◆陸前高田:広田湾
◆妻の実家があった唐桑台の下地区
◆新築した妻の実家
◆被災者集団移転宅地造成地
◆妻の実家があった唐桑台の下地区
◆新築した妻の実家
◆被災者集団移転宅地造成地
5月17日・18日の1泊2日で第二の故郷気仙沼へ行ってきました。
今日のブログは、東日本大震災で被災した妻の実家のその後を書き込みたいと思います。
昨年の8月に訪れて以来、9か月振りの訪問になりました。
今回は、義兄夫婦が去年の暮に岩手県一関市の仮設住宅を引き払い、新築した家に引っ越ししてきていたことから特別な訪問になりました。
新築した家は、5mの嵩上げ工事をして建て、家の周りの造成が終わっていない中での引っ越しになったようでした。
平屋建ての家で、今までの家とは広さも部屋数も少なく、こじんまりした家になっていましたが、兄夫婦の二人が生活するには申し分のない広さで、何はともあれ二人だけの落ち着いた生活を取り戻すには十分な家になっていました。
がらんとした部屋には家財道具らしいものは無く、必要最小限度の生活用品があるのみで、今までの仮設住宅の大変さを垣間見たような気がしました。
義兄夫婦の新築の前にある山は被災者集団移転のために宅地造成が進んでいました。
義兄の話では、被災を受けた方の17戸の平屋建ての住居が完成する予定と言っていました。
着々と造成が進んでいるようでしたが、完成までにはまだまだ先のようでした。
高台にあった宅地造成地に行ってみました。
宅地造成地は津波で流された地区が一望にできる場所で、目の前には、広田湾が広がっていました。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた陸前高田の広田湾でした。
義兄の家から車で約5分とかからない高台にある親戚の家にも寄ってきました。
当日は、五月晴れの快晴に恵まれ、眼下には広田湾が広がり、太平洋の水平線も見え、遠くには大船渡湾も見えました。
親戚のおばさんは遠くに見える灯台を指差し、「震災前の灯台の頭のてっぺんは、水平線すれすれだったのに、震災後は、地盤沈下のために灯台が水平線の下に見えるようになってしまった。」と話していました。
大震災後の地盤沈下を良く耳にしていましたが、これほどまでに地盤沈下をしてしまったのかと思うほどでした。
あの大地震、大津波から3年余の月日が流れました。
被災地に行くとダンプカーの往来が目につきました。
少しずつ前に進んでいる気配はするものの余り変わっていない状況のようでもありました。
最近、福島第一原子力発電所の事故に関するマンガの本が注目を浴びています。
原子力発電や放射線被害に一石を投じているようです。
風評被害が声高に聞こえきますが、放射能汚染に対する不信感も無きにしも非ずのようです。
事故前には無かった放射能汚染が、事故の後、放射能線量が基準値内で健康被害は無い、身体に影響がないという話も聞こえてきますが本当に大丈夫なのかと思うほどに不安な気持にもなります。
不安ばかりでは前に進みません。ここはしっかりと自戒の念をこめて前に進んでいくことにしたいと思います。
今日のブログは、東日本大震災で被災した妻の実家のその後を書き込みたいと思います。
昨年の8月に訪れて以来、9か月振りの訪問になりました。
今回は、義兄夫婦が去年の暮に岩手県一関市の仮設住宅を引き払い、新築した家に引っ越ししてきていたことから特別な訪問になりました。
新築した家は、5mの嵩上げ工事をして建て、家の周りの造成が終わっていない中での引っ越しになったようでした。
平屋建ての家で、今までの家とは広さも部屋数も少なく、こじんまりした家になっていましたが、兄夫婦の二人が生活するには申し分のない広さで、何はともあれ二人だけの落ち着いた生活を取り戻すには十分な家になっていました。
がらんとした部屋には家財道具らしいものは無く、必要最小限度の生活用品があるのみで、今までの仮設住宅の大変さを垣間見たような気がしました。
義兄夫婦の新築の前にある山は被災者集団移転のために宅地造成が進んでいました。
義兄の話では、被災を受けた方の17戸の平屋建ての住居が完成する予定と言っていました。
着々と造成が進んでいるようでしたが、完成までにはまだまだ先のようでした。
高台にあった宅地造成地に行ってみました。
宅地造成地は津波で流された地区が一望にできる場所で、目の前には、広田湾が広がっていました。東日本大震災で壊滅的な被害を受けた陸前高田の広田湾でした。
義兄の家から車で約5分とかからない高台にある親戚の家にも寄ってきました。
当日は、五月晴れの快晴に恵まれ、眼下には広田湾が広がり、太平洋の水平線も見え、遠くには大船渡湾も見えました。
親戚のおばさんは遠くに見える灯台を指差し、「震災前の灯台の頭のてっぺんは、水平線すれすれだったのに、震災後は、地盤沈下のために灯台が水平線の下に見えるようになってしまった。」と話していました。
大震災後の地盤沈下を良く耳にしていましたが、これほどまでに地盤沈下をしてしまったのかと思うほどでした。
あの大地震、大津波から3年余の月日が流れました。
被災地に行くとダンプカーの往来が目につきました。
少しずつ前に進んでいる気配はするものの余り変わっていない状況のようでもありました。
最近、福島第一原子力発電所の事故に関するマンガの本が注目を浴びています。
原子力発電や放射線被害に一石を投じているようです。
風評被害が声高に聞こえきますが、放射能汚染に対する不信感も無きにしも非ずのようです。
事故前には無かった放射能汚染が、事故の後、放射能線量が基準値内で健康被害は無い、身体に影響がないという話も聞こえてきますが本当に大丈夫なのかと思うほどに不安な気持にもなります。
不安ばかりでは前に進みません。ここはしっかりと自戒の念をこめて前に進んでいくことにしたいと思います。
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