◎1日目…鵜原(ウバラ)~鵜原

→安房天津(アワアマツ)
総武本線~外房線

を経由して、鵜原駅に降りたのは午後1時前のことであった…早い話が寝坊した、という事である。
青い空と新緑

が眩しい…どこからとなくトンビの鳴き声がきこえてくる。
時間が時間でもあり、今日は駅から海岸線

に沿って歩き、鵜原の理想郷を経由して時計回りに駅まで戻って来る事にした。
地図を持っていなかったが、大体の道は覚えていた。
勝浦湾の西にある松部の漁港を見物、出前

のカブが漁船の隣にやってきていた…ここからは海岸線へと進む。
強めの風が磯の香りとともに砂の微粒子を運んでくる、今日はTシャツ1枚では肌寒い。
●尾名浦(オナウラ)のメガネ岩

、奥に見えるのは勝浦市街である…波と風の浸食によって岩がくり抜かれたものだが、メガネには見えねえ。
俺的にはモビルスーツの足

に見える…これってさ、シャアが探してたやつじゃね?

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
無いに等しい海抜ではあるが、浜の真ん前の集落では、僅かばかりの高台に構えている家

もある。
津波の記憶が生々しい今日、「毎日の利便」を選ぶか「いざという時の安心」を選ぶか…難しいところだよなあ。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
●神社の高台より、砂子ノ浦漁港を見る…階段は急、境内も狭いのだが、ここは一時的な避難場所

にはなり得る。
もっとも、波の高さが10m以上だった場合は何の意味も持たない、それこそ「神頼み」となる…海とともに生きる者の宿命。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
波の音と風の音、上空を気持ち良さそうに旋回するトンビの鳴き声の中を進む、やがて勝浦海中公園を中心とする箱物施設

の一角へと出た。
向かい合わせの海の博物館はお休みである…閑散としていた海の資料館のベンチに腰掛けて、一服ついでに汗と潮風と砂の顔

をウエットティッシュで拭いた。
タクシーが数台やってきた

…中高年の友達が集まっての遠足であろうか、楽しそうに海中公園見物の記念撮影

をしたりしていたよ。
海中公園には俺も一回入った事がある…個人的には展望塔は無価値だ、むしろ展望塔に至るまでの~海上に架けられた橋から見るダイナミックなリアス式の岸壁

~これこそが、海中公園の唯一にして最大の魅力である。
休憩後、鵜原の漁港へと向かった。
途中で道を間違えた、というよりダイバーの施設に入り込んでしまった…漁港に併設する様な形だったのだが、ダイバー小屋と漁港の空気感の違いは明白で、共存しているのが不思議に思えるほどだ。
●トンネルを抜けると鵜原漁港…鵜原には幾つかの小さな漁港が点在するが、漁協

があるここがメインである。
久しぶりに訪れたが、風も静かで本日の漁を終えた漁港は静寂が支配していた。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
漁港を出てすぐ左手にある岩山へと続く車1台分ほどの幅の坂道…これが鵜原理想郷への入口

である。
この一帯は老舗旅館の私有地でもあり、理想郷へと向かう歩行者及び旅館の関係者以外の車両は通行できない、途中からは登山道に近くなる。
「鵜原理想郷」の存在が公になったのは戦後であり、作家・三島由紀夫の小説

にその名が登場した事がきっかけらしい。
三島によると~非の打ち所がない景観美

を有しているにもかかわらず、他の有名どころと比べ、この鵜原の地はあまりに不遇な扱いを受けている様に思える。
だが、調べていくと私は、この地の存在を決して漏らさず秘匿し続ける人々~彼らにとって、それは愛の対象でもあった~が居た事を知った…
●理想郷内の隠れ漁港・勝場…浸食された洞は、漁の道具置き場としても活用されている。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
上に向かうにつれて風が強くなる、そして展望が開けた。
潮の香りの突風

が唸る、「カンカン。」と展望台に取り付けられた鐘が連打されていた

…吹っ飛ばされそうな勢いだ。
地蔵に10円を捧げた後に撮影を開始するが、鴨川~白浜方面は完全な逆光

であったので、順光の勝浦方面をメインに撮影した。
●ここは山に例えると、北穂の「大キレット

」の一部分みたいな場所。
幅1、5mくらい(うち左手1mは、木による気休めの目隠し)、右手は海の断崖絶壁

、風も強くて怖かった…ここに道はない。
奥に見える白い建造物は勝浦海中公園の展望塔だよ。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
●鵜原漁港を見下ろす…こちらは手前にも余裕があり、背後は展望広場なので落ち着いて撮影できる、山の新緑が鮮やかだった。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
●逆光に輝く鵜原の海岸線…撮ってみると案外悪くないんだけど、人間の眼に映る光景とカメラのレンズではやはり、その性能の差は大きい。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
寒くなってきたのでトレーナーとジャンパーを着る

、鵜原の海岸に下りてきたのは午後3時半過ぎであった。
青い空と海、寄せては返す波の音

、白い砂浜

は訪れる者を魅了するに充分である…だが風が強かったので、この場合は砂浜よりも岩のほうが良かったか。(笑)

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
海岸線の壁沿いには『産廃埋立地の建設、絶対反対

』の看板が建っていた…これは以前にも見ていたが、常識的に考えてこれほど自然豊かな場所に産廃埋立地なんてあり得ない。
宝物に糞尿を擦り付けるようなもんだ…率直に言ってやるけど、千葉の行政ってさ『極めつけのバカ。』なんじゃねーの?
いや、ウチんとこの都知事も問題児ばかりだけどよ…ここまで環境に無配慮じゃねえぞ、口が軽すぎるだけだ。
そんなに捨てたいなら、健作の奴の庭である県庁一帯の土地

を買い取ってそこに捨てればいいんじゃね?、ゴミはきちんとゴミ箱に捨てるのがマナーだからよ。
●海岸の民宿街から線路を潜り、入り組んだ集落の中にあった神社。
ちょうど陽が傾き始めたころ

で、まだ子供たちが遊んでいた…その光景に俺の頭は昭和にタイムスリップした、一瞬だけ。
これは神社や寺のみが出せる味わいかもしれないな、例えばゲーセンとかだったら別に何とも思わんだろう?

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
鵜原駅まで戻り、本日の宿である安房天津の民宿

へと向かう。
一応、午後5時にチェックインする予定となっていたが、この時すでに5時ちょっと前であったので電話を入れた。
宿のおじさんは「天津の駅に着いたらまた電話してくれ、送るから。」と言ったが、電話せずに歩いた…午後6時、天津漁港近くの宿へと到着。
●風呂に入る前に夕食とする…米3合

と味噌汁、ポテトサラダ

と天ぷら、そして金目鯛

の煮物、刺身、サザエの海の幸。
これだけ付いて1泊2食で6500円、だから漁港が傍にある民宿って好きなんだよ!
基本的に最低限のサービスしかないけれど、それがかえって手作りの温もりを感じさせる…これ以上、何を望む必要があるだろう?

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
網戸を開けながら飯を食う、トンビは陽が暮れると同時に帰ったので、聞こえるのは波の音。


風呂から出た後、部屋に戻る…さすがに寒くて網戸を閉めたので、聞こえるのは車の音だけとなってしまったが仕方あるまい。
特に何も考える事もなくぼんやりとしていたが、午前0時前には布団に入った

…意識が遠のきかけた時、漁港のほうから大きなエンジン音が聞こえてきた。
時計を見る…時刻は午前0時45分

、音から判断するに少なくとも2隻の漁船の出港を認む。
◎2日目…安房天津→行川(ナメガワ)~安房小湊(アワコミナト)
午前7時に起床、晴れ渡る空に爽やかな風、トンビの鳴き声が響き渡る。
朝食

は7時半からであった…この民宿は食堂を兼ねており、誰もいない食堂のフロアのテーブルの椅子に腰掛けた。
民宿の場合、大体朝食は軽い内容となっているのだが、ここは米3合がしっかりと食べられる…夕食は完食したが朝飯は残してしまった。
壁にかかる「お品書き」を見ると、昨夜の夕食だけで優に3千円は超えていそうな内容

であった事がわかる。
だが、表玄関のショーケースに飾られていたであろう見本は全て撤去されていたので、実際のところ食堂は辞めてしまったものと思われたが、
おじさんに尋ねる事はしなかった。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
朝食後、おじさんにこれからの予定を聞かれる。
「一応、行川から小湊まで海岸線を歩こうかなと考えているんですが。」
「ああ、『おせんころがし』からか、あの道は今歩けるかなあ…結構、崖崩れ

が多いんだよね…小湊って言うと『誕生寺(タンジョウジ)』っていうお寺があるよ。」
「誕生寺は行ったことありますけど、『清澄寺(キヨスミデラ)』ってどんな感じですかね?、時間があれば寄ってみたいとは思うんですけど。」
「清澄寺か…駅から出ているバス

に乗れば20分くらいだね、山奥

にある広い境内の寺だよ、今の時期は何が咲いてるかなあ…」
「バスの本数は少なそうですね…歩くとなると寺への移動だけで、かなりの時間を食いそうです…せっかく海に来たんだし、やっぱり海岸線を歩こうかな。」
「あのバスは寺に用事がある人しか使わないからなあ…あんまり時間を詰めず、のんびりと楽しめばいいんじゃないの?」
午前9時に民宿を後にした。
天津の漁港に向かって海岸線を歩く

、まだ朝だというのに汗ばむほどの陽気

であるが、空気は乾燥していたので爽やかだった。
●天津海岸…「ザブーン、サー」と繰り返される心地良い波の音

と潮風。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
●天津漁港

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
本日の漁は勿論終了しており、あとは出荷を待つのみである…大きく口を開けて絶命していた魚たちの目

が、
何か言いたげに俺を見ている…そんな気がした。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
20分ほど漁港を見物した後、天津駅から列車に乗り、行川アイランド駅にて下車。
駅から国道を横断し崖へと続く道を進む…「おせんころがし

」への道は訪れる人が増えたのであろうか、以前は砂利道だったのに立派なコンクリート舗装となっていた。
冥土のおせん

も、さぞや喜んでいることであろう。
●おせんころがし…昔々、この地に暴政を敷いていた男

がいた、これがおせんの父である…おせんの忠告にも耳を傾けず、ますます酷くなる一方であった。
不満を抱いた領民たちはこの男の殺害

を企てた…それを知ったおせんは父の身代わりとなって、この断崖から自殺同然の死を遂げる。
心優しい娘であったおせんの死は両者に衝撃を与え、ようやく平穏が訪れた…おせんは自らの命と引き換えに、父と領民を憎しみの連鎖から救ったのである。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
おせんの碑に10円を置いてここを去り、再び国道を横断しトンネル手前より県道の坂道を歩く、道の左右を覆う新緑の木々が眩しい。
しばらく進むと大沢(オオサワ)の集落が現れる…ここから海へと続く坂道を下り、外房線と国道のガードを潜ると眼下に大沢漁港

が見えてくる。
●大沢漁港はその背後に「おせんころがし」を始めとした断崖

が聳えている一方で、入り江では無い為、海に対しては丸裸である。
俯瞰する分には面白いが、その中に危うさを孕んでいる…利点と言えば急坂ゆえに、登ればすぐに高台に避難できる

という事であろうか。
付近には岩の浅瀬のようなものがあり、そこでは藁の篭を背負った婆さんたちがヒジキを採っていた。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
二段構えの防波堤に腰を下ろす…前面には太平洋の大海原

、背後には断崖絶壁

、波の音を聞きながら日向ぼっこである

…何も考える必要は無かった。
結局、この漁港には1時間以上いた…山でいう沢の音と似たような効果を、海の波の音は持っていると思う。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
満足して漁港を去り、崖沿いの旧道を歩く…写真は旧道より眺めた大沢漁港である。
画面中央、崖の側面がコンクリから剥き出しの岩になっている箇所がお分かりいただけるだろうか?、真ん中が「おせんころがし」の断崖だ。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
●再び歩きたかった海岸線、そのメインは何と言ってもこの旧道

である。
海は一面の大海原、リアス式海岸を前後に見渡す爽快感、落ちたら打ち所が良くても助からない~適度な高度感。
ここで俺は2度ほど、「自殺するつもりなのではないか…?」という疑念

を地元の人に抱かせたらしい。
実は今回も地元の緑の軽の人が通り過ぎたが、心配してすぐに戻って来たんだ…迷惑を掛けるのは悪いから道路に戻ったけど。
何より交通量が殆どなく、地元の人がたまにのんびりと走ってくるだけなので

、歩道感覚で歩けるのも素晴らしいな。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
旧道は2kmほどで海岸線を離れる、トンネルを抜けると「誕生寺」の門前町である小湊…ここはもう安房である。
●誕生寺…かの日蓮上人誕生の地

と伝わる、ソテツがトロピカル

な雰囲気を醸し出す寺である…歴代の安房領主の庇護を受けた。
戦国時代の安房は「房総の狼。

」こと、名将・里見義堯(サトミ・ヨシタカ)を輩出している。
義堯は本国・安房を拠点に上総・久留里城を前進基地として抑え、南下する「相模の獅子。」北条氏康(ホウジョウ・ウジヤス)と大激闘

を演じた。
辺境の一大名に過ぎない里見氏が、有力大名であった北条氏と互角に戦う事が出来たのは、知勇兼備の義堯自身の能力もさることながら、
東京湾の制海権を握っていた配下の海賊衆

や、正木時茂(マサキ・トキシゲ)を始めとする武勇に優れた家臣団が居た事も大きい。
そして何よりも、広大な海

と豊かな穀倉地帯

…安房という豊饒の地が持つ生産力が、里見の躍進を支えた。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
誕生寺~小湊漁港を見物した後、内浦湾沿いに海岸線の遊歩道を入道ヶ岬

に向かって南下する。

遊歩道は途中の記念碑がある所まではコンクリート舗装であった…砂浜ではなく岩場であるが、容易に海に下りられる箇所が続く事もあって
付近の海は綺麗とは言えない。
記念碑を過ぎると道は岩場となる、ここからは釣り人の縄張りである。
●右に見える小島は大弁天島(ダイベンテンジマ)…この手前にも小弁天島という小島があり、岩場づたいに祠のある場所まで歩いて行ける。
一方、大弁天島は海面を渡る必要があり、磯釣り装備一式が無いと無理だね、泳ぐならば別だが。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
左手の崖の木々からはウグイス

の鳴き声が聞こえていた、普通は「ホー、ホケキョ。」と聞こえるんだけど、
このウグイスは一風変わった鳴き方をしていてね…「ホー、ホケキョケキョ。

」と、独特の間合い・パターンで鳴いているんだよ。
その鳴き方に何か愛着みたいなモノを感じてね、出来ればペットとして飼ってみたいと思ったほどだよ。
●岩場にて…死んでいるだろうと思って触ってみると動いた、しかし右の貝は大したものだよ!、体と岩のサイズがピッタリ合ってるじゃん。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
●長いくちばし、まん丸い頭、これはシギの仲間か…3羽で岩場に現れた、一本足で立っているがちゃんと二本ある、動きは非常に素早い。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
大弁天島を過ぎると岩場は急に狭まり、崖の道

となる。
ここまで来れば海も綺麗で、潮の香りもより新鮮なものに感じられる…海面まで下りて、空のペットボトルに海水

を満たした。
海水自体は塩分濃度が濃すぎて飲用に適さないが、持ち帰って家の風呂に注いで割り、食塩泉の「プチ温泉。

」を味わおうという訳である。
実はこのアイデアは西伊豆を訪れた時に「閃いた。

」ものである…もっとも海の土産らしいモノは何か?、海=海水…単純な発想だったという、お話。

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
●わかしお。

…海は蒼き故郷、砂は白き故郷。

(天津小湊の午後5時半を告げるオルゴール。)

photo by
nobutora_2008 from
フォトフレンド for マイポケット
安房小湊駅・午後4時3分発の外房線

に乗り、京葉線経由にて帰路につく…外房の海よ、いつの日かまた会おう。
Fin.