたものです。

 この季節になると、時々ふと思い出す光景があります。
小さい頃の私の近所は「れっきとした」ガキ大将を頭に男の子ばかりで、女の子ひとりはいつもその群れの最後尾にくっついていました。兼六園の真下に住んでいましたが、家の近くに上水道の施設がありました。広い敷地に盛り上がって芝生の緑が広がり、ここはトンボやムシの宝庫でした。門を入って前方右手に守衛さんの小屋がありましたが、守衛さんは何人か交代で、優しい人とものすごく怖い人がいました。ある日、「再び」、入ってはいけないこの場所に侵入しました。その日、「こらっー!!」と追っかけてきたのは、なんと怖い方のおじさんでした。この日も男の子達は皆、サアッーとうまく逃げましたが、女の子は夏の暑さでトロトロに柔らかくなったアスファルトに踏み込んで、サンダルごとくっついて動けなくなってしまったのでした。
 あまりの怖さに泣いている私を抱き上げ、小屋の椅子に座らせて、サンダルにくっついたアスファルトをペンチか何かで丁寧に取ってくれている「怖い方のおじさん」とそのサンダルの映像はこの年になってなお、夏の終わりに重なる記憶です。
  
 今日はもう、外には虫の音です。

9月14日(木)

2006年09月14日 | Weblog
 10時から本会議開会。質疑が続きました。
先輩議員の質疑は本当に勉強になります。なるほど、そんな考えもあるのか、あるいは、どうやったらそんなふうに考えられるのか、などなど。
終了は午後7時前。その後、決算委員会があり、委員長と副委員長を決めました。委員長は市民連合議員団から岡本茂議員が選出されました。家に帰ったのは8時少し前。家事諸々を終えて、長い1日を閉じます・・・疲れました。

9月13日(水)

2006年09月13日 | Weblog
 朝から雨ですっかり涼しくなりました。
朝は、掃除デー。土日が忙しいので暇を見つけて家事をしなければなりません。
18時から高槻市教組女性部で議会報告。外へ出るとすっかり秋の気配でした。

9月12日(火)

2006年09月12日 | Weblog
 今日から9月議会です。9時から市民連合議員団の会派会議。幹事長から日程の概要などの連絡。私からは意見書について説明。また今議会の重要案件について意見交換。10時から本会議開会。

 冒頭市長から、議会休会中の諸般の報告があり、各部局から議案説明、12時半ごろ今日の会議を終了しました。14日の本会議再開までに、これらの議案審議に各議員、担当部局の攻防が開始されます。

 今日午前10時30分から、市役所前で、高槻市障害児者団体連絡会・高槻作業所連絡会が、市に在住する障害のある当事者と家族、作業所や施設の職員、支援団体等とともに「障害者自立支援法」の実態と国への改善要望や市議会での慎重審議を訴えて集会を開催。参加者は約700人とのこと。
 市議会議員は本会議で参加できなかったため、主催者代表の方々がその報告を兼ねて、昼食時に各会派に要請行動をされました。市民連合議員団は、今議会で意見書をあげるなど、よりよい制度の実現に向けとりくんでいくことをお約束しました。

 私も、本会議、文教市民委員会の勉強と平行して、決算委員会に向けての勉強開始です。


9月11日(月)

2006年09月11日 | Weblog
 朝は阪急高槻市駅北側で街宣。その後、参加者でミーティング兼朝食。
お昼前に、ご案内を頂いていた「篠原重喜・小品展」が開催されている古鏡庵へ。先生は、現在70歳で、1962年(昭和37年)の第1回高槻市市展に入選された経歴の持ち主です。これまでサッカーの指導で高槻市を牽引されてこられました。
 絵は6~7年前に再開。今回出展の絵はいずれも力作で、ドウダンつつじも、五色沼も、錦秋も色がとても美しく、また「雪の浦富」は私の故郷内灘町の海岸を思い出しますと申し上げたら、わざわざその前に立ってくださいました(写真)。お連れ合いの敦子様への感謝の思いがお話の随所に伝わってきました。
 
 午後は、事務処理、教育委員会に議案について質問。朝の街宣の日は1日がすごく長く感じられます。


9月10日(日)

2006年09月10日 | Weblog
 今日は9時30分から、大阪9区の衆議院議員候補、大谷信盛候補の後援会事務所開きが行われました。大谷候補は「争点はひとつ!小泉政権の5年間、年金改革、医療改革の2つの社会保障に安心を感じているか評価する選挙です。この国の目指している方向は不安に向かっています。今、入院している5人に1人を病院から追い出そうとすることを決めました。政治の責任としてこれは、冷た過ぎる。責任の放棄です。5年、10年、20年後には安心とやりがいのある国にしたい」と決意表明。

 その後、高槻現代劇場「市民の健康フェア」へ。今年から「高槻市健康づくり推進協議会」に高槻市栄養士会が加わり、改めて構成団体として栄養相談などを担当され多くの市民の相談に対応されていました。また、倒れている方に対する救急蘇生法を教えていただきました。特に、AEDの使い方は知っておくことの大切さを実感しました。多くの方に体験していただきたいと思います。

 午後は、全国健康むら21ネットの小林美喜子さんと意見交換。高槻でも健康塾を開設されるとか。食にこだわり続けるネットワークが脈々と続き広がり続けていることに感銘しました。

9月9日(土)

2006年09月09日 | Weblog
 午前中は、ご近所のお茶の先生、杉野宗芳先生のお茶の会でした。杉野先生は、いわばご高齢ですが、記憶力というかお茶事に関しては百科辞典で、心から尊敬しています。お弟子さんの一人が先日の知恩院の茶会に行かれたので先生が「掛け軸は」と聞かれました。お弟子さんが「明歴・・・??」と答えたら、先生は即座にそれは「明歴々露堂々(めいれきれきろどうどう)」ですね。意味は、明らかにはっきりと顕われていて、隠すところなどすこしもない、という意味。と教えてくださいました。私もその意味のように生きたいものです。

 午後は、天神山地区福祉委員会ボランテイア講座「私たちの新しい介護保険の知識」と題して、医療法人緑水会 日吉台東地域包括支援センター所長:西出睦美さんのお話を伺いました。先生は、支援が必要になったときの具体的なアクセスの方法についてお話くださいました。元は「児童相談所」に勤務されていたとのことですが、当時は、万引きや家出対応がほとんどでしたが、今は本当に変わってしまいました。との言葉が重く心に残りました。

9月8日(金)

2006年09月08日 | Weblog
 午前中は、相談事項の引き続きで関係室と意見交換。
12時20分から、共働舎花の会主催の映画会「自転車でいこう」(Rido Forward on your Bicycle)の上映会に行きました。

「大阪市生野区、町中を一台の自転車が疾走する。乗っているのは20歳のリ・プーミョン。軽度の知的障害者だ。今は福祉事務所のみんなが作ったグッズを売る「営業」をしている。しかしプーミョンはいつもフォークリフトの作業場、喫茶店、タコ焼き屋などに寄り道し、本来の目的を忘れてしまう。仕事が終わるとプーミョンが必ず寄るのが、障害者と健常者を一緒に保育する学童保育所。スタッフは手を焼きながらも、特別扱いせずにプーミョンに接していく。」 

 人の心を取り戻す。そんなやさしい気持ちに浸れた2時間でした。映画のエンデングに松井實子の名前が…。カンコさん、そういえばこの映画ができた時にドサッとチラシを送ってくれました。彼女とは、レイチュルカーソンの「沈黙の春」上映運動以来です。2~3年前、映画監督になりたいという若者を連れて、彼女の居酒屋「風まかせ」に行ったときも、映画人になる厳しさをトクと教えてもらいました。

 彼女の肩書きは自称「映画の宣伝ウーマン」。知る人ぞ知るです。宣伝の映画は、中途半端ではありません。時々思い出したようにドサッと送ってくるチラシで印象に残っているのが、「ブラックボード」です。今日、久しぶりに電話したら、元気のいい声で、今は「紙屋悦子の青春」「蟻の兵隊」「トランスアメリカ」この3本やで!と言ってました。
 
 3時半から「学校2学期制推進委員会」を傍聴。2学期制で何かが変わるのではなく「どう変える」かという発想で取り組んでいるという第7中学校の取り組みが、今後のキーワードではないかと思いました。
 その後、教育委員会のあるセクションと意見交換。

 夜は、明日新装開店する安全食品取り扱い事業者「生活者の会」を訪問激励。
今日は久しぶりに、総括していい1日でした。